第二話 旧知との再会
アルフェリア王国の北東部。
平野にある、小さな商業の町、ウェンブル。
その宿屋に、彼らはいた。
食堂でレイラは、深い溜め息をこぼした。
空になった器にスプーンを置いて、後ろを振り向く。
視線の先にあったのは、レイラの妹であるサーシャが、年頃のいけ好かない少年に『あーん』している光景。
なんだというのだ、それは。
ふざけるんじゃない。
などと、思わず言ってしまいそうになる口を、意志の力で捻じ伏せる。
というか、そうではないだろう。甘ったるいとか、姉として交際を認めないとか、そうじゃない。
ちゃんと観察すれば、サーシャとミコトの様子がおかしいということくらい、簡単に気付ける。
二人は一カ月前の一件以来、ずっとこのような調子だった。
ミコトのふざけた態度は鳴りを潜め、無言が多くなった。常に無表情になり、何を考えているのか、さっぱりわからない。
サーシャは周囲の者への依存心が強まった。特にミコトに対しては、全幅の信頼を寄せているようだった。
なのに、ミコトの死を認めている。死が伴う確認作業を、笑顔で眺めている状態だ。
昔からサーシャのことを知っているレイラは、強い違和感を感じていた。
サーシャの事情は、ミコトから伝え聞いている。
『操魔』は、ただの異能ではなかった。
魔王の半身、《操魔》イヴ。それが、サーシャの中にいる存在らしい。サーシャの赤い瞳は、これが原因だった。
《封魔》の一族は、代々《操魔》を継承し続けてきたのだ。
ナターシャ・セレナイト。レイラの義母であり、サーシャの実母である彼女は、里で唯一赤い瞳をしていた。
レイラの前で、ナターシャが『操魔』を使ったことはないが……きっと前代の宿主は、ナターシャだったのだ。
そして。
彼は言った。クロミヤミコトは《黒死》の使徒だった、と。
使徒。それは勇者から力を与えられた者。魔王を殺すために、継承され続ける力。
《浄火》の使徒や、《虚心》のバーバラ、《地天》のカーリストと同じ、超常の存在。
ミコトに力を与えたのは、《黒死》の魔女。《白命》のメシアスが堕ちた末の存在だと言う。
つまり、魔王の側。サーシャ――《操魔》の守護者というわけだ。
「……反吐が出る」
様子がおかしくなった妹も。
変わってしまった、アイツも。
何より、何もできない自分が。
再び溜め息をこぼす。
以前より溜め息の数が増えてきた気がする。
考えることや悩み事、自分の中で処理しきれていないものが多すぎた。
エインルードが裏切ったため、資金は失われていく一方だ。
こうして町でゆっくり滞在できるのは、あと何回か。
一カ所に滞在すれば足が付きやすくなる。移動しながらの金稼ぎも、けっこう大変だ。
これは、ミコトに芸をさせるしかないか。アイツ、変に器用だし。
と、そう考えていたときだ。
いつの間にか食事を終えていたミコトが、不意に天井を見上げた。
サーシャが尋ねる。
「どうしたの?」
「あの少女が目を覚ました」
ミコトが拾ってきた、白い髪の少女のことだろう。
サーシャとミコトが立ち上がり、上階へ向かおうとするのを、レイラは呼び止める。
「アタシも行くわ」
今の二人に任せるのは、いろいろと不安がある。
何かあったときは、自分が歯止めの役割をしなければと、レイラは思ったのだ。
二階に上がり、一室の扉を開ける。
資金が心許なく、部屋を何室も取ることはできなかった。そのため借りているのは、男性用と女性用の二室だけ。
この部屋割りにサーシャとイシェルが不満を漏らし、ミコトと一緒の部屋がいいと言われたことがあり、レイラは随分と困った記憶がある。
サーシャについては必死に呼び止めたが、イシェルには殴った。グーで。
それはともかく。
少女を寝かせているのは女性用の部屋だ。そこに、三人は入室する。
ベッドで上体を起こした白い少女と、その様子を窺うラカがいた。
ラカはミコトの姿を見るなり、目を逸らす。ミコトも同様だ。
二人の関係も、以前とは変わってしまっていた。
レイラはもはや溜め息をこぼす気にもなれず、少女のそばに寄る。
少女は不安そうに、この場の全員の様子を窺っていた。
「アンタ、名前は?」
「……ユ、ユミル、です」
ユミル。
それが彼女の名前らしい。
「ここ、どこですか?」
「ウェンブルの宿屋よ。森の中で倒れてたのを、コイツが拾ってきたわけ」
レイラは背後のミコトを指差す。
ユミルはミコトと視線を合わせると、こくりと頭を下げた。
「なんで森の中に倒れてたのよ? お母さんとお父さんとか、いないわけ?」
答え次第で、少しなら探すのを手伝おうか、と思ったのだ。
しかしユミルの返答は、
「わ、わかんない、です。『森』で、みんなといたのに……。パパ、ママ、おねえちゃん、ばーばぁっ」
震えて、自分の体を抱きしめるユミル。数秒後、訝しそうに自分の体を確認する。
訝しる表情から、次第に目が見開かれ、驚愕へと変わる。
「からだ……、おっきくなってる……」
レイラのラカが、顔を見合わせる。
その後ろで、今までミコトとじゃれていたサーシャが、ぽつりと。
「その子の残留思念、見た目より幼いよ」
沈黙を貫いていたミコトが、尋ねる。
「お前、何歳だ?」
ミコトの感覚では、一二歳だと言っていた。レイラの目も一〇歳は超えていると判断していた。
しかし、ユミルの答えは、
「……ご、ごさい、です」
