百七十九話 クロフォードの気付き
クロフォードは自分の強さにそれなりの自信を持っていた。
ミネルヴァ王女より、グリニッド展望台からデーモンパレスを見張るという意味のわからない指令を命じられ、ノースフォリアの地にひとり出向させられたが、もし何かしらの脅威に遭遇したとしても、ある程度の魔族や魔物程度なら自慢の魔法でどうとでもなると考えていた。
だが、その自信は驚異的な魔族を見て一瞬で砕け散ったのである。
その魔族とはルシフェルだ。
ルシフェルを見たクロフォードは、あの存在が実に驚異的であると感じ、もっと調査すべきだと考え、密かにデーモンパレスへと潜入しようと試みる。
そしてデーモンパレス内部でアスタロトに捕らえられてしまったのである。
自分はこれで殺されると思ったクロフォードだったが、ルシフェルとアスタロトは意外な提案を出してきたのだ。
それは自分に忠誠を誓えば、強大な力を与えてやるという持ち掛けだった。
クロフォードは最初、当然断った。
だが、それから延々とルシフェルたちの話を聞いているうちに、自分の中の正義が覆り始めてきたのである。
そしてしばらくしたのち、クロフォードは突然心変わりしたかのように態度を一変。
ルシフェルに完全に忠誠を誓うのである。
「……ルシフェルさま」
クロフォードがデーモンパレス最上階、魔王の玉座に座するルシフェルの前で跪き、声を掛ける。
「よく戻ったな、クロフォード」
「はい。あの異端な力を持つ少年の仲間だと思われる者たちを捕らえて参りました」
「うむ、でかした」
ルシフェルは満足そうに頷く。
「いえ、私は大した事はしておりません。アスタロトさまの先見性の賜物かと」
クロフォードがこうべを垂れたまま、言った。
「……ふん。ニンゲン風情などにその様な世辞など貰っても、嬉しくないわ」
ルシフェルとは打って変わって、アスタロトは冷たい視線でクロフォードを一瞥する。
「まあそう言うなアスタロト。此奴はお前の命を忠実に実行したまでだ」
「……はい」
アスタロトはルシフェルの言葉にも、わずかながらに難しい顔をする。
「とにかくクロフォード。よくやった。お前はまた城の周囲の警戒にまわれ。捕らえた者たちの活用はアスタロトに一任する」
「かしこまりました」
そう答えると、クロフォードは魔王の間から退出していった。
「不服そうだな、アスタロト?」
ルシフェルが嘲笑しながら、アスタロトに声を掛ける。
「あのような者を褒めるなんて……私はあまり感心しません」
アスタロトはぷいっと不貞腐れている。
その態度を見たルシフェルは、玉座から立ち上がりアスタロトの近くまで歩み寄ると、
「ははは。安心しろアスタロト。妾が最も信頼している部下はお前ただひとりだ」
そう言って小柄なアスタロトの頭を愛でるように撫でてやる。
「はわ……ッ!? あ、ありがたき幸せに……ございます……」
アスタロトは赤面して、お礼を述べる。
はたから見ると、小さな少女と小さな少女がじゃれあっているようにも見えるこの構図だが、実際、彼女らはこの世界でトップクラスの実力者なのである。
そんな強大な力を持つ可愛らしい少女の格好した悪魔たちと、強大な力を持つ人族の少年がぶつかりあうまで、もう、間も無くであった――。
●○●○●
「イニエスタさま? どうしました?」
牢獄の中。
難しい顔をして唸るイニエスタを見て、ストレイテナーが問いかける。
「ん、ああ、いや。あのクロフォードって悪魔、どっかで見た事があるんだよなー、って思ってな」
「悪魔にも知人がいらっしゃったんですか。コミュニケーション能力の高さだけは相変わらず変態的ですね」
「いやいや違う違う。そうじゃなくてな、どっかの国で見た事がある様な気がしてな……」
クロフォードの見た目はその容姿から誰が見ても悪魔だとすぐにわかるが、顔の作りや背格好の基礎は人族だった頃と大きくは変わっていない。
グラニスたちのように完全悪魔化してしまえば全く別の見た目となってしまうが。
「ねえ、そんな事より誰が来るわ! 幻惑にかかってるフリしないと!」
地下の牢獄へ続く階段を降る足音が響く。
レヴィアタンに諭され、イニエスタとストレイテナーはすぐに会話をやめて、瞳を閉じる。
幻惑への掛かり方は人それぞれだ。なので、正常な態度さえ見せておかなければ幻惑状態だと思いこませるには充分であった。
「……3匹共、眠っているか」
牢獄の外で呟くのはアスタロトだ。
