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ヨアケマエ外伝・柊華香の挑戦  作者: うにシルフ
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第四章 華香、デートしてみる

『舞姫』型豪華客船建造計画はとんとん拍子に進み、1月中にはドック建設の許認可もおり、早速工事も始められた。

 もちろん佐倉子爵や大曽根家、更には実家である柊家の後押しが強力だったのもあるが、海軍が『舞姫』型が超大型空母への改造を念頭に置き作られている事に興味を持ち、積極的に関係各所に働きかけてくれた事が大きい。でなければドックの建設許可だってそう簡単には下りなかったかも知れない。

 おかげで秋にはドックは完成し、12月には起工できたので、年内に着工するという公約は達成されたのであった。

 その他にも小型駆逐艦の建造開始や対馬ドックの稼働、朝鮮半島の合弁会社の設立など、柊造船について語るべき事は多かったがそれは一先ず置いといて、新年の挨拶を行った日から1週間後の話に戻る。

 小正月のこの日、時間ができたという事で、華香は親しくさせてもらっている海軍造艦中佐小鳥遊(たかなし)飛鳥(あすか)と食事に出かけた。念のため言っておくが、彼は間違いなく男性である。ただ字面もしくは発音だけ見ると女性であってもおかしくないため、たまに間違えられると嘆いていた。見た目はまあ同性からすれば羨ましい限りの端正な顔立ちで、おおよそ軍人には見えなかった。が軍服を着てしまえば様になりすぎて、少女達がこぞって読む小説から飛び出してきたような感じだったのである。

 そのため華香と並ぶと簡単に美男美女カップルの見本が出来上がる。本人達は決して見た目に惹かれた訳ではないと言っているが、たとえそうだったとしても、誰も文句は言わないだろう(まあ一部の熱狂的なファンを除けば)。それくらい「お似合い」という事である。

 2人が会う時には大抵千葉で軽くお茶をしてから外国映画を見て、その後行きつけのフランス料理店で夕食を食べる。そして華香を自宅近くの駅まで送り届けた後、飛鳥は最終列車で横須賀まで戻る。これがテンプレのデートプランであった。下世話なようだがそれ以上の事は特にないらしい。それよりも互いの仕事の話をする方が楽しいようで、更には一緒に居られるだけで充分幸せだったのだ。

 だから今日も食事中交わした言葉も仕事絡みのものだった。特に華香からは『舞姫』型豪華客船建造計画の話が湯水のように湧いてきて、飛鳥は聞き役及びアドバイザーに徹するしかなかった。

「で、そんな計画があるぞと艦本に持って帰ればいいのかな? 俺の役割としては」

 ひとしきり『舞姫』型の話を聞いたところで飛鳥は華香に尋ねた。華香の頼みとあれば聞いてやるのが筋である。が華香との関係を知る者(主に上官ないし同期)からは「公私混同も甚だしい」と言われる事もしばしば。慣れっことはいえ、その言い方によっては至極鬱陶しい。ので本心とは裏腹に面倒な事を押し付けないでくれ、とも思っている飛鳥なのである。

 そんな飛鳥の内心を察したかのように、華香は飛鳥の不安を払拭する。

「その必要はないと思うわ。このあいだの新年会に飛鳥の上司の野原大佐が来てくれたから、艦本には伝わっていると思うし。もし飛鳥がこの話を聞いてないのだとしたら、艦本は本気で『舞姫』の事を考えてくれているんじゃない? でなければ笑い話としてみんなに話しているはずよ。それにどうせ子爵達が圧力かなんかかけると思うから。それまで飛鳥は知らぬ存ぜぬでいいんじゃないかな」

「それはそれでなんか悔しいな。知らんぷりを決め込んでおいて、話が出た時点で全く関係ない奴と同じ体でいるというのも」

「案外細かい事を気にするんだね。話が出た時点で『俺は知ってたぞ』って言えばいいじゃない。私達の関係を知っていれば、先に『舞姫』の情報を持っていたって不思議じゃないでしょ?」

