百十六話 未確認災害級脅威
クロフォードは元より悪を憎み、正義をこよなく愛する、混沌としたアドガルドの上層部における数少ない良心とも言うべき存在であった。
その彼は幼少期より、この国の歪みをなんとかしたいと切望してきた。
そして真面目さと持ち前の正義感によって次々と功績をあげていき、そして30歳手前になる頃にはついに王族の側近にまで上り詰めることができた。
その頃、自分の情報網の中に『奴隷』というキーワードが引っ掛かり、独自で調査していたところ、どうやら国の裏側ではこの奴隷を非公式で黙認している傾向が疑われた。
それを調べ進めたところ、ひとりの貴族の名が浮かぶ。
その名がクラグスルアだ。
クラグスルアと言えば、アドガルドでも代々上流貴族として有名な一族であり、アドガルドの政治を担う一端にも噛んでいる。
そんな貴族が実は奴隷に関与している、などとは信じ難いことであった。
だからクロフォードはじわじわと調べを進め、そして証拠を少しずつ集め、奴隷を囲う貴族を引きずり降ろし、自分が国を正しい道へ修正しようと目論む。
それは順調なはず、だった。
「……まさか王たちがすでにクラグスルアと繋がっていたとは」
ノースフォリア王国より遥か東の辺境地、かつて悪魔族が群れをなし、ルシフェルという名の最高位悪魔族が根城としていたデーモンパレスに程近い場所、グリニッド展望台と呼ばれる背の高い塔の内部で、クロフォードはそう呟いていた。
「それにしても私のこれは一体何をさせられているのか……」
クロフォードは自分のさせられていることを、よくわかっていない。
ただ、王女に命令されたのだ。
このグリニッド展望台から、ひたすらにデーモンパレスの様子を観察していろ、と。
王女の話によれば、デーモンパレスに住み着いていた悪魔族は、ボスのルシフェルをレオンハートが討伐したことにより、そのほとんどが散り散りにいなくなったということであった。
が、何やら再び不穏な噂があるとの為、何か妙な動きがないかの監視をクロフォードは命じられたのだ。
「妙な動き、とは一体なんなのだろうか。低級悪魔族や魔物は多少、出入りしているのを見るが……」
クロフォードは展望台の最上階にある、マナ可視化望遠鏡でデーモンパレスの周辺を見張りながら呟く。
彼は内心、自分は左遷させられたのかもしれない、とも思っていた。
この様な意味のない監視をわざわざ自分に命じる必要性がない。ただの見張りなら一般兵にやらせれば良いのだから。
なので、自分が奴隷制度を撲滅させようとしている動きを王や王女たちが煙たく感じたのかもしれない、と思っていた。
「どうせなら、ミッドグランド周辺に移動が良かったのだがな」
ミッドグランドもあまり良い噂を聞かないので、いつか内部調査をしてみたいと常々考えていたのだ。
「……まあ、もしこれで私が王たちから見限られたのならば、私は私のコミュニティを使って独自に動けば良いか」
クロフォードはずっと奇をてらっていた。
アドガルドをより良い国にする為に。
その為に彼は水面下で力を蓄えていた。
知名度、武力、仲間、コミュニティ、そして民からの信頼。
「……この任務がいつまでも終わりが見えなければ、その時は……」
●○●○●
「ルシフェルの復活……!?」
カシオペアは驚きのあまり、ルシア長老の家の中で声を荒げる。
「五月蝿いのう、ワシの耳はまだそんなに衰えとらんから、馬鹿みたいな声で騒ぐでない」
ルシアは迷惑そうな顔でカシオペアを睨む。
「ルシアさま、それは一体どういう事なのですか!?」
「どうもこうもない。ルシフェルはまだ死んでおらん。というより、もうとっくに復活しておる」
ルシア長老曰く、ルシフェルの肉体は確かに冷血の勇者レオンハートによって討ち滅ぼされた。
だが、その魂は再び別の器に宿り、蘇ったのだと言う。
「ルシフェルの復活は数週間前のようじゃな。その場所はミッドグランドの底無しの迷宮じゃ。そしてルシフェルは自身のマナの相性がとても良いデーモンパレスに帰ろうとしておる」
「それで残りの三勇者のうちのふたりがデーモンパレスにいる、と」
