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3話(61話) 『それぞれの思い』

 とても遅くなってしまい申し訳ありません。

 三月過ぎまではこの状態が続くと思われますが、どうかよろしくお願いします。

『君は本当にこれで良かったの?』


 ······ここは消えるはずだった魂の在り処。外の世界から隔絶された暗く寂しい世界。

 そんな音が届く訳のない深い精神の奥底に、ありえない声が響いた。

 声の持ち主が誰なのかは分からない。でも、この世界にその音は確かに伝わっていた。


「良かったんだよ、これで。これがきっと正しい道だったんだ」


 問いかけてきたその声に僕は言葉を返す。


 そうだ、きっとこれで良かったはずなんだ。『力の無い僕』よりも『力のある僕』がこの身体を使った方がいいに決まっている。


『僕は別に、今この身体を使っている彼が間違っているとは思わない』

「ほら、君も同じ考えじゃないか」


 声の主も今の僕を肯定した。それはつまり過去の僕······今この深淵に佇んでいる僕が間違っていた事を意味している。······はずであった。

 けれど声の主はそれとは真逆の意見を掲示した。


『でも、僕は君が間違っていたとも思わない』


 訳が分からない。何故この声の主は『二人の僕』、その両方を肯定しようとするのか。


「ねぇ、君はいったい何者なの? どうして僕に語りかけるの?」


 今度は僕の方からその声に問いかける。


「それは僕が答えを提示すべき質問じゃない。君自身が考えるべき事だよ、『秋風見留』」


 しかし彼は答えることを拒否した。忘れかけていた、僕の魂の名を呼びながら······。


 ✱✱✱✱✱✱✱✱


 書庫から出た姫はその不機嫌さを象徴したような荒い足取りで廊下を進んでいく。

 彼女は今のやり取りで確信していた。やはり彼は自分の知っているミルとは違う存在なのだと。

 しかし、改めてそれを理解したところで自分にはどうする事も出来ないのだと思うと自分自身の無力さにも嫌気がさす。


 そんなもどかしい気持ちのまま投げやりに廊下を進んでいると、曲がり角で姫は誰かとぶつかってしまった。


「す、すみません」


 咄嗟に我に返ると、慌ててぶつかった相手に頭を下げる。


「ひ、姫様? すみません、私こそよく前を見ていなくて······」

「あれ、シィさん?」


 聞き覚えのある声に顔を上げると、ぶつかった相手は自分もよく知るシィであった。その隣にはスノウも立っている。


「シィさんとスノウさん。今日はどうしてお城に?」

「ちょうど騎士団の会議がありましたから」


 その言葉を聞いて、姫はなぜ今日に限ってミルが書庫にいたのか勘づいた。恐らく彼もまた騎士団の会議に呼ばれていたのだろう。


「姫様は書庫からの帰りですか? 私達もちょうど行こうとしていたところなんです」

「え、書庫へですか?」


 その言葉を聞いて、姫は嫌な事を思い出した。


「はい。ではこれで失礼しますね」

「ま、待って下さい」


 書庫へ進もうとする二人を止めるように、その進路に姫は立ち塞がった。

 会議があったのならば彼女達とミルも顔を合わしているはず。そして目的地が同じにも関わらず一緒に行動していなかったということは、恐らく彼らの関係は自分とミルの関係のように良好なものでは無いのだろう。

 ならばこのまま書庫へ向かわせて鉢合わせさせるわけにはいかない。


「······どうして止めるの?」

「実は今、書庫は整理中でして······中へ立ち入れないんです」


 疑問を呈したスノウに対して、適当な言い訳で誤魔化す。


「そうだ、折角なのでお茶しませんか? 最近はあまりお会い出来ていませんでしたし」

「はい、別に構いませんけど······」


 どこか態度が露骨になり少しシィやスノウに疑われている様だが、今は一刻も早くここから離れたかった。


「ではすぐにでも私の部屋へ行きましょうか!」


 姫はそう言うと、小走りになりながら二人を連れて自分の部屋へ向かった。





「なるほど、次の作戦で向かうのはスノウさんの故郷なんですね」

「······うん」


 姫の部屋の中で丸型テーブルを囲うように座りながら、三人はそれぞれの前に置かれたティーカップに口をつけていた。

 ティアは三人のために紅茶を淹れた後、新しい茶葉を買ってくると言って部屋から出ている。そのため、今この場にいるのはちょうど、『護り手』としての作戦時にミルとともに『スピリトの大樹』に向かった者達だけであった。


