百八十七話 完全勝利
瞬間、ルシフェルは違和感を覚えた。
「……?」
突如、ルーンワンドが軽くなったような気がしたのである。
「こ、これはッ」
ルシフェルが手元のルーンワンドを見て、その異変に気づくと同時に、
「チェックメイトだ」
「ッ!?」
肩にそっと添えられた手のひらと、背後から発せられたその声に驚き、若干すくみあがる。
直後。
ルシフェルはまるで死神に捕らわれたかの様な、強烈な殺意の波動に飲まれ、全身を硬直させた。
「……ッ!」
声が出せない程の圧をルシフェルが感じると共に、突如、その身体は地表へと落下させられた。
正確には強引に落とされたのである。
「ぐ……ぅ!?」
急激に、全身へとかかるGによってルシフェルは息を詰まらせた。
回避する間もなくルシフェルの身体はデーモンパレスへと叩きつけられ、そして外壁を打ち破り、内部の床をいくつも破壊しながら、その衝撃は地下まで落とされて、ついに止まる。
「が……っは……」
悪魔族特有の青い血反吐を吐いて、ルシフェルは考えた。
一体何が起きたのか、と。
身体は動きそうもない。
ただ、なんとか働く思考で、状況の整理を行なう。が、やはりわからない事だらけだった。
「……生きてるな。よかった、これでも加減したんだ」
そう言いながら、ルシフェルが突き破って出来たデーモンパレスの穴からゆっくりと、片手で頭を抑えている恭介が降下してきた。
「……ぐ……う。な、……何が、どうなって……?」
痛みに苦しみながらルシフェルがなんとか言葉にする。
「すまないが使わせてもらったよ。やっぱり二回目になるとちょっと頭痛が酷いな」
ルシフェルにはわからないが、何故か恭介は頭を押さえて苦痛の表情をしている。
「ど……いう……事だ……?」
「ああ。ちゃんと説明してやるからその前に、キミの敗北を認めるか? ルシフェル。認めないとなると、更にここから酷い拷問になると思うが……」
恭介は手のひらに膨大なマナを集め、それをルシフェルへと向ける。
ルシフェルには恭介が集めているマナから発せられるであろう魔法がなんだかわかった。
「高次元……暗黒……まほ……!?」
「そうだ、コラプションって魔法だ。知ってるか?」
ルシフェルは思わず目を見開く。
高次元暗黒魔法は、普通の魔法師では扱う事の出来ない魔法類だ。使えるのは一部の神官と一部のアンデッドのみ。
そしてこれには対となる属性が存在しない為、反対属性のマナで掻き消す、という行為はできないのである。【ちなみに神聖魔法は対となる属性ではないので、神聖魔法のマナで掻き消すような真似はできない】
「知らないなら説明してやる。コラプションは対象の物体を急速に腐食させる魔法だ。これを高火力でいつでもキミに放てる。加えて言えば、僕は同属性の即死系魔法も扱える。この意味、わかるだろ?」
ルシフェルはようやく理解した。
恭介が手加減している、というのは本当だったのだと。
もし恭介程の力で即死魔法を放たれれば、ルシフェルに防ぐ術はない。というより、このコラプションでさえ、防ぐ方法はないのだから。
「降参しないなら、キミの四肢を一瞬で腐らせていく。参ったというまで繰り返す。それでも降参しないのなら仕方ない。部下のアスタロトって奴にも同じ苦しみを与えて死んでもらう」
「……ッ!!」
ルシフェルは悔しそうに顔を歪めるが、無駄なプライドなどもはやなんの意味もない事をすぐに悟り、
「……わか……った。妾の……負け……だ」
瞳を閉じて、敗北を受け入れたのだった。
●○●○●
恭介がやった事は単純だ。
ルシフェルがバーストストームの魔法を放つ寸前にマインドブーストを発動。
加速状態で、ルシフェルの背後にまで回り込む。
それと同時に、厄介そうなルーンワンドを手刀で破壊したのちマインドブーストを解除し、そしてルシフェルの肩を掴んで、グッと下へ落っことすように押し込んだのである。
密着している状態から押し込む様に落とすくらいなら、死ぬ事まではないだろうと考え、恭介はこういう風にルシフェルを落としたのだが、それでも想像以上のダメージを与えてしまったのである。
恭介がそれで理解したのは、ルシフェルはグラニスより戦闘能力は高くても、フィジカル面においてはグラニスほど高くはないという事だ。
「……僕がやっといてなんだけど、立てるか?」
「ようやく呼吸は落ち着いたが、しばらく無理だな。妾の身体の損傷はなかなか甚大だ」
「そっか。じゃあ仕方ないな」
恭介はそう言うと、崩れた瓦礫をどかしながらルシフェルの隣まで近寄り、
「何をするつもりだ?」
「こうするんだよ」
ルシフェルをまるで姫の様に抱き上げる。
「な、な、な!?」
ルシフェルは痛みなど忘れて、狼狽した。
「ききき、貴様、な、何をする!?」
「この方が移動が楽だろ?」
お姫様抱っこされたルシフェルが、赤面して慌てる。
「ぶ、無礼者ッ! わ、妾をこのような辱めに合わせるとは……離せ! 降ろさぬか!!」
