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ヨアケマエ外伝・柊華香の挑戦  作者: うにシルフ
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第三章 華香、新年の挨拶をしてみる

 あれから4日、1月8日に柊造船は本格的な(=一般社員も交えた)仕事始めを迎えた。丁度月曜日だったため、今日から出社する社員達はまだ休みボケ正月ボケを引きずっており、欠伸をかみ殺しながら社屋に入ってくる者も多かった。

 しかし既に仕事を始めてしまっている華香や専務達は休日明けを感じさせない表情で、社長室からその様子を眺め下ろしていた。

「みんなびっくりするかなあ」

「それは驚く事でしょう。物事が勝手に進んでいるのですから。それも初夢にも出てこないような大事業が」

「専務の意地悪~っ」

 子供のように目を輝かせながら問う華香に、久保井征太郎専務はわざとあっさりと答える。それくらい「意地悪」な行動をとらなければやっていられなかったのだ。

 専務はこの4日間、『舞姫』型豪華客船建造のための調整作業に追われていた。鋼材のやり繰りや新規ドックの建設地視察&経費の見積もり、そして新たに雇用する工員の人数割り出しなど、彼の関わった事は多岐にわたる。もちろん細かな作業はそれぞれ専門の部署をまとめる部長クラスが行ったのだが、専務が最終確認をしてから社長である華香に提出していたので、ほとんど休みはないに等しかった。故にその鬱憤を華香にぶつけるくらいしかはけ口がなかったのだ。はけ口たる華香はたまったものではないが、それも社長の役目と割り切っていた。でなければ専務は等の昔に何らかの懲罰を受けていただろう。

「まあまあ、社員達に驚いてもらうのは新年の挨拶の時です。その挨拶の時に社長が愚図っていたら格好つきませんからね。今からシャキッとしていてください」

 第一秘書の奈良岡京介が間に割って入って華香を宥める。うっすらと涙が浮かんでいたので、それを華香用に持ち歩いているハンカチでそっと拭った。その動きは流れるように自然で、普段から(華香以外の女性にも)やりなれているのかな? と思わせる程だった。

「ありがと。ところで今何時?」

「今出社のピークですからね。8時を過ぎたばかりですよ。もっとも今日は新年の挨拶がありますから、すぐ仕事に取り掛かる者は少ないでしょうが」

 落ち着くために敢えて時刻を確認した華香。するとまだ外を眺めていた専務が時計も見ずに答えてくる。一般社員の出社光景など彼にとっては日常。アバウトながらも身に染みついており、時計など必要もなかった。ただし遅刻した者には厳しく、8時20分を過ぎて正門を通過した者を見てしまうと、思わず確認及び注意のためにエントランスまで降りていく事もある。華香などは「ちゃんと仕事してくれればいいじゃない」と思うのだが、業績は業績、規則は規則、と専務は考えているようだ。まあ経営者としては専務の考え方の方が正しい。急いで駆け込んできてすぐに質の高い仕事ができるとは思わないし、そもそも生活リズムが作れないから遅刻するのだろうから。まあどこの世界にも例外はあると思うが。

「社長も挨拶の内容はバッチリでしょうね?」

 専務は華香に念のため確認してきた。大雑把、もとい何事にもおおらかな華香ではあるが、仕事はちゃんとこなしている。が時折つまらないミスや手抜きをする事がない訳ではない。ので確認が必要なのだが、華香にとっては実に不愉快な事であった。

「大丈夫よ、今日は。1年のはじめなんだから、私がしっかりしてなければ、社員のみんなにケジメが付かないでしょ」

 そう言って数枚のタイプ打ちした文書を差し出した。専務が受け取り読んでみると、その内容は固すぎない華香らしい新年の挨拶が書かれていた。しかもところどころ手書きの修正までしてある。最後の最後まで推敲した証だ。それだけこの挨拶にかける華香の意気込みが伝わってくる。