「おそらくは、じゃ。ワシの今の占いではとりあえずルシフェルの復活がわかっただけじゃからな」
「そうでしたか……わかりました。ありがとうございます」
「……行くのか? デーモンパレスに」
「ええ。勇者を集めなければなりませんし、何よりルシフェルが復活したのならば、ノースフォリアのクレア女王にその事を伝えなくてはなりません」
「……そうか。あまり無理をするでないぞ、カシオペアよ」
「はい、ありがとうございました、ルシア長老」
カシオペアはペコリ、と会釈をして旅支度を整え始める。
「……あ、おい」
家から出ようとしたカシオペアをルシアは不意に呼び止める。
「おぬし、そのペンダント、ちゃんとまだ持っておったのだな」
「当たり前じゃないですか」
「その様子から察するに、妹の事はまだ諦めておらぬ様じゃの」
ルシアの問いかけに、
「……もちろんです」
カシオペアは苦虫を噛み潰したような顔で答える。
「生き別れて数十年、じゃったか。この村がミッドグランドの兵団に鎮圧された時じゃったの……」
「……私は片時もロキシーのことを忘れたことはありません。必ず探し出します」
「……そうか」
ルシアはそれ以上深く追求はしなかった。
カシオペアはルシアに生き別れた妹について占ってもらう事だけは、絶対に頼まなかった。
そしてルシアもそれについては触れなかった。
もし占ってしまえば、カシオペアの微かな希望をも失ってしまうかもしれないからだ。
妹がどこかで生きているかもしれないという微かな希望を。
「……あまり、何事においても根を詰めすぎるでないぞ」
「……はい、ありがとうございます」
ルシアはそれ以上は言わなかった。
「お世話になりました。また落ち着いたら帰ってきます」
「……うむ。ここはお前の故郷じゃ。いつでも帰ってこい」
「はい。それでは」
そう言ってカシオペアはダルフィ村をあとにした。
寂しそうなその背を見てルシアは、
「運命というものがあるとするならば、この世はなんと残酷なのじゃろうな……」
そう、ひとりごちる。
ルシアは知っているのだ。
彼の唯一の希望が、すでに潰えていることを。
「……せめて涅槃から、兄の事を見守ってやってくれ、ロクサンヌよ」
●○●○●
クロフォードはこの任務が、半ば適当に与えられたやっつけ任務であると薄々は感じながら、それでも真面目に監視を遂行し続けた。
「……む?」
その成果、と言えるのかはクロフォード本人にはよくわかっていなかったが、監視を始めて数日経った頃、ついに異変を感じ取る。
「なんだ、あの魔族は……!?」
デーモンパレスの入り口に向かって足を進める、高位の魔族らしき存在を確認したのだ。
これまでデーモンパレスの内外に出たり入ったりしていた低級の魔物や低ランクの冒険者はよく見かけたが、あれほどに大きな力を持った魔族はここ数日では初めて見た。
「な、なんという禍々しく強大なオーラだ……!」
グリニッド展望台のマナ可視化望遠鏡は名前の通り、少し特殊な望遠鏡だ。
この望遠鏡を通して生物やアンデッドを見ると、その者のマナ量をオーラの様に目で確認することが出来る。
そして今クロフォードが見ている魔族は、これまでに見た低級魔族や冒険者たちとは比べ物にならないとてつもないマナを秘めていたのだ。
「ば、馬鹿な! ルシフェルが討伐されてからこの一帯には、あれほどの力を持った魔族や魔物はいなくなったはず……ッ!」
しかし何度見直してみても、望遠鏡越しに見えるその魔族は、並々ならぬマナを抱いた化け物である。
「こ、これが王女の言っていた異変であるとするならば……これまでに確認した事の無い、超災害級の脅威だ…」
何故なら。
「アレはもはや……以前のルシフェルを遥かに凌駕した、化け物だ……ッ!!」
マナ可視化望遠鏡から見たマナオーラは、クロフォードの推測によれば、
「そ、総合戦闘能力……」
おおよそのその数値、
「1000は優に超えている……!」
それは、かつて魔王とも恐れられた最高位悪魔族ルシフェルの総合戦闘能力を三倍以上も凌駕しているのだった。




