第三話 封魔の里
平原を歩く、数人の姿があった。
ミコト、サーシャ、レイラ、グラン、ラカ、テッド、イシェル。そして新たに、ユミルとナディアを加え、総勢九名である。
ユミルに関しては、保護者らしき人物が見つからず、彼女自身が同行したいと言ったのもあり、行動をともにしている。
危険と言ったのだが、大声で泣き出してしまって、どうしようもなかったのだ。
馬車は一カ月前の一件でなくなってしまったので、移動手段は歩行だ。
そのために、ほぼ全員が荷物を背負っていた。魔導バッグが残っていなければ、もっと大荷物になっていただろう。
とはいえ、魔導バッグが持つのは、残りの魔鉱石を考えると一、二カ月程度。
資金も残り少ないとくれば、この旅も限界だ。
これから封魔の里に帰るわけだが、そこでずっと住まうわけにもいかない。
『脱出からしばらくの間、君たちに干渉しないことを、勇者の名に賭けて誓おう』
エインルード……シリオスが与えてくれた猶予は、『しばらくの間』。その『しばらく』の期間は曖昧だが、永遠でないことは確かである。
故郷を復旧しようとしている、封魔の一族に頼むのは心苦しい。だが、里で準備を整えさせてもらわなければ、逃走を続けられない。
そういう事情をナディアに話すと、寂しそうな表情を浮かべながらも了承してくれた。
レイラは、一行の先頭をナディアと歩きながら、ちらりと背後を振り返る。
相変わらず、ミコトとサーシャは一緒にいる。
今、ミコトの背中では、ユミルが寝息を立てている。懐かれたらしい。レイラには子供の好みなどわからないが、随分と趣味が悪いと思う。
諦めが悪いイシェルは、ずっとミコトに話しかけている。稀にミコトも返事を返すので、効果は出ているのだろう。
「その、個性的なお友達……ね?」
ナディアの言葉は疑問形だった。
レイラは苦笑い。そんな彼女に、ナディアは尋ねる。
「……で、彼はどうしたのかしら?」
一行から少しばかり遅れたところから、ラカが複雑そうな視線を、ミコトたちの集団に向けている。
そんなラカを、テッドは持て余しているようだった。グランは、そのテッドに支えられながら歩いていた。
「グラン、最近調子が変なのよ」
「休ませたほうがいいんじゃない?」
「そうなんだけど、本人がね……。いや、里行きを即断したアタシも悪いんだけど」
グランは一カ月前から、体調を崩し始めた。治癒魔術は効果がなく、病気や怪我ではないようだった。
体調不良以外の症状と言えば、瘴気の濃度が次第に強まり、独り言や、ぼうっとすることが増えたといったところか。
レイラよりずっと魔力探知が優れるミコトとサーシャが、グランの魔力について何も言わないのが、より不安を掻き立てていた。
何もなければいいのだが……。
ナディアと会話を進める内に、一行はウラナ大森林に入った。
「ん……」
唐突に、グランの体がビクンと震えた。
同時、足を止めたミコトが、辺りを見渡した。
「どうしたんですか、不死身さん?」
「……気のせいだ」
イシェルの問いに、ミコトは首を横に振った。
ミコトは知らなかった。ウラナ大森林の魔力に掛けられた、認識阻害の神級魔術に。
生命探知は、届かなかった。
誰も気付かなかったのだ。
ウラナ大森林に広がった、瘴気を。
その瘴気が、次第に強力になっていくことに。
血色の瞳を持つ少女が、懐かしそうに目を細めたことに。
森には未だ大部分に緑が残っていたが、下秋にもなると、葉は枯れ落葉を始めていた。
枯れ葉が積もった山道を歩み、木々のトンネルを潜る。
見る者が見れば風流と感じる景色の中、レイラの背後で、纏まりなく騒ぐ一団がある。
「不死身さん、異世界ってどんなところなんですかっ!?」
「……科学が発達している」
「みぃちゃん、何かやってー!」
「……色付き水でお手玉」
「ミコト、しりとりしよー。ミコトから『し』だよっ」
「……死亡」
「歌!」
「……多死社会」
「意志!」
「……賜死」
両手に花、というより、無邪気の集中砲火だ。
それを捌いていくミコトも、腕二本では文字通り、手が足りない。それでも対処しきれているのは、『変異』があるからだ。
ユミルを背負うのに、本来の腕が二本。脇下から突き出た二本で、お手玉を披露している。
それだけではない。
顎下とうなじの肉が、ぱっかりと裂けている。声を発するたび、それが開閉するのだ。
第二、第三の口である。
顎下の口が、イシェルと問答。
