二百二十七話 愛すべき主君
――アークラウスがリンドブルムに追い詰められていたその時とほぼ同時刻。恭介らがアークラウスのもとへと向かった後の事。
サンスルードにて。
「あー……なんつーか、あれだ。皆すまなかったな」
サンスルード城内、地下にある大会議室。
そこでイニエスタは申し訳なさそうに謝罪を述べる。
「すまなかった、で済めばギルドも憲兵もいらないんですよ、イニエスタさまッ!」
ひとりの兵士が声を荒げた。
「そうですよ!」
「何故今まで黙っていたんですか!?」
「サンスルードがこんな事になってしまったというのにッ!」
釣られて多くの兵士たちも声を重ねる。
地下大会議室には、ガノン大臣をはじめとする城内の重役職らと多くのサンスルード兵士たちが集められていた。
イニエスタがノースフォリアより帰還し、彼を目撃した者や彼の生存を聞いてしまった者らが今ここには集められている。
イニエスタが生きていた事についての詳しい説明をまだしていなかった件について、混乱を招かない為にも一部の者らにはきちんと話をするべきだとガノンに言われた為、こうして緊急会議が開かれたのである。
「皆、静かに!」
声を荒げ、立ち上がったのは聖剣の勇者ことストレイテナー。
「イニエスタさまが生存されていた事を皆に知らせるわけにいかなかったのは先刻話した通り、アドガルドのミネルヴァに命を狙われているせいです」
「それは聞き及んでおります! しかしだからと言ってレヴァナントという凶悪なアンデッドの襲撃で疲弊したサンスルードへ、更なるミネルヴァからの追撃があったのですよ!? そんな大変な時に何故、姿を現してくれなかったのですか!?」
そう強く反論したのは、先のアドガルドとの戦争時、ヒューマゴーレムによって大怪我を負わされた魔法兵団女兵長のフィーネである。
彼女はあの戦いで瀕死の重症を負わされたが、ウィルヘルミナやフェリシアたちの必死なヒールのおかげで一命を取り留め、ようやく回復し始めたところであった。
「私は……いえ、我々はあの日あの時、死んでいてもおかしくなかった。あの窮地を救ってくれたのはレオンハート殿たちです。イニエスタさまはあの時どこにおられたのですか? もっと早く我々の前に帰ってきてくださっても良かったのではないですか!?」
「黙りなさいフィーネ」
「いいえ黙りませんストレイテナー殿。私はあの日死んでもおかしくありませんでした。それを懸命な治癒魔法で助けてくださったのは他でもないウィルヘルミナさまとフェリシアさまです」
フィーネは鋭い眼差しでイニエスタを見据える。
「ウィルヘルミナさまはいつも我がサンスルードの為に必死でした。民の為に多大なご心労を重ね続けておりました。自分の自由など顧みずに!」
フィーネの言葉に対してイニエスタは頭を下げ、
「ああ。この国を守ってくれたお前にも、ウィルにも本当に感謝してもしきれねぇ。ありがとうな」
心より思った言葉で返す。
しかし。
「感謝? そんな事を望んでいると本気でお思いなのですか? 私が? ウィルヘルミナさまが!? イニエスタさま、私が申し上げたいのは、何故イニエスタさまがこの国にいてくださらなかったのかって事です! せめてイニエスタさまさえいてくだされば、サンスルードもウィルヘルミナさまもこんな事にはなっていなかったかもしれないというのにッ!!」
フィーネの感情は留まらない。
「フィーネッ! 言葉を謹みなさいッ! 不敬にもほどがあるわッ!!」
釣られる様に言葉を荒くしたストレイテナーが言い返す。
「ストレイテナーさまはいいですよね。イニエスタさまが生きていた事を知っていて。アドガルドの化け物と戦ったわけでもなく、イニエスタさまと温泉旅行に行ってらしたのだとか? っは! 勇者サマともなると良いご身分であらせられますね!」
「なっ!? あ、あなた……何を言って……」
「ガノンさまより聞き及んでおりますから下手な言い訳なんか聞きたくないです。事実でございましょう?!」
フィーネの行き過ぎた言葉に、
「……フィーネ殿。確かに私めは貴女さまがどうしてもというから恭介さまやイニエスタさまの行動について説明致しました。スフィア探しの為とミネルヴァの目をあざむく為にやむなくイニエスタさまの生存を秘匿にする事も説明し、貴女さまも納得されていたと思いましたが?」
そう諭したのはガノン大臣。
「そうよフィーネ。私たちは遊びで温泉に浸かっていたわけではないわ」
「そんな事ッ!!」
ついに感情が収まらなくなったフィーネはストレイテナーの前にまで詰め寄り、その胸ぐらを掴み上げた。
その場にいた全員が息を呑む。
「そんな……そんな事ッ! わかってる! わかっていますッ!! だけど私は……私たちは一体どんな気持ちでいたか……ッ!」
激昂するフィーネの両の瞳から大粒の涙が溢れだす。
「フィーネ……」
フィーネに胸ぐらを掴まれたまま、無抵抗でストレイテナーは彼女を見た。
「私たちが……私が、どんな気持ちで……ひっく、ふぐ……」
フィーネは溢れる涙を抑えきれないまま、言葉を紡ぐ。
「……ごめんなさいフィーネ。でもわかって。私たちは今、強大な敵と戦おうとしている。その為にイニエスタさまは絶対に必要なお方。だから何があってもミネルヴァに知られるわけにはいかないのよ」