それから、いろいろと質問した結果、判明。
――ユミルは五歳以降の、七年間の記憶を失っていた。
レイラは、またもや溜め息をこぼした。
もう、なんか、疲れた。
病み上がりでも食べられる水物を持ってくるように言い、ユミルを任せる。
レイラは一人、ふらふらと街に出掛けた。
部屋に残された者たちの中。
気まずい、と思ったのは、ラカ一人だった。
ちらりとミコトを見やると、ぼうっと虚ろな目をユミルに向けている。
と、ミコトがラカの視線に気付いた。
「俺が取ってくる」
レイラに頼まれた、水物のことらしい。
オレが行く、なんて言う暇もなく、ミコトは部屋を出て行った。すぐに戻って来ると考えているのか、べったりのサーシャは部屋に残ったままだ。
ぎすぎすした雰囲気を、ユミルは感じ取ったのだろう。
不安そうな眼差しに、ラカは告げる言葉を考える。
「あー、はは」
結局、どう弁解していいものかわからず、苦笑いしか浮かべられない。
ラカの対人能力は、決して高くない。経験のない子供との対話となると、尚更だ。
レイラ、帰ってきて。早く。
「あ、そうだ。一応名乗っとかねーとな。オレはラカ・ルカ・ムレイ。で、横のふわふわしてんのがサーシャ」
「ふわふわって……」
サーシャの文句は無視だ。
「さっきテメーと話してた貧乳がレイラ。今、部屋を出て行ったのがミコトだ」
「レイラ……」
サーシャの声音は、レイラに向けた憐憫だ。
それはともかく、ラカの紹介を聞いたユミルが、ぼうっと呟く。
「ラカ……サーシャ……、レイラ……ミコト……」
ユミルは頭を傾げる。
しばらくして、ユミルが顔を勢いよく上げて、言った。
「らっちゃん、さーちゃん、れいちゃん!」
「……あ、うん」
元気のいいユミル。どうやら渾名を付けたらしい。
サーシャは遅れて生返事。渾名を付けられた経験のないラカは、多いに戸惑った。
と、そのとき、扉が開く。入室してきたのは、鍋を片手に持った、若白髪の少年だ。
「みぃちゃん!」
「…………ああ」
無表情で、ぺこりと頭を下げるミコト。元気いっぱいに微笑むユミル。
ユミルが放つ雰囲気は、場の空気を一変させたのであった。
◆
一方、一人で街に出掛けたレイラ。
彼女はまたも、溜め息をこぼした。
次々と面倒事が舞い込んできて、どんどん悩み事が積み重なっていく。
胃がキリキリと痛んでくる。このまま故郷に帰っていいものかと、足踏みしている。
サーシャはおかしくなった。
ミコトは変わった。そんな彼をラカは避け、テッドは警戒している。
グランも、体調を崩してしまうし……。変わらないのは、イシェルくらいなものだ。
(胃薬がほしい)
切実に。
というわけで、レイラは薬草を探していた。
ウェンブルは規模が小さいが、商業の町を名乗っているだけあって、それなりに様々なものを売っている。
地方という括りでなら確かに、商業の町を名乗るに相応しい。
目当ての薬草を発見。より胃に効くものを、だが金が掛かるものは……と思案しながら、また溜め息。
なんで自分は、薬草の選別なんぞやってるのか。
情けなくなってくる。
ウェンブルの町中から、遠く平野の先を見やる。
聳え立つ山々。その麓の森、ウラナ大森林に、封魔の里があるはずだ。
「――あと、もうちょっとなんだから」
気合いを入れ直し、金銭面を考慮して、泣く泣く薬草を諦める。
宿屋に戻ろうと踵を返す。
そのとき、声がした。
「あれ、レイラちゃん?」
歩き出そうとした方向に、彼女はいた。
歳は、二〇は過ぎているであろう、綺麗な女性だった。
新雪のような白い肌。そして、美しい銀の髪。
その顔に、姿に、見覚えがある。
「ナディアさん!?」
その人の名は、ナディア・ヒストーリャ。
《封魔》の血を継ぐ一人であった。
「久しぶりだねぇ、レイラちゃん!」
「ナディアさんも! 無事だったのね!」
再会は唐突だった。
二人は道の真ん中で抱き着き合う。住人たちの訝しがる視線も気にならない。
「あーんもう、本当に懐かしいわね、こんなにおっきくなっちゃって! ……一部は、昔のまんまね!」
「アンタは昔より大きくなったわねェ! 毟り取りたいくらいにっ!」
哀れレイラ。
成長期だというのに、この胸である。
ナディアはレイラにとって姉、もしくは天敵のような存在だった。
親切に、そして甘やかしてくれるのに、時々意地悪される。レイラはそれに、子供扱いするなと怒鳴ったものだ。
昔のようなやり取りを懐かしみながら、レイラはナディアの近況を聞く。
「……で、生き残った人たちが里に戻ってきてね。復旧を進めてるの。あたしは買い物係ってわけ」
「そっか……」
生き残った人たちがいた。
楽しい思い出が詰まった故郷が、悲しみの始点が、立ち直ろうとしている。
レイラの心に巣食っていた不安が、取り除かれていく。
「レイラは、どう? その、サーシャちゃんは……?」
探るようなナディアの問い。
尋ねていいものなのか。でも知りたい、確かめたい。そういう葛藤が見て取れた。
「生きてるわよ」
「そう、よかった……」
「ただ、昔の記憶を失くしてるけど」
「……そう。でも、生きてるだけで十分よ。あたしは安心したわ」
死ぬより、ずっといい。
そう言って、ナディアは寂しげに微笑んだ。
「そうだ、一緒に帰らない? あたしは明日に帰るつもりだったんだけど」
その提案に、レイラは迷うことなく頷いた。