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名無し人形劇  作者: 冷やしヌードル
第一章 はじまり
3/6

1-彼女の朝

 朝。

 いつもの時間。いつも彼女が起きる時間。

 彼女は今日も、昨日までと変わらず目を覚ます。

 遮光カーテンの僅かな隙間から入り込む陽光は、薄ら寒い朝の中でも微かな暖かさを持っている。チュンチュンと、鳥が鳴いている音も聞こえてくる。

 朝日。もう、朝。

 ついさっき寝たばかりなのに、という、時間が切り取られたような感覚。

 時間を返してと言いたくなるくらい、あっという間。

 全然寝た気がしないくらいあっという間に、時間は過ぎていた。

 まだ寝ていたいけれど、そういうわけにもいかない。

 寝ぼけまなこをこすりながら、彼女はゴソゴソと起き上がる。

 うつらうつらとしながらも、再びベッドの中に入りたくなる誘惑を必死に抑える。入ってしまえば、遅刻は確定してしまう。

 二度寝してしまわないよう、「うんっ」と、彼女はベッドに座ったまま大きく背伸びをする。腕を思い切り上に伸ばし、反らされた胸が布の薄い寝巻きの上から少し強調される。――絶対、男の人には絶対見せられない光景。

 癖のようなものだった。朝に少し弱い彼女は、毎朝これをしないときちんと起きられない。


 (朝に強くなりたいわよね、ほんと)


 毎朝毎朝、起きてもしばらくは眠たいままというのは、多くの人が患っていることかもしれない。

 しかし、彼女はそれが他の人よりも少しだけ酷かった。

 頭がぼーっとして寝ぼけたままの状態が続き、気づけば遅刻寸前の時間だったこともあった。学生にとっては迷惑甚だしい習性である。

 毎朝が遅刻への焦りとの戦いだった。

 治したくはあるのだが、いかんせん中々治らない。

 最近はマシになっては来たものの、しかしやはりまだまだ完全には消えていない。


――ほんと、シーラが羨ましい


 彼女の友人の一人、シーラは朝に強い。

 前に友人たちと数人で、シーラの家でお泊まり会をした時に、一番早くに起きたのはシーラだった。

 しかも、眠気など微塵も感じていないようで、早朝なのに昼間と変わらないほど元気だったことに、呆然としてしまった記憶が彼女にはあった。

 ベッドに入って眠った時間は同じはずなのに、いったい何が違うのだろうか。

 自分はこんなにも眠気が抜けないのに……。彼女はそう思わずにはいられなかった。

 友人たちの中で、一番起きるのが遅かったのも、やっぱり彼女で。「お前ほんと遅いのな…」とからかってきたエリックへの恨みを、彼女はまだ忘れていない。


(今度シーラに聞いてみようかな……)


 朝に眠くならず、起きられる秘訣。そんなものがあるのなら、是非ご教授願いたい。

 そして自分もこの忌々しい朝の眠気と決別を――。


「って、こんな馬鹿なこと考えてる場合じゃないわ」


 そこまで考えたところで、彼女は自分が寝巻きから着替えるどころか、習慣の背伸びをしただけで他には何もしていないことに気づく。いまだに、ベッドの上で体を起こしたままの状態だ。