 飛鳥の思わぬ一面に軽く驚く華香。彼とは長い付き合いになるが、細かい事には動じず、いつも大きく構えている、華香にとっては『永遠の頼れるお兄ちゃん』だったから、できる事なら弱気なところなんて見たくはなかったのだ。

「軍隊という組織も上に行けば行く程足の引っ張り合いが激しくなるものでね。俺自身何とも思ってなかった相手から誹謗中傷される事もある……これだけは華香に言いたくなかったんだが、俺の出世が速いのは、柊侯爵家の令嬢と婚約したからだ、と本気で思っている奴もいるくらいだからな。決して異常に速いって訳でもないのに」

「何それっ!? 考え違いも甚だしいわっ! そういった連中は飛鳥が頑張っているのを見た事ないのね。もちろん陰の努力は私達くらいしか知らないだろうけど、ハンモックナンバーを確認すれば飛鳥が普通に頑張っていた事ぐらい簡単に分かるのにっ!」

 華香は見た事もない飛鳥を中傷した相手に怒っていた。テーブルを叩く勢いで立ち上がるくらいに。もし飛鳥の小さい頃から積み重ねてきた努力を知らなかったらここまで怒る事はなかっただろう。「使えるオプションを最大限使って何が悪い」と言って慰めていた可能性もあったかも知れない。でも人一倍努力してきた姿を見てきたから、それを知りもせずに否定する輩の事が許せなかったのだ。

 飛鳥はそんなに華香の事が愛おしくなったが、宥めないといけないのも確かだ。テーブルを強く叩きすぎたせいでワイングラスは倒れ、メイン1つ前の魚料理が皿から飛び出していた。馴染みの店でなければ追い出されていたかも知れない。

「まあなに、そんなのは単なるやっかみだから落ち着きなよ。柊家そして華香に世話になりっぱなしなのは事実だし、その上華香が美人なものだから、連中としたら俺に鉾先を向けるくらいしか鬱憤の晴らしどころがなかったんだろ。だから俺は役得税としてそれを受け入れている。だから華香も落ち着いて。でないと今後この店を利用できなくなるかも知れないし、第一既に一品損している。この魚料理結構美味かったぞ」

 軽く微笑みながら自分の皿の上にある魚を一口切り分け、そっと華香の前に差し出す飛鳥。その自然な動作と言葉に怒りが和らいだ華香は椅子に座り直し、差し出された魚を口にした。その魚自体は白身故に淡泊だったが、香草を用いたソースにより上手く魚自体の味も引き出されていた。これが普通の料理人だったら香草の味だけで食べさせられるところだが、この店のシェフは和食の板長のように素材そのものの味を引き出すのに長けていた。デートの度にこの店に寄ってしまうのはそのためである。

 華香がそれを美味しそうに食べているのを見ると、飛鳥は給仕(ギャルソン)を呼んでテーブルの上を綺麗にしてくれるよう頼んだ。給仕としてもすぐ駆けつけたかったのだが、何せこのテーブルの客は常連中の常連。しかも1人は海軍将校、もう1人は財閥の令嬢である。その痴話喧嘩の中に飛び込み程、給仕だって野暮でも恐れ知らずでもない。厨房と客室の間で興味半分恐怖半分で成り行きを見守っていたのだ。がその客から呼び出されたのである。正々堂々落ち着きを払って2人の元へ向かう。そしてテーブルの惨状を見るなり他の席に移る事を勧める。流石に服までは汚れてないようだが、テーブルの上はワインやらソースが飛び散り、床にまで滴ってきていたからだ。

 飛鳥は給仕の厚意をありがたく受け入れた。とは言っても完全な厚意ではない。店側としても2人が別のテーブルに移ってくれた方が片付けやすいのだ。この店にしては珍しく他の客がいなかった。客がいなくて助かった、と思ったのは初めてである。これは給仕だけでなくシェフや店主まで含めた共通見解であった。

