21話(79話) 『暴走する感情』
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
プツリ……と意識が途絶える。
今まで目に映っていた光景は消え、僕の視界は暗闇に飲まれた。
『殺せ』
誰かが僕に呼びかける。
『殺せ』
この声は……
『殺せ』
ああ……この声は僕のものか。
『殺せ』『殺せ』『殺せ』『殺せ』…………
何度も何度も、その声はそう言い続ける。
まるで僕の心に刻み込むように。
********
「ミル……様……」
先ほどまでミハクを殺そうとしていた騎士……リツはもう彼女の目の前には立っていなかった。
代わりにそこにはミハクを護るように背を向けて立つミルの姿があった。
ミルは叫ぶと同時にその身を起こし、リツが反応することができない速度で詰め寄ると、鎧を着こんでいる彼の身体をその拳を振るって軽々と吹き飛ばしたのだった。
「クソ……何が起きた……」
吹き飛ばされたリツは状況を理解できないといった様子のまま起き上がる。
その動きに反応するように、ミルは怪我を負っているミハクには目もくれず彼に向かって歩み始める。
「ミル様、そんな身体では……」
彼が歩く度、神の力があるにも関わらず未だ完全には塞がれていない傷口から血が零れ落ちる。
「待って下さいミル様……うっ……」
だが傷が深いのはミハクも同様だ。
腕の切断面からは止めどなく血が溢れ、白い雪を汚し続ける。もはや座り続けることすらままならなくなり、彼女の身体は雪の上に倒れ伏した。
ミハクは飛ばされた自分の左腕に目を向ける。しかし今の彼女では回復魔法は使えない。治療は不可能だった。
「……やむを得ませんね」
ミハクは腕の切断面に氷の魔法を使用する。傷口を氷で塞ぐことで出血を無理やり止めることにしたのだ。
だがそれは傷口を壊死させていくことに繋がる危険な行為でもあった。少なくともこのような行為を取った時点で最も一般的な治療法である『腕と切断面をきれいに繋ぎ合わせる』という方法は取れなくなってしまったのだから。
傷を塞ぎ、身を起こしたミハクは再びミルがいた方向を見る。
しかしそこにミルの姿はない。
彼を探すように視線を動かし、ようやく見つけたその時に目に飛び込んできたのは……
ミルがリツを蹴り飛ばす瞬間であった。
雪の上を何回転もしながら飛ばされていくリツ。その鎧は今の衝撃で破壊されつつあった。
「コイツ……明らかにこれまでと様子が違う」
ミルの様子に疑問を浮かべているリツを追撃するようにミルは彼に飛びかかる。
「させるかよ」
流石に目も慣れてきたのか、リツはもうミルの攻撃を許さなかった。
魔法で周りの地面を隆起させ、ドーム状に変化させてその身を覆いミルの拳を防ぐ。
そのまま内側から風の魔法を発動し、隆起した地面ごとミルを吹き飛ばした。
「…………」
しかし吹き飛ばされてもミルは無言で立ち上がり、再びリツ目掛けて歩き始めた。まるで痛みを感じることもなく動き続けている傀儡のように。
そんなミルの目を正面からはっきりと見てリツはあることに気が付く。
彼は……とても生きた人間だとは思えないほど虚ろな目をしていた。
「……なるほどな。コイツ、暴走状態になってやがる」
「暴走状態……?」
リツの言葉を聞き、確かに彼へ歩み寄っていくミルは明確な意識を持っていないようにミハクにも感じられた。
「神の力は感情の強さをそのまま肉体の力へ変換する。しかし、変換すると言っても肉体には限界がある。本来であれば肉体が限界を迎えるような力の変換は行われない……一人の人間の感情がそこまで強大になることはないからだ」
「しかし今のミル様は……」
「だが、もしもある一種の感情の強さが極限に達し、変換されて得た力が人の身の限界を超えてしまったのなら……その『神の使い』は意識を失う。人の身では扱えないほどの力を抱え込んでしまったからだ。村の長、お前に通じるかは知らんが俺やミルの世界風に言えば『許容限界突破』ってやつだ」
「あいにくとその言葉に馴染みはありませんが、状況は理解できましたわ」
「意識を失ったところで力が消えるわけじゃない。むしろ、意識がないために肉体は力によって突き動かされるだけの存在になる。言葉通り、『感情だけで動く』ってことだ。そしてその感情は意識を失う前の者が反映される。……つまりこういうことだ。コイツは俺を『殺す』という感情によってのみ動いている」
ミルが再びリツに殴りかかる。
その拳を刀身で受け止め、今度は意識無きミルへ語りかけるようにリツが話し始めた。
「俺もその状態には覚えがあるぜ……二百年前の凍夜鬼との戦闘の時にな」
その言葉に聞いてミハクがわずかに動揺した様子を見せる。しかしミルはもちろんそんなことには気づいていなかった。
「だが、お前がその状態になるのは正直誤算だった。そんなことになる程あの女が大切だったか?」
その言葉に反応するように――もちろん彼に意識はないのだから偶然であるのだが――ミルは剣ごとリツを押し飛ばす。
「まぁなっちまったもんは仕方ない。この場でお前を連れていくことは諦めよう」
諦める、と口には出した。だがリツはすぐに戦線離脱はしなかった。
彼は大剣を掲げ魔力を高めていく。
「その代わり、でかい置き土産を残させてもらうぜ」
リツの剣が虹色に輝き始めた。
ミルもまた魔力を込めた拳を構える。
その姿は先程の『この風に思いを乗せて』と同様であったが、彼の周りに強風が吹き荒れるといったようにその規模は段違いであった。
「これが俺達ストファーレ騎士団の力の結集……『この虹へ騎士の誓いを』」
「…………」
リツが剣で突くような動きを見せた瞬間、そこから虹色の光線が放たれる。
同時にミルも拳を突き出してその魔力を開放する。風の魔法によって発生した風が吹き荒び、光線と激突した。
「きゃあ!」
激突の余波は辺り一帯に及び、一面に広がる雪を舞い上げた。
吹き飛ぶ雪と光り輝く光線によって視界を阻まれたミハクは右腕で目を覆う。
やがてそれらが収まると、ミハクは手をのけて目の前の光景を視界にとらえた。
そこにはもうリツの姿はなかった。置き土産と言っていた通りもうどこかへ去ったのだろう。
そしてミルは……残る力を使い果たしたのか、積もっていた雪が吹き飛ばされて剥き出しになった地面の上に横たわっていた。




