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第47話

 目を開けると、私は懐かしい部屋にいた。アシュベリー公爵家の私室だ。だが、ぽたりと零れ落ちた涙を隠すのに精一杯で、懐かしさに浸る余裕もない。


「レイラは泣き虫だね」


 リーンハルトさんは私の涙を隠すようにそっと抱きしめてくれた。何も言わず、ただ髪を梳いてくれるその心地よさに少しずつ気分が落ち着いていく。


 そうだ、今は、感傷に浸る時間ではないのだ。まだ、やるべきことがあるのだから。


「っ……ごめんなさい、リーンハルトさん。もう、大丈夫です」


 何とか涙を拭ってリーンハルトさんを見上げると、彼は慈しむような笑みを私に向けた。そのまま何を思ったのか、リーンハルトさんは私の目尻に口付ける。


「謝らなくていいんだよ、レイラ」


 こんな状況だというのに、僅かに頬に熱が帯びる。おかげで少しだけ気分が紛れたが、この先一生リーンハルトさんに振り回される未来が垣間見えた気がして、何も言えなくなってしまう。


「さて、とりあえずレイラの実家に来てみたけど、どうしようか? 妹さんの助言によれば、母君に会わないようにしないといけないんだっけ」


「……そうですわね」


 改めて私室を見渡してみると、私が出て行ったときと何ら変わらぬ様子だった。埃が積もっている様子もないので、きっとメイドのジェシカたちが綺麗に保ってくれているのだろう。帰ってくるかもわからない私のために、今もこの部屋を守っていてくれているのだと知って、ちくりと胸が痛んだ。


 部屋に置かれたアンティーク調の置時計は、午前零時を指していた。この時間であれば、お母様はもう寝室に行かれているはずなので、余程騒ぎを大きくしなければ鉢合わせることは無いだろう。


「まずは、お父様宛ての手紙を書こうかと思います。一連の事件の真相を、全てお伝えしなければなりませんから」


 私は月明かりに照らされた読書用の机に向かい、引き出しから便箋と羽ペン一式を取り出した。リーンハルトさんは私の背後に立つようにして、その様子を見守ってくれている。


「明かりをつけようか?」


「いえ、月の光で充分ですわ。それに、明かりをつけたら誰かに気づかれてしまうかもしれませんもの」


「それもそうだね」


「少し長くなるかもしれませんから、リーンハルトさんはソファーでお休みになっていてくださいませ。お茶をお出しできなくて申し訳ない限りですが……」


「人に見られていると書きづらいだろうしね。それにしても、レイラの部屋だと思うと、何だか緊張するなあ……」


 その言葉通り、きょろきょろと辺りを見渡してはどこか落ち着かなそうなリーンハルトさんを見て、思わずくすくすと笑ってしまう。普段はリーンハルトさんの方がよっぽど大胆なのに、何だか可愛らしく思ってしまった。


「よろしければ、お好きに見てまわって頂いて構いませんのよ。面白いものがあるとは思えませんが……」


「いいの? じゃあ、そうさせてもらおうかな」


 その言葉を最後に私の傍から離れたリーンハルトさんの背中を見送って、私は改めて白紙の羊皮紙に向き合った。


 これが、最初で最後のお父様への手紙だ。感情は交えず、明確な事実をきちんと記すべきだろう。これを読んだ時のとお父様の気持ちを思うと胸の奥がちくりと痛んだが、そんな痛みを押し沈めて私は最初から最後までの事の顛末を書き始めた。




 

 そのまま30分ほどの時間をかけて、私はお父様への手紙を書き上げた。ローゼの犯した罪について記すときにはやはり手が震えたが、包み隠さずに全ての真相を何とか書き記した。


 これを読んで、お父様は信じてくださるだろうか。私よりもローゼを溺愛していたお父様だから、憤慨なさってまともに取り合ってくださらない可能性もある。どうにも不安だ。


 でも、信じてみようと決めたのだ。お父様もきっと、公爵家の当主として相応しい行動をとってくださるはずだ、と。


 公爵家の紋が記された封筒に手紙をしまい込み、私は椅子から立ち上がった。振り返れば、リーンハルトさんが本棚を物色していた。自分の部屋に好きな人がいるというのは、何とも不思議な感覚だ。


