16話(74話) 『死に損ない』
「そもそも……」
「ん、なんだ?」
ミルに名を告げて去ったリツとアンドレア。彼らは降り続ける雪の中、歩き続けていた。……もっとも、アンドレアは担がれたままであったが。
ミルの姿が見えなくなり、彼が追ってきていないことを確認した後に口を開けたのはアンドレアだった。
「そもそも……リツが邪魔をしなければ彼を殺せていたのに」
そう言うと、彼女は一体の骸骨……『飢餓なる亡霊』をリツの肩に寄り添うように召喚した。
「うおっ、ビックリさせんな」
「神の使いは私の同胞達を全て倒しきったと思ってたみたいだけど、一人だけ残っていた」
そう、ミルが二番目に攻撃し、木に叩きつけて倒したと思い込んでいた骸骨は健在だったのだ。
「この同胞を彼の後ろに配置していた。いつでも頭を喰らえるように。それなのにあなたが攻撃を弾いて彼を動かしてしまったせいで気づかれてしまったの」
アンドレアは憤慨して頬を膨らませていた。リツのせいでせっかくの神の使いを殺せる機会を逃してしまったのだと。
「悪いが、俺はそれを知った上であいつの攻撃を防いだ。意図的にお前の邪魔をしたってわけだ」
「あなた、私と敵対する気なの?」
召喚した骸骨が口を開け、その顔をリツに近づける。
「威嚇すんな。別にお前と敵対する気はねぇよ。お前が飯に飢えすぎて本来の目的を忘れていそうだったから止めただけだ」
「本来の目的……?」
骸骨はリツから顔を離した。
そして腕の中で本当に忘れてしまっているといった声を出しているアンドレアに対し、彼は小さくため息をついた。
「そうだな。お前は魔人の中でも特に大きく性質に縛られてるからな……。目的よりも欲望が優先されるのは仕方ないこと……なのか?」
「仕方ないこと」
断言したアンドレアにリツは二度目のため息をついてから、彼は改めて自分たちの一番の目的を彼女に話した。
彼の話を聞いてから、まるで初めて知ったことのようにアンドレアが声を上げる。
「分かった。もう覚えたから」
「『覚えた』じゃなくて、『覚えてた』ならありがたかったんだがな」
リツは三度目のため息をつくと、その場に足を止めた。
「この辺りまで来ればいいだろうな」
彼らは森のかなり深くまで進んでいた。ここならば騎士や村の者達に見つかることはないだろうと考えたリツは担いでいたアンドレアを木に寄り掛からせるようにして降ろす。
「お前は腹を満たさなきゃ傷も回復しないし同胞たちも復活しないそうだが、逆に言えば腹さえ満たせばいいんだよな?」
「お腹を満たしたら眠る必要もあるけど」
「そうだな。ま、夜になるまでの間に食料は俺が調達しておいてやる。だから今日はそれを喰って大人しくしてろ」
「恩に着るわ。ところで夜になったら何かあるの?」
「ああ。……だがお前は留守番だ。お前の傷はそんなすぐには癒えないからな」
「大丈夫。たくさん喰べればある程度は治るから」
アンドレアは威勢よく主張するが、リツはその言葉を受け入れなかった。
「ダメだ。飯は用意してやるんだからここで待ってろ。今度は勝手に一人で行動するなよ」
「……分かった」
大丈夫だと主張したにもかかわらず「ここで待っていろ」と言われ、やや不満気ではあったもののしぶしぶアンドレアは了承した。
「なら良しだ」
その言葉を確認して笑みを浮かべると、リツは食料とするための野生の動物を探しに一人森の中を歩き始めた。
********
人の心の内、閉ざされた世界の中から僕は『僕』を見ていた。
『魔人』。そう名乗った未知の存在が目の前に現れても彼は臆することはなかった。
その時、もしも僕が同じ立場に立っていたらと考える。僕の心は折れずにいられるのだろうか。自分だけが特別な存在ではないと知らされて、それでもまだ戦うことができるのだろうか。
……きっとダメだろうな。この僕はそんなに強い存在じゃない。
そしてますます分からない。神の力を使うことができる存在は僕以外にもいたはずなのに……僕なんかじゃなくても良かったはずなのに……何故自分なんかが選ばれてしまったのか。
『ねぇ、君はどう考えているのかな?』
「その声は……」
そんなことを考えていた僕に話しかけてきたのは、前にも聞いた正体不明の声の主だった。
「君は誰なんだ……って聞いても答えてはくれないんだよね……」
『そうだね。僕から君に答えることはない。それで、君は自分が選ばれた理由が何だと考える?』
声の主には僕が何を考えていたのかお見通しだったってことみたいだ。
だが、どう考えているかと聞かれても僕には何も分からない。
「僕にしかできないことが何かある。魔人の人たちにはできなくて僕にはできることが何か。……みたいな理由なら嬉しいよ。でも何も心当たりがない」
『それを探すことが君の使命なんじゃないかな』
僕がこの世界に来た理由。それは今、『秋風見留』という人間の表面に立って行動している僕も探していることだった。
彼も未だにその答えに辿り着いていない。そして僕には探し始めることすらできない。
「無理だよ。探すことなんて。僕はもう自分の意志でこの体を動かすことは出来ない。……そして、動かそうとも思わないんだ。後はずっと、ここから彼の目線で世界を見つめるだけだよ」
「よく分かってるじゃないか」
新たな声が僕らのいる空間に響いた。
……いや、この声の主のことは僕もよく知っている。誰よりもよく。
「君も来たんだね……『秋風見留』」
「君にその名前で呼ばれると違和感あるなぁ……。ま、僕も君も『秋風見留』だから仕方のないことだけど」
彼のことは『表面にいる秋風見留』とでも呼べばいいのだろうか。
僕のことを嫌っているにもかかわらず、何故彼はわざわざ僕の前に現れたのだ?
