百二十七話 アンフィスバエナの思いやり
「……見事に全員痺れてるね」
「我のパラライズブレスはまともに食らえば数時間は動けなくなる。これでよかろう」
洞窟から怯える様に飛び出てきた大勢の悪鬼たちを見たアンフィスバエナは、即座にパラライズブレスを吐き出し、悪鬼たちを麻痺させたのであった。
「しかしこやつらは何故、あんなに怯えて洞窟から飛び出て来たのだ?」
「……よくわかんないけど、私を見たら怖がって出て来ちゃったの」
「ふむ? 悪鬼もアンデッドが苦手だったのであろうか。我にもわからんな」
「でもこれできっと、ヨハンナおばあちゃんがドラゴンさんの探し人を見つけてくれるよ!」
「……そうだな。それも良いが、クルポロンはどうした?」
「……あ!」
●○●○●
洞窟の入り口付近の罠に吊るされたままとなっていたクルポロンを救い出し、アンフィスバエナは悪鬼たちのリーダーだけを連れて、再びラダ村へと舞い戻った。
村人を怯えさせてはしまっては意味がないと考え、クルポロンとカディナは村の外の森でまた待機してもらっている。
「ほれ、悪鬼たちのボスを捕まえて来たぞ」
アンフィスバエナは口に咥えていた、痺れたままの悪鬼をドサリっとヨハンナの前に降ろす。
麻痺している悪鬼のボスは、話す事は出来ないが視線で敵意を周囲に放っていた。
「……おお。これは紛れもなく悪鬼どものボス。ありがとうございますじゃ、聖なるドラゴンさま」
「「ありがとうございます、聖なるドラゴンさま!」」
長老ヨハンナがこうべを垂れると、村人たち全員も同じ様にしてアンフィスバエナに礼を告げた。
「……良い。大した労力は使っておらん。それよりも、ヨハンナとやら、約束通り人探しの件、頼む」
ヨハンナは一瞬、神妙な面持ちになるが、
「……かしこまりましてございます、ドラゴンさま」
すぐに笑顔を作って、アンフィスバエナの要望を受けるのだった。
「して、なんというお方をお探しでございましょう? 出来る限りの情報を頂けるとありがたいのですが……」
「キョウスケという名の人族の子供だ。特徴は……そうだな、小柄で細身の元奴隷、と言ったところか」
「……わかりました。少々お時間を頂けますかな? 人を探すのには千里眼の法という技法を行わなければなりませんゆえ……」
「うむ、構わぬ」
「それでは私は一体ここで失礼して、自分の家に戻りその技法を執り行って参ります。ドラゴンさま、今しばらくここでお待ちくだされ」
ヨハンナはペコリ、と会釈し踵を返して家へと戻って行った。
アンフィスバエナがぐるりと村を見回すと、多くの村人たちがアンフィスバエナと捉えた悪鬼を見ている。
「……ドラゴンさま」
その中のひとりの青年がアンフィスバエナに声を掛けてきた。
「なんだ?」
「実はドラゴンさまにお話しておきたい事があります」
「ふむ? 申してみよ」
「はい。長老のヨハンナさまについてなのですが……」
村の青年は難しい表情でこの村の状況から始まり、ヨハンナについての事情をアンフィスバエナに伝えた。
その内容はドラゴン族にとっては意にも介さぬ事であり、もしこれまでのアンフィスバエナだったならば「くだらぬ」と言って聞く耳など持たず、一蹴していたであろう。
だが、この時のアンフィスバエナには、自分でも信じられない不可思議な感情が生まれていた。
「……というわけなのでございます。なので、もしドラゴンさまに御慈悲がございますれば、何卒その人探しの件、考え直しては頂けないでしょうか?」
「……むう」
「もちろんこれは我々の身勝手なお願いに過ぎません。約束を勝手な理由で反故にしようとしているのは私たちなので。ですから、ドラゴンさまがソレは無理だ、と仰られれば、私たちもこれ以上は申しません」
アンフィスバエナは多少頭を悩ませた。
が、とある事を思いつく。
「……わかった。お前の話、少し考えてみる。ひとまずヨハンナをまたここに連れてこい。我もとある者を連れて来るから、ここでヨハンナに待てと伝えよ」
「ありがとうございます、聖なるドラゴンさまッ!」
アンフィスバエナはそう言うと、大きな翼をはためかせ宙に舞う。
近くの森で待っているカディナの元へ向かうべく。
●○●○●
千里眼の技法というものは豊潤なマナを含んだ心臓を生贄にする他、術者にも大きな負担をかける呪術法である。
すでに齢百五歳を迎えた人族のヨハンナにとって、次に千里眼の技法を扱う事は、死と隣り合わせであると言っても過言ではない程に、彼女にとっては大きなリスクであった。
だがそれでもヨハンナがアンフィスバエナの要望を受け入れたのは、それほどまでに悪鬼たちに困らされていたからである。
近年ラダ村での悪鬼による被害は増加しており、このままでは村ごと悪鬼たちに奪われてしまうのではというところまで、村人たちは追い込まれていたのだ。
だからこそ、ヨハンナはアンフィスバエナの要望を受け入れたのである。
しかし村人たちは、これ以上ヨハンナが千里眼の技法を使えば彼女は死んでしまうかもしれない。