 清掃代とは別に給仕にチップを渡しながら新しいテーブルに移る2人。華香は久しぶりに飛鳥に会えたというのに「やっちゃったなあ」と思いながら椅子に座ったが、飛鳥は別段気にした様子もなく、明らかに落ち込んでいる華香に向かって提案する。

「次は肉料理だから先に赤ワインを出してもらおうか。それもいつもよりちょっと高いやつをボトルで」

「ちょっと大丈夫なの? ここは良心的なお店だけど、いつもより良いお酒をボトルで頼んだりしたら、思ったより高く付くかも知れないわよ」

 自分を元気づけようと奮発しているのが分かった華香は飛鳥にそっと囁いた。

 確かにこの店は味の割には良心的な値段設定である。故に人気があり繁盛しているのだけど。その店が料理に比して酒だけお高いなんて事はなく、非常にリーズナブルで美味しい酒を提供していた。

 そんなお店だからこそ2人も肩肘張らずに料理に合ったワインを出してもらっている。と言っても食前酒と魚・肉料理の時にグラスワインを一杯ずつであり、いつもほぼ同じコース料理を頼むため、出てくるワインもほとんど変わらないのである。特に赤は。野菜や魚は旬があるため、季節により出てくる料理も変わり、結果供される(白)ワインも変わってくる。が肉料理は通年同じようなものなので、赤ワインも変化しないのだ。2人共ワインにそれ程明るくないと分かっているので、基本的にはソムリエにお任せ状態。ソムリエにしてみれば見当違いの注文をされないだけ気が楽だが、何の希望も出されないというのも淋しい。2人はそういうお客だった。

「心配するなよ。こう見えても俺は中佐サマだし、日頃遊んでないから貯金だって少しはある。余程の銘品を出されない限りは華香の財布に頼る事はないだろうさ」

「そこまで言うなら止めないけど…ボトルで頼んで大丈夫? 飛鳥それ程お酒強くなかったよねえ」

「なあに、1杯多く呑むくらいなら問題ないだろ。余ったら残せばいい。確かそういうものを料理に使ったりするんだろ? フランス料理では」

 中途半端な知識を披露した飛鳥はソムリエを呼び、テキパキと少し高めのワインに変更してもらう。ソムリエは今日の肉料理に合いそうな赤ワインの中から2ランク程お高めのものを提示して、飛鳥がそれを了承すると、踵を返してワイン蔵へと向かった。その途中邪推をしながら。あの酒がそんなに強くない将校が高いワインをボトルで頼むなんて…これは酒の勢いを借りて勝負に出るに違いないと。ソムリエは階段を降りている間、自然と顔がにやついていた。

 だがソムリエの深読みは間違っていた。飛鳥は店に対する迷惑料と少しでも美味しいワインで華香を元気づける意味でワインを変更しただけだった。ソムリエが考えていたような事なら慌てる必要もないし、酒に頼る必要もなかった。ので料理やワインが来る前に『舞姫』型の話を改めて始めたのである。

「しかし本当に大丈夫なのかい? そんなに大きな船を作ってしまって。確かに空母に改造する事を前提とした優秀商船に助成金を出す事はほぼ決定しているけど、そこまで大きな船となると建造費だってバカにならないから、最悪対象外として助成金を一切出さないかも知れないぞ」

「心配ご無用~♪ 対象外ならずーっと客船として運用すればいいだけだし、徴用するとしてもその総トン数から買い上げてしまった方が安上がりと感じるはずよ。それに佐倉子爵からの提案なんだから、上手く話をつけてくれるだろうしね」

 飛鳥の心配をよそに華香は明るく答える。2つの意味で心配してくれているみたいだから、倍明るく振舞おうとした結果がこのような形で現れたのだ。その様子が無理をしているようにも見えたから、飛鳥はますます心配をしてしまう。

