一話 異世界転生からの死
――クライヴたちにパーティから追放され、野党に殺される一ヶ月ほど前になる。
初めてこの世界で目が覚めた時、恭介は強烈な異臭に顔を歪ませた。辺りは暗く、視界が悪かったのでその異臭の正体はわからなかった。
手足の感覚はしっかりしているが、妙に意識が虚ろだった。しかし、ひとつだけ確実に理解できていることがある。
(ここは現実の世界じゃない)
恭介がそうだと気づけたのは、空高くで鳴き叫びながら紅蓮の炎を吐き出す、鳥、ではない巨大な生き物を見上げて視認したからだ。
ドラゴンやワイバーン、という地球の日本では存在し得ない類いの生き物なんだろうな、となんとなく思う。
で、理解する。
(こりゃあどう見ても異世界、だよなぁ)
そんなことを思いながら、ドラゴン的な生き物を見上げていると、唐突に様々な記憶がフラッシュバックした。
(ああ……そうだ。僕は確か……)
あれは会社帰り。
いつもの開かずの踏切前で、遮断機があがるのを待っていた時。
ふと、上空に鎌のような物を持った不思議な人型の何かが目に入り、それに釣られるように追いかけてしまい、気づけば電車に跳ねられていた。
「……ぅぷ!」
現実世界で襲われた、電車に轢かれる瞬間の凄惨な記憶が蘇り、恭介は思わずその場で嘔吐する。
「……はぁ! ……はぁ!」
記憶はまだ曖昧だったが、恭介は自分が死んだことを理解した。
彼は西暦2021年の日本、東京都港区の、とある踏切で死亡した。狭間 恭介、享年二十二歳であった。
(つ、つまりこれはよく聞く異世界転生、ってやつか?)
異世界に転生するだなんて、自分が実際に体験するなどとは夢にも思わなかったが、今自分に置かれた状況、そして以前の記憶から統合して考えると、それしかありえない。
「でも、よりによってなんでこんな体なんだ……」
転生したこの肉体は、明らかに死ぬ前の体よりも若いのはわかる。年齢にして十代半ばといったところだろうか。
しかし恭介を不愉快にさせたのは、その体躯。
自分の体をペタペタと撫で回すように触ってすぐ気づいた。背は低く、手足は細く、全体的に痩せこけ、あばら骨が浮き出てしまっている。
おまけに装備、というより衣服はボロボロの布切れのズボンを履いているだけ。上半身は裸で、靴も履いていない。
こんな体で転生したのは非常にツイてないと思ったが、それ以上に厄介なのは、自分がこの世界では一体何者でどういう立場なのか、ということがサッパリわからないことだ。
とりあえず理解の追いつかない現状は放っておくことにして、恭介は人里を目指そうと歩み始める。
「……一体、ここはどこなんだろ」
恭介の周囲は暗く、視界がとても悪い。多分、今はこの世界の夜なのだろう。かろうじて遠目に森や山々が見えるのは、上空にいるドラゴン的な生物が定期的に吐き出す炎の灯りによって見えるからだ。
そんな乏しい明かりでは足元すらよく見えない。だが、相変わらず妙な異臭が鼻につくこの場にいつまでも居たくはなかったので、とにかく歩き出してみた。
「うわぁ……」
ぬちゃぁ、っと足の裏にベタつく気持ちの悪い感触に嫌気をさしながらも、ゆっくりとあてもなく歩みを進める。
「腹が……減った……」
とにかく異様なまでの空腹感。きっと自分が転生するまで、この体はロクな食事を取れていないのだろう。
だからこそ、人里で何か食料を手に入れたいと考えた。
「いた!」
この声は恭介ではない。
歩き始めほどなくして、足元で何かを踏んだ。その辺りから奇妙な声はした。
「アレ……なぜ私は踏まれてるんでしょう……?」
踏まれた謎の何かは、踏んでしまった恭介に対してではなく、踏まれた行為自体を疑問に思っている。
「だ、誰かいるの? ごめん。よく見えなくて……」
「あー……この人、私の声も聞こえてるのですね。あなた、お名前はなんと言うのですか?」
「え、ぼ、僕? のことだよね? 恭介だけど……」
「キョースケ? 変わってる名前ですね……って、ははぁーん。私ったら把握しましたよ、はあく」
(女性の声……なのかな……?)
