31話 『拳に込めた思い』
「その小娘がいなくなってもまだ向かって来るか...。こちらも出来ればこれ以上の負傷は避けたいのだがな」
1つの腕は潰され、別の1本は肩から斬り落とされながらも、イーブルはまだ倒れてはいない。
まだ僕たちに退る事は許されていない。この鬼の動きを完全に止めるまでは。
僕はゆっくりと屋根の上を歩き、イーブルへ近づいていく。しかし、イーブルの体は家からは離れており、腕を伸ばしても届きはしない。それでも僕は前に進む。
「僕だって、本当は逃げ出したいよ。でも僕は騎士だから。逃げるわけにはいかない」
「そうか。ならばもう一度死の恐怖を味わうがいい」
イーブルは進み続ける僕に向かってその腕を振り下ろす。
僕はすぐさま後ろへ飛び退いてその攻撃を回避する。
元々僕がいた場所の屋根は崩れ、その残骸が宙を舞う。
まずはその残骸を先程と同じようにイーブル目掛けて弾き飛ばす。
「同じ手は食わんぞ」
しかし、イーブルはその残骸を残り1本の腕で払い除ける。やはりもうこの手は通じないか。
でも、イーブルは僕に対してはスノウを倒したあの石を使って攻撃して来なかった。まだあれが使えるのであればこれほどの窮地であれば使ってくるはず。という事はもうあの石による攻撃は行われない。それならまだ勝てる可能性はある。
「シィ!」
僕は後方でスノウを安全な位置まで退避させていたシィを呼ぶ。僕の考えはシィに伝えられて無いけど、きっとシィなら気づいてくれる。
「小賢しい...」
シィが僕の元まで駆け寄って来る間もイーブルは攻撃の手を休めない。
腕をバットのようにスイングさせて、僕目掛けて薙ぎ払いによる攻撃を仕掛けてくる。
「ぐっ...」
その攻撃を僕はイーブルの手首のあたりを掴んで受け止める。
多少は後ろに押しこめられたがそれでも何とかその攻撃を止めることが出来た。
「シィ、乗って!」
「任せて!」
僕が受け止めたその腕に、走り寄ってきたシィは飛び乗る。
イーブルの体にまで辿り着くための足場が失われたのなら、新たな道を作るまでだ。
シィはそのまま腕をつたってイーブルの首筋まで駆けようとする。
「そうはさせん」
しかし、イーブルは僕に押さえられていた腕を持ち上げ始めた。
腕に掴まったままだとこのまま宙吊りにされてしまう。仕方なく僕は体が少し宙に浮いた段階で腕から手を離し、屋根の上に着地する。
腕に乗っていたシィも腕が持ち上げられた事で腕をつたっていく事が困難になったので飛び降りる。
「腕をつたっていく方法じゃダメか...」
残念ながら、今回の僕の作戦は失敗に終わってしまった。となれば、再びどうすれば奴の体に攻撃を届かせられるのかということから考え直さなくてはいけない。
でも、僕らにそんな時間は残っているのか...。
「いえ、ミル、もう一度やりましょう」
「え?」
僕の隣で立つシィがイーブルに目を向けながら告げる。
「今度は、私が動きを止めて、ミルが決めるの」
「シィが止めて、僕が決める...」
「そうよ。ミル、共にいきましょう」
そう言うとシィは僕の前に立ち、僕の事を抱きしめた。
「えぇ! ちょっと、シィ...」
「私の脚じゃあの腕をつたっていくのは辛いわ。だからミル、あんたが、いえ、あなたが私を連れていって」
耳元でシィが囁いた。耳にかかる吐息がこそばゆい。
でも、その言葉が僕を決心させる。
「分かった。僕もシィを信じる。だからシィも僕を信じて」
僕はシィを抱き抱える。
「もちろんよ」
再びシィが耳元で囁く。今こうしていられる事が、この世界に来てから一番幸せな事かもしれない。
「随分見せつけるじゃねぇかァ!」
イーブルはそんな僕ら目掛けて、再びその腕を振り下ろした。
...僕らがここで終わらせてみせる。
シィを抱き抱えながら、僕はその腕をかわす。そして腕が屋根を破壊するのと同時に再び腕の方へ近付いて、今度はその腕に飛び乗る。
「だから、そんな方法は無駄だ」
イーブルは腕を上げて、僕らのことを振り落とそうとする。しかし、僕はなんとかバランスをとりながら腕を登っていく。
そう、僕もここまでは上手く出来るだろうと考えていた。が...
