第二章 生乙女八雲のクラウディア
『第二章 生乙女八雲のクラウディア』
断じて脅したというわけではなかった。
他人に自分の正体が知られれば、乳魔法少女ではいられないというのが、乳魔法少女協会が定めた掟。
だから一般人である俺がシステリアの正体を世間に口外および流布したとあっては、花衣は街の市民を守る平和活動を続けられなくなることは明らかだった。
そのため俺はすぐに自分がクニークルスであるということを彼女に伝え、同じ正義の味方の一員であることを知ってもらった。
すると花衣は乳魔法少女の姿をしたままかちんこちんに固まってしまい、いつもの乱暴な口調の一つも呟くことがないまま、俺の提案に乗ったのだった。
そして同日、九時ちょうど。
俺たちは同じ紅緋高等学校の二年B組の教室にいた。
俺は窓際一番後ろという特等席に座りつつ、クラスのド真ん中に席を構える花衣の様子を眺めていた。
ショートホームルームのため先生がやって来るや否や、花衣は「ふわーあ」と大あくびをかまして見せ、早速担任教諭のひんしゅくを買う。
滅多に登校して来ないくせに自由気ままな態度では、先生としても堪まったものではないだろう。
先生が話を始めるとすぐに花衣も椅子に仰け反り、あわや後ろの席を覗き見るかのごとく胸を大きく反らす。
「かったりー」
人目も憚らずにそんなことを言うので、女性教諭は「ごほんっ」と咳をしてから生徒への連絡事項を述べた。
後ろからでもわかるほどにはちきれんばかりの胸によって制服のシャツを押し上げ、先生の顔どころか天井を仰ぎ見る花衣。
ぱっつんぱっつんになったYシャツからボタンがパチンッ、と弾けたかと思うと、それが教壇に立っている先生の額にクリーンヒットする。
「悪ぃわりぃ、悪気はねえんだ」
先生は不良少女に注意して反撃されるのも嫌だと考えたのか、一度自身の決して大きいとはいえない胸を注視したのち話を再開させるのだった。
終始そんな感じでだらけているので、たとえホームルーム後の休み時間となっても花衣に話し掛けようとする人間は一人もいなかった。
以前はおっぱいに目を惹かれた男子が話し掛けに行ったこともあったのだが、今朝の俺に対する態度同様素っ気ない返事ばかりしているうちに、やがてクラスメイトの男子たちも不良少女と関わらないようになってしまった。
花衣が何を思ってそのような態度を取っているのかは知らないが、学校に来ても愛想が無いんじゃ、いつか本当に誰からも相手にされなさそうに思えて、兄としては心配でならない。
「花衣、もう少し真面目に授業受けたらどうだ?」
ので、俺は午前中の四時間目の授業が終わった昼休み、花衣にそう忠告することにした。
「てめえはわたしのお母さんかよ」
ごもっとも。
俺は花衣の母親ではないし、一人の兄として心配していつつも、彼女から好かれてはいないのだった。
そんな花衣に向かって、俺はなおも続ける。
「花衣、そんなんだから友達の一人もできないんだろうが。お前は見た目だけなら十分可愛いんだから、みんなと普通に接してれば友達の一人や二人できるだろうに」
花衣は俺の言葉を受けて何かが癪に障ったらしく、大きなドスの利いた声で反発してきた。
「はあァ!? 余計なお世話だっつーの! 普通ふつーとさも自分が当たり前みたいな言い方をするがなァ、みんながお前みてえに要領良く生きられるわけじゃねえんだよ! わかったらわたしに話し掛けんな」
「花衣、実はお前の分のお弁当も持って来たんだ。花衣、あれからすぐに学校行っちまっただろ? だからパンとかも持って来てないはずだ。だから――」
チッ、と舌打ちした花衣のイライラが最高潮に達したみたいで、俺はクラスメイトたちが大勢いる教室の中央で怒鳴られてしまった。
「ああ……うるせえ、うるせえ、うるせえ! いつもいつもウゼェんだよ! いいか? 一つだけ言っておくぜ? お前はわたしの母親でもなければ兄貴でもねえ。ましてや家族ですらない! ただの同居人の分際で、同い年のわたしに偉そうな口を利くんじゃあない!」
「でも! 俺は花衣のことを想って……!」
「でもじゃない! いいか? ……喋るな。それ以上余計な無駄口を叩くな。話し掛けんな、口を開くな、わたしに構うな! わかったらお前はわたしを放って、友達同士で仲良しこよしでもしてろ!」
「おいっ、花衣!」
花衣はいっとき教室中を騒然とさせたかと思うと、ずかずかとかかとを踏みつけた上履きを履いて、何も手に持たずにどこかへ行ってしまった。
「花衣……なんでだよ……」
俺はまたもや泣きそうになっていた。
