百四十五話 デッドリースタッフ
「ちょっとよろしいですかな、アークラウス殿」
「いかがなされた、ガノン大臣?」
会議を終え、執務室に戻ろうとしていたアークラウスをガノン大臣が呼び止める。
「先程の会議の最後。あの話の中で少々気になる内容があったのです」
「……クライヴの話、か?」
「はい。王都アドガルドの付近にある不可侵の森の話です」
アークラウスは少し難しい顔をして、
「……馬鹿な甥っ子のした愚行について……ではなさそうだな」
「察しの通りです。不可侵の森は神々の魂が封じられているという話でしたな。しかしその詳細はほとんどの者が知りえませぬ」
「……ガノン大臣。俺の部屋へ来てもらえるだろうか?」
ガノン大臣は黙ってこくんと頷き、
「すまないな。では着いてきてくれ」
アークラウスは踵を返し、足早に自室へと彼を案内するのだった。
●○●○●
アドガルド王都付近にある不可侵の森には、強力な結界が施されている。
それはラグナの大封印にまつわる魔物やアンデッドの他、貴重な聖遺物が数多く共に封じられているからであった。
その中でも、かのワイトディザスターがその絶大なる魔力を最大限に引き出していたとされる伝説の杖『デッドリースタッフ』という物がある。
この『デッドリースタッフ』は実に恐ろしい魔力を孕んだ杖であり、仮に並の魔法師が扱おうものならたちまち体内のマナを空っぽにするほど吸い込まれ、即死してしまうとまで言われていた。
だがしかし、逆にその膨大に吸われるマナ量に耐え切れる装備者であるなら、その恩恵は甚だ驚異的となる。
その杖の魔力に耐えて魔法や技法を行なった場合、通常の何倍、何十倍もの威力や性能に変化、変質を起こせるからであった。
「……で、そのデッドリースタッフをこのサンスルードの貴族に売った、と言う話ですが」
ガノン大臣はアークラウスの自室にて、神妙な面持ちで語る。
「その杖、なんとか取り戻すべきだと私は考えております」
「……なるほど、恭介王の為か」
ガノン大臣が頷く。
「はい。恭介王は絶大な力を持つお方。もし本当にこの世を統べるなら、アドガルドや他国との激しい戦いはまず免れないでしょう。それならこちらは恭介王を万全の状態へと整える必要があります」
「うむ、間違いないな。今の恭介王でも充分すぎる実力だが、ミネルヴァ王女という不確定要素が俺たちにとって全くの想定外となりうる可能性が高い。少しでも恭介王の戦力は底上げすべきだろう」
「その為にその貴族から『デッドリースタッフ』を取り戻すべきでしょう」
「わかった。ではまたクライヴからその貴族の話をよく聞き出してみる」
「よろしくお願い致します。それともうひとつ」
「なんだ?」
「……これはあくまで私の予測に過ぎず、何の根拠もない話でございますし、仮に事実だとしても今更どうこう言うつもりはないのですが……」
ガノン大臣は慎重に言葉を選ぶ様にゆっくりと続ける。
「……森の不可侵結界、その破り方、クラグスルアの奴隷、それを利用させる狡猾さ。一体どこまでが貴方様の奸計でございましたか?」
アークラウスは一瞬だけハっとした表情をしたが、すぐに顔を戻し、
「……さすがはあのイニエスタさまの大臣を務められていたお方だ。実に察しが良い」
小さく笑って、瞳を閉じた。
「いえいえ、別に過ぎた話をどうこうと言いたいわけではないのです。ただ、アークラウスさまの本来の目的が気になったのです。私の勘ではおそらく、不可侵結界の中にあった物、と推測致しますが」
アークラウスはしばし沈黙した後、
「……森の結界は実に厄介であった。だが、破れずとも一時的になら強引に突破する方法がいくつかある。クライヴたちが突入する際、俺も別の結界の綻びから中へ入った。目的はスフィアだ。不可侵結界の中にレッドとパープルのスフィアも封じられていたからな。その為だ」
「ふむ、大方そんなところではないかと思いました」