「あなた、中途転生ですね? 新卒転生者じゃない。しかもそのネーミングからすると、惑星チキウのニポンジンですね?」
惑星チキウ、は地球。ニポンジンというのは日本人、のことだろうか。
そうならば、姿すらよく見えない足元からするこの謎の声の主に、今の自分の状況を説明してもらいやすそうだと恭介は思った。
「多分、そう、かな。キミは誰なの? 姿がよく見えなくて……というか、この辺暗すぎて何も見えないんだ」
「ああ、あなたたち人間族の目玉は、光の反射したものしか視認出来ませんでしたね。では少し会話しやすいように、明かりを灯らせましょう」
会話の端から僕という生き物は、人間族、という生物なのだと理解する。とりあえず人間でよかった、と安堵した。
「魔法を使います。周囲のマナ的に小さな明かりしか作り出せませんけどね。……あまねく精霊たちよ、我が願いに応えたまえ……」
(おお! なんか魔法とか詠唱とか始めた! 異世界だなぁ)
と、恭介が魔法らしきものに関心を示した直後。
≪明るくなれ!≫
謎の声がそう言うと、ぼんやりと足元が光始めた。
「ダサ! なんかもっとカッコいいネーミングはなかったの!?」
「何をワガママな。ニポンジンがわかりやすい名前の魔法でトリガーネームを言って差し上げたのですよ」
「魔法の名前なんだったら、もっとカッコいい感じのやつが良かったなぁ」
「うるせー死ね!」
「ぇえ……唐突に口が悪いな……って、ぇえええ!?」
くだらないやりとりをしているうちに、声の主の体がよく見え始めてきて、恭介は今更驚かされる。
「が、が、ガイコツ!?」
恭介の足の裏にあったのは、人間らしき白骨死体。踏んでいたのはちょうど、しゃれこうべの部分だ。
これまでの会話から、この相手は精霊や女神の類いだと思っていただけに、その姿に畏怖する。
「誰がガイコツですか、失礼な! 私は六頭神が一人、ダスクリーパー様ですよ。この世の生と死をすべからく統率する、最高神なんですから。えっへん! 我を崇めなさい! ほれ!」
だが見た目はただのガイコツだ。
ダスクリーパー、と名乗った謎のガイコツは今もなお恭介に踏まれたまま、言葉を続ける。
「まぁいいです。そんなことより、恭介。あなた、ここに来たばかりですね?」
「う、うん。もう何が何やら……」
「なるほど。中途転生者あるあるです」
「ぼ、僕はこれから何を、どうすればいいんだ?」
「とりあえず色々スキャニングした感じ、あなたそのままだとあと数日で死にます」
「ぇえ!?」
「栄養失調ですね。まぁここで骨になってくれれば、私がそのマナを美味しく頂けるのでありがたいですけど」
「そ、そんなのやだよ! それに僕は一体何者なんだ!?」
「そんなの私は知らんがな。まぁわかるのは、あなたはこの世界では奴隷だったってことです。首元に奴隷紋が刻まれていますからね。大方、使えなくなったから、この死体山に投げ捨てられたんでしょう」
そう言われて、恭介は辺りを見回す。
ダスクリーパーのおかげで周囲がようやく薄らと見え始めて、やっと気づく。
ここは死体の廃棄場だったのだ。
ずっと感じている異臭は死臭。踏んでいたものは、血や腐食した肉片だったわけだ。
「……っうぇ」
理解すると、再び吐き気を催す。
「はぁ……世話がやける子ですねぇ。でも中途転生者はかなりレアリティが高いので、特別サービスでヒントをあげます」
ダスクリーパーは骸の腕をぶらんと力なく上げ、とある方向へ指差した。
「あっちにアドガルドという、まあまあでけぇ町があります。そこの王立ギルドにでも行って、仕事を探すと良いです。あとはこの世界に頑張って慣れるしかないですね。はい、じゃあ頑張って」
「それだけ!? ど、どこが特別サービスなんだよ! ケチくさくないか!?」
「うるせー死ね!」
「えぇ……」
これはこの最高神とやらの口癖なのだろうか。
「あなた結構ワガママです。私、そんなに気が長くないんです。警告しておきますよ」
「は、はぁ……?」
「これが最後の助言です。この世界には、生まれついてから存在している『ユニークスキル』というものがどんな種族にも必ずあります。だから、これから出会う一見弱そうな魔族でも人族でも油断だけはしないことです」
ご多分に漏れず、ゲームもアニメもラノベもそれなりに嗜んでいた恭介は、このユニークスキル、という単語には若干心躍らされた。
一体自分にはどんなスキルが、と希望を抱く。
「ちなみにあなたのスキルは正直うんこです」
「な、なんで!?」
「あなたのユニークスキルは、『獲得経験値アップ』です。他人と同じ体験をした場合、あなただけは他人より少しだけ経験が多めに体に刻まれます。ユニークスキルの中じゃ底辺です。うんこ中のうんこです」
「うんこって言い方ないだろう!? 汚物じゃないか! それなら、今から修行なりなんなりすればめちゃくちゃ強くなれるってことじゃないのか?」
「まぁ理屈じゃそうですけどね。でも世の中にはもっと優れたユニークがごまんとあります。だからあなたのはうんこです。うんこ野郎はせいぜい生き延びるのに必死に足掻くといいです、このうんこ野郎」
「うぐ……もういい! 何が最高神だよ。くだらない!」
「あ? また私を愚弄しましたね?」
「いやいや、お前の方が先に愚弄してるだろ!? 僕はわからないことだらけでイライラしてるんだよ! だいたい自ら神と名乗る存在なんて胡散臭いにもほどがある! 人のことうんこ呼ばわりするし! 大方、雑魚精霊か低級悪霊の類いなんだろ!?」
「……あなた、流石に私を舐めすぎです」
それまで軽めの口調で話していたダスクリーパーが突如、声のトーンを低くした。
「仏の顔も三度まで。下郎が、≪死ね≫……」
ドクンっ。
という一際大きな脈動を感じた直後、恭介の呼吸は止まり、その場にドサリ、と倒れ込む。
(……息……が……?)
そこまでで恭介の意識は途絶え、
「あまり神を舐めるものではない……って言っても、もう聞こえないですよね。はい、さよなら」
その言葉は届くことなく、そして恭介はこの世界でもまた、死を迎えた――。