20話(78話) 『二度蘇った男』
「君も僕と同じ『神の使い』……」
『神の使い』。神から力を授かり、新たな世界に蘇った者。
僕よりも過去……二百年前にも神の使いがストファーレに現れたという記録は以前に書庫で見た。騎士として仕えていたこともはっきりしている。炎の魔法を使っていたという情報もあったはずだ。
だが、その人生の大半は謎に包まれている。記録として残っているのは突然街に現れた点だけだ。騎士としてどのような活動を行っていたか、そしてその『最期』はどのようなものであったのかに関する記述は一切ない。
対照的に明確な記録として残っているのは、二百年前にストファーレの騎士が氷結の村へ遠征を行ったこと。……そして、その遠征からの帰還者は存在しなかったこと。もちろんそこに詳細な面子なんて記載されてはいなかったが、時期的に見ても神の使いが関わっていたのは間違いない。
いったん話は変わり、僕たちがこの村で行う使命は数百年前に封印されたという『凍夜鬼』の討伐についてだ。もしもその封印が過去のストファーレ騎士団の遠征の目的であったのならば、僕たちが同じ目的のため数百年……恐らくは二百年ごしにこの村へ駆り出されたと考えられる。
そしてそれらの予測はミハクの言葉によって真実へと変わった。
彼女は確かにこの村へ神の使いが現れ、死んだのだと言った。……そして、今の僕とは正反対に彼が仲間思いの騎士であったことも。
彼の最期はこの地における凍夜鬼との戦闘だったのだ。
……だが、その彼が今は目の前にいる。『神の使い』ではなく『魔人』という存在となって再び死から蘇ったのだ。
「正しくは神の使いだった男だがな。けれどこれで納得してもらえただろ? 何故俺がお前と戦いたくなかったのか」
「……生憎だけど、僕の感性じゃその理由が浮かばないな」
「そうかい。じゃあ分かりやすく言ってやるよ。新たな生をうけてストファーレの街に降り立ち騎士となった神の使い。そして、最期の時を迎えた俺と同じように氷結の村へと現れた。重なりすぎなんだよ。お前は俺と。だから、できることならばお前とは戦いたくない。どうしても気分が悪いからな。過去の自分と戦っているようで。それに、見方を変えればお前は俺にとってかわいい後輩みたいなものだ」
茶化すように、彼の顔には再び笑みが浮かぶ。
この男がなぜ僕との避けようとしていたのか、その理由は分かった。
「ま、これがお前に対する感情の理由だ。……今からでも遅くはないぞ。お前が手を組むって言ってもな。どうだ?」
けれど、理由は分かってもその感情を理解することはできなかった。
「最低の気分だよ」
「……」
思わず口に出た言葉にリツの表情は陰る。
だが、感情がこぼれ出てしまう程に彼の言葉は僕にとって不愉快なものだった。
「君には色々と聞きたいと思っていることがあったよ。神の使いとして蘇るよりも前の生前にいったい何があったのか。何故自分のことを記録に残そうとしなかったのか。凍夜鬼とはいったいどんな魔物なのか。だけど、今の話を聞いて君に一番質問したいことは……『何故そんな考え方ができるのか』だ」
「何故か……ねぇ。それは単純にお前にとっては異常な考え方であったとしても、俺からすれば普通のことであるというだけだ。同じ境遇の者同士、できれば争いたくないだろう?」
「ああ……だからその考え方が理解できないって言ってるんだよ。同じ境遇だからなんだ。そんなことだけで君は他人に親しみを感じるのか。僕はそんな風には思わない。理解できもしない相手……君とのお仲間ごっこなんて死んでもごめんだ」
ダメだ。例え同じ神の使いであろうともコイツと僕とは根本的な考え方が違う。それこそ人としての在り方が根底から。
彼は仲間を信じ、多くの人間と通い合おうとする理想の騎士。
対して僕はただ独りで戦うことを望んだ孤独な騎士。
対極的な二人の騎士。相互理解は不可能だ。
そして何よりも……
「君は僕のことを過去の自分に重なると言っていたけれど……僕も君の姿が重なるんだ。過去の自分に。……そしてそれが何よりも気分が悪い」
