31話(89話) 『絆の炎』
リツと僕の身体は森に向かって一直線に落下した。
下側にいる僕は木の幹に叩きつけられ、その衝撃で木が倒れ始める。このままでは僕は彼の下敷きにされてしまう。そうなれば位置関係的に僕が圧倒的不利。けれど、そうはさせない。
「……ッ! 僕から離れろ!」
僕は渾身の力で至近距離にあるリツの身体を蹴りつける。
僕から不意に反撃を貰い、リツは防御が遅れた。木が完全に倒れるよりも先に彼の身体は僕から離れ、空中に浮く。今度は彼の方が無防備な状態になった。
僕は体勢を立て直し、倒れつつある木に足をかけて吹き飛ぶリツを追うように跳ぶ。
飛び掛かる僕の姿を見てリツは既に剣に魔力を溜め始めていた。だけど、それじゃ遅い。僕はこうなることを予測して、吹き飛ばされている間からずっと魔力を溜め込んでいたんだから。
『白魔』を持つ右手とは逆の手で込め続けていた魔力を解放する。
「『この風に思いを乗せて』」
必要なだけの魔力をあらかじめ用意していたことで、僕が攻撃するまでに予備動作はほとんど必要なかった。リツの魔法は間に合わない。
放たれた暴風が彼の身体を巻き込んで雪が積もる地面に激突したのを確認しながら、僕はようやく地面に着地する。
風ごとリツが叩きつけられた箇所にあった雪は吹き飛ばされ、地面も大きく抉れてクレーターのようになっている。これなら流石のリツにも相当なダメージを与えられたはずだが……
「ああ……今のはマジで危なかったな……」
舞い上がった雪と土煙が晴れた時、その男は依然としてそこに立っていた。鎧に大きなヒビができているものの、リツ自身が負傷している様子はない。
よく見ると彼が身に纏っている鎧には不思議な模様が浮かび、淡く輝いている。無傷の絡繰りはあの鎧か。
「『この鎧へ騎士の祈りを』。鎧に魔力を集中させ、あらゆる衝撃を無力化する。お前の攻撃が直撃した後、地面に叩きつけられる直前に使った」
鎧に浮かび上がっていた模様が消えると、役目を果たしたかのようにそれはボロボロと崩れ落ちる。
「もっとも、消費が激しいせいで俺の魔力はほぼ空になっちまったけどな。……まあ、満身創痍なのはお前も同じだろ? ミル」
鎧を失った彼の上半身を護るのは下に着ている薄い服のみ。だが、僕もつい先ほど彼の攻撃をもろに喰らって木に叩きつけられている。更にその前にリツとアンドレア二人を相手していた時の疲労も残っている。彼の下まで瞬時に移動して攻撃する程の体力は今の僕にはない。
そう、僕には……
次の瞬間、空から飛来した刀が薄い服を簡単に貫いてリツの身体に突き刺さった。
その刀は先程まで僕が手にしていたもの。凍夜鬼の力を宿す『白魔』。
「いつの間に……」
「さっき君を攻撃した時、その余波で生まれた風に乗せてこの刀を飛ばした。それが降ってきただけだよ」
僕が利き手の右ではなく、左手で『この風に思いを乗せて』を使用したのも右手で持っていた白魔を飛ばすため。万が一攻撃が防がれた時のための布石を打っておいて良かった。
突き刺さった白魔の力によりリツの全身は一瞬にして凍り付く。さっきとは違って何の防御もない。彼の動きは完全に封じられた。魔力がほぼ空の彼ではこの氷を破壊することもできないだろう。
彼が凍結したのを確認し、僕は重い足取りで彼の目の前まで歩み寄った。
後はこの氷ごと彼を粉々に砕くだけ。これで彼との戦いも終わる。
「僕の勝ちだ」
氷漬けの彼に勝利を宣言しながら、僕は渾身の力を込めてその拳を振り下ろした。
「……ああ、そうだな。まだ俺は……“お前達”の所へは戻れないよな……」
氷に覆われていて発せるはずがないのに、目の前のリツからまるで誰かと話しているかのような声が響いた。
そして次の瞬間、僕の拳が届くよりも先にリツは爆ぜた。その衝撃で吹き飛ばされた僕は何が起きたのかもわからず、突如発生した白い靄に視界を覆われる。
その中で当然とばかりにその男の声が響く。
「よう。生憎だが俺はまだ死ねないみたいだ。……まぁ一度は死んでるけどな」
絶体絶命であったのに、彼は気力溢れる声をしていた。魔力もほぼないはずなのに彼はどうやって氷の中から抜け出したんだ……
しかし靄が晴れると、それを思案していた僕の目の前に答えが飛び込んできた。
「“炎の魔法”……」
そこに立つリツの周りを真紅の炎が包み込んでいた。
それは過去に見た本の伝承において彼が本来使っていた魔法の属性。だが、これまでその力を彼が使ったことはなかった。だから僕はてっきり彼は今この魔法を使えないものだと思っていたが……
「使えたんだね。君の……君自身の魔法」
そう問いかける僕に彼は当然のことのように、理解不能な答えを返した。
「いや、使えない」
……意味が分からない。
「使っておきながら「使えない」って、君はいったい何を言ってるんだ」
「実際、今の俺に炎の魔法は使えないんだ。魔人に通常の魔法は使えないからな。アンドレアだってそうだ。俺が魔法を使えるのも“過去の仲間の魔法が使える”という“魔人の能力”によるものだ」
「じゃあその炎の魔法も君の仲間の魔法か」
「それも違う。俺の仲間には炎の魔法を使える奴はいないからな」
……相変わらず、とっとと結論を述べない彼との会話は平行線になることが多い。彼と合わないのはもはや運命のように感じるほどずれている。このままでは埒が明かない。