「ミロードは定期的に奴隷を捨てる。その中には稀にかろうじて生きている者もいた。クライヴたちには、その奴隷山で虫の息だとしても生きている奴隷を適当に拾い、上手く使えば結界を破るのに丁度良いという情報を遠回しに送っていた、というわけだ。……俺から伝わったとは気づかれない様に、な」
「なるほど」
ガノン大臣は全てに納得し、笑顔で頷く。
「……俺を軽蔑した、だろう。クライヴをクズだなんだと罵っておきながら、その実、俺の方がよりクズだったというだけの話だからな」
しかしガノン大臣は首を横に振り、
「いえ、貴方様は信念を持って行動していただけでございましょう? むしろそこまでしてでも己が使命を全うしようとするその心意気に感服致しましたぞ」
「……ふ。それが例え俺を気づかう忖度であったとしても、実に痛み入る。ありがとう、ガノン殿」
「いえいえ。どちらにせよこの話は広まって良い事はありませぬ。私どもの胸の内に秘めておきましょう」
「そうしてもらえると助かる。信用というのは金よりも重いからな」
「さすがは大商会の頭目でいらっしゃる。よく心得ておりますな」
「……元、だ。今や大商会は俺の手を離れてしまったからな」
「そういえばそれも気になっておりました。今はダグラス大商会は誰が取りまとめを?」
「アウディスという俺の商会の中で最も仕事の能力が高かった奴だろう。俺に何かがあって、俺からの連絡が三日途絶えたら、自動的にアウディスが頭目代理を務めろと前々から命じてあるからな」
「そうでございましたか。そのアウディスさま含め、ダグラス大商会の面々はミネルヴァ王女さまに目をつけられたりしていないのですか?」
「わからん。ミネルヴァ王女が気に入らなければ潰すかもしれんな。まぁダグラス大商会はアドガルドの経済を大きく支えているし、そんな事はしないとは思うがな」
「左様でございますか」
「……商会を利用できそう、か?」
「少し使えそうな気もしたのですが、現状ではなんとも。まあ頭の片隅に入れておいて損はないかと思いまして」
「……ふ。さすがはガノン殿」
「いえいえ。アークラウス殿ほど私は頭が回りませんゆえ、事前に準備出来るもの、整えておけるものは可能な限りやっておきたいだけでございますよ」
「ストレイテナー殿といい、妹君のウィルヘルミナ女王代理といい、イニエスタさまは実に素晴らしい臣下をお持ちだと、つくづく思わされるな。彼の人柄あってこそだろう」
「それは全くもって同意でございます」
「……亡くしたのは、実に惜しい」
「……今は恭介さまがイニエスタさまの意思を継いでいらっしゃると思います」
「うむ。だからこそ、我々で恭介王を支えねばならん。全てはこのオルクラに生きとし生きる者たちの為に」
「その通りですな」
アークラウスとガノン大臣は、互いに頷き合うのだった――。
●○●○●
「あん? デッドリースタッフをどこの誰に売ったのか、だと?」
会議を終えてしばらくした後、自室でくつろいでいたクライヴのもとへ、アークラウスが訪ねて来るやいなや、クライヴへ単刀直入にそう問い詰めた。
「スレイン叔父さん、なんでそんな事聞くんだよ?」
「デッドリースタッフはとてつもない魔力を秘めた錫杖だ。誰にも扱えない杖だが、恭介王が持てば強力な武器になるだろう。今後の戦の事も鑑みて手に入れるべきだと考えたのだ」
「ふーん……? まぁいいけど、売った相手はサンスルード上流貴族のレイバンっていうおっさんだ。そのおっさんが俺たちに直接依頼してきたからな」
クライヴの言葉にアークラウスは少しだけ目を見開き、
(そうか……シルヴェスタはそれを買い取らせる相手にも最初の段階で手を回しておいたのか)
そう思慮すると、
「レイバン、か。……なるほど、わかった」
それだけを告げてクライヴの部屋から出ようとする。
「え、ちょ、おい!? それだけで良いのかよ!?」
「ああ、充分だ」
「それだけで充分って……まさかスレイン叔父さん、そのレイバンっておっさんと知り合いなのかよ?」
「……心当たりがあるだけだ」
アークラウスはそれだけを言うとクライヴの部屋から出て、パタン、と扉を閉めて行ってしまうのだった。




