二百二十話 教祖メヴィウス
「……ご苦労様でした、リース」
聖地サンクツアリ。
その大聖堂内部の礼拝堂で、白いヴェールのようなものによって顔を隠している豪勢な法衣を纏ったユピティル聖教の教祖メヴィウスが、労いの言葉を掛ける。
「はい。しかし1匹だけ逃げられてしまいました。申し訳ございません」
リース、と呼ばれた白い仮面と白いローブを身に纏った女が、跪きながらそう謝罪した。
「カシオペアですね。まぁあの程度の小者はまた後々に探せば良いでしょう。ふたりをまとめて捕まえられただけでも充分です。ありがとう、リース」
教祖メヴィウスが教壇の前で微笑みつつ、卓上にある開かれた書物の上に手を置いたまま、そう答える。
「慈悲深いお言葉、誠にありがとうございますメヴィウスさま」
「ときにリース。ノースフォリアの勇者たちには苦戦を強いられましたか?」
リースと呼ばれた白い仮面の女は首を横に振り、
「いいえ。戦闘能力だけに過信した馬鹿どもでしたので、なんなく捕らえられました」
「そうでしたか。私が見ていた様子だと、彼らは悪魔族化させられてから、大幅に戦闘能力が上昇していたので、些か懸念しておりました」
「あっさりとマナシールケージに収められてくれました」
「それは何よりです。さて……」
メヴィウスは瞳を瞑り、開かれた書物に念を込める。
「……なるほど、そうなりますか」
何かを読み取り、そう呟くと、
「リース。あなたが次にすべき事を告げますが、その前に、残りの三賢者たちをここへ集めてください」
「かしこまりました、メヴィウスさま」
リースは命令を受けるとすぐに礼拝堂を後にした。
メヴィウスは手を当てがっていた書物をパタン、と閉じて、
「さて、そろそろ本格的に動き始めなくてはなりませんね」
そう呟くのだった。
●○●○●
「……まずは礼を言わせてくれ。ありがとう、ディースさん」
古竜族の女、ディースにその命を救われたカシオペアは、彼女と共にノースフォリアと聖地サンクツアリとの国境付近にある小さな村の宿にて、ふたりは体を休めていた。
「いえ、ご無事で何よりです」
「さすがは古竜族だ。貴女がマナ気配を断ち切る幻術系魔法も扱えたおかげで、無事追跡を免れた」
カシオペアの傷を癒したその後。
ディースは得意の幻惑魔法で自分たちを感知されにくいように姿をくらまし、そしてアドガルド方面へと向けて共にここまで逃げ延びたのである。
「それにしてもまさか、貴女があの少年の知人だったとはな……」
ふたりは道すがら、お互いの事情を簡単に話し合っていた。
そして互いに恭介、という存在を中心に動いているのだと知る。
「カシオペアさんは恭介さんを追っている、との事でしたね。それは一体何故なのですか?」
「あの少年は、オルクラにおいて理外過ぎる存在だ。野放しにしておけば、やがてこの世界を滅ぼす恐れすらある。ゆえに、私はあの少年を倒さねばならないと考えた……」
「恭介さんが世界を滅ぼす……? そんな人には見えません。むしろ彼は世界の為に戦っているようにすら見えましたけれど」
「……我が王は、ミッドグランドのニコラス王だ。そして王が手を結んだアドガルドの王、ゴルムアさまがそう仰っていたのだ」
「それであなたは恭介さんを殺すつもりなのですか?」
「……いや。今は事実が知りたいだけだ」
「事実?」
「うむ。どうもその少年に攫われたと思っていたミネルヴァ王女が、全ての企みの張本人、らしい……」
「ミネルヴァ王女さまが……」
「だからこそ、私は真実と事実が知りたい。その為には、一度アドガルドに戻り、我が王に話をした後、またあの少年と話がしてみたいのだ」
「そうだったのですね。それと先程追われていたのは、何か関係があるのですか?」
「いや、それはわからん。さっきの白い仮面の女は初めて見る奴だ。何故、私を追ってくるのか意味がわからんのだ」
「……そうでしたか」
「長々と付き合ってもらってすまなかった」
