二百二十四話 管理者
「……ッッ!!」
アークラウスは声にならなかった。
その瞳に映っているものが、一体何なのか全く理解できなかったからである。
死の湖付近にできていた洞窟。
その深部にそれはあった。
「……なん、なのだ、これは……ッ!?」
アークラウスは誰に言うでもなく、ひとりごちる。
目の前にあるものは、不可思議な長方形の箱。
アークラウスの知識の中でこの箱を形容するのであれば、それはまさに棺桶とも言えるような代物。
棺桶のような箱は、上半分が透明なガラスで作られており、その中身も透けて見える。
「人……なのか!?」
その箱の中身を食い入るようにアークラウスは覗き込んだ。
中に寝かされているのは、どうやら人族のように見える。
「女……だな。しかしこれは……」
その人族の体のあちこちから、まるで生えているかのように様々なカラフルなヒモが繋げられている。
そのカラフルなヒモは、先程も洞窟内でよく見ていたものだ。
「生きて、いるのか?」
様々なヒモに繋がれた女性は、静かに瞳を閉じている。
一見、生死は定かではないが、その顔色は死人のそれには見えない。
「……」
アークラウスはその箱を開けられないか、調べてみた。
適当にあちこちを撫で回してみたり、押せそうなところを弄ってみたりする。
そうこうしていると、
「……む?」
ガチャンッ!
と、何かが外れたような音がした。
それと同時に棺桶のようなその箱が、ゆっくりと上半分の透明なガラス部分だけの蓋を開いていく。
「……」
アークラウスは開かれた箱の中で眠る、女性のような人族の肌にそっと手を伸ばす。
「……冷たい。これは生きているのか?」
女性の頬はまるで氷のように冷たい。
だが、顔色は死者のように悪くはない。
「……触るな。そして閉じよ」
アークラウスがその眠る女性に気を取られていると、唐突に低い声が洞窟内部に響き渡る。
ここは洞窟内でもやや広く作られた所だが、まだいくつかの道が更なる深部へと続いてるのはアークラウスもわかっていた。
その深部へと続く道の一ヶ所からその声は響いてきたのである。
「何者だ!?」
アークラウスが声をあげた。
「その方に触るな、無礼者」
そう言いながら洞窟の通路からゆっくり近づいてくる者の姿の輪郭がようやく見え始める。
その声の主は大きな体躯なのだろうという事はすぐにわかった。
近づくたびにズン……ズン……と地響きが轟いていたからだ。
「ま、まさか……」
アークラウスが次第にその瞳を見開いていく。
そして。
「その方は、我らにとって神とも言える存在。迂闊な事は許されんぞ」
蒼と白の斑模様の鱗を全身に纏った、一匹のドラゴンと邂逅するのであった――。
●○●○●
「死の湖という場所はな、マナエネルギーが急速に失われる場所でもあるのだ」
恭介と共に空を駆けるルシフェルがそう説明した。
「どういう理屈かはわからん。だが、その湖周辺では体内のマナエネルギーは徐々に失われ、やがてはその命すらも尽きると言われている」
「そんな場所にアークラウスはひとりで行ったのか……!」
「まあ案ずるな。すぐにすぐマナが無くなってしまうわけではない。何日も滞在していればどうなるかはわからぬがな」
「……しかしそんなところにアークラウスが求める強力な魔物がいるのか? むしろ生物自体いなさそうなイメージだけど」
「それが返って凶悪な魔物を生み出すロジックだ。弱き者どもは死の湖による環境効果で徐々に衰退するが、それに耐えうるものどもはより強く、より凶悪に進化する。ゆえに、死の湖付近に現れる魔物はそれだけに危険であると言えるのだ」
「そうなのか……」
アークラウスの身を案じ、眉間にシワを寄せる。
「恭介さま、ルシフェルさま、アレを」
不意に、隣で飛行するアスタロトが地表に向けて指差した。
「人族の軍隊だのう」
ルシフェルが呟く。
「あれは……アドガルド軍か」
アスタロトが指差したその先には、アドガルドの紋様が記された兵服を着た兵士たちの行軍している様子があった。
「ここはまだアドガルド領域だけど……でも、もうかなり王都からは辺境の地だ。奴らはどこへ……?」
恭介が訝しげに言うと、
「方向的にはアドガルド王都の方かの?」
ルシフェルがそう呟く。
「……ふたりとも、少し静かにしててくれるか?」
恭介は空中で停止すると、瞳を瞑って聴力に意識を集中させた。
「……」
アドガルド軍の兵士たちの声が恭介の耳に届く。