「失礼しました。後はこの通りに読むだけですね」

 専務は軽く謝りながら文書を返す。それを「どんなもんだい」的な表情で受け取ると、他の重役達にも「見る?」といった顔でヒラヒラと振っている。篠野(ささの)逸郎設計部長達重役連は「専務が認めたのなら自分達が確認するまでもない」とばかりに、それを丁重にお断りした。すると華香は少しつまらない、もしくは淋しそうな表情を浮かべる。

「…まあいいけど…それより睦子、OHP投影機の準備はどう?」

「あっ、はいっ。本社会議室と君津と富津の両ドック内にある倉庫に設置済みです。後は担当者が間違えなければ、社長の演説はより良いものになりますよ」

 睦子こと第二秘書の桜庭睦子が指示していた投影機の準備が万端であると笑顔で返してくる。投影機からは篠野部長が描いた『舞姫』の姿が映し出される予定だ。華香の言葉を聞くために集まってくれている社員達に見てもらうために用意したのだが、全員という訳にはいかないのが悲しいところだ。まあ近々大きなポスターにして貼り出す予定なので、今日見る事ができなかった者達にはそちらで我慢してもらう事にしよう。と思うしかなかった華香であった。

「それじゃあ私は新年の挨拶を失敗しないよう練習にいくから、みんなも担当の場所で待機してねぇ」

 そう言うと華香は執務室から出ていった。練習のために放送室にこもるのだろう。となると他の者達もぼ~っとしている意味はなく、言われた通りに各持ち場へと移動を始めるのであった。


「……あ~、テステスっ、…それでは柊社長による新年の挨拶を始めたいと思います。従業員の皆様は各自この放送が聞こえる場所に集合してください」

 9時5分前、睦子が放送室から全社に向けて呼びかける。この本社ビルと君津・富津両ドックに生配信を行うのだ。対馬ドックに関してはまだ完成してないため、テレタイプで文面を送り、各自で読んでもらう事にしたらしい。外注した建設要員は数多いが、柊造船の社員は10人程度のドック長候補や現場責任者くらいしか常駐していなかったから。

 従業員達もこの恒例行事の事は充分心得ていて、社長挨拶が終わらないと仕事が始められないので、普段なら始業している時間でも正月何があったかの報告会を行いながら、挨拶が始まるのを待っていた。これもまた恒例行事である。

「…みんな集まってくれてるかな? それでは新年の挨拶を始めます」

 9時きっかりに華香の挨拶は始まった。

「今年は柊造船にとって大きな飛躍の年になります。今まで行ってこなかった駆逐艦の建造や新たに対馬ドックの立ち上げ、また朝鮮半島に自治政府との合弁会社を設立するなど新規プロジェクトは山積しており、それらの成功はひとえに皆さんの努力にかかっております」

 出だしは順調だった。穏やかながらも熱意のこもった華香の言葉に、聞いていた社員達は程度の差こそあれ若い(そしてカワイイ)社長を盛り立てていこうと奮い立っていた。

「とここまではみんな知ってるよね。既に公表されているし、着工もされているから。でももう1つ、この間決まったばかりの新たな計画を発表したいと思います」

 この言葉にはざわめきが走った。急に少しくだけた口調になったのもその要因の1つではあるが、それ以上に新しいプロジェクトがいつの間にかに始まっていた事を聞かされ、それが一体どのようなものなのか気になって仕方なくなったからだ。この華香は時折突拍子もない事を言い出して皆を驚かされるが、それがどれくらい破天荒なものか早く聞きたかったのだ。

 華香はちょっと言葉をためて初めて聞く社員達の期待感を高める。下手をすれば自分のハードルを高めるだけに終わる可能性もあるが、専務達程会社の運営には責任のない一般の社員達なら祭りのように盛り上がってくれるはず。そう考え華香は煽るような誘導をしたのだ。社員一丸となって盛り上がってくれなければ、あんな大事業は成功させられないから。

 華香は少し声をひそめて話し出す。マイクやスピーカを通すのだから効果は小さいと思うのだが、社員達もノリがいいのか、耳をそばだてスピーカの方に身を乗り出して華香の言葉を聞こうとしていた。

