6話(38話) 『戦闘開始』
「それじゃあ姫様、早速始めますか?」
「はい。長居も無用ですしね」
ティアさんが声をかけると、姫様は大樹の根元へと歩き始めた。
大樹の横幅は目測でだいたい5、6メートル。元々小柄な姫様の体と比べるとその大きさがよく分かる。
その巨大な木の前に立つと、姫様はその手で木の根本に触れる。
姫様が木に触れた瞬間、辺りの空気が変わったのを肌が感じた。暖かく包み込まれるような優しい雰囲気。
それはまるで姫様に応えるように木が発したようでだった。
姫様は続けて木に語りかける。
「大樹に宿りし大地の精霊よ、聞こえていますか。私はストファーレの姫、リブロ・ガイアブレイドです。私が王の器に足り得る人間となるためこうして今年もこの地へ───」
「やったやった! やっと着いた!」
しかし、姫様の大樹への言葉を遮るように突然僕らの後ろから声が響く。
僕を含む全員が慌てて振り返ると、僕らが馬車でこの広場に入ってきた入口に1人の少女の姿が確認できた。
「おぉ、皆さんもこの大樹を見に来てたんですか。良い木ですよね、なんかパワーを感じることが出来て」
友好的に話しかけながらこちらへ歩いてくる少女。どうやらこの子はこの大樹を見に来たようだ。
大樹の元にいた姫様は、関係ない少女が来たので儀式を中断するようだ。この子は見に来ただけだろうし、先に用事を済ませてもらった方がいいか。
「おや、儀式の最中でしたか。じゃあお邪魔なようなので、私はとっととお祈りを済ませて帰りまーす」
少女は小走りで僕らに..正確には大樹の近くへ寄ってくる。
しかし少女がこちらのそばに来るよりも先に、ラウンさんが少女の前に出た。
「いえいえお邪魔なんかではありません。むしろ出てくれて有難いほどです」
「ん、どーして?」
少女の前に立ち、笑顔で応対するラウンさん。
有難い、っていったいどういう...
「こうしてわざわざ殺されに出てきてくれたのですから」
少女の問いかけに答えた次の瞬間、ラウンさんが懐から取り出した短剣が少女の心臓の位置に突き刺さった。
「...」
短剣を刺された少女は一言も発すること無く、地面へ崩れ落ちた。その様子を確認したラウンさんはゆっくりと後ずさりする。いったいこの人、何を考えて!?
「ら、ラウンさん何をしてるんですか! 何の罪も無い女の子を殺したりして!」
僕は慌ててラウンさんの元に駆け寄り叫んだ。しかしラウンさんは落ち着いた様子のままだ。
そしてラウンさんは僕に言う。
「何の罪もない、か。ならよく見てみるといいその死体を」
「え...?」
僕は近づくことなくラウンさんのそばから少女の様子を確認する。心臓を刺された少女の胸からは赤い血が流れて...
しかし、地面に生えた草を濡らしていたのは赤い人間の血では無かった。緑色のドロっとした液体。それが少女の傷口からは溢れている。
「こ、これは...」
「見ての通りだ。彼女は人間ではない」
「御名答」
突然、地面に突っ伏していた少女が声を上げた。
そして地に手をつきゆっくりと立ち上がる。
「どこで気がついたの?」
「お前は私達の様子を儀式と評した。しかし自分が行うことはお祈りだと言っている。この時点で、私達がただの観光者ではないと知っているのだろうと思った」
「ふーん、それで?」
少女は自分の心臓に突き刺さった短剣を抜き出し、それに付いている自分の血のようなものを舐め始めた。
「私達の儀式の事を知っている者の中に、お前がいた記憶は無い。そもそもこんな森の奥に何かにも乗らずに来ている時点で不自然だろう。それ位考えたらどうだ?」
短剣に付いていたものを舐め取り終えた少女が答える。
「んー、まぁ気づかれようも気づかれまいと、皆を殺すのは私じゃないしなぁ。むしろバレてくれた方が、そちらさんの気が抜けて楽になるんじゃないか...なぁ!」
最初は穏やかだったが、突然少女は目の色を変えて自分に刺さっていた短剣を投げた。
もちろん姫様の前には僕らが立ち塞がっていて、その刃が姫様へ届くことは無い。が、その短剣の矛先は姫様では無かった。
「ブルルオォォ!!」
短剣の矛先は、僕らの乗ってきた馬車に繋がれている馬。カーブをかけて投げられたそれは2匹の馬の胴を激しく切り裂いた。馬は激痛で叫び苦しんでいる。
「言ったでしょ、皆に手を下すのは私じゃないって。私は馬を奪えれば充分」