 起き上がってから、もう何分も経っている。


「あ、あれ? もうこんな時間!?」


――これだから朝は嫌いなのだ


 まだ眠くてしょうがないのに、おちおちゆっくりすることすら許してくれない。

 早く準備をしなければ、また遅刻してしまう。授業に遅れて教室に入った時の、あの気まずさを味わうのと、友人たちにまたからかわれるのはごめんだった。


「はやくしなきゃ……」


 現在時刻を示す時計の針はどこまでも冷酷で。

 容赦なく、彼女に時間のなさを伝えてくる。

 ……少しくらいゆっくりと過ぎてもいいじゃない、という恨みがましい視線にも時計は全く動じない。

 “お前が急げばいいだけだろう”とばかりに、針を動かすだけだ。


「ええと、今日着る服は……あれ、無い」


 ベッドから降りて、今日着ていく予定の服を探す。

 だが、いつもはベッドの(そば)に置いてあるはずの服がなかった。

 おかしいなと、部屋をキョロキョロと見渡しても、無い物は無かった。


「……あっ、昨日は準備するの忘れたんだっけ……!?」


 彼女は毎日、昨夜のうちに明日の(正確には朝の)用意を済ませてから寝床につくタイプだ。

 彼女は朝に弱いから、朝に準備するよりも夜に準備する方が時間も取られずに済むし、余裕も持てる。

 だがしかし、昨日は、まだ終えていなかった課題をするために徹夜で手を動かしていたのだ。

 ギリギリだった。課題が終わったのは。

 ギリギリ、今すぐに寝れば睡眠時間は足りるという時間だった。

 そのためすぐにベッドに入って、そしたらすぐに意識が落ちたのだ。

 当然、明日の用意などしているわけがない。

 寝巻きは既に着ていたため、寝巻きを着るついでに服を用意するということもしなかった。


「ああ、もう……!」


 時間がないのに。

 ついつい毒づいてしまいたい気分になる。

 なぜ自分はもっと早くに課題を終わらせなかったのだ。

 徹夜で終わったのだから、もっと早くに終わらせられたはずなのに。


――課題を昨日までに終わらせなかった私が、やっぱり悪いのだけれど


 と、そう分かっていても、毒づきたくなるのはしょうがない。しょうがないったらないのだ。

 ……課題があっても無くても、ギリギリの時間に起床するのはよくあることだというのが、悲しいところではあるけれど。


 そんなことを考えつつ、急いで寝巻きから普段着に着替える。

 クローゼットやタンスから、「これでいいや」と適当に取り出した服を着て、昨夜終わらせた課題や筆記用具を革鞄に放り込む。

 ――適当に服を選んだことを知ったら、またアイリスに怒られるかな、と彼女は思う。

 彼女は、あまり自分の服装に拘らない気質だった。

 少しくらいそういうことに気を使いなさいと、彼女の友人の一人、アイリスに何度も怒られても、無頓着のまま拘ろうとはしなかった。

 お洒落だとか、男の目線だとか。そういうことにあまり興味が持てないからだ。無論、あまりにも変な格好や突飛な格好はしないが。


――変じゃないならなんでもいいと思うんだけどなぁ


 そんなことに気を回すよりも、好きな作者の新作本や来週の課題の方が気になるし、お洒落なんかするよりも友達と話す方がずっと楽しい。

 だから彼女は、最低限のお洒落や化粧をするというのは分かるのだが、どうも着飾るということに理解が持てなかった。

 そんなことだから、アイリスが変に目を輝かせて服を持ちながらこちらに迫ってくるたびに、追いかけっこをする羽目になり。

 それを遠巻きに他の友人が眺めているのも、いつもの光景だった。


「さて、朝食朝食」


 着替えを終え、革鞄を手に隣の部屋へ移動する。

 朝食を食べるためだ。

 これも、彼女の習慣だった。

 彼女は毎朝、朝食をかかさず食べる。

 ――朝に食べると、その日は頭が回るという話を聞いたからだった。

 以来、例え今日のように時間がない日でも、珍しく余裕をもって起きることができた日も、彼女は最低でもパンくらいは食べるようにしていた。

 ……流石に、遅刻寸前の日は何も食べずに学院へ行ったけれど。

 けれど、今日は少しだけ、少しだけ時間はあった。

 と言っても、もうほとんど時間的余裕は残されていないため、食べるのはパンだけだ。

 本当はこんな悠長なことしてないで、はやく学院へ向かった方が良いのだけれど。


「ぎ、ギリギリ、かなあ」


 焼きあがったパンにバターを塗って、急いで口に持っていく。

 アイリスが見たら、「行儀が悪い!」と怒るだろう風景だった。

 彼女自身、こんなことは淑女のやることではないと理解しているが、しているがしかし、急いで食べないと間に合わなくなってしまう。人前では、こんなことは絶対にしない。

 ならば朝食をとらなければいいという話なのだが、習慣や癖というものは、ついつい我慢しきれず(おこな)ってしまうものである。彼女もまた、その例に漏れなかった。

 凄まじい勢いでパンを噛んで飲み込んでいき、あっという間に皿の上のパンは無くなった。

 そんな食べ方をしたものだから、喉にパンがつまり、ゴホゴホと咳き込んでしまう。

 慌ててコップに入った水をゴクゴクと思い切り飲み込む。

 ――ぷはっ

 落ちたパン粉を払い、朝食を食べ終わる。


――洗い物は帰ってから!


 皿を溜めてあった水に突っ込み、手を洗ってから傍に置いてあった鞄を掴み、急いで部屋を飛び出す。

 部屋。借りてるアパートの部屋。

 鍵をかけ戸締りを確認し、すれ違った同じ階の住人に「おはようございます」と挨拶をしながら階段を駆け下りる。

 走りながら学院へと向かうその様は、淑女としてどうなのだろうと問いたくもなる姿だったが、遅刻を避けることで頭がいっぱいの彼女にそんなことを気にしていられる余裕はない。

 先月に買ったばかりの腕時計を見ると、パンを食べてしまったからか、余裕はもう全く残っていなかった。


――遅刻!


走ればまだ、間に合う。

間に合うはず。

いや間に合え。

間に合って!


――なんで私はパンを食べちゃったかなぁ!


 後悔するが、だが既に食べてしまったものは仕方ない。何度も同じ後悔をしているというのに、直らないのだから。

 朝に食べるとその日は頭が回るという話を吹き込んだシーラを軽く逆恨みしつつ、彼女は走り続ける。

 ここに越してきた時に、時々お世話になっていた近所の人が「あら、また遅刻? 頑張って〜」と声をかけてくるのが聞こえた。

 それに笑顔を浮かべながら挨拶を返すのと同時に、「自分の遅刻は近所で有名なのか……?」と、恥ずかしくなってしまう。またってなんだ、またって。というか、遅刻はまだほとんどしてない。してないから!

 ――彼女は自覚していないが、見目麗しい婦女子である彼女が、ほぼ毎朝、ダッシュしていればそこそこには目立つ。

 残念ながら、彼女には自分の容姿について無自覚であるのだが。アイリスに「あなたは綺麗なんだから」と言われても、「そうなの?」と言い返すだけ。

 そんな彼女が、近所のおばさんたちに朝の風物詩として見られていることには、彼女はまだ気づいていない。


(ほんとに、なんで私って朝に弱いのかしら)


 嘆息して、落ち込んで、それでも足は止めずに。

 黄色い(・・・)空の下を走りながら、彼女は急ぐ。


――我がことながら、ほんと、バタバタと騒がしい朝


 心から、朝に強くなりたいと思う彼女だった。

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