百六十四話 一件落着
「す、凄い……」
ディースが浴場でのふたりの戦いを見て呟く。
「あ、あれがサンスルードの新王にして魔王の少年と言われる子なのね……」
そして宿の女将も耳にしていた噂通りの少年を見て、驚きを隠さずにいる。
それもそのはず。
恐ろしいまでの強さを誇っていた勇者と名乗る悪魔が、まるで赤子同然の扱いで恭介にあしらわれ、そしてたったの一瞬で決着がついてしまったからであった。
「……パンチ一発でKOか。まあでも、さすがは頑丈な悪魔だね。よく顔面が弾け飛ばなかったと思うよ」
「……」
グラニスを見下す恭介が、まるでゴミを見るような目でそう言った。
グラニスはというと、究極強化された恭介の軽いパンチを一発だけ、顎に受けて失神してしまったのだ。
「ディース、女将さん、怪我はないか?」
恭介は倒れたグラニスを放っておいて、脱衣場の中で懸命に治癒魔法を掛けるディースの元へ歩み寄った。
「あ、ありがとうございます恭介さん。でもミナとカナは……」
女将が青ざめた顔色で、倒れている双子の姉妹を見た。
恭介もそのふたりを見て、険しい表情を浮かべる。
(……ほぼ赤に近いオレンジ。死ぬのは時間の問題だ)
かろうじて生きているが、もはや虫の息といった状況だ。
それでもまだ心臓が止まっていないのは、ディースのおかげである。
「はぁッ! はぁッ!」
ディースは両手のひらをミナとカナに向けて、懸命に治癒魔法を試みている。
「……僕は回復魔法は完全専門外だが、ディース、キミの魔法が実に優れた治癒力だという事くらいはわかる」
彼女が使っている魔法は単体治癒系魔法最強の『エクスヒール』だ。
これが使えたからこそ、ミナとカナはかろうじて命を繋いでいる状態だと言える。
「はぁッ! はぁッ! で、でも駄目です! わ、私の魔法でなんとか損傷した内臓の修復と出血は止められましたが、全身に回ってしまっている強い毒素が取り除けないんです!」
ディースは涙目で訴える。
「ディース、キミの本気でもその毒はどうにもならないのか? 全く方法はないのか?」
「だ、駄目です。私の全力のエクスヒールでかろうじて生かしていられるレベルなんですよ! とてもじゃないけど、こんな状態じゃどうにも出来ません……うぅ……!」
ディースの言葉を聞いた恭介が、彼女の肩に手を掛ける。
「ディース、僕の目を見ろ」
「え……?」
「もう一度聞く。キミの全ての知識と全ての技を試しても、絶対にどうにもならないのか?」
「だ、だから今の状態じゃ……」
恭介はジッとディースの瞳を見据える。
「……嘘だな」
「え?」
「ディース、キミは嘘をついてる。正確には自分に嘘をついてる」
「う、嘘なんてついてませんッ!」
「いいや、嘘だ。キミはこう思っているはずだ。自分にもっとマナがあれば、なんとか出来るかもしれない、と」
「そ、それは……」
「ディース。自信を持て。そして僕を信じろ」
「あ、あなたを信じたからって私のマナ量が増えるわけじゃ……」
「いいからミナとカナに意識を高めろ。僕が背中を押してやる」
「……え?」
恭介はそう言うと、ディースの肩に掛けていた手にマナエネルギーを集中させた。
ディースの肩がほんのり熱さを感じた瞬間。
「な、何ッ!? わ、私の身体が!?」
全身からみなぎる力が沸き立つのを感じる。
「足りなければどんどん送ってやる。ありったけのマナエネルギーを使って、ミナとカナを救うんだ」
「こ、これは一体なんなのですか……!?」
「いいから回復に全意識を向けろ! 油断すれば彼女たちは今にも死んでしまうぞ!」
「は、はいッ!」
ディースは言われた通り、ミナとカナに再び意識を向け直す。
ディースにはひとつだけ、彼女らを救う手段が思い浮かんでいた。
それは回復と同時に完全解毒魔法の『キュアーバイタル』を掛ける方法だ。
だが、魔法を二つ同時に打つ事は特殊なスキルでもない限り、基本できない。
なので、膨大なマナに任せてありあまるほどの回復力を注ぎ込み、一時的に『エクスヒール』をやめて、『キュアーバイタル』を掛け、回復が切れたら再び『エクスヒール』に切り替えて、と交互に治癒と解毒を繰り返す方法だ。
これには想像を絶するマナが必要だった。
だが、今の状態なら出来るかもしれない、とディースは思った。
しかし失敗すれば、ミナとカナは間違いなく死ぬ。回復魔法から解毒魔法へ切り替えるタイミングがシビアなのだ。
「わ、私は……」
ダリアスを救えなかった時の恐怖を思い返す。
「ディースッ!!」
戸惑う彼女を見て、恭介は声を荒げた。
「恐れるな! 自分を信じろ! 僕はキミを信じている! キミがやらなければ、ミナとカナは確実に死ぬ! 失敗を恐れるんじゃあないッ!!」
恭介の言葉がディースの胸に刺さる。
「キミならできる!」
「私……なら……」
「そうだ! キミしかいないんだ!」
「私が……私が、やりますッ!!」
ディースは恭介の言葉とマナに背中を押され、自身のマナエネルギーを研ぎ澄ませる。