「君の方から来るなんて珍しいね」
「君が話しているのが聞こえたから黙ってほしくてね。僕は静かに眠っていたいんだ」
彼と僕の間には見えない……けれどとても大きな壁がある。肉体を支配する者と支配された肉体の中で生きる者という壁が。
そしてその壁はこの場にいる僕らにも影響を与えている。例え言葉を交わすことは出来ても、僕らは直接触れ合うことは出来ない。もっとも、彼と僕が自発的に言葉を交わすことが何度もあるとは思えないが。
彼も今は文句を言うためだけにわざわざ来たのだろう。元から僕とまともに話す気はないはずだ。
「独り言だったのかい? なら尚更耳障りだからやめてくれ」
どうやら彼には謎の声は聞こえていなかったみたいだ。声の主も彼の言葉を否定しようとはしなかった。
「……うん。分かったよ」
「それでいい」
彼は僕に背を向けて去っていく。
遠ざかっていく背中を眺めていたが、少し進むと彼の背は止まった。
「最後に言っておく」
「なに?」
背を向けたまま、彼は吐き捨てるように言う。
「君も自覚している通り、君は僕の中で生きる目障りな存在だ。自分で生きる意志もなく、かといって僕を全肯定するわけでもない。何のために生きているのか本当に分からない奴だよ」
「……」
「だから死ぬなら死ぬで早くここから消えてくれよ……『死に損ない』」
彼は再び歩き出し、すぐにその背中は見えなくなってしまった。
『死に損ない』……。そうだ。確かに僕は死に損ないだ。自ら死を選んで実際死んだくせに異なる世界に蘇り、転生した意味も見つけられず、身体を失ってもまだ惰性で生き続けている『生きた屍』だ。このままいても何も変わらない。
それが分かっていても……それでも……なぜか僕はまだ『消え去る』という選択を選ばなかった。選びたくなかった。
悩み続けている僕に謎の声の主は語りかけてくれなかった。
********
「……ル様……ミル様……」
僕の名前を呼ぶ声と部屋の扉をノックする音で目を覚ます。
魔人との戦闘を終えて村に帰ってきた僕はミハクの下へ向かった。
彼女は僕の傷を見るなり悪化してしまわないように治療を行ってくれた。その後すぐに神の力を使って傷は塞ぐことができたが傷跡はすぐに消えそうになかった。そのため彼女は僕の傷の位置に包帯を巻いて、一応今日は安静をとって部屋で休んでいることを勧めた。
魔人は一度撤退したしすぐにまた現れるとは考えにくい。空いてる時間に村人や騎士たちとコミュニケーションを取ることも僕には苦痛であるし、眠っているほうが気が楽だと思った僕はその言葉の通り部屋で休んでいた。
外を見ると既に日は沈んでおり、窓は吹雪によって時々音を立てて揺れていた。
「ミル様、起きていらっしゃいますか?」
部屋の外から再び声が響く。声の主はミハクだ。
「ああ、起きてるよ」
「そうでしたか。まもなく見張りの交代時間ですがどうなさいますか? まだ傷は痛みますか?」
「大丈夫。今行くよ」
肩に巻かれた包帯を解いて上着を羽織る。傷跡に痛みはない。ならもう問題はないはずだ。
僕が部屋の扉を開けて外へ出ると、すぐそこでミハクが待っていた。
「おはようございます……と言っても真夜中ですが……。よく眠れましたか?」
「ほとんどはいい眠りだったけど、最後の方は少し面白くないものを夢で見ていたよ」
僕の中に存在している『もう一人の秋風見留』が話し始めたせいでそれに気を取られてしまった。彼が黙っていてくれればよかったのだが。
「そうだったのですね……。夢とはいえ良くないものを見たということは何か心配事でもあるのですか……?」
「……いや、特にはないよ」
「……分かりました。何か悩みがあれば何でも言ってくださいね」
彼女に話すことではない。『僕』との問題は僕自身で解決しなくてはならない。
「では行きましょうか」
そう言うとミハクは見張りの場所へ僕とともに歩き始める。
「ミハクも来るんだね」
「はい。また私もお供させていただきますわ。……お邪魔ですか?」
「……別にいいけど」
孤立している僕にとってミハクはこの場で唯一といっていいまともな会話ができる相手だ。彼女なら一緒にいても特に問題はないはず。
ミハクともに屋敷から出るが、部屋の中から見たように外は昼よりも強く吹雪いていた。
「結構強いですね……」
「危なそうなら屋敷の中にいてくれてもいいけど。僕一人で見張っててもいいし」