「とはいえ完全自腹じゃきついだろう。客船として運航してもペイするまでにどれくらいの期間がかかる事か」

「『舞姫』だけじゃ難しいけど、普通に標準船の量産もするから、経営的には問題なさそうなの。それに今年から軍艦も作るしね。もっとも正式には軍艦とは言えないのか。小型の駆逐艦と水雷艇だと。でもこれは完全に海軍発注だから、確実にお金は入ると思うし」

 華香は今後の経営について楽観的な考えを口にする。標準船の大量の受注があるから大丈夫だと。それに海軍には倒産なんてないだろうから、踏み倒される事もないだろうと安心しきっていたのだ。

 が海軍内部の人間から言えば、その考えは全然甘い。急な仕様変更による過大性能要求や納期の遵守、当初予算からの増額ナシなど無理難題を民間に押し付けてきた実状を目の当たりにしてきた飛鳥にしてみれば華香の見通しは甘く、柊造船がその餌食にならぬよう案じ、今まで苦しめられてきた企業に対し、申し訳なさで一杯になった。

 あまり表情には出さないつもりだったが漏れ出していたのだろう。飛鳥は反対に華香から慰められてしまう。

「大丈夫だよ、ウチの会社は。私が頼りなくたって周りがみんなしっかりしてるし、後ろ盾の事を考えればヘンな事はできないでしょ。特にウチが『あけぼの』の一員だと知っていればね」

 元々華香は静かに語りだしたのだが、最後の一文は飛鳥にも聞こえるかどうかの囁きだった。そのため華香は少し身を乗りだし、飛鳥だけに聞こえるようにする。おかげで給仕やソムリエは動きを止めるしかなかった。気軽にフレンチを楽しんでもらおうとあまりお客様に品格は求めてないが、暴力やあまり破廉恥なのは困る。しかしその客は常連中の常連で、身分的にも上の方である。それにラブシーンという程でもないので、止めに入るような真似はせず、落ち着くまでちょっと見守っただけだった。

 華香の最後の一言に「あまりそれは公言するな」と飛鳥は静かに、しかし厳しく窘めながら人差し指で華香の額をつついた。その突きで華香が椅子に座りなおしたのを確認すると、給仕とソムリエは揃って2人のテーブルに肉料理とワインを運んできた。そのタイミングの良さに飛鳥は様々な事を想像したが、それもすぐやめた。目の前で華香が美味しそうにマリネードされたフィレステーキを食べていたからだ。だから食事の間だけでも楽しもうと思ったのである。仕事の話ならともかく、下司の勘繰りや諜報員の暗躍などを気にするのは華香には似合わなかったから。

 華香が勧めるので飛鳥も肉にナイフを入れる。すると普通のステーキに比べ抵抗なく刃が入る。それを口に入れるとこれまた顎の筋肉をほとんど使わず肉がほぐれてソースと一体化した。これが一部の客から「飲む肉」とまで称される、この店自慢のマリネステーキであった。

 2人はそのマリネステーキを食べている間ほとんど会話しなかった。何度も食べているはずなのに全然飽きない。故に食べる事に集中してしまうのである。今のところこの店以外でマリネステーキを食べた事はない。別段レシピを秘伝としている訳でもないらしいのだが、不思議と他の店に広まる様子もない。近くの洋食屋の店主達は絶賛しながら作り方を尋ねてはいるが、一向に真似する気配はないとの事。このマリネステーキはこの店のものと認識しているからだろう。

 が数年後、全く別の店、それも一流ホテルのレストランで同様のメニューが開発され、それは全国的に知られるようになる。なんでも外国人のリクエストに応えて考案されたらしく(のでその人の名前が付けられたらしい)、この店とは関係ないらしいが、この店の店主は喜んでいた。美味しい(と自負している)料理を少しでも多くの人が味わえる事は料理人としては嬉しい事だったから。

