26話 『予兆』
あの岩の魔物との激闘から1週間。
目覚めた当初は残っていた身体の疲労感もすっかり無くなり、今は普段通り街を歩くことが出来るほどまで僕は回復していた。
明日からまた騎士の仕事には復帰出来そうだけど、一応今日までは休みを貰っているので、今日の僕は気ままに一市民として街を歩いていた。
僕は商店街に脚を運ぶ。何か買いたいものがあったわけではないが、ここには様々なものがあるし夕食までの時間を潰せそうだったからだ。
適当に商店街をぶらぶらしていると、一際大きな女性の声が響いてきた。
「絞りたての果汁を利用したフルーツジュースです! 一杯100ソルです、いかがですかー!」
果物屋の女性はそう通行人に呼びかけていた。
フルーツジュースとだけあって子供に人気のようで、お店は集まった子供たちで賑わってる。
ちょうど喉も乾いて来た頃だし、せっかくだから僕もいただくことにしよう。
「すみません、フルーツジュース一つ下さい」
「はい、100ソルです」
女性に呼びかけて、ズボンのポケットから1枚の銅貨を取り出して渡す。そしてそれと交換するように、女性は既にグラスに注がれているフルーツジュースを僕に手渡した。
「飲み終わったらグラスは返してくださいねー」
その呼び掛けを耳に入れつつ、僕は受け取ったグラスに口をつける。
絞りたてだからなのか、僕が元の世界で飲んでいた市販のフルーツジュースよりも強い果物の香りと味が口いっぱいに広がる。
「ん、おいしい」
1口飲んで、思わず声が漏れた。こういった自然が短かにあることならではのものは元の世界では味わえなかったから嬉しい体験だ。
再びグラスに口をつけて残りを飲み干したところで不意に後ろから話しかけられた。
「ようミル。身体の調子はどうだ」
グラスを店頭に返しながら、僕は声の主の方へ向き直る。
2人の男性騎士、カールさんとトルンさんの姿が目に入ると、僕はしっかりと挨拶して自らの状態を話す。
「お2人ともお久しぶりです。はい、傷の方もこの通り回復しました」
僕は両手を広げて身体の回復をアピールしてみせる。
その様子を見たカールさんは笑顔を浮かべて言う。
「そうかそうか。いやー、お前が負傷したって聞いた時は驚いたが、元気そうで何よりだ」
カールさんの隣に立つトルンさんも、うんうんと頷いく。お2人にも心配をさせてしまったなぁ...。
僕自身はこうなってもシィを護れたから後悔してないけど、あまり他の騎士の人に心配をかけすぎるのも良くないか...。結局、誰も怪我しないで済むのが最善な訳だから出来る限りそれを目指したいものだ。
「えっと、ところで後ろの方は?」
心配してくれた2人に感謝しつつも、僕の興味はその2人の後ろに立つ長身の若い男性にあった。
紫色の髪を肩ほどまで伸ばしているその男性はお2人のそばにいるけど、確かこんな人は騎士団にはいなかったはず...。
「ああ、コイツはただの行商人だよ。確か2週間前くらいに来たんだったよな?」
「ええ。私は『イーブル』と申します。カールさん、トルンさんとお知り合いという事は貴方も騎士なのですか?」
イーブルさんが僕の顔を見て問いかける。まぁ自分でも見た目だけで騎士と分かる風貌をしていないという自覚はあるけど...。
「はい、僕はミル・アキカゼと言います。お2人に比べて期間はまだ短いですがこの街の騎士を勤めています」
僕は街の騎士らしく丁寧な口調でイーブルさんに自己紹介をする。
「ところでイーブルさん、行商人と言っていましたけど、商品を持っているようには見えないんですが」
今のイーブルさんは誰がどう見ても手ぶらだ。それにズボンのポケットにも財布などはともかく売り物が入るようなスペースは無いように見える。
「ああ、それなら心配無用です」
そう言うと、イーブルさんは自らの右手を掌を上にして前に突き出した。そして、
「『一方通行の搬入方法』」
そう唱えると、次の瞬間イーブルさんの手の上にワインボトルが出現した。
「おお...」
思わず感嘆の声を上げる。この世界に来てから転移魔法を見るのは初めてだったから新鮮な気持ちだ。
「私にはこの転移魔法があります。1度私が触れ、形をはっきりと思い出せる物体を自分の元まで持って来ることが出来ます。といっても、私が片手で持てる程度の大きさまでで、こちらから別の所へ転移は出来ませんが」
それでも商人にとってはこの魔法はとてもありがたいものに違いない。わざわざ遠くから商品を運んでだり、それが盗まれることを恐れる必要が無くなるからだ。
日常生活で実用的な魔法を持っていない自分からすれば羨ましい魔法だ。
「さて、それではミルさんに渡したいものがあります」
そう言ってイーブルさんは再び先の魔法を使用する。
次にその手に現れたのは、掌で握れる程の大きさをした紫色の水晶であった。
「これを僕に?」
「はい、私の住む村に伝わるお守りのようなものです。親しくなった間柄の者にこれを渡して相手の安全を願うのが風習なんですよ」
「なるほど、でも僕なんかが貰って良いんですか?」
「はい、こうして話したのです。もう私たちは友人ですよ」
「...そうですか。ではありがたく頂きます」
僕はイーブルさんからその水晶を手渡される。
近くで見ると透き通っており、じっと見つめているとまるで引き込まれるような感覚に陥る不思議な水晶だった。
僕はその水晶をお金を入れているのと反対のズボンのポケットの中へ入れる。
「うっし、それじゃあ俺達はもう行こうぜ。イーブルとミルの話も終わった見たいだしな」
「そうだな」
「ええ、そうしましょう」
カールさんの声を聞いて、他の2人もそれに賛同していた。...って、そういえば...