「……わかって……います……」
「でもありがとうフィーネ。こんなにもイニエスタさまの事を想ってくれて」
ストレイテナーが微笑むと、
「……ストレイテナーさまは、イニエスタさまの事をどう、思われているのですか」
顔を伏せたまま、フィーネが声のトーンを落として尋ねた。
「現在のサンスルードの王は恭介よ。でも私たちにとって、イニエスタさまは王であろうとなかろうと、とてもかけがえのない存在だわ。私たちサンスルードの民全員にとって大切なお方だと……」
ストレイテナーがそこまで言葉を紡ぐと、フィーネが突如顔を上げる。
「そんな事を聞いているんじゃありません」
その瞳に強い意志を孕ませて、ストレイテナーの目を見据えた。
「え……?」
「ハッキリ申し上げます」
フィーネはそう言うと、
「イニエスタさま」
イニエスタの方へと向き直り、
「私は……私は、イニエスタさまをひとりの殿方として心よりお慕い申し上げております」
と、心の中の想いをまっすぐに打ち明けた。
「え!? フ、フィーネ!?」
そんな彼女の言葉にストレイテナーをはじめ、その場にいた全ての者がどよめく。
「私は初めてイニエスタさまに出会った頃から、この想いを胸に秘めておりました。ですが私はただの一介の兵士。身分違いの恋だと理解し出過ぎた真似はしないつもりでした。ですが、恭介さまが王となり、イニエスタさまも王としての責任から解放された今なら私はこの気持ちをハッキリとぶつけさせて頂きます」
若干頰を紅潮させながらもフィーネは言葉を続けた。
「イニエスタさま、あなたさまを愛しております。どうか私をあなたさまの一番にしてください」
フィーネはイニエスタの目を見据える。
「……フィーネ」
イニエスタも彼女の気持ちが真摯である事を理解し、真剣な表情でフィーネを見返した。
「フ、フィーネ。今はそんな事を言っている場合じゃ……」
ストレイテナーが間に入ろうと口を挟むが、
「ストレイテナーさまは黙っていてください。私はイニエスタさまの言葉を待っています」
フィーネの強い意志がそれをきっぱりと拒む。
「……フィーネ。サンキューな」
イニエスタは頭をぽりぽりと掻きながら、席を立ち、フィーネの前に歩み寄った。
そして凛とした眼差しで見据えるフィーネの頭にぽんっと、手を置き、
「素直に嬉しいわ。お前ほどの美しさを持つ女にそう言われて嬉しくねえ男なんざいねぇよ」
「イニエスタさま……!」
一瞬表情を綻ばせるフィーネだが、
「だがな、悪い。お前の望みは叶えてやれねぇ。俺様にゃあ心に決めちまった女がいる」
申し訳なさそうにイニエスタがそう答える。
しかしフィーネは笑って、
「ええ、存じ上げております。それでも良いのです。私の気持ちをお伝えできましたから」
「……ああ。だがフィーネ。俺様はお前の事もサンスルードの皆も愛してる」
「……ずるいですよ、そんな返しは」
「俺様はずるいんだよ」
イニエスタが笑うとフィーネは少しだけその瞳に涙を浮かべて笑った。
「フィーネ、それに皆、すまなかった。だが、俺様はまだこうして生きてるし、これからも戦い続ける。ただ、俺様が生きてる事が知れればまたサンスルードの街も巻き込んで大きな戦いにならないともわからねえ。だからここにいる者以外には決して俺様が生きてる事は口外しねぇでくれ。頼む」
イニエスタの真剣な言葉に皆、頷く。
「そして恭介を王として支えてやってくれ。俺様たちだけじゃねえ。このオルクラに生きる者全てにとってアイツはとてつもなく大切で重要な存在だ」
この言葉に逆らう者などいるはずもなく。
こうして地下で行われた会議は落ち着きを取り戻すのであった。
●○●○●
――その後、会議室にて行われた会議の内容のひとつにアークラウスが探し求めているグリモアの予言者の行方についても話された。
アークラウスが元より保持していた第二巻、破壊の章はサンスルード城の地下宝物庫に保管されている。
そしてコロポックルたちが持っていると思われる第一巻、禁忌の章は恭介サンスルードに戻った際、クルポロンに尋ねてみたところ、なんとクルポロン本人がその巻を持っていてくれたので、それも恭介が受け取り同じく地下宝物庫に保管させた。
残る予言者はノースフォリアの商人が持つ第三巻、転生の章と、未だ行方のわからない第四巻である。
第四巻は夢幻の章と言い、そこにはこの世界の行く末、過去と未来のその全てが記されているのだと言う。
その真意はさておき、なんとしてもこのグリモアの予言者は四冊集める必要がある、とアークラウスは言っていた。
その為にはどうしてもアークラウスの千里眼の法が必須となる。
ミネルヴァからの戦争もいつ仕掛けられるかわからないこの状況では、様々な事を早急に行うべきだと考えた恭介は、その事もあってアークラウスを探しに死の湖へと赴いたのである。
「……恭介。無事帰ってこいよ。俺様はなんだか嫌な予感がするぜ」
会議を終えたその晩。
一見平和に見えるサンスルードの城下町をサンスルード城のバルコニーから見下ろしながら、イニエスタは夜風に当たりつつひとりごちていた――。