 まあ実際にその料理が完成するのは数年後の事だし、華香達が他の店で見かけるのは更にその数年後となるのだから、今は語る必要のない別の話である。

 とりあえずマリネステーキを食べ終えデザートを待っている間に飛鳥は先程までの話を蒸し返した。

「客船の話は華香の会社の本来業務だからこれ以上は突っ込まないけど、戦標船の量産とか小型駆逐艦について教えて欲しいな。戦標船……今はまだ平時標準船か。それに関してはドックも拡張したみたいだからかなり大型の船も作れるのだろう? やはり『優秀船』のタンカー狙いなのかい?」

「それはそうよ。建造コストは高くつくけどバックも大きいからね。他の会社も必死になって高速タンカーを建造してるけど、もし戦争になったらいくらあっても足りないでしょう? だから先に作っておくの。戦争が起きない事が一番だけど、備えておけば憂いはないでしょ?」

 華香はさも当然とばかりに言い切ると、ワインの残りを呑み干した。すると丁度そのタイミングでデザート並びにコーヒーが運ばれてくる。この店の給仕は教育がなっているのか、サービスのタイミングが実に良い。高級店なら当然かも知れないが、気取らずに料理を楽しめるこのランクの店ではレベルが高い方と言えるだろう。華香は早速本日のデザートである温州みかんを使ったシャルロットにパクついた。

「飛鳥、このCharlotte(シャルロット) a l'orangeロランジュ美味しいよっ。早く食べて食べて」

「はいはい」

 華香に促されて飛鳥もシャルロットを口にした。実は飛鳥、酒だけでなく甘いものも苦手なのであった。全く口にできない訳ではないが、好んで口にする程でもない。そのため甘党辛党いずれからも「人生損してる」と言われていた。

 しかしこのケーキ(詳しくないのでこの手の菓子は皆ケーキと呼んでいる)は彼の口にも合った。甘すぎず丁寧に調理されたそれは、多分どんな辛党でも喜んで口にしたと思える。それくらい美味であった。

「確かに俺でも美味しいと思うよ。最初からこのケーキを出されたらもう一切れは食べられたと思うね。まあそれはさておき、タンカーだけを作るつもりなのかい? 高速輸送船だって南方から資源を持ってくるのに必要だと思うけど。何せこの国には戦争を行うのに必要な資源がほとんど存在しないのだから」

 飛鳥は暗に貨物船も作っておいた方がいいのでは? と勧めたのだ。戦争継続には石油は欠かせない。いや市民生活にだって重要だ。が同時に日本や極東地域で産出しない(あるいは少ない)資源を入手するのだって重要である。それらを少しでも安全に運びたいなら高速輸送船が必要となってくる。戦争となれば戦略物資を運ぶ輸送船が真っ先に狙われる。それは第一次世界大戦の戦訓からも明白だ。もちろん護衛艦艇の充実も大切だが、輸送船自身が身を守れる能力(この場合は速力である)を持つ事もまた必要だろう。そこで高速油槽船を量産しようとしている柊造船に高速貨物船の建造を期待するのは、海軍艦政本部に所属する飛鳥としては自然な事だった。それに対する華香の答えは飛鳥の斜め上を行くものだったのである。

「その辺も考えているわ。ウチで作るTL及びTM級油槽船の半分程度は一部のタンクを降ろして、そこを貨物室に充てようと考えているの。どちらかに絞った方が搭載量は多くなるけど、沈められたら本土まで運び込める量はゼロになってしまうでしょ? でも運ぶ資源を分散して積んでおけば、もし輸送船の内半数が沈められても半分の資源は持って帰れるわ。非情な考えかも知れないけど、日本全体の事を考えればプラスよね」

