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24話(82話) 『凍夜鬼』

「私が……ミル様と……」

「ああ。……来てくれるかな?」


 彼女の目を見て返答を待つ。

 一度は断った願いを今度は自分の方からするというのを気恥ずかしく感じるのは当たり前だ。それでも今は僕がようやく気づけたこと……彼女と一緒にいたいということを言葉にして伝えたかった。

 こうやって聞いたのも、僕の中で彼女なら「はい」と答えてくれるに違いないと考えてしまっていたからなのかもしれない。


「……いいえ。それはできません」


 しかし、ミハクからの返答は僕が予想していたものとは全く異なるものだった。


「……どうして。前は君の方からそれを願ってくれたのに」


 思わず動揺し、理由を聞き出そうとする。ただ一夜が過ぎただけで彼女の心境にどんな変化があったというのだ。


「もう、遅すぎるんです」

「遅いって、いったい何が……?」

「今夜……『凍夜鬼』が復活します」


 それを告げた彼女の顔は今までに見たことが無いほど暗く沈んでいた。

 その表情こそが何よりも彼女がこの事態を深刻に考えているのかを僕に伝えてくる。


「凍夜鬼が……? そんなはずはない。昨日、君自身が言ってたじゃないか。祠の封印は機能していて復活まではまだ一週間ほどかかるって」


 他の騎士たちと共に祠に行き、祠の封印を確かめていたのは他でもないミハク自身だ。だというのに今夜には凍夜鬼が復活すると今の彼女は言う。どういうことなんだ。


「昨日ではありません。ミル様、あなたはもう丸三日以上眠っていましたから」

「三日も……」


 言われてみれば確かにあの戦闘中に負った傷……リツに切り裂かれた痕や自ら噛んだ舌はすっかり治りきっている。一晩で治癒しきるのは難しいと思っていたが、三日間もの時間が立っていたのか。……三日間も眠ることになってしまったのは単に戦闘で傷ついたからというよりも彼女が語った『暴走』に関係していそうな気もするが。


「でも、三日が過ぎていたとしてもまだ猶予があるはずだろう」

「いいえ。もう猶予はありません。魔物の襲撃があった程度ではびくともしなかった祠ですが、間近でミル様とあの男性による戦闘の余波を受けた影響で封印の効力が著しく損なわれました。その影響で凍夜鬼の封印が解かれるまでの時間は大幅に短縮されてしまいました。そして祠の封印が限界を迎えるのが……」

「今夜……なのか」

「はい」


 事情は分かった。僕の記憶の限りではそこまで封印に影響を与える程激しい戦闘ではなかったと思うが……恐らく問題なのは僕の記憶がない間の出来事なのだろう。その影響で凍夜鬼の復活は目前にまで迫っている。