俺はただ家族として普通に仲良くしたいだけなのに、どうしてそうも突っぱねようとするんだよ。
俺は潤んだ目元を押さえるも、クラスメイトから見られるのが嫌で、すぐさま妹と同じく教室を後にした。
花衣がお昼をどうするのかと思えば、購買でパンを買っている姿が認められた。
いつもだったら一人ぼっちのランチタイムも、今日ばかりは事情が違うかもしれない。
妹同様友達づくりが苦手な俺は、花衣を追い掛けて校舎裏庭へと向かった。
「ニャアオ」
するとそこには、物陰の誰からも見えないところで猫と戯れる花衣の姿が。
学校の敷地内に紛れ込んだ茶ぶちの猫に千切ったパンの欠片を与えては、今まで見たこともないくらいの笑顔を見せる。
「よーちよちよち、良い子でちゅねー」
先ほどの不良少女の言動を見ていたので動物に対する接し方とのギャップが激しく、俺は思わずどきっ……、としてしまうのであった。
あたかも見てはいけない花衣の一面を知ってしまった気がして目を逸らすべきなのか悩むものの、そういえばクニークルス状態でいた時も花衣もといシステリアはいつもあんな調子だった。
ドギツい言葉を兄に掛けたと思いきや、自身が大好きな動物に対しては甘えた赤ちゃん言葉で話す。
そのギャップがなんとも愛らしく想えて、俺は笑みを浮かべてしまっている自分に気づくのだった。
やがて猫との戯れを終え、校舎に入り、階段を上り始める我が妹。
屋上への扉を開けた花衣を追って俺もそのドアを開け放つと、朝から昼になっても続く春の陽気な風を身体で感じることができた。
そして俺たち以外誰もいない屋上にて、兄は地べたに寝っ転がる妹に声を掛けることにする。
お節介と言われればその通りだが、俺はなんとしてでも花衣と家族としてのコミュニケーションを取りたかったのだ。
「チッ、なに付いて来てんだよストーカー野郎。ウゼェから付いて来んなっつっただろ」
花衣は俺の姿を目で確認しては、青空を仰ぎながら買ったパンを頬張る。
「あの……さっき見たこと、ちゃんと話しておきたくて……」
俺はついつい遠慮がちに言葉を発ち、ともすれば花衣の機嫌をさらに損ねる結果を招いてしまった。
「うぜえ」
花衣としても今朝の一件はとても大きな出来事だったのか、自分の正体が知られたことを後悔しているみたいだった。
鍵を掛け忘れなければ、こんなことにはならなかったのに……といった表情を浮かべている。
「花衣があのシステリアだったとは俺も驚いた! この一年間街の平和を共に守ってきたパートナーが自分の妹だったなんて全然気づかなかった! あのさ、花衣……」
俺はこの出来事をきっかけにして、どうにか妹と仲良くできないものか相談しようとした。
けれども俺の言葉を遮るように、花衣が俺に一つの要求をする。
「確かにわたしも驚いた。でもだから何だっていうんだ。わたしの正体を世間様にバラされたくなかったら、俺の要求を聞けってか? 脅しなら通用しねえぜ? バラしたければ好きにすればいい」
「ちがっ、……俺はそんなことしない!」
「だったら何の話だ? あいにくわたしはひとりが好きでね、人と話すよりも空を眺めてたほうがよっぽど気分が良いんだ。それともお前がクニークルスだっていう証拠を見せてくれるのか? そういえばまだ話ばかりで、お前があの黒ウサギだっていう証拠は何一つない」
「……わかった。そう言うなら今ここで変身して見せよう」
俺は花衣の発った挑発に乗るようにして、その場で人間の状態からマスコットキャラクターへと変身して見せた。
光の粒子が舞い、実の妹の前で動物へと変身した俺は、目を丸くする花衣に言ってやった。
「どうだ? これで信じる気になっただろ?」
花衣の頬はどうしてか朱く染まっている。
しかしなぜだろう、好奇なものを見る視線をこちらに向けたまま、口だけはいつもの調子を取り戻していた。
「ふ……ふんっ、お……お前があのクニークルスだからどうだっていうんだ!」
そう言いつつも、花衣の手は俺の身体を抱き上げては黒い毛並みをしきりに撫で始めるのだった。
「か……花衣!?」
「くそう……間違いない。この手触りはクニークルスのものだ! どうしてあのクニークルスがわたしの兄貴なんだよ! 納得できるか!」
それが花衣の本音だったのだろう。
花衣は横になった状態から一度起き上がると、ウサギを撫でる手はそのまま、たくさんの文句を言っていた。
花衣の女の子らしい手に撫でられつつも、システリア以外にこうして優しく触られるのは、とても久し振りのことだと感じていた。
……まあ、今となっちゃ同一人物だと知ってしまっているわけだが。