 華香は残ったワインを自分のグラスに注ぎながら言い切った。別にシャルロットと合わせるために注いだのではない。単にもったいないから呑んでしまおうと思っただけだ。微妙なところで貧乏性な華香である。その延長線上なのだろうか。少量でも確実に資源を持って帰れるよう、船を規格通りに作らない決定をする。理には適っているが、中々お上が決めた事に逆らえない経営者が多い中、華香の豪胆さには驚かされる飛鳥であった。

「相変わらず発想力がすごいなあ、華香は」

「? そうでもないでしょ? むしろ許可をもらいに行ったら嫌な顔されたもの。あまり柊造船にだけ特例を認めたくないってね。別にウチにだけ作らせろだなんて頼みに行った訳ではないのに」

 華香はシャルロットの最後の一切れを放り込んで、ついでに思い出した怒りを一緒に呑み込む。そしてみかんの香りを楽しみつつ、もう一切れ注文した。お腹の方は充分満足していたのだが、飛鳥がまだ半分くらいしか食べてなかったのと、笑顔でこの店から出ていくにはもう少しシャルロット分を補給すべきと思ったからだ。その要望に給仕は素早く応える。今日は人の入りが少なくて良かった。普段と同じくらいお客がいたら、とてもおかわりになんて応えられなかっただろう。その偶然には感謝して欲しい。などと思ってしまう給仕であった。

「まあ逓信省にしろ海軍省にしろ、余計な金は出したくないだろうからね」

 海軍を代表して言い訳をする飛鳥。彼には小指の先程も責任はないのだが、こういう時って何故か自分の属する組織の擁護をしてしまう。人間の謎行動の1つである。

「飛鳥も大変だね。自分に関係ない部署の言い訳までするなんて。もっとも私も同じか。ウチの会社の事を言われたら、多分言い訳とか弁解してしまうだろうし」

 華香はそう言うと先程注いだワインを口にした。ワインとシャルロットとは合わないだろうから、おかわりがくる前に少しでも減らしておこうと思ったのだ。既に許容量を超えていた飛鳥にしたら、考えられない所業である。

「で、次は水雷艇とかの話だっけ? これは飛鳥達のチームが設計したヤツじゃなかったかしら」

 戦標船の話を打ち切りたかった華香は、新規事業の1つである小型艦艇建造の話に持ち込んだ。これは飛鳥が聞きたかっただけでなく、その設計に飛鳥も絡んでいるため興味を惹けると思ったからである。そして案の定飛鳥は喰らいついてきた。水雷艇の設計には自分も関わっているので、その初期生産分建造に柊造船が選ばれた事を、社員以上に喜んでいたのであった。

「そうさ、俺も兵装関係を設計させてもらった。だから我が子のように可愛くてね。それを華香のところで建造してもらえるなんて、もはや俺達の子供と言っても過言じゃないだろう」

「流石に過言よ。私は鋼鉄の船は作っても、鋼鉄の赤ちゃんを産むつもりはないわよ。それにそんな事言っていると、お父様から『早く結婚しろー』って言われるわよ。あの人その手の冗談は通じないから」

 改めて言っておくが、2人は両家が認めた婚約者である。なのでいつ結婚しても問題はないし、万が一の事があっても結婚式が早くなるだけである。むしろ家族の中には「早く結婚しろ」と言ってくる者もいる(そして「孫の顔が見たい」とも)。だが2人が2人共「今は仕事に集中したい」と言って、後回しにしているのだった。

 もっともその言い訳? は華香なら通用するが、飛鳥が言っても通用しないはずである。反対に「嫁さんもらった方が仕事に集中できるだろ」と言われかねない事案であるから。なのにそれがまかり通ってしまうのは、両家の明らかな格の違いのためだった。小鳥遊家だって士族ではあるのだが、柊家は華族、それも侯爵位を持つ家柄のため、おいそれと逆らう事なんてできなかったのである。