「そういえばお2人はどうしてイーブルさんと親しいんですか? イーブルさんっめ街に来たばかりですよね」
「ああ、それはな、ちょうど街に来たばっかりで困ってたコイツを俺達が助けて、その後に今のミルみたいに親交を深めたってわけだ」
「ああ、そういうことだったんですか」
「おう。で、今じゃ夜に3人で俺の家に集まって酒を飲み合う仲だ」
初対面の人とすぐに打ち解けることが出来るのは、カールさんの明るい人柄あってのものだろう。僕も見習わなければ。
「じゃ、俺達は行くぜ。傷、開かないように気をつけろよ」
「はい、カールさんたちも気をつけて」
僕は手を振って、街の奥へと消えていったカールさんたちを見送る。
というか勢いでいったけど、街の中で気をつけるようなことってあんまりないか...。
✱✱✱✱✱✱✱✱
「えっとスノウ、何してるの...?」
商店街を歩き進んでいると、僕は見覚えのある青い髪の少女を見かけた。が、その少女は地面に突っ伏した姿勢で無人の屋台と地面の間にその腕を突っ込んでいた。
何かの弾みでスカートがめくれてしまえば下着が見えてしまいそうな体制で......。
「...あ、ミル、久しぶり」
スノウは隙間に手を入れた状態のまま僕に気づいて挨拶した。
「まずは立ち上がってよ、スノウ...」
このままだと僕の方がハラハラしてしまいそうだ。...いろんな意味で。
僕の声を聞き入れたスノウはゆっくりと服に着いた汚れを払いながら立ち上がる。
立ち上がったスノウに僕はなんとなく察したこの状況の原因について話してみる。
「お金、落としたの?」
「うん...」
なるほど、やっぱりそうみたいだ。
「僕も1度チャレンジしてみるよ」
「...うん、ありがと」
とりあえず僕も先程のスノウと同じような姿勢をとり、隙間へと手を伸ばす。僕はスカートじゃないから姿勢に関しては特に気にしなくてもいいよね。
隙間の中をのぞき込むと確かにお金があるのが確認できる。暗くてそれがどの硬貨なのかまでは判別出来ないけど。
そのお金のところまでぐっと腕を伸ばす。最大限まで腕を伸ばしたら今度は指を最大限まで伸ばしていく。
...が、残念ながら取れる気配はない。
「ごめんスノウ、僕も届かないみたいだ」
「...そっか」
突っ伏した姿勢のまま、立ち上がっているスノウを見上げるように顔を動か...してすぐに僕は隙間の中へ目線を戻した。
狙ってやったわけではなかったけど、ここからの視線だと、どうしても立ち上がっているスノウのスカートの中が見えてしまった。視界の端にそれを捉えたら焦ってすぐに目線から外したけど...。
「えっと、それじゃあどうしようか」
「...うーん」
僕はすぐに立ち上がって、自分自身をはぐらかすように別の解決案を練り始める。
「仕方ない、勝手に動かすのも悪いけどこの屋台、僕が持ち上げるよ」
「...大丈夫? 重そうだけど」
「うーん、多分僕の魔法なら大丈夫」
僕は屋台の横側に回り込み、地面との隙間に手をかけて倒れてしまわないように加減しながら持ち上げる。
「さ、スノウ早く取って」
「...うん」
僕が屋台を持ち上げている間に、スノウが隙間に入り込んでしまった硬貨を拾う。
それを確認した僕は、屋台を傷つけてしまわないように身長にその足を地面まで下ろす。
「ふぅ」
さっき僕は自分の魔法が日常生活で役立たないと言ったけど、こういった場面では一応役に立つかな。...肉体労働だけど。
「...ありがとミル。...お礼にこの私の元まで戻ってきた銀貨で何か奢る」
拾い上げた銀貨を僕に見せながらスノウは言う。
「いいよ別にお礼なんて」
「...いや、奢る。...そう決めたら、私は曲がらない」
スノウは珍しく頑固に振舞った。そして僕の手を取り、引っ張るようにしながらずんずんと歩き始める。
「わわわ、スノウ、どこ行くの!?」
「...風の向くまま気の向くまま」
「ええ!? えっと、商店街の中だよね?」
これまた珍しいスノウの冗談に驚きつつも僕はスノウに手を引かれて歩き続ける。
けど、僕はここであることに気づいた。
お金が入っているのとは反対のポケットに入れたはずの物の感触が無いことに。
スノウに引っ張られながら僕は自分のポケットの中に手を入れてどうなっているか確認する。
僕がポケットから取り出したのは粉々に砕けた、紫色の水晶の破片...。
先程の寝転んだ時に割れたのか...? いや、水晶が割れてしまうほどの衝撃では無かった。
じゃあ、いったいどうして...?




