6.十二階
時は大正、所は浅草。
お江戸が東京府と名を変えて、もう五十年程にもなった頃でございます。
十二階から天下を見下ろすのが好きだつた。
赤煉瓦の楼閣は、山出し(田舎者)の私にとつて最高にお氣に入りの場處だつた。
晝の足元から彼方まで流れる人波、溢れる猥雑な喧噪も良いが、夜の帳の降りた先、道標のやうに点された電気燈も、眩しい程に綺麗だつた。
手の届かない戀しさに、赤い煉瓦で頬を擦り、遠くを眺めるのが常だつた。
そんな折。
あの娘に逢ふたのだ。
いつものやうに茫と天を眺めていた。
青い天は海と繋がり、海は白い波白い船を幾つも抱へて眞晝の色に揺れてゐた。地上は色鮮やかに賑わしく、此れも又潮流の如く騒めいてゐた。
足音がしたので振り返ると、丁度乙女が一人、此方へと歩いて来る處だつた。
水浅葱のリボンで豊かな黒髪を結はえ、小豆色の袴は眞新しい。白い洋傘を傾け強い日差しを避けようとしてをつたが、娘の眺めたい方角に太陽があつたやうだ。娘は暫くあちらこちらと傘を傾けてゐたが、諦めた風で洋傘を下ろしかけた。
と、風が變わつた。
ひよつと向きを變へた風に傘を奪はれ、娘がよろめく。然し娘は直ぐ態勢を整へ、傘を閉ぢた。薙刀の心得のある所作であつた。力強い曲線とたをやかな直線、そんな矛盾した麗しさを感じた。
私の視線に氣づき、娘はつい、と余所を向ひた。
涼しい風が十二階の上を吹き抜ける。其れは又、金魚賣の聲も運んできた。
当分、大正言葉と相成ります。
併せて、一話の量もちょこっとになっちゃいます…