その口がいったいどういう構造になっているのか、という話をしていたが、ミコトにもよくわからないらしい。
うなじの口は、背中のユミルと会話。
最初は驚いたユミルも、今では慣れてしまっている。子供の順応力が恐ろしい。
今では冷静にしているが、ナディアの驚きようは、腰を抜かしかけるほどだった。
そして、元々付いている口で、サーシャとしりとり。
笑えない単語がぽつぽつ出てくるので、レイラの胃は痛む一方だ。
「はぁ……」
何度目かわからない溜め息をこぼす。
そんなレイラに、ナディアが励ましをかけた。
「ほら、あともうちょっとだから、頑張りなさい!」
ナディアが言った通り、目的地に着いたのは、それからすぐのことだった。
昼過ぎにウェンブルを出発して、目的地に辿り着いたのは夕方だ。
懐かしい景色。レイラは堪らず走り出す。木々を抜け、窪地を見下ろす。
予想していたように、焼け跡ばかり……ではなかった。
燃えた家屋は取り払われ、真新しい家々が数軒ほど建てられている。
焼き尽くされた畑も、土が復活しているように見える。来年には麦を育てられるかもしれない。
そこに、昔とそっくりの故郷はなかった。
だが。でも。けれど。
故郷は、死んでいなかった。
滅んでなどいなかった。
目尻に溜まり、頬を流れ、土に染みを作る、温かいもの。
戻るのが怖いと思っていた故郷で、流したのが悲哀ではなく、歓喜だった。
ナディアがレイラの先に回り込み、振り返る。
包容力のある優しげな微笑みを浮かべ、ナディアは告げる。
「いらっしゃい、みなさん。封魔の里にようこそ、歓迎します」
そして、笑顔で涙を流しながら、震えた声で。
「レイラ、サーシャ。――お帰りなさい」
帰ってきた。
サーシャの生まれ故郷。レイラの大切な場所。
三年と半年という時を経て、二人はようやく、封魔の里に帰ったのだ。
◆
その日は里の住人全員が集い、月明かりの下で宴会を開くことになった。
老若男女様々。けれど、皆がレイラとサーシャの帰還を心から喜び、部外者であるミコトたちも受け入れてくれた。
宴会と言っても、質素なものだ。
精々、普段より質のいい料理が出る程度。それも、準備時間がなかったため、即興で作ったものだ。
彼らの今まで、自分たちの今までを語り合い。
サーシャの記憶喪失には、皆が意気消沈してしまったが。
泣いて、悲しんで。それでも最後には、また会えてよかったと喜ぶ。
レイラ、サーシャともに住人たちに囲まれる。
泣いて喜ぶレイラの横で、サーシャは少しばかり、居心地悪そうだ。
その様子を、ミコトは離れたところから眺めていた。
「銀髪が多いんですねー。やっぱり、《封魔》の血の影響かなぁ?」
《封魔》の始祖が、もともと銀髪だったからか。
《操魔》を身に宿した者の血が、彼らに流れているからか。
まぁ、どちらでもいい話だ。
新たな関心事の登場に湧き立つイシェルを、ミコトは無視。
嬉々と興奮したレイラとナディア、疲れた様子のサーシャが近付いてきた。
なんとか集団を抜け出してきたらしい。
ナディアが言う。
「ごめんなさいね、空き家が一軒しかなくて……。二、三人なら、あたしの家でも泊まれるけど」
「アタシとサーシャね。ユミルは……」
レイラがミコトの背に視線をやる。
ユミルがぴーすかと寝息を立てていた。太陽が沈み、時間は夜。疲れもあって、ぐっすりと眠っている。
「俺が面倒を見る」
「あー、今のアンタはいろいろ不安だけど、任せるわ。起こすのも悪いし。ラカはどうする?」
離れた位置にいたラカに、レイラが声を掛けた。
ラカはミコトを一瞬見たあと、ナディアの家で泊まることを告げた。
ということで、組み分けが決定した。
ナディアに案内され、グランとテッド、イシェル、ミコトと背のユミルが移動を開始する。
サーシャとレイラ、ラカは宴会場に残してきた。
道中、ナディアが振り向く。真摯な顔で、深く頭を下げる。
「二人を守ってくださって、ありがとうございます」
ナディアの感謝に、ミコトは無表情のまま目を逸らした。
テッドとイシェルはともに行動して一カ月足らずなので、感謝を受けるのは何か違う。
ということで、ぐったりした様子のグランが、億劫そうに言葉を紡ぐ。
「……いや、大したことではない」
「レイラから、色々と聞きました。大したことない、なんて言わないでください。私たちのほうこそ、大したお礼もできなくて……」
「そんなことはない。ここで泊まらせてくれるだけで十分だ」
一つの場所でゆっくりすることのできない身では、安心できる地というのは切実に重要だ。
