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銃盾  作者: 鶏卵そば
オルドバリクの虜囚
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恋する狼

イチャラブです!

 そう言ってから、リルはパッと笑顔になった。


「そうか、そうだな。逆らうヤツは皆叩き潰せばいい。金帝国も南宋も全部キヤト族が征服するんだ。そうすれば、アンジュだって寂しくなくなるだろ。むしろ下手に解放されるよりキヤトの仲間でいたほうがいいってことになるよな。じい様だってみつかるはずだし」


 そして、強引に安樹の手を握った。


「私が父様に話して、アンジュを捕虜の身分から引き上げてもらう。オルド・バリクから出て、普通のキヤト族の一員になるんだ」


 リルにそう言われても、安樹にはそれがどういうことなのかピンと来なかった。

 安樹の身分は確かにオルド・バリクの囚人だけれど、リルのおかげで生活に不自由はない。むしろ盾作りの仕事を任されて充実しているともいえる。


「普通の、ですか。……そんなことを許してもらえるでしょうか」

「大丈夫さ。シギだって捕虜から軍師になったんだ。アンジュの盾だって十分キヤト族に貢献している。アンジュはこれから自分の天幕に住んで、羊を持って」


 そこまで言って、リルは一瞬言葉を飲み込んだ。

 それから日に焼けた頬を赤らめて続ける。


「キヤト族の娘をお嫁さんにもらって、幸せに暮らすんだ」


 思いがけないリルの言葉に、安樹は思わずその手を握り返した。


 五年前の洛陽での出会いから、安樹は一途にリルを想っていた。故郷を離れたこの地でなんとか暮らしていくことができたのも、ひとえに彼女がそばにいてくれたからだ。また安樹の目から見ても、リルが自分のことを憎からず思ってくれていることはなんとなく察せられた。


(――しかし、)


 安樹の思いはいつもここで壁にぶち当たる。


(なんといっても自分は囚人で、リルは姫君なのだ。彼女が自分の相手をしてくれるのは、持てる側の人間のただの気まぐれかもしれない)


 そう思うと、どうしても自分の気持ちをリルに伝えることができなかった。

 でも、この日は違う。

 安樹はここぞとばかりに勇気を振り絞った。


「私がキヤト族の一員になって、キヤト族の娘を娶ることができるようになったとして、許されるのでしょうか……もしも私が、キヤト族で最も美しくて最も勇敢な姫との結婚を願ったら」


 リルの顔がさらに赤くなり、あわてて安樹の手を振りほどくと背を向けた。


「そんな、もしもの話になんて答えられるもんか」


 頬を染めて恥じらうリルの様子を見て、彼女が泣く子も黙るキヤトの赤き狼だと誰が信じるだろうか。か細い肩、薄い胸、まるっきり年頃の少女だ。

 口に出して言わなくても、リルの態度からは彼女の気持ちが透けて見えた。

 安樹の表情がほころんだ。


「……そうですか、そうですね。案外、他に貰い手がいないって大喜びされるかもしれないですしね」

「貴様、死にたいのか?」


 赤き狼にそう言われれば、歴戦の勇士でも小便を漏らす。

 しかし、安樹だけは別だった。


「うそうそ、冗談です」


 安樹は笑いながら丘の上を逃げ出した。

 その後をリルが追いかける。

 彼女はあっという間に安樹に追いつくと、草原の濡れた地面に彼を組み敷いた。

 細身の身体のどこにそんな力があるのか、彼女にのしかかられると安樹には跳ね除けることができなかった。


「言っておくが、これまで私に求婚してきたヤツは一人や二人じゃないんだからな」


 リルは得意そうに言う。


「さすが、キヤト族の男は勇敢ですね」

「この口が、まだ言うか!」

「いててて」


 安樹の唇をつねり上げながら、リルは続けた。


「私はその全部を断ってきたんだぞ。なぜだかわかるか」

「ええと、求婚してきた男がみんな不細工だったから?」

「違うっ! もし私が結婚して誰かの奥さんになったら、おまえをここまで息抜きに連れてくる奴がいなくなるだろう」

「……姫様」


 リルは、組み敷いた安樹から身体を離すと得意気に喋り続ける。


「たかがオルド・バリクの囚人のくせに万人隊長である私にここまでさせるとは、前代未聞というか、言語道断というか。まあ、付き合ってあげる私もどうかしてるとは思うんだけどな。でもまあ、私はキヤト族の中でも一、ニを争う文化人だから、同じ話をするにしてもキヤト族の連中よりは多少なりとも文明の香りがする漢族のおまえのほうがだな……あ、勘違いするなよ。別に会えないときにおまえと話をしたいなあなんて、この万人隊長、キヤトの赤き狼様が思ってるわけじゃないからな。な、な、なんだおまえ、何するんだ」


 突然、リルのおしゃべりが止まった。

 安樹が後ろからいきなり彼女を抱きすくめたのだ。さっきと反対に、今度はリルの方が身動きが取れなくなっていた。


「ありがとうございます。姫様がそんなに私のためを思っていて下さったなんて」


 リルの顔はさらに赤くなり、頭からは湯気が噴き出しそうだった。


「人の話のどこを聞いてるんだ。おまえのためじゃないというのに」


 しかし、安樹はそれに耳を貸さなかった。


「私はキヤト族の一員になりたい。そうすれば、姫様に私の想いを伝えることができます。お願いです。なんとかハーン様に取り成していただけませんか」


 抱きしめられてあたふたしていたリルは、彼の言葉を聞いて落ち着きを取り戻した。そして、まるで冷たい泉に飛び込むときのように大きく息を吸い込むと、振り返って安樹の胸に自ら顔を埋める。

 草原で抱き合う二人に、東からの暖かな風が吹き寄せた。

 風が吹くと草原の草木はまるで波打つかのように畝を打つ。

 二人の姿は、まるで緑の大海原に浮かぶ小舟のようだった。


「よし、そうと決まったら、早速父様のところに戻るぞ」

「まだ来たばかりじゃないですか」

「うるさいっ、善は急げというじゃないか」


 リルは大急ぎで安樹の手をつかんで馬の背に乗せる。そして自らは軽々と鞍の上に飛び乗った。


「まあ、おまえの気持ちなんか、とうの昔に私には分かっていたんだけどな」


 二人を乗せた馬は、飛ぶようにオルド・バリクへ戻っていった。



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