次の瞬間、僕らはどこからとも無く現れた獣の集団に囲まれていた。見た目は狼のようだが、体は一回り程大きく、目も赤く光っている。彼らがただの森の獣ではない事だと明らかだった。
さらにその中でも一際大きな体をした4匹がまるで先導するように前に出る。このままじゃいつ襲ってきてもおかしくない。
「みんな、姫様を守るぞ!」
ラウンさんの言葉を合図に、僕らは姫様を中心にして陣形を取る。数は約20から30ってところか。1匹ごとの実力は分からないが単純な数では不利だ。
「ルーちゃん、ベーちゃん、ローちゃん、スーちゃん、後は任せたよ。じゃあグッバーイ」
彼女は前に出てきていた4匹の名前らしきものを呼ぶと、最初に来たこの空間の入口へと走り去っていく。
それ同時に、獣たちも僕らへと襲い掛かってくる。
先導する4匹のうちの1匹はその口を大きく開き、鋭い歯をギラつかせながら僕に飛びかかる。
「くっ...」
体を屈めてその攻撃を交わし、がら空きの腹にカウンターの拳を叩き込む。僕に吹き飛ばされた獣は背中から地面に叩きつけられたが、すぐに起き上がった。致命傷にはなっていない。
「ミル君!」
獣の動きを警戒しつつ、後ろから聞こえたティアさんの声に耳を傾ける。
「ここは私達に任せて、ミル君は彼女を追って! ミル君の足なら追いつけるでしょ」
「で、ですが...」
僕が抜けてしまったら、ここで姫様を守る人は4人。それだけでこの数を相手にするのは流石に...。
「大丈夫よミル、私達だっているわ」
「...任せて」
...いや、ここにいるのは全員れっきとした実力のある者たちだ。僕が心配なんかしなくても任せられる。
「分かりました。後はお願いします!」
ここはみんなに任せ、僕は彼女を追うことにする。
この広場を抜けて、彼女が走り去って行った方向へ駆け出す。僕の後ろを追おうとしていた獣たちはスノウが氷の魔法で倒してくれたみたいだ。ありがとうスノウ。
✱✱✱✱✱✱✱✱✱
いた...!
大樹のある広場を抜けた後すぐに彼女の姿は確認できた。距離はそれなりに離れているが、彼女が急いでいる様子は無かった。僕らが追ってくる訳が無いとたかをくくっているのだろうか。
彼女に気づかれないように、僕は森の木の上に登って飛び移りながら追っていく。本当に昔の僕からは想像もつかない運動神経だ。今は亡き妹がみたらどんな反応をするだろう...。
木を飛び移って、僕は彼女の所まで追いついた。とはいえ、前に出て気づかれる訳にはいかないから少し後ろの位置から様子を観察している感じだ。
今の所気づかれている様子は無い。ならばこのまま木の上から奇襲をかけるのが最も効果的か──
「やっぱり、追ってくるならあなただと思ってたよ」
彼女は突然、木の上に立つ僕に向かって声をかけた。
その目に僕の姿をはっきりと捉えて。
「なっ...」
いつの間に気づかれたんだ? 完璧に気配を消して追えていると思っていたのに。
しかし、見つかってしまっては不安定な木の足場に立ち続けるのは得策ではないだろう。僕は彼女とは一定の距離を保ったまま地面に降りる。
「ふぅ、ここまで離れれば十分かな。あの大樹の近くだと私の本来の力が使えないからね。わざわざ来てくれてどうもありがとう」
彼女は地面に降りた僕の方を振り返って、
という事は、彼女が歩いていたのは僕らを見くびっていた訳ではなく、自分にとって十分戦える環境になったからだったのか。つまり僕はまんまと引っかかってしまったと。
「『神の力』ねぇ。最初聞いた時は信じられなかったけど、実際こちら側に被害が出てるって事は本当にあるんだろうね。その力があるから君が私を追ってきたんでしょ?」
図星だ。でも僕は何も答えない。今は相手と話している場合ではないから。自分の能力を知られている上で僕はどうやってこの相手を倒せば良いのか考えなくてはいけない。相手の能力も分からないのに...。
「おーい、あなたは質問されて返事も出来ない人なのかなぁ? 全く、これだから話の通じない人間は嫌いなんだよなー」
彼女は苛立った様子だ。そのまま苛立ちで冷静さを欠いてくれれば良いのだけど、そうもいかない。
「ま、いいや。君の名前はミルだよね。私はロサ」
魔物は一見すると友好的に、僕にロサという名前を言った。でも、魔物は魔物。先程の苛立った雰囲気の時のように本心では僕を殺すことを考えてるはずだ。
そして、僕のその考えに答えるように彼女は言い放つ。
「それじゃあ始めようか。私達の殺し合いを」
これまで見せたことが無かった程の笑みで、ロサはそう告げた。