「お待たせいたしました。何か面白い本はありましたか?」


「いや……もっと詩集や小説なんかがあるだろうと思っていたのに、専門書ばかりだから驚いていたところだよ。道理でレイラが博識なわけだ」


「公爵家にいたころは、読みたい本を読む時間もありませんでしたから……」


 そのせいか、私は王国で流行している小説や詩には疎いのだ。文豪と呼ばれる作家の作品は読んでいたから教養には事欠かなかったけれど、流行の小説に花を咲かせるご令嬢たちとの会話の時には困ることも時折あった。


「そうか……。本当に、レイラのご両親は厳しい人たちなんだね」


「ええ……私には、ですが」


 どうしてもこの手の話題になると、意識しなくても少しだけ暗い声音になってしまう。これから決別しようというのに、心はなかなか思うように切り替えてくれない。


「レイラはこんなに愛らしくて聡明なのに、何がいけないんだろう?」


「ふふ、それはリーンハルトさんが私を好ましく思ってくださっているから、そのようなお考えになるのですわ。実際、ローゼの方が華やかで美しいですし、両親にとっては可愛げもあったのでしょう」


「そうかな……あくまで顔立ちだけを見れば、流石姉妹だなって思うくらいには似ていたと思うんだけど」


「私とローゼがですか?」


 それは、18年間生きて来て初めて言われた。私とローゼの顔立ちが似ているなんて、考えたことも無い。そのくらい、ローゼは大輪の薔薇のごとく華やかな美しさを誇っていたのだから。


「……髪と瞳の色でかなり印象は変わるよ」


 どこか気まずそうなリーンハルトさんを不思議に思ったが、恐らく私とアメリア姫のことを指しているのだと気づいてくすくすと笑ってしまった。


「ふふ、そうですか。リーンハルトさんがおっしゃるのなら間違いありませんわね」


 もっとも、血の繋がった姉妹なのだから似ていると言われても不思議なことは無い。ただ、美しさというものは顔立ちだけで決まるものではない気がしていた。ローゼの華やかな立ち振る舞いが、彼女を一層美しく見せていたことは確かだろう。そういう明るい性格も、両親には好まれていたのかもしれない。やはり、可愛げというものは大切だ。


「早速、父君のところへ行くの?」


 リーンハルトさんは私に向き直ると、私の頬にかかった髪を耳にかけてくれた。私はお父様への手紙を胸に抱えながら軽く目を伏せて決意を固める。


「……ええ」


 私は一度本棚に背を向けて、私室を見渡した。恐らく、この部屋を見るのもこれが最後だ。良い思い出は少ないけれど、18年間過ごした私室に心の中で別れを告げる。


「……父の書斎は同じ屋敷の中にありますので、私一人でも行けます。よろしければ、リーンハルトさんはこちらでお休みになって下さいな」


 私を助けに来てもらった挙句、既に二度転移魔法を実行してもらっているのだ。疲れていたら申し訳ない。リーンハルトさんの方を振り返りながら彼を気遣うつもりで言ったのだが、彼は私を安心させるように微笑んで首を横に振った。


「ありがとう、でも大丈夫だ。レイラに何かあったら困るからね」


「ふふ、ここは私の実家ですのよ。何があるとは思えませんが……ついて来てくださるというのなら、心強いです」


 リーンハルトさんは本当に心配性ですね、と言いかけてやめた。彼に心配ばかりかけているのは主に私なのだ。リーンハルトさんからすれば、どの口が言っているのだと思われるだろう。特に、リーンハルトさんにお会いするためとはいえ、自傷をした後では余計に言えない。


 今は、私が傷つくことで、心を痛める人がいるのだ。もう二度と、あんな真似はしないようにしよう。そう心に決めながら、リーンハルトさんの隣に立った。


「人目を忍ばねばなりませんから、ろくに屋敷のご紹介も出来ませんが、それでもよろしければ一緒に来てくださいますか?」


「もちろん。ああ、ここではレイラは公爵令嬢だったね。……では参りましょうか、レイラお嬢様?」


 リーンハルトさんは私に手を差し出しながら、悪戯っぽく笑った。それにつられるようにくすくすと笑いながら、リーンハルトさんの手に自分の手を重ねる。


「ふふ、リーンハルトさんのような魅力的な執事が傍にいては、何も手につかなくなってしまいそうですわね」


「それはまずいな。お嬢様を誑かしているようでは、使用人失格だね」


 取り留めもない冗談でさえも、愛おしい。これから18年間の因縁に決着をつけようというときなのに、こんな風に笑い合うこともできるのだから、心というものは不思議だ。そんなことを考えながら、私はリーンハルトさんの手の温もりにそっと身を寄せたのだった。

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