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空色の海 ―11枚小説講座・参考作品―

作者: 美風慶伍

『海の上に出てはいけない。「空」と呼ばれるそこでは、我々には死が必ず訪れる』


 大海に住まう海人であるあたしには、この言葉は恐怖そのものだった。生まれた時から意識の奥底にすり込まれ続け、繰り返される「死」と言う言葉。

 現実味を強く帯びながら確実に存在していた。

 深いディープブルーの海から見上げる水面は、白い静寂に揺れながら、シルバーブルーの静寂に輝いていた。そして、そこが死出の旅立ちの場所なのだと、あたしは堅く信じ続けていた。

 十一才の夏、寒流が北へ去り、暖流とともにイルカたちが訪れる。そして今、あたしは成人の時を迎えた。

 それまでの、母や父に見守られながら岩礁だらけの村の中に閉じこめられた生活は終わりを告げる。

 明けて、自らの責任の下に自由な日々が許されるのだ。


 潮の流れは暖かく、生まれて初めての遠出はとても刺激的な体験だった。見た事のない生き物たち、見た事のない風景……それらは大人たちの庇護下にあっては絶対に感じる事のできないものだ。

 感謝しよう。この成人の日に。

 そして、自分の成長とこれからの日々に。


 しかしあたしは成人した事で、自由と引き替えにそれなりの仕事を言い付かった。それは日々の糧を得ることで、己れの技量に応じて貝や海藻から、海老・蟹・小魚など色々な食物を捕らえてくることだ。

 朝早くに村を出て周囲の海を糧を探して泳ぎ回る。だが荒い自然の中では、食物を採ることは簡単そうで決して容易ではない。任された仕事がこなせない日々が続いた。昨日も、今日も、そして、明日も……

 滅入って落ち込んだあたしに元気をくれたのは、世話好きな年上の海人の女性だった。


「ねぇ、違う場所に行ってみなよ」


 彼女はあたしの落ち込みを滑稽そうに笑いながらそう言ってくれた。経験浅く無知であるがゆえのあたしの困惑。それはそれなりに歳を経た人生の先輩からしてみれば、実に微笑ましい幼稚な問題だったに違いない。


「でも、あたしあまり遠いところには……」


 戸惑いと不安を言葉に表せば、


「そう言う弱気が獲物を逃がすんだよ」


 彼女はあたしをたしなめる。たしかにそうかもしれない。そして彼女はさらに言う。


「それと外海に出たら、海面から降りてくる『男』に気をつけな」


 あたしがその言い付けに「なぜ?」と問い返せば。


「年上の言う事はおとなしく聞きなよ」


 そう、すこし重い声で彼女は答え返した。

 不意にその彼女が振り替えるとき、長い髪が揺れて、その背中がかいま見える。その背中の肩の辺りには、まるで文字か模様のような火傷の痕がある。

 あたしがそれを見つけて見つめれば、彼女は足早に去っていく。あたしは胸の中にもやもやとした物を抱えたまま、彼女から聞いた外海へと飛び出して行った。


 岩礁を出ると暫らくの間は遠浅の海が広がり、それをさらに行くとより深さを増した大陸棚が待っている。

 そこでは遠浅の所とは食性がまるで違う。未熟なあたしでも採れるのはおのずと種類が限られてくる。

 小ぶりで動きの少ない2枚貝は種類がより減り、深いところにいる大きな1枚貝や壷貝、あるいは動きの鈍い海老・蟹の類いとかを狙わざるをえなくなる。

 あたしは苦心惨憺しつつも、また仕事に励んだ。振り出しに戻った自分に少し苦痛を感じていたが、それでも自分の力と技量が伸びることに喜びは隠せない。

 それに、外海は岩礁の内海とはまるで光景が違って見える。海流はより強く、魚たちの大きさも、群れの規模もそのスケールは比べようもない。


 頭上を、薄青い銀色の小魚の群れが通り過ぎ、一瞬あたしは彼らのために暗やみに包まれる。それらの小魚を狙って、中型の魚や、大きな泳ぎ蟹、さらには自らの力で泳ぎ回る大型の貝などがそこかしこに群れていた。