 ではなんでこの2人が婚約に至ったかと言うと、たまたま実家がご近所であり、柊家が身分なんて気にせずに人柄だけ見て接する事ができる人達の集まりだったからである。そのためいわゆる「住所不定無職」なんて知り合いもいるくらいだ。

 しかしそれだけでは婚約になんて至らない。他の華族やら士族ならば政略結婚もごく当たり前だったが、この柊家、少なくとも明治の世に入ってからはそういうものとは無縁だった。ので基本的には恋愛結婚。もちろんどうしても断れないお見合いもあったが、最終的には最終的にはお互い好き合ってしまうので、恋愛結婚と何ら変わりはないのであるが。

 ではこの2人はと言うと、華香が小学校に入るか入らないかの頃、公園の木から降りられなくなっているところを飛鳥が助けた事がきっかけだろうか。

 同級生男子にからかわれ木に登ってはみたものの、降りる事ができなくなってしまった華香。既に男子達はいなくなっており、助けを求める事ができなくなっていた。そこに通りかかったのが当時小学校高学年だった飛鳥である。もうずーっとここから動けないのかと半ベソ状態だった華香に優しく声をかけ、華香が怖がらないようしっかり抱えて地上まで降ろしたのだ。以来飛鳥の事を「優しいお兄ちゃん」と慕い、それがいつしか恋心へと変わり、今に至るという訳である。

 ちなみに華香がしがみついていた枝の高さは約2m。もう少し大きかったらケガを覚悟で飛び降りられるくらいであった。また華香を置き去りにした男子達にお咎めはなかった。子供ながらもプライドが許さなかったのか親にチクるような事はせず、また柊家の方針からしてもその男子達を叱るような事はしなかったであろう。いくら挑発されたとは言え木に登ったのは自己責任。自分の子供の方が可愛いとは言え、責任を転嫁するのは筋違いだし、華香にもそういう人間に育って欲しかったから。

 閑話休題──

「そんな事より水雷艇の話でしょ。とりあえず16隻の建造を任されたわ。『(みぞれ)』型水雷艇は。それとまだ名前は決まってないみたいだけど、1000t級駆逐艦の試作を2隻。船団護衛用だと言っていたわ。一応魚雷は積んでいるけど『霙』型より発射管の数が少ないし。それに条約に引っかからないように『試験艦』扱いらしいわね」

「何だそれ。全然信用されてない感じじゃないか」

 華香の説明に飛鳥は軽く腹が立った。もちろん華香に対してではなく海軍に対してである。海軍から華香の会社の実力が認められていない感じを受けたからだ。柊造船は商船では大手に迫る建造数を誇る。海軍だって運送艦として直接徴用した船もあったはずだ。にも関わらず艦艇となったら雑用的な仕事を与えるなんて……飛鳥は自分が所属する海軍の事が少し情けなくなった。しかし華香は全く気にしてない様子で、

「仕方ないわよ、軍艦建造の実績が全くないのだから。でも見てなさい。すぐに大手や海軍工廠以上の艦を作ってみせるから。第一その実力があると思われたから佐倉子爵だってウチに空母改造前提の豪華客船を作らせようと考えたんでしょ」

 と言い切ってみせ、いつの間にか運ばれていたシャルロットを一口食べる。その子供のような笑顔でケーキを食べる華香と、冷静と情熱を兼ね備えた経営者華香。そのどちらが本当の彼女なのか、時々本気で分からなくなる飛鳥だったがいずれにせよ魅力的である事には変わりない。こんな時がいつまでも続けばいいのに。そう本気で思う飛鳥であった。

 貸し切り状態なのをいい事に、しばらく『霙』型水雷艇や『舞姫』型について語り合った華香達。とても若い2人がデートの真っ最中に話す内容ではないが、非常に盛り上がっていたために誰もツッコむ事ができなかった。が無生物には関係ないようで、古い柱時計が8時を回った事を教えてくれた。