「でも、それならどうして書庫で調べるんですか? スノウさんに聞けばいいのでは?」

「スノウが自分の故郷について自分もそんなに詳しくないと言うので」

「······ごめん」

「私もせっかくだから書庫に言ってみたかったから別にいいけどね」


 謝ったスノウをシィが諭す。


「言われてみると、自分の故郷について詳しく語るというのは意外と難しいかもしれないですね」


 スノウの言葉に同調するように姫もストファーレについて説明する事態を想起してみる。

 そんな和やかな雰囲気でお茶会は進行していたのだが、スノウのある一言がその雰囲気を変えた。


「······故郷と言えば、あんまりミルにミルの国について話してもらえなかったね」


『ミル』、その名が出た事でその場の雰囲気は一気に重苦しいものになる。


「別にもういいでしょ、アイツの話なんて」


 見るからに機嫌を悪くしたシィが窓の方に顔を向けた。その様子を見て、書庫から二人を離した自分の判断が正しかった事を姫は確信した。


「······でも、シィもまたミルと一緒に話したいでしょ?」

「仮にそうだとしても、今のアイツと話すのは御免だわ」


 腕を組んだシィはこちらに目線を戻そうとはしない。


「······姫様は? ミルと話したい?」

「私ですか······?」


 話したいか、と聞かれても先ほど話したばかりであるし、その会話も気持ちの良いものではなかったから今の彼と話すのはシィと同様に姫も御免であった。

 けれど······また元の彼と話せるのならば······


「もしも、またあの頃のミルさんが帰ってきたのなら、私はまた一緒にお茶したいです」


 確固たる意志を持って、リブロ・ガイアブレイドはそう答えた。


 ✱✱✱✱✱✱✱✱


「私が眠っている間に色々あったそうだな、エン」

「ああ。ラウン、今日お前を呼んだのはその事についてだ」


 日が沈み、夜の(とばり)が下りた街の酒場にエンとラウンの二人は集まっていた。


 ラウンが目覚めたのは二ヶ月ほど前であった。そこから一ヶ月以上のリハビリ期間を経て今は姫の付き人としての仕事に復帰している。


「それにしても、まさかミルがああも変わっているとはな。私は悲しいぞ」


 カウンター席でガラスのジョッキに注がれた酒を定員から渡されたラウンは、その酒を豪快に喉に流し込んでいく。

 ラウンが目覚めた時点で既にミルは変貌していた。その事を姫やティアから聞いたラウンは何度もミル本人と話をしようと試みたが、それが叶うことは無かった。


「あれは本当にミルなのか? とても同一人物には見えないが」


 一口で半分近くの酒を飲み干したラウンがエンに問いかける。


「恐らく······な。同一人物に見えないという意見は私も同じだが」


 ラウンとは対象的にちびちびと酒を飲みながらエンは答える。

 エンは今日の出来事を思い出していた。

 スノウの頼みを嘲笑うかの様な態度で断ったミル。あのような人物が自分を打ち負かして騎士団に入ったミルと同一人物だとはどうしても信じがたかった。


「ところで、騎士団はまた新たな作戦を行うらしいな」

「あ、ああ」


 ちょうど自分の考えた事と同じ事が話題に上がったので、エンは一瞬動揺した。


「出来れば私も同行したいのだが······」

「分かっている。ラウン、お前の役割は姫様の護衛だ。私達騎士団とは仕事が違う」

「ああ。すまない、私に出来るのは健闘を祈る事くらいだ」

「それで十分だ」


 友人であっても、彼女と自分の役割が違う。エンはその事を十分承知していた。だから自分から作戦について話す事を躊躇したのだ。

 それはまるで助けを求めるようであったから······ミルという重要な戦力の代わりとしての助けを。


「気をつけて行ってくれよ。何か嫌な予感がするんだ」

「心得ているさ」


 そうだ、今は目先の仕事に集中しなくてはならない。

 ミルはこの作戦への参加を断った。無いものねだりは出来ないのだ。

 気持ちを切り替えるように、エンはグラスの残りの酒を一気に飲み干した。


 ✱✱✱✱✱✱✱✱


「さて······と」


 城から家へ戻った僕は早速作戦へ向けての準備を開始する。······といってもいつも通りのことを行うだけなのだのだが。

 僕は家の隅に置かれた木箱の中から砥石を取り出すと、その木箱に立てかけられている研ぎかけの剣の柄を手に取った。


 緑と黒が混ざりあったような禍々しい色をしたその刀身を砥石の上に置き、いつもやってきたように研いでゆく。


 この形状に変えるまで、かなり長い時間がかかってしまった。何せ誰にも頼ることが出来ない為に全て一人で行ってきたのだから。おかげで元あった『素材』の大半が駄目になった。


 けれどようやくその苦労も報われる。一週間後の作戦までにはこの剣も立派な刀身を持っている事だろう。

 そうすればいよいよ実践だ。きっと『君』が望んでいたように大暴れが出来るだろう。


「だから、あと少しの間待っているといい。ロサ······」


 この()の元の持ち主の名を呟きながら、僕はその刀身を研ぎ続けた。

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