 海流の流れのためか、泳ぎ進むのに苦労するが、それでもそれだけの苦労と賭けをするに値するだろう。

 あたしは、喜び勇み、それらの獲物たちにその手を延ばしていく。はじめのうち、大半は容易には手にする事はできなかったが、それでもコツを掴んでくると狙った物の4つに1つは手にできるようになった。

 そしてその外海に留まる事が多くなった。その耳に聞かされた数々の戒めの記憶が遠くなりつつも……。

 あたしはその日も、外海へと泳ぎ出ていた。

 いつもより光が強く、小魚たちの群れも大きい。

 それらの小魚の群れの傍に、大きな泳ぎ蟹が漂っている。小魚の一つを捕らえて食事の最中だ。

 気が抜けている今なら楽に捕まえられる。

 頭上からの光に片目をしかめながらも、そっとあたしは手を伸ばす。


 すると、その右手の平に鋭い痛みが走った。

 傷みの方を見れば、鋭い銀色に輝くものが泳ぎ蟹ごとに、あたしの手を貫いている。

 その棒のようなものを握るのは一人の若い男。みた事もない褐色の肌に黒い髪、なによりもその筋肉が見事なまでに鍛えられている。


 彼は、海の中に漂いだすあたしの鮮血を見て、あわててその鋭いものを引抜くが、傷は思いのほか深い。

 とっさに、傷ついたあたしの手を取ると、自分の口の方へとあたしの手を引き寄せる。


「何をするの!」


 あたしは叫んだ。だが彼は、聞こえていない様に、その傷に唇をつけると傷口をそっと舐めてくれていた。

 瞬間、あたしの総身に軽い痺れが走る。

 ふっと、ゆっくりにあたしの意識が薄れていく。

 その時、彼があたしに困惑の視線を投げているのが微かに脳裏に感じられていた。


「おいっ、よくやったな」


 髭面の船長が俺に話しかけてくる。


「やめてください、そんなんじゃないですよ」

「なにいってる! 立派な海人の女じゃねぇか! さっさと『印し』を押しちまえ! そうすりゃそれで晴れて一人前の海狩人なんだ! 情けねぇホトケ心なんて捨てちまえ! 死んだ親父さんの跡も継げるんだぜ!」


 船長は馴々しく俺の肩をしっかり掴みながら俺にまくしたてる。どこか納得のいかない俺は、彼女はこのまま海に帰す、と言うとしたが。


「間違ったって、逃がそうなんて思うな。それにもう、焼印の準備も出来ちまってるんだからな!」


 その海人の彼女は俺の足元で気を失って床に横たわっていた。俺の銛の痺れ薬のせいだ。


「でも……」


 その言葉を吐いた俺は、拳で思い切り殴られた。当然だ。獲物を逃がすなど、海狩人として失格だ。


「いいか? 海狩人は、みんな海人の女を仕留めて初めて一人前なんだ!」


 船長は乱雑に船室の扉を閉めて出ていく。俺の心の中に、葛藤と後悔とが大きく鳴り響きだしていた。まったく、お笑い草だ。


「こんな事……この商売に入ったときから分かってたのにな……親父に追い付くにはこれしかないって……」


 足下には華奢な体の少女が一人。青白い体に亜麻色の髪、一糸纏わぬ体が不思議な薫りを放っている。

 でも、本当にこの娘を犠牲にしないと父を追い越せないのだろうか? 俺は頭を抱えた。

 詫びの言葉の一つも見つからなかった。だけど選択肢が一つしか無い事だけは確かだ。

 巨大な帆船の甲板上には、無数の船乗りたち。そして、鍛え上げられた体の海狩人たち。彼らの歓声が聞こえてくる。新たな海狩人の誕生を待ちわびて。

 俺は諦めと覚悟をその胸に納め、彼女を担ぎ揚げる。

 そして、甲板の真ん中へと向かう。

 甲板上の男たちの手には一人一人に銛がある。海の巨大な生き物たちを狩る者、海狩人。

 彼らは俺が担いでいる少女に鋭い視線を投げている。

 伝説の海の住人「海人」、その女性を仕留め、己れの物として印を刻印することで、海狩人の武勇は不動の物となる。その存在が嘘だとも噂される海人を仕留める事で、海狩人としてハクをつける事になるのだ。


「よし、そいつをここに寝せな」


 支持どおりに彼女をうつぶせに寝せると、船長が赤く焼けた焼印をかかげ揚げて待っていた。


「さぁ、どこに印を付ける?」


 少女はなおも気を失ったまま……その身体はあまりに可愛げで、永遠に傷を付けるのには忍びなかった。

 本当にこれでいいのだろうか? これが父への道なのだろうか? 彼女を贄にしなくても父を超える道があるんじゃないだろうか? 