「……あのね、超大型の豪華客船を作る事が決まったの。それも2隻。名前は『舞姫』と『乙姫』。だから『舞姫』型と言うのだけどね」

「………」

 華香の発表に社員達の反応は思いの外小さかった。と言うより何が言いたいのかよく分らなかったのだろう。もちろん『舞姫』型という豪華客船を作る事が決まったという事は皆理解している。がそれがどのような船なのかピンと来ずに戸惑っているのだ。社員達とは別室で話しているため、華香に社員達の反応を知る術はないのだが、なんとなしに反応が薄い事を察した華香は、今度は声を張りあげ具体的な数値を述べてみた。

「全長300m、全幅40m、総トン数9万t超で排水量なら7~8万t。乗客1000人超でイギリスの『クイーン・メリー』並に凄いヤツを作って、アジア=ヨーロッパ航路を開設。ヨーロッパ人にアジアの、そして日本の底力を見せつけてやるためにこの船を作りたいのよっ!」

「おおおっ!」

 流石にサイズ等の具体的な数値、そして華香の意気込みを聞いた社員達はようやく事態が飲み込め、そこで初めて盛り上がれたのだ。

 全長300mと言ったら戦艦や空母より大きい。まして排水量8万tと言ったら戦艦2隻分の重さである。そんなバケモノを通り越して夢物語のような船を自分達で作るのか……そんな話を聞いたら盛り上がらずにはいられない、柊造船はそういう企業風土であった。

 しかしごく少数ながら冷静な者も中にはいて、そんな大きな船を建造できるドックなんてウチの会社にはどこにもない、一体どこで作る気なんだ? などという声がどよめきにかき消されずに聞こえてくる。もちろんその反応は織り込み済みなので、華香は続けてその話をする。

「更に『舞姫』型用に超大型ドックも作ります。候補地は君津ドックの隣あたり。可及的速やかに調査を行い建造開始。年内の稼働を目指すつもりです。そのための費用や人員の数は算出済みなので、後は実行あるのみよっ」

 ここまで聞いたらどれだけ消極的な者だって、やってみようじゃないか、という気持ちになるというもの。実際できるかどうかは分からないが、どうせだったらやって後悔した方がいい。社長があれだけ熱弁しているのだから、それに乗っかるのも悪くない。これは一番冷静な社員が思った事である。一般的な社員は自分も『舞姫』建造に携われるのか気になって地に足がつかない者もいるようだった。本来はこの1年、気を引き締めて仕事ができるように社長の言葉を聞くのが新年の挨拶なのだろうが、この柊造船を他の企業と同じように考えてはいけない。社長が先頭切って祭りを大きく盛り上げてしまうのだから。

「という訳で、今年1年もお仕事頑張っていきましょうね」

「おうっ!」

 華香が目の前にいる訳でもないのに盛り上がって勢いで拳を突き上げる社員達。これは生中継のあったどの場所でも見られた光景らしい。本社会議室でそれを目の当たりにした専務は頭痛を覚えたらしいが、それくらい華香が社員からも愛されている事が分かる場面だ。その事は素直に嬉しい、ありがたいと思う専務であった。

 いくら仕事ができても社員から好かれていなければ会社としてのまとまりを欠くし、いつ裏切られても仕方ない。そうなればいくら財閥の後ろ盾がある企業と言えども簡単に潰れてしまうだろう。

 反対に愛されていても仕事ができなければ単なるマスコット、お飾りに過ぎず、下手をすれば部下の傀儡、更には他社に乗っ取られる可能性だってある。

 その点華香は両者を兼ね備えていた。お目付け役の専務としては安心できるポイントだが、時折悪ふざけが過ぎる所が玉に瑕。それさえ改善されれば完璧な理想の上司なのだろうが、それもまた華香の魅力なのだろう。ならば諫め役としての自分ももっとしっかりしなければ、と思う専務なのであった……などという感慨に浸っていると、まだざわついている空間を切り裂くように明るい声で睦子がアナウンスをした。