そう思い、村の青年は意を決してアンフィスバエナに相談を持ち掛けたのだ。
「……ドラゴンさまはどこへ行ったのじゃ?」
「わかりませんが、ヨハンナさまにここで待っている様にと仰られておりました」
「ふむ。それにしてもロウラン、お主余計な口出しをしおって……」
アンフィスバエナに千里眼の技法の負担の事を話したロウランという青年に、ヨハンナは呆れ返っていた。
「これではドラゴンさまは、お怒りになられるやもしれぬのじゃぞ?」
「で、ですが我々にはまだヨハンナさまが必要で、大事なのです……」
「……全く、困ったものじゃ」
そう言いながらもヨハンナは小さく笑う。
そんな会話をして少し経つと、上空に再びアンフィスバエナが現れ、ゆっくりと村へと降り立つ。
「……待たせたな、ヨハンナ」
「おお……ドラゴンさま。村の者が勝手を言って申し訳ございませぬ……」
ヨハンナと村人たちは土下座をして、アンフィスバエナに謝罪する。
「良い、気にするな。しかしその代わりとして、ヨハンナ、貴様にはひとつ宣誓してもらいたい事がある」
「千里眼の法を使えば、すでに尽きていたやもしれぬこの命。ドラゴンさまの指定する宣誓でよければ何なりとお受け致しまする」
「うむ。では内容を説明するぞ」
アンフィスバエナがヨハンナに命じた宣誓内容、それは『人族以外の者を拒絶しない』というモノ。
ヨハンナや村の者にはその意図がわからなかったが、彼女はそれを快く承諾して儀式を済ませる。
――そして宣誓の儀を終えて。
「よし、ではこれから会わせたい者がいる」
「私めにでございましょうか……?」
ヨハンナは困惑した表情で尋ねる。
「そうだ。ただし、その者を見ても怯えるでないぞ。良いな?」
「は、はあ……」
「では、我の背に居る者を見よ」
アンフィスバエナは大きな背を低くし、そこに乗っていたカディナを人々に見せる。
カディナは可視化レベルを可能な限り高めて、照れくさそうに手を振った。
「はは……は……久しぶり……」
カディナがそう言うと、
「ひ!? ア、アンデッド!?」
「アンデッドだ!! 何故そんなところに!?」
村人の多くはカディナを見るや否や、案の定怯え始め、何人かは家の中へと逃げ帰ってしまった。
「ド、ドラゴンさま。何故アンデッドを私めらに……!?」
ヨハンナもその存在に恐れ慄きながら、アンフィスバエナに尋ねる。
「よく見ろ、悪意のないアンデッドだ。それに拒絶をするな。宣誓の儀に則り貴様は死ぬぞ。しっかりその姿を凝視せよ」
「そ、そうでございましたな……」
怯えるヨハンナに、
「……私、カディナだよ。ヨハンナおばあちゃん」
カディナは寂しそうにそう声を掛ける。
「……カ、カディナじゃと!?」
ヨハンナはその名を聞き、カディナの方を見直してみる。
「……た、確かに透けてはいるが……カディナの面影がある……」
アンフィスバエナはふぅ、っとため息を吐いて、
「貴様ら人族は無闇やたらにアンデッドに怯え過ぎだ。確かに理性の無いアンデッドは目が合った者から殺して魂を喰らうが、即死魔法を扱うアンデッドでなければそう恐れるモノでもないと知れ」
「……怖がらせてごめんなさい、おばあちゃん」
カディナの弱々しい声に、ヨハンナはまじまじとその姿を何度も見直す。
「……おお。ほ、本当にカディナ、なのか? お前は死んでからすでに五十年近くも経っているというのに、その姿形は死ぬ前となんら変わらないのじゃな……」
「五十年も経ってたんだ。私、死んでからどれくらい月日が経ってたかなんて知らなかったの。気づいたら暗い迷宮で彷徨ってて、それから理性を取り戻した後はミッドグランドで意識を封じ込められながら、嫌な思いを散々させられていただけだから……」
「そうじゃったのか……そうじゃったのか……」
ヨハンナは涙をこぼしてカディナを見つめる。
「皆の者、怯えるな! このアンデッドはカディナじゃ! ワシの孫のカディナじゃ!」
ざわざわ、と村人たちが騒ぎ出す。
「カ、カディナだって!?」
「悪鬼に殺されたあの……!?」
「アンデッドになって帰ってきたってのか!?」
村人たちはヨハンナの言葉を聞き、恐る恐るアンフィスバエナの近くに集まる。
「ヨハンナの名において、このワシが保証する! このアンデッド、カディナは知性の高い、害の無いアンデッドじゃ!」
ヨハンナは声を大にして叫ぶ。
「えっと……ただいま……」
そしてカディナは照れ臭そうにしてそう言うと、
「よく帰ってきた、カディナ。怖がってしまって悪かったのう……」
「ああ! 本当にカディナちゃんだ! おかえり!」
村人たちは笑顔で彼女をしっかりと見てくれたのである。
もう大丈夫だろうと思ったアンフィスバエナは、更に腰を降ろし、カディナに降りろと伝えた。
そして村人たちは皆、カディナを囲んで歓迎してくれたのである。
こうしてアンデッドのカディナは、故郷の村に再び帰る事ができたのであった。