「どうするんだ? 海狩人をあきらめるのか?」


 船長のその言葉が俺の迷いをかき消した。

 己れに嘘をついているような罪悪感は圧し殺した。

 俺は「肩に」と、そうしっかりと告げた。

 四方から男たちが彼女の体をしっかりと押さえ付ける。頭は俺が押さえている。

 焼印が近付けられる。これが刻まれれば、彼女は俺の物とされてしまう。彼女の気持ちに関わりなく。

 焼印は、彼女の自由意思も何もかも無視して、残酷な音を馴らして彼女の肌を灼いた。

 気を失っていた彼女の体が飛び跳ねる。その目が大きく見開かれるが、俺はそれを押さえた。やがて焼印は、無残にも彼女の肩に俺の名前を刻む。しかし、この残酷な取り引きの末に俺は晴れて海狩人を名乗れるのだ。


「よくやったなぁ、ぼうず」


 船長が満面の笑みで俺を誉めた。だが正直、俺は少しもうれしくはない。


「彼女は……」


 俺は苦しげに吐く。


「彼女はこれで、一生俺と添い遂げなければならないんですね。海狩人の獲物として、妻として」


 正式な海狩人になれたと言うのに押し寄せるこの罪悪感は何なのだろうか? だがその時、船長は言った。


「お目でてぇなぁ、おめぇ」


 驚いて船長を見れば、皆が侮蔑の目で俺を見ていた。


「あんな古い話しを本気で信じてたんか? おめぇ! 『仕留める』っつーのは、みんなでなかよく飼うってこったよ! 二人っきりで暮らすなんて意味に使ってたのは大昔の事だよ!」

「そんな!」

「大体だな、海人は学者やら見せ物やらなんやらが、高く買ってくれるんだよ! 一緒に暮らすより売っちまった方が利口ってもんだろ?」

「でも、俺のお袋は海人だった!」


 そうだ、親父は伝承どおりに海人を妻としていた。


「ときどき居るんだよな。時流に乗り遅れた時代遅れのバカ海狩人が! なんだ、おめぇもそのクチかい!」


 船長が俺の親父を笑い飛ばしたとき俺はやっと気付いた。騙されたのだこいつらに。

 怒りで理性を飛ばしとっさに隣の男の銛をひったくる。そして周りを牽制しつつ横たわる彼女を抱え揚げる。


「何をする! おめぇ!」


 答えは無用だ。全身の力を爆発させ甲板上を駆け抜ける。そして、真一文字に銛の先をあの船長の喉へと捻り込む。そうだ、感じていたのは怒りだった。海人を物としてしか見る事のないこいつらへの!


「お前らなんかが海狩人であるはずない! 俺はこの海人の娘と本当の海狩人になる!」


 船のへりに立ち俺は叫んだ。そして、彼女と手にした銛を抱えてそのまま大海原へとその身を踊らせる。

 俺は決めた。己れの力だけを信じると。それが嘘の無い本当の決心だった。


 そして、海人の村に新たな夫婦が生まれた。

 海人のうら若い乙女と、地上人と海人の混血の若者。

 堅い決意と厚い義侠心を備えたその若者に、娘は傷を受けた事の理由も忘れて、一も二もなくその求愛を受け入れたのだ。


「あたしの村にいらしてください。そして村の狩人となってください」


 それが娘の答えだった。拒む者はなかった。

 祝福の嵐のなか、若者は手にした銛をかかげる。

 今、真の海狩人の名は彼に受け継がれたのだ。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 女の子の視点と男の子視点に分かれて書かれていたこと。 [気になる点] 女の子が男の子に惚れる描写はどこだったのでしょうか? [一言] 悪例ということでしたが、 元々の筆力の高さもあり…
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