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9話(67話) 『もう一つの夜談』

 ふと、彼の事を思い出していた。


『僕は君を一人にしたりしない。ずっと君の隣で一緒に戦ってみせる』


 そう彼は言った。言ってくれた。

 けれども今、彼は……ミルは私の側にいない。

 約束してくれたのに、隣にいると言ったのに。


「嘘つき……」


 私はポツリと呟き、布団を頭まで被り直した。

 けれどその温もりは冷えた身体を温めてはくれても、心までは温かくしてくれなかった。


 その時、私たちの部屋をノックする音が聞こえた。

 私たちと言ってもエン姉とスノウ、そして私の三人しかいないが。


「次はシィたちの番だから、一応呼んでおくよ」


 それは、思い浮かべていた彼自身であった。

 いや違う。例え、声が、容姿が同じであったとしても今の彼は私が知るミルでは無い。


「そんなこと分かってるわ。早く部屋に戻ったら?」

「うん。言われなくてもそうするよ」


 私の応答を聞いたミルが私たちの部屋の前から去っていく足音が聞こえた。その足音が階段を上っていったことを確認してから、私は側で眠っているスノウの体を揺する。


「スノウ起きて。次は私たちが見張りをする番よ」


 見張りは二人一組で行われることになっていた。

 私はスノウと組むことになっていたので、彼女にも起きてもらわなくてはならない。


「……分かった」


 スノウは気だるそうに布団から抜け出す。体調が悪いのではなく、まだ寝ていたいという様子だ。


 私もスノウも見張りのことは知っていたため、服装はすぐに外に出れるものを着ていた。

 エン姉は既に見張りの時間を終えて仮眠している。起こさないために、音を立てないようにしながら私は上着だけ羽織って、スノウは寝ていた姿のままでそれぞれ扉から外へ出た。


 ✱✱✱✱✱✱✱✱


 私たち二人は屋根の上に向けて立て掛けられたハシゴを順に上り、見張りを行う位置で腰を下ろした。


 屋敷の外は雪が舞っていた。上着を着ていても刺すような寒さを感じる。だというのに、スノウは上着を着ることもなく、薄い服一枚でここに来ていた。


「寒くないの?」

「……慣れてる。この寒さには」

「そう」


 スノウはこの村の出身だから寒さに強いのだろう。最も、私からすれば「慣れた」で済むような寒さだとはとても思えないけれど。

 事実、隣に座って平気な顔をしているスノウとは対称的に、上着を羽織っているにも関わらず私の体は寒さで震えていた。

 屋根の上だから火を灯して暖をとる訳にもいかない。

 しかし、このまま時間が来るまでじっとして凍え続けるのも御免だ。


「ねぇスノウ、何か話しましょうよ」

「……うん。何の話がいい?」

「うーん、そうね……」


 何の話と聞かれても、特に話題があったわけではなかった。ただ時間を潰すのが一番の目的だからだ。


「あっ、そういえば……」


 ふと、一つ疑問があったことを思い出す。


「スノウって、この村の生まれなのよね? その割には、あまり村のみんなと話しているようには見えなかったけど」

「……そうかな?」

「ええ。『離れ』で歓迎会が行われていた時もさっさと外に出ていっちゃったでしょ?」

「……それは」


 スノウはどう答えればいいのか分からないといった様子で、狼狽していた。

 その時、私はあまり聞かない方が良かったことかもしれないと気づいた。もし話さなかったではなく、話せなかったのだとしたら、私の言葉は彼女を傷つけてしまったかもしれない。


「ご、ごめん。答えにくい質問だったみたいね」

「……いや、あれはただ、久しぶりに再開して何を話せばいいか分からなかっただけ」

「そ、そう。それなら良かったわ」


 スノウの返答によって話に一区切りがつきはしたが、暗い雰囲気になってしまった。

 何か楽しい話題はないかと私が探していると、次はスノウの方から口を開いた。


 しかし、その話題は私が最も話したくないものであった。


「……ミルのこと」

「え?」


 思わず聞き返してしまう。あまりにも唐突に彼の名前が出たものだったから。


「……今のミルのこと、シィがどう思っているのか聞きたい」

「やめて!」


 スノウの問いを私は強い言葉で拒否する。


「私はもう、ミルのことはどうも思ってないわ。彼は……変わったから」


 私のその声を、スノウは静かに聞いていた。


「じゃあスノウは……スノウはミルのことをどう思っているのよ」


 私はそんな彼女へ、私に向けられた問いを投げ返した。


「……私は、ミルのことをあれこれ言っていい立場じゃない」

「どういうことよ?」


「……ミルが変わってしまったのは私が原因だから」


 スノウはそれから、ミルが変わってしまうよりも前の日のことを語った。

 それは、私が街角でミルとぶつかった日のこと。確かにその時、彼はスノウと喧嘩したという趣旨の話をしていた。けれど、私は所詮小さな喧嘩の延長程度のことだろうという認識だった。だから、ミルのことを軽く励ますだけで終わらせてしまった。