「いえ、私は生まれてからずっとこの村にいましたから。このくらいの吹雪は問題ありませんわ」
「ずっと……」
大丈夫だと彼女が主張したので、屋根の上に上がるためにハシゴの下まで歩いていく。
まずは僕が先に階段屋根の上に上がり、後からハシゴを登ってきたミハクの手をひいて屋根の上に引き上げる。一応彼女が吹雪に煽られて落ちてしまわないように。
「ありがとうございます」
彼女の身体が完全に屋根の上に上がったことを確認して手を離すと僕とミハクは並んで腰を下ろした。
「ミル様、昨日の見張りの時に私があなたを羨ましいと言ったことを覚えていますか?」
「ああ、覚えているよ。僕が自分の好きなように生きようとしていることがだよね」
「はい。先ほども申した通り私は今までこの村から出たことはありません。早くから村の長を継ぐことにもなってここから出ようと考えられるような余裕もありませんでした。でもあなたと出会って思ってしまったんです……もしも私もこんな風に何かに囚われることなく生きることができたらと」
「君は本当にそれが君にとって良いことだと思っているのかい?」
「良いこと……ではないのかもしれません。そうすることはつまり自分が背負っているものを捨てるということですから」
「それなら……」
「ですけれど、私はこの命を自分のために使いたいのです」
「命を使う……」
自分のために命を使う。それではまるで今は誰かのように命を使っているかのような……。
「ミル様」
ミハクが真剣な目で僕を見つめて呼びかける。
「もしもこの凍夜鬼の問題が解決した後にあなたが騎士団を抜けて独りで行動をすることになったら……」
一呼吸をおいて彼女はその思いを声に出す。
「私も一緒に行かせてくれませんか」
……何を言っているんだ。
僕と一緒に行く? それではこの村のことはどうするというのだ。
……なぜ彼女が僕と一緒に行く必要がある。多くの人に囲まれた村の長という肩書を捨ててまで僕についてくることが彼女にとって幸せだというのか?
「ミル様、ダメでしょうか」
答えを迫られる。
何か言わなくてはならない。だが、簡単に答えていいことではない。僕のことではなく、彼女のことなのだから。
「ミハク……」
けど……僕以外の人間のことなら……一番正しい答えは……。
僕ですら分かっている。何が最善の答えなのかを。
だから僕の口から自然と出てきたのはこの答えだった。
「それは出来ない」
僕は彼女の言葉を拒んだ。
「……どうしてですか」
「君には僕と違ってやるべきこと、やらなくてはならないことがある。僕なんかについてきてはいけない。それに……」
そうだ。そもそも僕は……
「僕は独りで生きると言ったはずだ。君とよく話すのも君が村の長で重要な情報を聞きやすいからというだけだし、別に僕は君を……仲間や友達だと思ったことはない。だから君と一緒に行くことは出来ない」
突き放すような言葉を僕はミハクにかける。
「そう……ですか」
僕の言葉を聞くと彼女は膝を抱えて俯いた。
……きっと、これでミハクと会話することはもうないだろうな。
気まずくなり、僕は彼女から離れようと立ち上がった。
その瞬間、僕はこれまで感じたことが無い禍々しい波動を感じ取った。
「何だ……これ」
全身の毛が逆立つような感覚に襲われる。
その波動は森の奥……具体的には今朝行った祠の辺りから発生しているのがはっきりとわかった。ここまでわかりやすいとなるとまるで僕を呼んでいるかのようだ。
ミハクはまだ俯いている。彼女は感じていないのか。
罠の可能性はあるが、わざわざ呼ばれているのならば行かないという選択肢はない。行かなければ確認することもできないのだし。そもそも今僕は気まずいこの状況から抜け出したかった。移動することになるのは悪いことではない。
僕は屋根の上から地面に積もった雪の上に飛び降りる。
「ミル様!?」
その様子を見てミハクが声を上げたが、僕は彼女に視線を送ることはなく波動の発生源へ向かって駆け出した。
一体この先に何があるというのだ。
僕は気を引き締めて先に進んでいく。戦うことになってもいいように。
走り続けているとやがて僕は祠の下まで辿り着いた。
そして祠の扉の前を陣取って一人の男が座っている。その男は何かを待っているかのような様子だった。
奴は……
「魔人……『リツ』……」
その男は僕は今朝出会った『魔人』の片割れ、『リツ』だった。