「続きまして社外取締役である大曽根様よりご挨拶をいただきたいと思います…」

「諸君、明けましておめでとう。今年もよろしく仕事に励んでもらいたい…しかし先程の社長の発表には驚かされたな。私も諸君達同様初めて聞かされたのだが、中々に壮大な計画だな………」

 流石に社外取締役の挨拶は皆畏まって静かに聞いているようだ。その辺は弁えているのだな、と専務は一瞬ホッとしかけたが、社外取締役にも秘密のプロジェクトだったのか…そう考えると随分冒険してしまったのだなと、改めて実感した専務なのであった。

 一方華香は大曽根からの皮肉混じりの挨拶に誤魔化し笑いを浮かべて乗り切っていたようだ。後で睦子に聞いたら彼女も胃が痛くなるくらいハラハラしていたとの事。やはり華香には根回しとか事前相談する事を覚えて欲しい。専務の新たな決意である。

 もう1人の来賓(海軍艦政本部所属大佐)挨拶が済むとOHP投影機から『舞姫』の完成図が映し出された。線画で比較対象物もろくに描かれていなかったが、それでも会場に再びどよめきが走る。ただ大きなだけでなく美しさも兼ね備えた『舞姫』。その姿は投影された絵でも人々の感動を誘ったのだろう。本社屋に隣接する君津ドックの片隅にいた篠野設計部長はドヤ顔で画像を見つめている社員(工員)達の様子を見ていた。

「この図面は完成予想図と共に各所に貼り出す予定ですので、その時ゆっくりとご覧下さい……それでは新年の挨拶を終わりにしたいと思います。皆様各部署ごとの打ち合わせが終わりましたら早速ではございますが、新年初仕事に取り掛かっていただきたいと思います。それでは解散してください」

 睦子の締めの言葉で今年の『新年の挨拶』は終わった。すると社員達はそれぞれの部署に向かって歩き出す。今年から始まる新事業、特に『舞姫』型豪華客船の話をしながら。

「では私もお仕事を始めますか」

 華香はそう言うと放送室から飛び出した。社外取締役達に捕まる前に逃げたのだろう。大曽根が声をかけた時には既に角を曲がったのか、姿は見えなかった。

「すみません、あんな社長で」

 声をかけようとしたポーズのまま固まっていた大曽根に、睦子が代わりに謝る。どう好意的に見ようと思っても、明らかに逃げ出したようにしか見えなかったから。社外取締役をないがしろにするなんて、普通の社長では考えられない。取締役会で吊るし上げられても何も言えない所業であった。そのため睦子も思わずビジネスマナーを忘れ、役職で呼んでしまったのだ。

 しかし大曽根は全く気にした様子もなく、笑いながら申し訳なさそうに頭を下げる睦子に言った。

「相変わらずだな、華香ちゃんは。元気があって何よりだ。彼女以外の者がやったら絶対に許さんところだが、彼女だと何故か許せてしまう。なんでなんだろうねえ」

「そう言ってもらえて幸いです」

 大人(たいじん)の風格を見せる大曽根に、睦子は感謝するしかなかった。それに比べてウチの社長は…後でとりあえず怒っておこうと思う睦子であった。

 もっとも大曽根にしてみれば懐の深さを見せた訳ではない。孫のように思っている華香が可愛くて甘やかしただけなのだ。家同士の付き合いで華香を小さい頃から知っている彼にとっては、華香が何をしても許せてしまうだけなのだが、それを他人が見れば度量の大きな人間と勝手に思ってしまうのである。彼にとっては都合がいい事この上なかった。

「華香ちゃんに逃げられてしまったから、代わりに久保井君(せんむ)と話して帰るか。彼なら逃げる事もないだろうし、実務的な内容を話すのなら彼の方が適任だろうしな」

 そう言うと大曽根は専務室の方に1人で歩き出してしまう。勝手知ったる柊造船本社屋だからこそできる芸当だが、来客を放っておいたとなったら睦子は怒られてしまう。ので慌てて大曽根を追いかけた。放送室の始末など放り出したままで。



次話へ続く──


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