「ならば、潰されるがいい」
イーブルはもう1本の腕を、肘を越えたところにいる僕らに伸ばす。
この腕を動く足場の上でかわすのは、僕にも恐らく不可能だ。だから先程の僕は、足場を固定する事に全力を掛けて、シィにトドメを任せようとしていた。
けど、今はそのシィが僕についている。
「ミル、今よ! 私を下ろして!」
僕の腕の中でシィがそう叫ぶ。
僕は腕が僕らに届く直前で、シィを腕の上に降ろす。ほんの少しの間なら、彼女だけの力でもここで立っていられると信じる。
腕に立つと同時にシィは腰から2本の剣を抜き、その剣を迫り来る腕の手のひらに突き立てた。
「私の全力を込めた電撃を食らいなさい!」
そしてその剣を伝わってシィが放った電撃がイーブルの全身を巡る。
「ガァァァァ!」
「ミル、行って!」
「うん!」
シィの電撃によって、今イーブルは完全に動きを止めている。しかしそれもほんの一瞬だ。すぐにまた動き出してしまう。
なら、今この瞬間に決める。
「たぁぁぁぁ!」
僕は今いる地点から、イーブルの顔めがけて飛び立った。腕を登っている時間は無いだろうから、ここから一気にトドメを刺すしかない。
この一撃で終わらせてみせる。
この街の皆を護るために。
騎士団の皆の誇りを護るために。
スノウを助けるために。
僕を信じてくれたシィのために。
そんな誰かに対しての思いを全て僕の右手に込める。
どうか神様、今の僕に最大限の力をお貸しください。
「『この拳に思いを込めて』!」
頭に思い浮かんだその名前は、きっと神様が恵んでくれたものなのだろう。
僕の拳はイーブルの眉間に届き、その顔を砕いていく。
「バカな、この私がァ...」
イーブルの頭は砕かれ、そこから紫色の血が吹き出した。
そしてイーブル自身も力なく地面に倒れる。
僕は倒れたイーブルの体の上に着地すると、その頭の方へ近寄る。
そして、彼に対しての最後の言葉を投げかける。
「僕がいる限りこの街は絶対に壊させないよ」
「ク...だが、これで終わりでは無いぞ。ここからが始まりだ。我々魔物の侵攻のな」
イーブルはほぼ崩れかけた顔でニヤリと笑う。僕の絶望する顔でも見たかったのだろうか。
でも、僕は怯まない。
「例えどんな敵が現れたとしても僕はそれは打ち倒すまでだ」
「その威勢が...どこまで持つかな...」
その言葉を最後に、イーブルの口が動く事は無かった。そしてすぐにその体は黒い霧に包まれて消滅した。
乗っていた体が消え、僕はレンガ造りの通りに足をつける。ここに立っていたのもついさっきの事だったはずなのに、随分前の事のように感じてしまう。
「ミル!」
僕の名前が呼ばれ、僕は慌ててその声の方向を向く。
声の主であるシィはさっきまで僕が乗っていた屋根の上にいた。恐らくイーブルの体が倒れるよりも先に、屋根の上に退避していたのだろう。
「私はこのまま屋根の上をつたってスノウを病院まで連れていくわ。ミルは先に病院に行ってその事を伝えておいて!」
「うん、了解。気をつけて」
忙しなく、今度は病院目掛けて僕は走り始める。
まぁ、僕の体も結構ボロボロなわけだけど...。ってそう思い始めたらまた痛んできた。アドレナリンが切れたのかな。
でも、スノウもシィのあの様子だと無事みたいだし良かった。
...それから後でちゃんとカールさんとトルンさんを騎士団全員で弔わないと。
何の犠牲も無かった訳ではない。それでも、この街の防衛戦は僕らの勝利で終わったのだった。
次話で1章が完結する予定です。
それから、戦闘シーンに関してですが、1章内での描写について感想を頂けると嬉しいです。