封魔の里の者たち、皆が受け入れてくれている。それだけで、それでもう、十二分だ。
「……ありがとうございます」
ナディアは再度、頭を下げた。
◆
「みんな、いい人たちね」
ナディアの家。
就寝時眼となり、皆は床に敷かれた布団に寝転がっていた。
端からナディア、サーシャ、レイラ、ラカの順である。
静かな空間で、ナディアはレイラに話しかけた。
「ええ、ほんとに……」
レイラの返答は肯定であったが、同時に不安が混ざっていた。
ミコトとサーシャは多少おかしくなったものの、仲間に対しては善良なのだ。しかし、それがいつ崩れるかわからない。
仲間を信じ切ることができない。
「レイラちゃんが何を考えてるかは、よくわからないけど……でもね」
ナディアが上体を起こす。
ぐっすりと眠るサーシャの、涎を垂らした顔を見て、くすりと微笑みながら。
「――きっと、大丈夫よ」
その言葉には、なんの根拠もなかったけれど。
懐かしい微笑みに、レイラは安心感を覚えた。
思えば、ずっと気を張っていたのだろう。
その緊張が切れる。
いつの間にか、レイラは眠りに付いていた。
「ラカちゃんも、素直になったほうがいいんじゃない?」
返答はなく。
身じろぎする物音だけがあった。
一方、ミコトたちが泊まる家屋。
ミコトの眼が『変異』する。視界が明瞭になる。
『変異』があれば、夜目にする程度は容易だ。本来の視力を超え、夜行生物染みた視界を確保する。
部屋を見渡す。
死んだように眠るグラン。涎を垂らして眠るイシェル。寝転がって動かないテッド。
そして、息苦しそうな寝息を立てるユミル。
「おねえ、ちゃん……、ばーばぁ……」
誰かを呼ぶような寝言。
救いを求める声。
ユミルの手を握る。どうしてそのような行為をしたのか、自分でもわからない。
ただ、昔。病気で寝込んでいた頃、誰かに手を握っていた――そんな気がしただけ。
ユミルは安心の表情を浮かべた。
ミコトはしばらく、手を握ったまま天井を見上げていた。
「……おい、怪物」
静かな暗闇の中、テッドは意を決して話しかけた。
上体を起こしたテッドに、ミコトは視線を向けることさえしない。
苛立ち、テッドは息を荒げる。
もし戦ったら……間違いなく、テッドは瞬殺される。
開いた力量差がわからないような、愚鈍ではない。
それでも、どうしても苛立ちを向けてしまう。
こんな奴が、どうしてラカに想われている。
なんでこんな奴のために、オーデが死ななきゃいけないんだ。
心の中で恨み言をこぼすテッドに、唐突に声が掛けられた。
「……殺したいなら、殺せばいい」
黒い瞳が、テッドを見つめていた。
そこには敵意も殺意もない、虚無。しかし、それが恐ろしかった。
「俺は反撃しない、一方的に殺せばいい。拷問はどうだ? 爪を剥いで、指を取ってさ。痛覚はもうないけど、絶叫は上げてやる。何度でも、気が済むまで、気が済んでも殺せばいい。俺はそれを受け入れる、お前がラカとオーデの知り合いだから。殺せよ、俺がオーデを殺したから。だから、俺が皆を守るよ、全ての死を背負うよ。敵は全部殺すから。奪って、喰って、殺すから」
気持ち悪い。
狂言の羅列には、感情が一切込められていない。それが、当然のことのように。
なのに、薄っぺらな言葉に、テッドの感情は薙ぎ払われた。
無感動の狂言に、テッドが恐怖を感じたのだ。
この感覚には、覚えがある。
カーリスト・グロウス・エインルード。
テッドを買い取り、エインルードに連れて行った男。
彼の本質を知ったとき、テッドは底知れない恐怖を覚えた。
狂気じみた使命感を垣間見たとき、エインルードへの不信が湧いたのだ。
だからこそ、イシェルに声を掛けられたのだろうが。
できれば、救済者のあんな狂気は、知りたくなかった。本音は、死んでほしくなど――
「……チッ」
ラカも今、悩んでいる。
ミコトを仲間として受け入れるか。怪物として拒絶するか。
(狂人を受け入れようなんて、考えんじゃねえよ、バカラカ)
事実、エインルードを盲信した領民に、まともな死は訪れなかったのだから。
テッドは荒々しく吐息を掃き出し、布団に寝転がった。
夢の世界へ落ちながら、テッドは思う。
(俺も……アンタを、受け入れたかったよ)
カーリストは、ある一面からすれば、使命のためならなんでもする狂人だったけど。
でも、救われたのは、事実だったから。彼が領民を想う気持ちだけは、本物だったはずなのだ。
……本物だったのかなぁ(冷や汗)