 だがそれが何だ。


「例え今夜に凍夜鬼が復活するんだとしても……僕のやるべきことは変わらない」


 この村に来た時から僕のやることは決まっている。


「早かろうと遅かろうと関係ない。僕はただ凍夜鬼を倒すだけだ。……だから、遅すぎるなんてことない。まだ凍夜鬼は復活してないんだろう? 今夜……必ず仕留めるから」

「ミル様が凍夜鬼を倒して下さるのですね……?」

「ああ。約束するよ」


 僕がそう答えるとミハクは沈んでいた顔を上げた。


「わかりました。信じます。ミル様、あなたが凍夜鬼を倒すことを」


 そう言って彼女は無理やり絞り出したような笑顔を見せる。

 その笑顔はどこか痛々しかった。


 ********


 同日の夜、僕を含むストファーレの騎士達と村の者達は凍夜鬼を封印している祠の下へ集まった。

 騎士達が集まったということは当然……


「ふん。アンタ、寝起きだってのにわざわざ来たのね」


 僕のことが嫌いなくせに、シィはわざわざ僕に話しかけてきた。そういえば彼女は僕が寝ていた時もなぜか僕の部屋に来ていたが……


「君達だけじゃあ役不足だと思ってね。力を貸してあげるんだよ」

「アンタなんかの力なんて借りなくて十分よ!」

「そんなことはないぞ、シィ」


 また言い争いを起こしそうになっていた僕とシィの間に割って入ってきたのはエン団長だった。


「凍夜鬼のような強大な相手との戦闘では何が起こるか分からない。一人でも戦力がいるのはありがたいことだ」

「だってさ」

「……まぁ、エン姉がそう言うならいいわよ。それよりもエン姉、スノウを見なかった? 昼間はいたのに今は姿が見えないのよ」

「いいや、見ていないが……ミルはどうだ?」

「僕が知ってるわけないでしょう」


 シィ程深刻ではないとはいえ、スノウも僕とは良い関係とは言えない。彼女の行方なんて知るはずがない。


「スノウがサボるとは考えられないけど……だからこそ少し心配ね」

「まぁ、僕にはどうでもいいことだ。それじゃあね」


 僕は彼女達の下を去り、祠の扉を眺める。

 とても大きな扉だ。とてもこれが動くとは考えられない……が、ミハクの話では凍夜鬼の封印が解ける時にはこの扉が開くのだそうだ。


 初めは騎士たちが各々の不安や恐怖などを複数人で語り合っているのが聞こえてきたが、時間がたつにつれてその声も止み、凍夜鬼の復活まで静寂の時間が流れ続けた。



 ……そして、遂にその瞬間は訪れた。



「ああっ、扉が……」


 騎士の内の誰かが声を上げる。

 その言葉通り巨大な扉はゆっくりと動き始め、僕らを誘うかのようにその口を開けていく。


 完全に開いたところで動きは止まり、再び静寂が訪れる。扉の奥からは濃い霧が漂い中の様子は全く見えなかった。

 『凍夜鬼』という名前の割には鬼がするような叫び声や足音なども全く聞こえず、中から何かが出てくる様子もない。不気味なほどに静かであった。


「何も起きないな……」

「凍夜鬼なんて出てこないぞ」

「本当に凍夜鬼なんているのか?」


 とうとう騎士たちの中から疑念の言葉が浮かび始める。

 やがて、霧が止むと祠の中の様子がはっきりと確認できた。


 そこには何もいなかった。

 祠の大きさに見合う巨大な鬼もいなければ、小さな生き物の一匹すら見当たらない。

 あるのはただ一つ、床に記された魔法陣だけ。


 本当に中に何もいないのか……? 騎士団を呼んだということは村の者達もこのことを知らなかったということだろうか……。

 騎士たちと同じように村の者達も祠の周りに集まって様子を眺めている。だがその表情からは困惑の感情を読み取れない。ということは今の状況が正常……?


 何が起きているのかを確かめるかのようにミハクが祠の中へと足を進めようとする。その様子を見て僕は思わず声を上げる。


「待つんだミハク。何の姿も確認できないとは言え安全とは言い切れない。その中へは僕が入る」

「いいえ、ミル様。この中へは私が入ります。私でなくてはならないのですから」


 彼女は振り向きざまに笑顔でそう言った。


「ッ……待て……!!」


 ミハクは僕の制止も聞かずに祠の中へと足を踏み入れる。


 そして彼女の足が魔法陣に触れた瞬間……状況は一変した。


「あああああああ!!」


 祠の内側から凄まじい衝撃波が発生し、騎士達を襲う。耐えきれない者は叫びを上げながら吹き飛ばされ、倒れこんでしまった。


「何だこれは……何が起こっている!?」


 衝撃波に吹き飛ばされまいと必死に踏みとどまりながら、騎士団長は困惑の声を上げた。


 祠では魔法陣が激しく輝き、僕らの視界を阻んでいた。

 しかしその光の中で僕は見た。失われたミハクの左腕……それが再生していくのを。



 やがて衝撃波と光が消えると、この場にいる誰もが祠の中に立つミハクに注目した。


「二百年ぶりに……この地に凍夜鬼の力が復活したのですね」


 彼女は再生した自らの左腕を凝視しながらそう呟く。


 そして、冷たい目線を騎士団に向け……言い放つ。


「ごきげんよう。ストファーレ魔法騎士団の皆様。私はこの村の長『ミハク・グレイシャー』。そして……この地に封印されし『凍夜鬼』の力を受け継ぎし者です」

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