仲間だ友達だなどとほざいていた過去の僕。彼の姿を見ているとどうしてもそれが脳裏にチラつく。
「やっぱり、お前と分かりあうことはできないのか」
「そうだね。僕と君とは根本から違う。君のように仲間を信じた所で弱い仲間たちは死んでいく。そして結局は一人になって戦うことになるんだよ。君にも覚えがあるだろ? 元・神の使いさん。だったら最初からただ独りでいたほうがいいに決まっている。そうすれば無駄な感情も生まれずに済む」
「……そうだな。俺は最後には一人になった。だが……」
今の僕の言葉を聞くと、彼は明らかに気分を害して僕を睨みつけた。
「あいつらは弱くない」
これまでとは全く異なる反応。怒りのこもった声。
その様子を見て僕は思わず笑みをこぼす。
「弱くないだって? 彼らは君よりも先に死んで君を一人にしたんだよ。強ければ凍夜鬼に敗れることも君を孤独にすることもなかったんじゃないかなぁ?」
「悪いが、それ以上あいつらを愚弄することは許さない」
「愚弄じゃないな。僕は事実を述べてあげているだけだ。君が目を背けている事実をね」
「……そうか。俺もわかったよ。……お前とは理解し合えないってことがはっきりとな」
リツは再び剣を構える。先ほどまでとは違い、その構えには強い気迫を感じる。僕の言葉は彼を本気にさせてしまったようだ。だがそれでいい。僕は彼を……過去の神の使いを越えたかった。その願いを今果たす。
「君が本気になってくれて嬉しいよ」
「安心しろ。殺さないことに変わりはない。だが、少しは痛みつけて大人しくなってはもらわないとな」
「君がどうであろうと、僕は君を殺す。……ミハク、君はもう手を出さなくていい」
「……ええ、畏まりましたわ」
ミハクに釘を刺す。これは二人の神の使いによる互いの信念のぶつかり合いと化した。彼女の横槍は必要ない。
「さぁ、やろうか」
「ああ」
その言葉を合図に僕とリツは互いの間の距離を一気に詰める。
お互いにそれぞれ攻撃範囲に侵入し、大剣と拳を振るった。
剣と拳ならば僕の方が速い。
彼の剣が振り下ろされるよりも先に僕の右拳は鎧に到達した。
神の力は感情の強さをそのまま肉体を強化する力へ変換する。彼の言う通り先ほどまでは僕の心にもどこか余裕があったが、今は彼を必ず殺したくてたまらない。異なる信念を持つ神の使いとして。
今度は間違いなく鎧の内側……彼の肉体にまで衝撃が響いている感触がした。
だが彼は動じない。歯を食いしばり、痛みなど無視して大剣を振り下ろす。
「クソッ」
こちらに防御手段はない。風の魔法による回避も難しい。だが、受けるダメージを抑えることは出来る。
先ほど行おうとしたように、剣筋の先に左腕を差し出す。この腕を犠牲に剣を受け止める。
僕の腕に叩きつけられた刃は肉を断ち、骨まで達する。
だが斬らせない。僕の神の力で必ず防ぐ。
そして……止まった。
剣は僕の腕を切断するよりも先にその勢いを完全に殺された。
最も、切断はされずとも僕の肩は衝撃をもろに受けている。脱臼程度はしているだろう。だがそれでも構わない。
「お前の負けだ」
僕は既に彼の鎧に触れている右拳に魔力を込める。ここから攻撃すればかわすことは不可能だ。
「吹き飛べ。『この風に思いを乗せて』」
「させるかよ」
僕の拳が魔法を発動させることは出来なかった。突然、全身が麻痺してしまったかのように動かなくなってしまったのだ。いや比喩ではない。事実、僕の身体は麻痺しているのだ。
「お前の左腕から電撃を流し込んだ。しばらくは身体の自由が利かないだろうな」
身体に力が入らず膝から崩れ落ちる。
「負けるのはお前の方だったな」
口も動かず、声も発せられない。
彼は僕からの返答を待つこともなく、冷酷に僕の胴をその剣で切り裂いた。
肩から腰にかけて大きく一直線に斬られ、僕の肉体からは血が溢れだす。
……それでも死ねない。何故ならば、それは僕を死に至らしめるほどの致命傷ではなかったから。僕は彼に生かされたのだ。
そしてそれは……僕の敗北を意味していた。
「……」
