8.第三日目 朝
気がつくと朝になっていた。窓の隙間からわずかに陽が差し込んでいる。
「生きてる・・・。何だ、夢だったのか・・・。でも良かった。」
さっき見た夢があまりにも生々しかっただけに、自分が生きて目が覚めたことで妙にほっとした気持ちになった。
しかしながら熱を測ってみると、まだ四十度近くある。あれだけヘビーな夢を見て体が改善されるはずもない。むしろ命があっただけましだったと考えると、妙に自分が納得できたのであった。
「でもあの夢は何だったのだろうか?」私は夢の中でのスゥーとのやり取りを思い出していた。しばらくいろいろと思いをめぐらしていたのだが、私は考えるのを止めた。考えたところで昔のつらいことを思い出すだけである。とりあえずまずは自分の体を治してからにしようと思った。
ところがベッドから起き上がろうとしてみるのだが力が入らない。自分の体が思う通りに動いてくれないのだ。熱・咳・喉の痛みは体が眠りから目覚めるにしたがって、昨晩と同じように、いやそれ以上に私を苛み始めるのであった。
こうした状況になると、「もしかしたら昨日の夢は予知夢なのか?」とも考えてしまった。昔からそういう第六感に近いものは他の誰よりも敏感であった。だからそう考えても不思議ではない。そう思えば思うほど不安になる。熱いはずの体に、冷や汗がにじみ、滴り始める。「これは結構まずい。」と思うまでに時間はさほどかからなかった。
時計を見るともう九時になろうとしている。これだけ自分はピンチなのに、今日は月曜日だから会社に行かなければならない日だと考えてしまう。これも長年の繰り返しのせいなのだろうか?とりあえず薬を飲んで連絡をしないと、みんなが心配する。その対応もしなければならなかった。
さっきから必死に起き上がろうとしている。でも関節の節々は油の切れた歯車のようにぎしぎしというだけであった。なかなか動かない。それでもようやくベットから立ち上がる。体が自分のものかと思えるほどふらふらする。しかし何とかリビングにたどりつかなければならない。こんなことだったら薬と携帯電話を枕元にもってきておくべきだったと後悔した。
普段は歩くことなど全く造作ないこのほんのわずかな距離なのに、たどり着くまでに気の遠くなるような時間を要する。いや、そう感じられた。この一歩、その一歩を踏み出すたびに苦痛が伴う。熱い。喉が渇く、ひりひりする。まさに私は今砂漠の中で朦朧とオアシスを探す孤独な旅人と化しているのであった。
たったわずか数秒の旅が、目的地にたどり着くまでに幾千万の秒数がかかったような気がした。それでも何とか気力を振り絞り、私はそこまでようやくたどり着いた。
声が出ない自分の喉をまず潤すために、蛇口を開く。コップにあふれるばかりの水が湧き出したとき、私は「彼女」の姿を見た。
「ユウサク、お迎えに来たわ・・・。今度はもう離さないから・・・。」スゥーは哀しそうに微笑みながら私に近寄ってくる。
その瞬間、体中を激しい激痛が走った。耐え切れずその場にひざまずく。私はテーブルにしがみつこうとしたが、さらに第二撃が私の頭を襲った。
「ほら、行くわよ・・・。」と彼女は私の手を握り締めた。
ほんのわずかな時間に私の人生が走馬灯のように映っては消え、消えては映った。私はそのときはっきりと悟った。これが死んでいくということなのだと・・・。
彼女が夢の中で言ったことは本当だったのだ。あれは正夢だったのだ。
妻や幼い娘、そして仲間を残して死んでいく私をみんなはゆるしてくれるのだろうか? 明日の新聞には「サラリーマンの孤独な死」という見出しで乗るのだろうか? 絵理奈は悲しんでくれるのだろうか?
いろいろな思いと未練はオアシスの水のように、私の中にあふれ出でくる。そしてそれはいつしか蜃気楼のように私の意識とともに消えていった。
そして・・・、一人の男は床に倒れた。
「スゥー、これで君と一緒になれるんだね・・・。あの世で・・・。」