恭介は膨大なマナをひたすらにディースへと送り続ける。
そんなふたりを、女将が祈る様な気持ちで見守っているのだった――。
●○●○●
ミナとカナの治療から一時間ほどが経った。
「はあ……はあ……」
精魂使い果たしたディースは、両手を床につけて肩で息をする。
身体中が悲鳴をあげそうなくらいに痛むほど、彼女のマナエネルギーは消耗しきっていた。
だが、その対価は充分な成果となった。
「……よくやったな、ディース」
「……は、い」
ミナとカナはディースの懸命な魔法治療によって、無事一命を取り留めたのである。
「さすがは大神官だ。キミは大切な者をふたりも救った。誇りに思うんだ」
「ありが……とう……ございます。恭介さん……」
ディースはニコッと笑った。
「本当に……よくやってくれたよ、ディース。ありがとう、ありがとうね」
女将も涙を流して、ディースの活躍を祝福した。
怪我人を無事救えた事に安堵した恭介は、先程倒したグラニスの元へと歩み寄る。
「さて、トドメをさすべきか。捕まえて洗いざらい情報を吐かせるか……」
そう呟くと、
「……どちらでもねぇよ」
グラニスは瞳を開き、意識を取り戻してそう言った。
その直後、グラニスの姿はその場から消えたのである。
恭介が辺りを探ると、
「……この痛み、忘れねぇ」
上空から怨嗟を込めた声と表情で、恭介を見下ろす。
「てめぇの名前はわかった。必ず……殺してやるぞ……恭介ッ!」
グラニスはそう言い残すと、転移系魔法かアイテムによる光に包まれ、その場から消え去って行った。
「……ふーむ、アイツは一体なんだったんだ?」
グラニスが消えた空を見上げて、新たな戦いの予感を感じずにはいられなかった――。
●○●○●
露天風呂での騒動は、その後すぐに『クサズの湯』の従業員たちと、恭介の仲間たちに知られる事となった。
『クサズの湯』の者らも、あの悪魔が一体何者で、なんの為にここへ訪れたのか、誰もその理由はわからなかった。
ジェネたちはというと、なぜ自分たちも呼んでくれなかったのかと酷く憤慨していた。
――翌日。
「……色々お世話になりました、恭介さま。ミナとカナの分まで含めて、『クサズの湯』一同、あなたさまに深く深く、感謝致します」
温泉宿の女将が深々と頭を下げて、お礼を告げる。
温泉での幻惑耐性を得た恭介らは、いよいよデーモンパレスへと向かって旅立つ準備が整ったのである。
「なに、僕は大した事はしてない。むしろ僕の仲間が迷惑を掛けたな」
恭介とアンデッドたちとレヴィアタンとストレイテナーとヴァナルガンド、全員がイニエスタをジロリと見る。
イニエスタは、口笛を吹きながら顔を背けた。
「そんなはぐらかし方するのは漫画かアニメの世界だけだぞ……」
恭介は呆れた様に呟く。
「ふふふ。……ミナとカナも先程意識を取り戻して、お兄ちゃんにお礼が言いたいと言っておりました。さすがにまだ動かすのは危ないので、私が代わりに伝えておくと言っておきました」
それを聞いて恭介は笑顔で頷く。
「うん、それでいい。無理はさせないでやってくれ。それと女将さん、ディースはどこに行ったんだ?」
「ミナとカナの回復にだいぶ体力を使ってしまったみたいで、今も部屋で休んでおります」
「そうか。かなり高度な魔法を使ったからな……そんな状態じゃ、今無理に彼女を連れて行くのは悪いな」
「恭介さまたちのお仲間に、という話でしたね。ディースが目を覚ましたら、私からまた言っておきましょうか?」
「そうだな。もしそうしてもらえると僕たちとしては助かる。この先、大きな戦いが始まりそうだからな。優秀な癒し手が必要なんだ。もしディースが納得してくれるなら、サンスルード王国に向かってくれと伝えてもらえるか?」
「わかりました。お世話になった恭介さまの恩義に報いる様、説得してみます」
「ありがとう、それじゃあ僕たちは行くよ」
「確かデーモンパレスでしたよね。ここから徒歩で向かわれますと、とても数時間では辿り着けませんが……」
「何、また飛んでいくさ。距離的に僕の飛行速度なら三時間以内には着くはずだ」
恭介はそう言って、究極強化状態になる。
女将が目を見開き、恭介の変化を見届ける。
「……拝見させてもらうのはこれで二度目ですが、相変わらずお美しい翼です。さすがは恭介さまですね」
「ありがとう。さて、それじゃあ女将さん、またな」
「「良いお風呂でした! ありがとうございました」」
アンデッドや女子たちが恭介が担ぐヴァナルガンドの背に捕まって、声を揃えた。
「本当に世話になった。迷惑かけたな!」
イニエスタもそう言って、ヴァナルガンドの背から無駄に格好を付ける。
そんなイニエスタは、また全員からああだこうだと非難されていた。
こうして彼らは謎の悪魔との戦いというトラブルを経たものの、無事温泉宿での目的を果たして、次なる目的地のデーモンパレスへと目指して行くのだった。