身体の麻痺は消えず、声も出せず、ただそのまま地に倒れ伏す。
だが僕は諦めていなかった。例えこれから彼によってどこかへ連れていかれようとも、命があれば必ず逆襲の芽は生まれる。
……彼に僕を活かしたことを後悔させてやる。そう心の内で息巻いていた。
「さてと……」
彼は僕のことを…………どうにもしなかった。
地に倒れた僕を無視して一人歩き始める。
そしてその先には……ミハクがいた。
「これ以上、ミル様を傷つけることはやめてください」
自分に向かってくる男に対し、ミハクは声を荒らげる。
「安心しろよ。この男は殺さない。お前が心配すべきは自分のことだぜ」
一瞬で、彼はミハクの目の前まで移動した。風の魔法によるものに間違いない。
「あなたはいったい何をなさるおつもりですか……」
「すぐにわかるさ」
リツは左手でミハクの首を締めあげた。そして彼女の身体を軽々と持ち上げる。
騎士道を掲げていた男が少女を傷つける……突如目の前に広がったその光景を僕はただ見ていることしかできなかった。
「あ……あ……」
首を絞められて満足に息もできず、声にならない苦悶の音だけが彼女の喉から発せられる。
そしてその声は……どうしてか強く僕の心に響いた。
「一目見た時から思っていたよ。……お前を殺したいと。けれど今はそれをしてはいけないってわかっていたし、ずっとその心は抑えていたんだがな」
首にかける力を強めながら、リツはその殺意を剥き出しにする。
僕は身体に力を込めようとする。だが、麻痺した身体はやはり満足に動かなかった。
「だが無理だったみたいだ。俺達は自らの本能を元に生きている。それを抑えるなんて土台無理な考えみたいだったようだ。……アンドレアには悪いことをしたな」
なぜアンドレアの名が出たのかは分からないが、彼の言葉が真実だというのならミハクを殺すことを彼は本能によって促されているというのか、だがいったい何故……
リツは首から手を放し、ミハクの身体を地に落とす。ようやく呼吸ができるようになった彼女は咳き込みながらリツを睨みつける。
「ハァ……ハァ……何を考えているかは知りませんがあなたに殺される筋合いはありません」
「……そうだろうな」
「なら離れなさい。氷結魔法式・『氷降』」
ミハクは左腕を伸ばし、魔法を行使しようとする。
だが……
「それでも、俺はお前達を殺す」
彼はミハクが魔法を使うよりも先にその剣を振るった。
そして無慈悲にも……ミハクの左腕を刎ねたのだ。
「…………え」
何が起きたのかもわからずミハクが声を上げる。
斬られた腕は宙を舞い、彼女の身体の傍らへ落ちた。
切断面から流れる血が彼女の周りの雪を赤く染めていく。
「あ…………あ…………あああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」
何が起きたのかを理解した瞬間、激痛に表情を歪ませ、ミハクは喉が壊れんばかりの声で叫んだ。
彼女の悲痛な叫びが森に響く。
……その声を聞いて、ようやくはっきりした。いったい僕が今、何を思っているのか。
『やめろ』
心の中で叫ぶ。声は出ない。麻痺した舌が声を発そうとしない。
「うるせぇな。だが安心しろ……痛みはすぐに消える。今度はその首を刎ねてお前の命が消えるんだからな」
リツは冷酷にこれから何を行うか告げる。
『やめろ』
もう一度叫ぶ。依然、その言葉が口から出ることはなかった。
彼が剣を構える。彼女の細い首にそれが振り下ろされればミハクは…………死ぬ。
『やめろ』
『やめろ』
『やめろ』
埒が明かなかった。舌が全く使い物にならない。
どれだけ声を出そうとしてもこの舌は働かない。
だから……僕はこの舌を強く噛んだ。
麻痺している舌を痛みで無理やりにでも目覚めさせる。
激痛が走る。でも今のミハクはきっと……もっと痛い。だからこれくらいの痛みはどうでも良い。
血の味と共に口の中に感覚が戻ってきた。
舌も動く。話せる。
そして、今の僕としては初めて……誰かのために声を上げた。
「…………やめろ」




