7.第二日目 深夜
気づいたとき、私はとある外国らしい町を歩いていた。町並みはどちらかというとヨーロッパ的なのだろうか? あちこちの看板にいろいろな文字が書いてある。でもその文字はあまり見たことがないようなものだった。
「ここはどこだ?」とわかるはずもない自分に問いかけてみた。
でも何故か行く場所は決まっている。自分でわかっているのだ。石造りの町並みを抜けて、2ブロックほど行った先を左に曲がるのだ。そしてそこから三軒先に赤い色のタペストリーがぶら下がっている店があるのだ。そこで待ち合わせをしているのだ。
「誰との待ち合わせだったのだろう?」と改めて問いかけてみる。記憶がない。
はっきりとした目的、でも朧げな記憶。その二つが私の頭の中でめぐっているのだ。何度も何度も思い出しを反芻しながら、そこにたどり着くまでじっくりと考えてみた。自分がきちんと正装をしているところを見ると、大事な人に会いに行くのであろう・・・。
目的地にたどり着いた。店の名前は読めない。でも目印の赤いルーフが自分の目的地であることを確信させる。重厚な扉を静かに押し開ける。中はちょっと薄暗いが、とても高級感のあるたたずまいである。どこかで聞いたことのあるような音楽が店の中に流れている。
「いらっしゃいませ。」と店員が挨拶をしたように聞こえた。言葉は日本語でないのだが、それがそうであると妙に確信をした。ちょっと手を上げて挨拶をして、奥のほうに進んだ。直ぐに階下に下がる階段があり、それを私は下っていった。
降りて行くとアンティークな作りのホールになっていた。側面の上部はおちついたクリーム色に、下の部分は木製の板が敷き詰められている。あちこちにあるランプはほのかな薄明るさを演出するくらいに抑えられており、それがそのレストランの深い落ち着きを演出していた。奥には丸いテーブルが七つか八つ、白いテーブルクロスの上にナプキンやグラス、前菜用のディッシュプレートがそろえられており、客の来るのを待っていた。
お客は・・・、奥のテーブルに一人女性がいる。白い帽子に赤いドレスを着た女性が座っているだけである。髪が長くて細身であることはわかった。でも帽子が邪魔をして顔は見えない。お客は彼女以外には誰もいない。彼女こそが自分の相手であることがわかっていた。
私はゆっくりとそのテーブルに近づき、「やぁ!」といいながら席についた。
「久しぶりね!」とうれしそうに彼女は言った。その懐かしい声は聞き覚えがあるはずなのだが、思い出せない。
「うん、そうだね! 君は元気だった?」彼女を思い出せない私は、取り繕うように尋ねた。
彼女は帽子をかぶったままだった。
私たちは二言三言よくあるお決まりの話をしているうちに、若いウェイトレスがやってきて、私たちのテーブルランプに火をともした。そしてディナーの準備を始めた。
まずワインらしきものが運ばれてくる。彼女が味見をする。「おいしいわ!」というと、私につがれたグラスを促す。少し口に含んでみるとワインみたいなのだが味わったことのないような豊熟な甘さがあふれてくる。次に料理が運ばれてくる。前菜そしてどこまでも透き通るような赤みのあるスープ。それらは今まで私が食べたことのない食材であった。でもこの味からすれば相当高価なものであろう。食べようと思っても年に一度お目にかかれるかどうかの代物である。
食事をしながら彼女と私は、最近のことを話した。彼女は今とあるこの町の西にある島で自分のおじいさんとその執事、そして自分の3人で暮らしていること。彼女のおじいさんが歴史学者でその手伝いをしていること。今日の食事はずっと以前に私と約束をしてて楽しみにしていたこと、等々を話してくれた。
そしてしばらくして運ばれてきたメインの肉料理なのだが、超一級品の牛肉よりもさらに柔らかくそれでいて味わいがある。まるで歯ごたえを感じた瞬間に口の中で溶けていくのだ。まさに肉を構成しているその分子一つ一つがパーッと口の中に広がってく感じがする。まるでこの世の贅を尽くしたような食事である。
私はずいぶん前に結婚したこと、娘ができたこと。そして今の会社でまあまあうまくやっているけど面白くないので、もっぱらバンドに夢中になっていること。本当のここしばらくの報告を彼女にした。
でも、私には彼女が誰だか思い出せなかい。彼女は相変わらずつばの大きな白い帽子をはずそうとしない。左の目元、鼻や唇は見えるのだが、全体が見えない。何か奥にひっかかっている。
「誰? 誰なんだろう・・・?」ただその思いがどんどんと果てしなく広がるだけである。
それでもぎこちない会話は続いていくのであった。
しばらくして、彼女はスプーンとフォークをそばに置くと突然口元に手をやりながらくすくす笑い出した。何がおかしいのかを私は尋ねてみた。
「まだ私のこと思い出せないの? アキヅキ・ユウサクくん!」
私はその言葉にギクリとした。ずっと昔に捨てたはずの名前をなぜ彼女が知っているのだ・・・? たったその一言で、一気に体中の汗が噴出してくるような気がした。動揺を隠せない。どうして、どうしてなんだ・・・?
