12話(70話) 『飢餓なる亡霊』
「『魔人』……魔人か」
初めて耳にした単語。その言葉を僕は反復して声に出す。
「まさか僕の他にも神の力を持つ者がいるとはね」
「自分だけが特別ではないと知って残念?」
残念……か。そうなんだろうか、今の僕の気持ちは。
目の前に現れた、自分と同じこの世界にとっての未知の存在。彼女を前に僕は落胆しているのか? 自分一人が特別な存在ではなかったのだから。
いや、そもそも彼女が本当に神の力を持っているかは分からないのだ。ハッタリかもしれない。
「どうなんだろうね。分からないな」
分からない。自分の気持ちが分からない。だって、今の僕が持っているのはただの落胆や不安感の感情だけではないのだから。
昂っているのだ。彼女の存在に。
僕はずっと探していた。この世界にやってきた自分の存在意義を。転生した理由を。
『魔人』という新たな存在が本当に存在するのならば、僕がそれらを見つけるきっかけにもなり得るかもしれないのだ。
だから僕は昂っていた。まるで新しい玩具を手にした子供のように。
「面白いな」
「面白い?」
「ああ、『魔人』という存在は面白いよ。興味が湧いた。最も、君のその言葉が真実ならばだけど」
「まだ疑ってるのね」
ここに来るまではあの骸骨の魔物を始末することだけ考えていた。が、その気持ちはもう消え去った。
今は出来れば彼女とは交戦するよりも情報を引き出したい。そのために僕は会話を続ける。
「君もまた異なる世界から来たんだろう? そちらの世界はどんなかんじだったのかな」
「自分の尺度だけで物事を考えるのは止めた方がいいと思う」
「と言うと?」
「私はあなたのように異界から来た存在じゃない。元からこの世界の住人だった」
「……ふーん。なるほどね」
彼女は最初に僕とは異なる神に力を与えられたと言っていたけど、その神は人を転生させて力を与えるというわけではないのか……。
同じように神の力を持つ者であっても細部は異なるということなのか、それとも全てただの虚言でしかないのか。それをはっきりさせなくてはならない。
「そもそも、君が神に与えられた力は何なのかな。僕と同じように力の強化かい?」
「あなたは質問ばっかり。そんなに知りたいの?」
彼女はあまり話したがらない。自分の手の内を見せたくないだろうから当然の反応であるが。
「『魔人』のことを聞いたのは初めてだからね。色々と知りたいだけだよ」
「ふぅん。あなたは既に『他の魔人』と出会っているはずだけど、その人からは話を聞かなかったの?」
「…………なんだって」
僕がすでに魔人と出会っているだって……?
馬鹿な。今までそのように名乗る存在はいなかった。自分の正体を隠していたのか?
いや、今はそのことを考えるよりも目の前の彼女が重要だ。
「ま、私にとってそんなことはどうでもいいけど。あなたと話していても退屈なだけだから」
だが、対話のために時間を稼ぐのもそろそろ限界だろうか。もともと彼女はあまり情報を話してくれそうにないし。
「退屈か。それは寂しいなあ」
「残念だけど、私にはお話を楽しむなんて感性はもうないの。残っているのはただ一つの欲求」
ただ一つの欲求…?
「それは?」
「『食欲』」
彼女はそう言うとともに、衝動を抑えられないといった様子で傍らの肉に手を伸ばし口の中へ放り込んだ。
これまでの彼女の行為はその欲求によるものだということだろう。
「私は喰らうことに縛られた者。喰らわずして生きられない者」
「喰うこと……ね。いったい君が何者なのかは分からないけど、様子を見れば随分な大食いさんだろうってことは嫌でも分かるよ」
「そう。私が満たされることはない。『飢え』は変えることのできない、私という存在に刻まれたモノだから」
喰う。飢え。
彼女喰べることへの関心の強さが言葉に現れている。
「そうかい。じゃあ、僕のことも食べたくて仕方ないってことかな?」
彼女は舌なめずりをして答える。
「ええ、もちろん。普通の人間たちもそこそこ美味しかったけど、『神の使い』であるあなたはどんな味がするのかとても気になるの」
喉を鳴らし、彼女は口に含んでいた残りの肉を喉奥へと飲み込んだ。
そして僕に向かって手を伸ばし、笑みを浮かべながら告げる。
「だから、私たちに喰べられて?」
私……『たち』か。
他に仲間がいるということなら、その仲間とは恐らく……。
「いいの。みんな、もう我慢しなくていいから」
彼女のその言葉に反応するように、これまで動きを見せなかった二体の骸骨の魔物が全身の骨を使ってカタカタと不気味な音を立てる。
それだけではない。何もなかった彼女の背後から同じ姿をした骸骨の魔物がもう二体浮かび上がるように出現したのだ。
「やっぱり、そいつらは君の配下だったってわけか」
だが、僕の声を『魔人』は首を振って否定した。
「違う。彼らは配下ではない。彼らは『同胞』。私という杭に縛られ現世に留まる亡霊たち。そして、彼らをこの世界に縛りつける力こそが私が神から与えられたモノ」
亡霊を縛り付ける。それが彼女が与えられた力。だとすれば、それは僕が与えられた力とは全く異なる類のものだ。
「彼らもまた無窮の飢餓に苦しむ者たち。あなたを喰いたくて仕方がないの」
「そうかい。でも僕は知ってるよ。そいつらは例え何かを口にしたところでそれを栄養に変えることはおろか、体内に溜め込むことすらできないってことを」
僕の脳裏には未だに焼き付いている。彼らが喰らった騎士たちの肉が骨の隙間からボロボロと零れ落ちる様を。
「それでも関係ない。彼らは喰らう。飢え続けているのは彼らも私と同じ。腹が満たないと分かっていても、本能で喰うことが止められない存在なのだから」
喰べても意味がないと分かりながらも喰べることが止められない。
意味がない食事のために殺される生物もたまったものではないな。
「弱肉強食ですらない。もはや君たちの食事はただの害でしかないな。そこら辺の雪や草でも食べていたらどうだい?」
「何とでも言えばいい。腹が満たされないのなら、せめて『喰べている』という実感が欲しい。そのために喰べがいのある肉がいいの」
「あっそ」
僕の態度を見て、目の前の『魔人』が急速に不機嫌になっているのが感じ取れた。
どうやら今の僕はあまり話し合いには向いてないようだ。隙さえあれば相手を煽ることを始めてしまう。そのあたりは僕が変化したときにロサから影響を受けたところでもあるのかな。
「あなた、とても不快ね」
「ああ、自覚はあるよ」
「まぁいいや。喰らってしまえば最後には静かになるから」
そう言うと、彼女の周りを浮遊していた骸骨たちが僕を包囲するような陣形を取り始めた。
どうやら、もう戦闘は避けられないらしい。腰の剣……ロサの棘から生み出した剣の柄を握り、いつでも鞘から引き抜けるように準備する。
「私は彼らをこう呼んでいる。『飢餓なる亡霊』と」
『飢餓なる亡霊』。僕の周りを取り囲む彼らはその鋭い牙を剥き出しにしながら、僕を威嚇し続けていた。その顔は新たな食糧を前に嗤っているようにも見えた。
そして、『魔人アンドレア』から彼らへの命令が下る。
「さあ、彼を喰い殺すわ。我が同胞、『飢餓なる亡霊』達」