「じゃあ、何が理由だって言うんだい……」
「仲間達の記憶だよ」
「記憶……」
記憶と魔法、それらに繋がりは無いように思えるが……
「“過去の仲間の魔法が使える”俺の力はそういうものだ……と、今まで思い込んでいた。けどどうやら違ったみたいだ。俺の力の根源にあるのは仲間達が持つ記憶。魔法を使って戦ったという仲間の記憶から、俺は彼らの魔法を引き出して使うことができたんだ」
自らの力の再定義。それは過去に僕も行ったことだ。誰かを護るための思いでなくては発言しないと考えていた神の力は、実際はあらゆる強大な感情に反応する力であった。
今まで知りえなかった力の真実に、極限状態に陥った彼は辿り着いたのか。
「俺があいつらの力を借りることができたのは俺が仲間達のことを忘れなかったから。だから仲間達もそれに了承してくれた。……そして、あいつらも俺のことをずっと覚えてくれていた。あいつらは自分が魔法を使っている姿と同じくらい、“俺が炎の魔法を使う姿”のことを鮮明に覚えてくれていた。今までそれは仲間達それぞれが思い思いに持っている程度のものだったし、俺もそれを認識していなかった。けれど、さっきお前に氷漬けにされて死を覚悟した瞬間、俺の中に声に響いた」
『お前にはまだやるべきことがあるだろう』
「仲間達のその声のおかげで俺は俺自身のやるべきことを再認識した。そして俺と俺の中の仲間達の思いと記憶は一つになり、炎の魔法が発現した。他の魔法を使うための魔力は尽きてしまったが、代わりに今はこの力が俺達の絆の証だ」
その力を見せつけるかのように彼は指を鳴らして火の玉を生み出す。
「そうかい。まあ、君のやるべきことが何であろうと僕のやるべきことは変わらない。君を倒し、ミハクを護る。それだけだ」
「俺のやるべきことだってずっと変わらないさ。『凍夜鬼を殺すこと』。お前があの女を護りたいのと同じくらい、俺は、俺達はあの女を……奴の中にいる凍夜鬼を殺したい。それが無念の中で死んだ仲間達と俺自身の果たしたいただ一つの願いだ」
「……ああ。なら今度こそ君を殺す」
「ああ、俺もお前を打ち倒す。凍夜鬼とも戦わなくてはならないがまずはお前と決着をつけなくてはな。『リツ』ではなく『魔人』としての目的のためにも」
先程の爆風で吹き飛ばされた『白魔』を拾い上げて構え、僕はリツに再び突撃する。
この男を倒さなくてはミハクは……僕達は幸福な結末を迎えられない。必ず倒す。
迫る僕に対し、火柱を立てて応戦するリツ。それをかわしながら風の魔法で加速し、リツに斬りかかる。
斬撃を大剣で防ぎ、鍔迫り合いを拒否するように僕を弾く。弾かれて浮いた僕へ放たれた炎を風の弾丸で相殺しながら空中で体勢を立て直して着地し、白魔を鞘にしまう。着地した際の足をバネにして、右手に力を込めながらリツに殴りかかる。
「『この右手に思いを込めて』」
僕の拳をリツは炎を纏った大剣の刀身で受け止める。
熱い。すごく熱い。……けれど、ここで腕を引っ込めれば大きな隙になってしまう。止めるな。腕を振り抜け。
渾身の力で腕を伸ばしきり、リツの身体を吹き飛ばす。
「今度こそとどめだ」
鞘に納めた白魔の柄を握り、僕は全魔力を足に込めて地を蹴った。
一気にリツのところまで追いつき、鞘から白魔を抜くと同時に斬りつける。
「氷結抜刀式『飛雪千里』」
そんな名前の抜刀があるなんてミハクからは聞いていない。けれどこの刀は彼女から借り受けたものなのだから、これを使う力の名は彼女と同じように名付けたかった。
僕の刀とリツの大剣が激突すると同時に彼の地が足につく。
彼は僕のことをもう一度弾き飛ばしたいようだが、そうはさせない。彼の剣とそれを持つ腕は白魔の力によって凍結させる。これでもう反撃は出来ない。後はこのまま全身を凍らせ、断ち切る。
「もう無駄だぜ。俺に氷なんてな」
けれどこのリツに怯む様子はなかった。むしろこの状況を好機として捉えているのか、笑みまで浮かべている。
「俺と俺の仲間達の絆の灯火は決して消えることはない」
「なっ……」
凍らせたはずの剣と腕に再び炎がほとばしる。凍らせて抑えこむことができない……!
「『紅蓮の炎よ、我らの道筋を照らせ』」
紅蓮の炎を纏った大剣が氷を完全に溶かし尽くし、それが振るわれると同時に放たれた炎によって僕の身体は吹き飛ばされる。
数十メートル吹き飛ばされ、身体が着地しても止まることはなく雪の上をゴロゴロと転がっていく。
木に激突したことで何とか止まれた……が、早く体勢を立て直さなくては。そう思って立ち上がろうとするが、うまく力が入らない。彼の攻撃が直撃したことによるダメージは思った以上に大きかった。
そして僕にとって思わぬ不運はもう一つあった。身体を受け止めてくれた木のすぐ近くは崖になっていて、体に力が入らずにバランスを崩した僕はそのまま崖の下に転落してしまう。
幸い柔らかい雪の上に着地したことで転落死は免れた。……が、落ちながら何度も崖に身体を打ち付けたことで僕の意識は限界に達していた。
「クソ……こんなところで僕は……立ち止まっていられないのに………………ミハク………………」
最後にミハクの名を呟きながら、僕の意識は深い闇の中に飲まれた。