彼女はそんな私を尻目に、くすくす笑い続けながら言った。
「私よ、スゥーよ。スゥシェールよ。あなたの昔の恋人だった人。そして・・・、あなたを殺した人。今日はあなたの天国への送別会なのよ。奥さんには悪いけど、あなたは今日ここで死ぬのよ。」
私の気は完全に動転している。彼女は言葉を続ける。
「でも心配しないで、今度は私も一緒に行くから。それとも私とでは不満かしら?」
そう言うと彼女は今まで被っていた帽子を静かに取った。唖然とする私の前にはまぎれもないあのころの彼女が屈託のない笑顔で微笑んでいたのだ。
「スゥーなのか?本当に?」そう叫んだ瞬間、私たちをとりまいていた周りの景色が全く違う世界ものへと変わっていく。タイムスリップ・空間移動する映画のシーンが変わるように急激なスピードで・・・。私たちだけをその中心に取り残して・・・。
瞬時にして変わった風景はあの学生時代に起こった忌まわしき事件のその場所だった。そして彼女は私の目の前に立っている。あの日と全く同じ場所で、同じ格好で・・・。彼女の様子は虚ろだ。それもあの日と同じ。そして手には古く鈍く光るものが握られている。
彼女がつぶやく。ただ、それは彼女の意思とはまた違う別のものだ。
「あなたは、あってはならない存在なの。この世の秩序の為、そしてこの世がこのまま続いていくために・・・。」
「スゥー、いったい何だって言うんだ? しっかりしろよ!」
「私たちの運命はずっと昔から導かれてきたもの。そしてこれからも導かれ続けられなければいけないものなの。でもあなたの存在はそれをすべて否定するもの。このまま行けばいつか主メビリウスと対峙することになる。それはすべての過去・現在・未来への輪廻からの解脱を不可能にすることを意味するのよ。」
そうだ、あの時も彼女は確かにそう言ったのだ。あの忌まわしい時と同じことが目の前で起きているのだ。
スゥーは確かに私の彼女だった。普通の子と比べるとちょっと背が高く、髪が長い細身のきれいな女性だった。彼女は韓国からの留学生だった。初めてあったときはその美人さが故にお高くとまっているやつかと思った。つんとしているところが近寄りがたさを醸し出していたのだが、実際は違った。本当は単に内気なだけで、打ち解けてみると実はおちゃめで明るい女性だった。そのギャップは相当なものだった。
ひょうなことから私たちは知り合い、お互いに持っていた悩みを話すうちに次第に好意が芽生えた。そして距離が近づき、やがて付き合うようになったのだ。そうだ、あの時も私達の研究室の調査に心配だからといって無理やりついてきたのだった。親父がその研究室の教授だったのをいいことに彼女がごり押ししたのである。研究室の連中のアイドル的存在でもあったものだから誰も拒むことをしなかった。みんなにうらやましがられるそんな彼女が私の自慢でもあったのだ。もしあの時是が非でもついてくるのを止めさせていればあんなことにならなかったのだ。
そんな彼女が今私の目の前にロンギヌアスの剣を持って立っているのだ。次に起こることが私にはわかっているのだ。
必死に正気に戻るように説得する。声をからして叫ぶ。彼女を現実に引き戻そうと必死になる。でも無駄であった。
彼女は何か言っている。私には聞こえない。この後何が起きるのかを私は知っている。彼女が突っ込んでくる。私はよけられない。そしてあの結末になるのだ・・・。
「止めてくれ、こっちに来てはだめだ。」あの忌まわしきことをおこさない為に、私は泣きながら叫び続けた。
でも夢でも変わらなかった。彼女がゆっくりとスローモーションでも見ているかのように、こっちに突っ込んでくる。私の目の前を白い何かがふわっと包み込んだ・・・。
そして・・・、私は悪夢という旅から帰還したのだった。