「さて、コイツらにも魔族になってもらうとするか」
アスタロトはそう言いながら、懐から緑色をした薬剤入りの注射器を取り出す。
「……まずは女の剣士から投与するとしよう。基礎戦闘能力が一番高そうだったしな」
アスタロトが牢獄を開こうとしたその時。
「しばしお待ちください、アスタロトさま」
地下牢への階段の上から、アスタロトの名を呼んだのはクロフォードであった。
「……貴様はここには用がないはずだ。何故ここにいる?」
牢獄に入ろうとしたその手を引っ込めて、アスタロトは鋭い視線でクロフォードを睨め付ける。
「そのままその牢獄を開くのは少々早計かと」
「なに?」
アスタロトは怪訝な表情でクロフォードを見る。
「おそらくですが、その者ら、ルシフェルさまの幻惑には掛かっておりません」
「何故そんな事が言い切れる? そもそも連れてきたのは貴様だろう?」
「はい。私が連れてきたのはあくまで人質として利用すべきと考えたからです。そして幻惑にかかっていないと言い切れる理由は、彼らがクサズの湯からやって来ているからです」
「……なるほど、そう言うことか。となるとまさかグラニスの奴は……」
「ええ、奴があの異端な強さを持つ少年にやられた場所は、クサズの湯です」
「そうだったか。奴にクサズの湯を襲わせた矢先に妙な事になったとは思ったがなるほど……」
アスタロトはあの少年らの目的が最初から、このデーモンパレスである事を理解する。
彼らはルシフェルの張った幻惑結界対策となる温泉の効能を得て、デーモンパレスへ忍び込もうとしていたのだ。
しかし恭介らのその目的が、実はスフィア捜索の為だとは夢にも思っていない。アスタロトは、恭介らの目的はおそらくルシフェル討伐なのだろうと考えた。
「ルシフェルさまの張った結界対策をされる恐れがある、クサズの湯を破壊してしまおうと考えたアスタロトさまの読みは間違ってはおりませんでした。が、タイミングが僅かばかり、遅かったようです」
「……ふん。クロフォード、貴様、私に嫌味を言いたいのか?」
「いえ、そんな事は」
「……まあいい。貴様はあとだ。おい、お前たちッ!」
アスタロトが鉄格子越しにイニエスタたちへと声を掛ける。
「幻惑にかかっていないようだから、私の声が聞こえているんだろう!」
アスタロトの呼び掛けにイニエスタたちは、しばらく無視をしたが、
「良い度胸だな」
アスタロトが痺れを切らし、声を低くして右手を鉄格子に向ける。
「……貴様ら、あまり私を舐めるなよ。私の右手に集約させたマナ量を感じないわけではないだろう? これ以上狸寝入りを続けるなら、牢獄のごとこの部屋を爆破させるぞ」
イニエスタたちはアスタロトの脅しが冗談ではないと理解し、観念する。
「……わ、わかった。降参だ」
イニエスタは瞳を開いて、そう言った。
「ふん。本当に幻惑にかけられていなかったか。それならそれで貴様らに聞きたい事が山ほどある。嘘偽り無く答えろ」
「……ああ、わかった」
「貴様らのボスは誰だ?」
「……元、奴隷だ」
イニエスタはわざと遠回しに答える。
だが明らかな白々しい嘘はつかない様に考えた。それは、この悪魔たちが何かしらの技法や魔法、または恭介の様なユニークスキルによって、嘘を見抜かれる可能性があるかもしれないからである。
もしそうだった場合、つまらない嘘のせいで仲間を危険に晒す可能性があるからだ。
しかしアスタロトはあの恭介という少年が、この者たちの仲間だとはわかっているし、おそらくあの少年こそがリーダーなのだろうと察しはついている。
だが、別に主人がいるかもしれないと懸念したアスタロトは更に探りを入れているのだ。
「おい、ふざけるなよ、ニンゲン。そんな嘘が通用すると思うか?」
「いや、嘘じゃねえんだ。どう言やぁ信じてもらえっかな……。とにかく俺様たちのボスは元奴隷なんだよ」
「……そんな肩書きなど、どうでも良い。一体どんな奴だ?」
「魔王の少年、なんて呼ばれてる奴だ。とにかくとんでもねえ力を持ってるぜ」
「魔王、だと!? 貴様、ふざけているな!? 魔王と名乗って良いのは、このデーモンパレスの主であるルシフェルさま意外、許されないッ!!」
アスタロトの激昂にイニエスタは一瞬、驚くが、
「ふ、ふざけてなんかねえよ。ソイツの事、話すと長くなるがな……」
そう言って、時間稼ぎをしながら恭介の事について語り出すのであった……。