「少し長居し過ぎちゃったね。時間大丈夫?」

「それはこっちのセリフだよ。まだ一旦木更津に行ってからでも最終列車には間に合うかな」

「無理しない方がいいって。私だって子供じゃないんだから1人でも帰れるから」

「子供じゃないからこそ危険な事もある。それにいつもより30分遅くなっただけだし、ダイヤが乱れてないなら、いつもの列車に乗る事ができる。ただ向こうの駅で話す時間がなくなっただけさ」

 お互いに相手を気遣って時間を消費してしまっている華香達。その事に先に気付いたのは飛鳥だった。

「これ以上言い争っていたら本当に列車がなくなりそうだ。とりあえず店を出て駅に向かおう」

 木更津発横須賀行きの最終列車に乗るには、内房線の千葉発8時半の快速に乗る必要がある。ここから千葉駅までは10分程度の距離だが、支払いやら何やらの時間を考えたのなら、今すぐ動き出す必要がある。ので飛鳥は上着などを手に取ると、華香に有無を言わせず立ち上がった。

「飛鳥、ちょっと待ってって」

 華香も慌てて荷物をまとめて飛鳥を追いかける。飛鳥は支払い(清掃代含め)を済ませながら華香の身支度を待っていた。

 2人が店を出る時、給仕だけでなく店主やシェフまでが見送ってくれた。2人が上客というのもあるが、それ以上に他の客がいなかったため暇だったのと、この2人、そこそこの年齢であり立場も身分もあるというのに、一向に恋愛の成長が見られないから、ついつい見守ってしまうのだ。変に奔放なのも考えものだが、美味い食事をし、美味い酒を呑んでいるにも関わらず、小難しい話しかしない子供の恋愛のようで、見ているこっちがやきもきしてしまうのだ。

「あの2人に『春』は来るんですかね」

 寒空の下、駅へと真っ直ぐ歩いていく2人を見送りながら、シェフがぼそっと呟いた。雪こそ降っていないが1月の夜は寒い。冬の代表的な星座オリオンは立地的に見えないが、乾いて澄み切った夜空には多くの星が瞬いていた。

「『冬来たりなば春遠からじ』。我々が心配せずとも大丈夫だろう。あれほど仲の良い若者達がハッピーエンドを迎えんでどうする。端から見ている者は見ているだけでいいのさ」

 ちょっと「上手い事言った」感を出しているシェフに対抗するように、店主は話をまとめようとする。いつまでも外にいたって寒くなるだけだし、わざわざ他人が恋愛事について口を出すのは野暮というものだから。まあ心の中ではやきもきしている1人なのだが。

「もう『お見送り』も充分だろう。そろそろ中に入って一杯やらんか? 今日はこれ以上店を開けていても客は来そうもないから、早じまいにしてな」

 店主の提案にシェフ達は思いの外食い付いた。確かに華香達の事は自分達が考えるものではないし、寒いのも間違いなかったから。華香達が角を曲がって姿が見えなくなるのとほぼ同時に、店主達3人も店の中へ入ったのだった。


次話へ続く──

このシリーズはスマホのテキストエディタでベースを書いているのですが、それが一番ハイペースで書ける事が分かりました。

一応素人ながら「物書き」ですのでまずは手書きでやりたいのですが、まさか一番縁遠いと思っていたスマホでの書き込みが一番速いなんて…

理由は想像つくのですがね。余分な文を書かない分速いのだと。手書きだと思った事をとりあえず書いてから、仕上げに余分な所を削るためにどうしても時間がかかってしまうのだとは。

でも手書きスタイルはやめられません。と同時に手書きは無理でもスマホならできる時間にスマホで書くというのもやめませんけど。

[柊華香の挑戦]シリーズはこれからもスマホで書いていきます。その分細部が至らないかも知れませんが、それはこの作品の味だと思ってご容赦いただきたいと思います。

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