「仕方ないだろ。キミ、動けないんだし、アスタロトのところに連れて行かなきゃだし」
「……く、くぅ……」
どのみち身体の痛みで動けないルシフェルに、逆らえる道理はなかった。
「……あんなに強くても、身体は小さくて、柔らかいんだな」
恭介は小さく笑いながら、抱き抱えているルシフェルの顔を見た。
「う、うるさい……。だいたいこの姿は妾本来の姿ではない。ベルフェゴルの物だ……」
「そうなのか。でも前の姿の時も、女の子だったんだろ?」
「……当然だ。悪魔族は女の方が魔力の扱いに長けやすいからな」
「そうなのか。……すまないな」
「何を謝る?」
「あ、いや……こんな可愛いらしい女の子を、こんなに痛めつけちゃったな、って思ってさ」
ルシフェルは顔を真っ赤にして、
「わ、妾を揶揄うでないッ!!」
「はは、ごめんごめん。でも思ったより元気そうだ」
「……ふん。これでも一応、フィジカル面も鍛えている方なのだぞ」
ルシフェルはプイッと顔を背けた。
「……さて、ギリッギリ10分以内だったかな」
「……? なんの話だ?」
ルシフェルが不思議そうな顔をして尋ねる。
「……ま、こっちの話」
恭介はそれだけを言って、その場から飛び去った。
●○●○●
「「恭介!」」
「恭介さまぁ!」
イニエスタとストレイテナー、そしてレヴィアタンが嬉しそうに名を呼ぶ。
「お待たせ。皆、無事で何よりだ」
恭介がルシフェルを抱き抱えてイニエスタたちの待つデーモンパレス最上階に着くと、そこにはすでに抵抗意味なしと悟ったアスタロトが、愕然とした態度で項垂れていた。
「……アスタロト」
恭介に抱かれてるまま、ルシフェルがその名を呟く。
「ルシフェルさま……」
アスタロトは今にも泣きそうな表情で、顔を上げてルシフェルを見た。
「すまぬ。せっかくお前が作ってくれた薬で、妾はここまで強くなれたというのに……期待を裏切る形で敗北を喫する事は愚か、手加減されてなお、完敗であった。許してくれとは言わぬ。だが、妾に愛想を尽かしても仕方あるまいとは覚悟しておる……」
ルシフェルは本気でそう思っていた。
この様な情けない姿を晒し、あまつさえ敵に情けまでかけてもらってしまったのだから。
忠実なる臣下であるアスタロトでさえ、自分に呆れるはずだと思ったのだ。
「申し訳ございません……むしろ謝るのは私です。私の技法がもっと大きな効果をもたらせてられたら、こんな事にはならなかったかと。加えて、私の調査が甘く、更には私も人族に囚われてしまう始末……。不甲斐ないのは私の方でございます!」
「アスタロト……」
ルシフェルは悲しそうな顔をした。
彼女にはなんの非もない。
非があるとすれば、それはただ弱い自分のせいだと思っているから。
「お前になんの非があろうか。今回もまた勉強になったな。妾たちは井の中の蛙だった、とな」
「そうで……ございますね」
ルシフェルとアスタロトはそう言って、小さく笑ったのだった。
「恭介、とりあえず妾をもう降ろしてくれ。これ以上辱められ続けるのは、我慢ならぬ……」
「ああ、わかったよ」
そう言って恭介はルシフェルを床にそっと降ろす。
「さて、それじゃあエスの言った通りブラックスフィアを譲ってもらえるか? 僕たちにはそれが必要なんだ」
恭介が本題を口をする。
「なんの話だ?」
ルシフェルが尋ねた。
「……この者らの本来の目的は、我らの城であるこのデーモンパレスにあるという、そのブラックスフィアなる宝玉を探し求めている、というのです」
アスタロトが気まずい顔で答える。
「何? そうだったのか? では妾を狙ってきたわけではなかった、と」
「……はい。そしてもし、ルシフェルさまを殺さずにそこの恭介という少年が戦いに勝ったのなら、それを譲れと言っているのです」
「そうか……。アスタロト」
ビクっとアスタロトは身体を強張らせた。
「はい……。申し訳……」
アスタロトは自分の読み違いに始まり、そのような勝手極まりない申し出をイニエスタたちから迫られたという不甲斐なさに失望し、ルシフェルに罵倒されるか、呆れられると思った。
だが。
「すまなかった。妾が負けたばかりに、お前にいらぬ心配をかけさせたようだ」
ルシフェルはむしろ、自分の弱さを恥ずべきものと考え、反対に謝罪した。
「そんな! ルシフェルさまが謝るなど……」
「いや、先程も申したが、悪いのは妾の弱さのせいだ。アスタロト、お前はよくやってくれた。だからもう、そのような顔をするでない」
「……う……は、い……はい……」
アスタロトは様々な感情が入り混じり、思わず涙を溢す。
「さて、恭介。妾は敗者だ。貴様らの要望を素直に聞くのが敗者である者の筋だと妾は心得ておる。ゆえに、そのブラックスフィアとやらは素直に貴様らへ譲ろう」
こうしてデーモンパレスの主である、最高位悪魔族と名高い魔王ルシフェルを倒し、恭介らは今回の旅の目的を無事果たす事となるのだった。