カシオペアはそう言うと、腰掛けていた椅子から立ち上がり、壁に立てかけて置いた剣と、荷物を手に取る。
「私はそろそろ行く。貴女のおかげで身体の傷もすっかり癒えた」
「……私もご一緒しましょうか? 目的の方向は同じですし」
「貴女はサンスルードへ向かうのだったな。……いや、別々に行動した方が良い。さっきの追手が貴女にも危害を加えないとは言い切れない」
「だったら尚のこと、私もご一緒します。あなただけではまたあの追手に捕らえられてしまうかもしれませんし、下手をすれば殺されてしまうかもしれません。私がいれば微力ながらサポート魔法や治癒魔法であなたを支援できますから」
「いや、そんなご迷惑をこれ以上貴女に掛けるわけには……」
「お願いします。私を連れて行ってください。私があなたの役に立ちたいのです」
ディースはジッとカシオペアの目を見据えて思った。
かつての恋人を失った時のような既視感。このまま彼をひとりで行かせれば、救えたかもしれない命をまた失ってしまうかもしれない、という不安。
「……私は仮にも勇者だ。全力で弱き者たちは守るつもりでいた。だが、さっきの追手だけではなく様々な強者が蠢く今の世では、その実力は私の想像の遥か上を行く。傍にいる貴方を守り切れる自信など、恥ずかしながらカケラも無い。……それでも良いのか?」
「私は、守られるだけなんてまっぴらゴメンです。私も守りたいんです。救いたいんです! もう、目の前で誰かを、何かを失うのは嫌……ッ」
「……強いな、貴女は」
カシオペアが笑う。
「わかった、それではありがたく貴女のご厚意に甘えるとしよう」
ディースは表情を明るくして、
「はい、よろしくお願い致します!」
笑顔で頷く。
ディースとカシオペア。
恭介を軸に、不可思議な縁のふたりがパーティを組む事となったのだった。
●○●○●
聖地サンクツアリは、小さな孤島だ。
四大国をまとめるかのように、全ての国の中心点に位置し、そしてマナのラインによって全ての国を監視している。
その孤島の中心部に、ユピティル聖教の大聖堂は建てられている。
ユピティル聖教は、六頭神ユピティルを讃えるオルクラ最大の宗教団体だ。
その頂点に立つのがユピティルの器とも言われる教祖、メヴィウスである。
「おはようございます、教祖さま」
「ごきげんよう、教祖さま」
大聖堂の廊下でメヴィウスとすれ違う信者たちが、挨拶と敬礼をする。
「おはようございます。本日も良い天気ですね」
メヴィウスが白いヴェール越しに柔らかな声で、彼らにそう言った。
「はい。全てはメヴィウスさまとユピティルさまの、御加護のおかげでございます」
信者たちがそう答える。
「ユピティル神は、いつでも我らと共にあります。オルクラをより良き未来へと導く為に。ユピティルさまを信じる者は必ず救われます」
「「はい、ありがとうございます。メヴィウスさま、ユピティルさま」」
「……ユピティル神も、微笑んでいるのがわかります」
「「ぉお……っ! さすがはメヴィウスさま! ユピティルさまのご感情を感じ取られたのですねっ!」
「……ええ。ユピティルさまの愛をいついかなる時も忘れてはなりませんよ」
「「はい! ありがとうございます!」」
メヴィウスはニコっと、笑いその場を後にする。
もの静かな聖地は、世界の様々な問題や争いとは無縁のように感じさせられる。
「ユピティル、か……」
周囲に誰もいなくなった廊下でメヴィウスが呟く。
「六頭神とは、実に便利な存在ですね……」
全てはメヴィウスの想定通りに進んでいた。
「各国は仮初の平和、均衡を崩し始め、争いを始め出しました。転生者二名を軸に」
アドガルドの王女と、奴隷だった少年。
そのふたりを、メヴィウスはずっと見てきていたのだ。
全てはメヴィウスの目的の為に。
「やがて大きな戦いが始まり、それとほぼ同時に各地の封印は完全に解き放たれる……」
その時こそ、メヴィウスの目的は達せられる。
その日は、もう、間もない。