「まさかアドガルドがこんな美味しい募集を掛けてくれるなんてなあ」
「本当にな。軍服もただで支給してくれるし、おまけに食事と寝るところもしっかり準備してくれるってんだからゴルムアさま、ミネルヴァさまに感謝感謝ってところか?」
「全くだぜ。俺たちみたいな囚人にこんな待遇を施してくれるなんてな」
地表を進むアドガルド軍の兵士たちの声が恭介の耳に届く。
しばらく彼らの話に耳を傾けていてわかったのは、彼らは元々ミッドグランド国の犯罪者たちであったという事。
先日のミッドグランドの崩壊の際、牢獄に囚われていた犯罪者たちもその混乱に乗じて逃げ出した。
そんな彼らにミネルヴァは兵士としての位を与え、アドガルドに国籍を移す事を提案。
彼らは喜んでその提案を飲み、そして今まさにアドガルドへと移動中との事であった。
「……ミネルヴァ、何を考えている?」
恭介が呟く。
「奴ら、どれもこれも有象無象だの。単体なら妾たちの敵ではないが……」
ルシフェルが含みを孕んだ言葉を口にする。
「ああ。ガノンが言っていたヒューマゴーレムってヤツの材料にされる可能性がある、か」
恭介はサンスルードに戻った際、ガノンより報告を受けている。
アドガルド軍が突然巨人になって襲いかかってきた、と。
「もしそうだとするなら、ますます急がないとだな……」
恭介はアドガルドの軍を後目にして、死の湖へと先を急ぐのであった。
●○●○●
「貴様が探していたのは我であって、そのお方ではない。そうであろう?」
蒼と白の斑模様が特徴的なドラゴンは、アークラウスに向けてそう言い放つ。
「お、お前はまさか……?」
「貴様がここに辿り着いてからずっと探し求めていた存在が、リンドブルム、という名のドラゴンであるとするならば、まさしく我がそうだ」
アークラウスの問い掛けに、蒼と白の斑模様の鱗を持つ竜は素直にそう答えた。
「それより貴様、どうやってここまで入れた? この洞穴入り口付近には強力な幻惑魔法でここの存在を隠していたはずだが」
ドラゴンはアークラウスへと不思議そうに尋ねる。
「お、俺は呪術師の家系でな。幻惑系魔法などの解呪も得意なのだ」
「ほう?」
「それより教えてくれ、その箱は一体……?」
答えを焦るアークラウスに対しリンドブルムはひと呼吸の間をおき、
「……そこに眠っておられる方は、この世界の秩序を保つ存在。決して穢してはならぬ」
その大きな竜の爪先を、アークラウスの目の前で横たわる瞳を閉じた女性に向ける。
「……この女は何者なんだ?」
アークラウスはリンドブルムへの警戒を怠らぬ様に身構えつつ、尋ねる。
「その方は貴様らの言う六頭神に相当するお方だ」
「ろ、六頭神……だと!?」
「そのお方を失う事はオルクラの死を意味する。だからこそ我は貴様に忠告をしているのだ」
自らをリンドブルム、と名乗ったドラゴンは落ち着いた口調で諭す様にそう言った。
「忠告、だと?」
「うむ。ゆえに、そのお方のカプセルの蓋をすぐに閉じよと言っている。そのままではそのお方が死んでしまう」
アークラウスはリンドブルムへの警戒を怠らないように注意し、チラリ、と棺桶の様な箱に収められている女性を見る。
「……改めて聞く。この女は何者なんだ? そしてこの箱は一体なんだと言うのだ?」
アークラウスは努めて冷静にリンドブルムへと問いかけた。
「全てを知ろうとするのは欲深き事だ。が、貴様の問いに答えてやってもいい。しかしその前に、そのカプセルの蓋を閉じよ」
アークラウスはしばし悩む様な素振りを見せたが、ここは逆らう行為をすべきではないと考え、言われる通り棺桶のような透明な箱の蓋をそっと閉じる。
「……言われた通りにした。さあリンドブルム、俺の質問に答えてくれ」
「しばし待て。どうやら供給電源が強制的に落とされた様だ。カプセルの起動を復帰させねばならぬ。話はそれからだ」
リンドブルムはそう言うと、アークラウスの背後にある箱の裏側へと回り込む。
そして何かの動作を行なうと、そのカプセルからブゥン、という鈍い機械音が響いた。
「半永久保存モード、再起動シマス」
「!?」
そのカプセルから謎の声が発せられた事に驚いたアークラウスは、思わず距離を取って身構える。
「……怯えるな、ニンゲン。さて、それでは答え合わせでも始めようか。欲深き者よ」
リンドブルムはその大きな巨体を少し丸めて、頭を下げ、アークラウスの顔を見る。
「終わる世界の物語を」
そして悲しげに告げたのだった。