 けれど事実は違った。


 スノウとミルのその会話はそんな簡単な話ではなかったのだから。

 その会話がミルが変わる元凶であったかもしれないのだ。


「どうして……?」


 私は思わず声を漏らした。


「どうして、そんな事をミルに言ったの!」


 我慢出来ずに立ち上がり、私は叫んだ。

 まだ信じられない。ミルを変えてしまったのが、今、目の前にいる大切な仲間の言葉であっただなんて。

 私はミルは勝手に変わってしまったものだと思っていた。そして、それなら仕方ないと心のどこかで思ってもいた。人の心は移り変わるものだから。

 でも、それがもし誰かの……ミルの心の闇を言及したスノウの、そしてミルが傷ついていることに気づかなかった私のせいだと言うのなら……私たちは一体どうすれば良いというのだ。


「答えて……答えなさいよ……」


 私はスノウを追求する。


「……『こんなことになるとは思っていなかった。』というのが言い訳なのは分かってる。私はただ、ミルに自分の闇を払って欲しかった。その闇を背負い続けて欲しくなかった」

「でも、その結果は今の通りってわけね」

「……そう。……でもそれはミルの心が弱かったわけじゃない。ミルは確かに心の闇を乗り越えた。でも、そうして彼が見つけた答えは私の予想を超えてしまっていた」


 スノウは続ける。


「……ミルはもっとゆっくり自分と向き合っていく方が良かったはず。……だけど、私は先走った。彼に早く闇を乗り越えてもらおうと、焦らせすぎた」

「なんで、彼の心の闇を消したかったの。それをして、スノウになんの得があったの?」

「……」


 スノウは答えない。

 けれど、答えないままではいさせられない。このまま明確な答えがないままでは私は自分自身と同じくらいスノウのことを許せなくなってしまう。


「答えて」


 私のその声にスノウはゆっくりと口を動かし、そしてその本心を語った。


「…………私と同じようになって欲しくなかった」


 ただ一言、それだけ答えるとスノウは立ち上がり、ハシゴの前まで歩いた。


「……先行く」

「待って、それってどういう意味よ!?」

「……これ以上は話せない」

「どうしてよ……!」


 スノウは私のその問いには答えなかった。

 しかし、彼女は私に背を向けながら最後に言い残す。


「……どんな理由であれ、私の言葉がミルを変えてしまったことは間違いない。……だから……私はいつか必ずこの責任はとる」


 そう言って、スノウはハシゴを使うこともなく、屋根から柔らかい雪の上に飛び降りた。


 そして、そのまま少し歩くと思い出したように振り返る。


「……だから、もしも私がその責任を放棄したら、『その時は本気で私を怒って』」


 その言葉の真意は分からない。先程「責任をとる」と言った彼女の背中は、その言葉を無下にするようには見えなかった。


 けれど、この言葉を発した時、彼女が今にも泣きそうな顔で無理に笑っていたことははっきりと覚えている。


 その後スノウが去ってからも、私は一人で見張りが終わる時間まで屋根の上にいた。

 けれど結局、彼女が何を言いたかったのか理解することは出来なかった。


 そして見張りの時間が終わり、自分の部屋に戻ると私はすぐに眠りについた。部屋に戻った時、スノウがちゃんと布団の中にいた事に安心したのを覚えている。


 ✱✱✱✱✱✱✱✱


「……シィ、起きて」


 枕元で私の体を揺すりながら誰かが声をかけてくる。


「……スノウ?」


 私を起こしていたのはスノウだ。昨晩とは逆に、私が起こされる形になってしまった。既に朝日は上っている。


「……今日は、凍夜鬼が封印されていく祠の様子を見に行くことになった……って、さっき聞いた」

「分かったわ」


 エン姉の布団は既に畳まれていた。どうやら先に外へ出ているようだ。私は急ぎ足で支度をする。


 だがどうしても気になることがあり、部屋を出るよりも先にスノウに声をかけた。


「昨日最後に話してたことの意味なんだけど……」

「……その事は気にしないで。……シィに怒鳴られて、少し動転してたから。……私も昨日のことは気にしないようにするから」

「……そう、分かったわ。そういうことにしましょう」


 はぐらかされた気もしたが、彼女との関係を悪化させたくはない。一度ここで区切りとした方がいいと思い、私はそれ以上追求することはしなかった。


「それじゃあ、行きましょう」

「……うん」


 私たちは揃って外へ出る。

 外では朝食として保存食を食べている騎士たちが集まっている。

 私たちも配給を行っている者から食事を受け取り、お腹を満たすことにした。


 しかし、そこで私は見ることはないだろうと思っていた顔と出会った。


「今日は随分遅かったね。二人とも」


 声の主は配給の近くの木の根に腰を下ろして食事をとっている騎士。そう、それは昨日の話題の中心であるミルであった。

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