第一話 渇望の死者
『四章のおさらい』
エインルードでは、安息が待っている――そう信じていたミコトたちに襲い掛かったのは、絶望だった。
使命に狂ったエインルード、フリージスとリースの裏切り、《地天》の使徒カーリストの出現。……そして、オーデの死。さらに、無限の死が待ち受けていた。
最悪の地獄を経て、ミコトは絶対的な力を得る。それは、カーリストを瞬殺するほどのもの。
ミコト・クロミヤは、《黒死》の使徒として覚醒したのであった。
森の奥で、血飛沫が上がる。
一つの生物が息絶える。
それは死。
絶対不可逆の、生命にとっての終わり。
死者は生き返らないという、世界の理。
しかし。
その怪物に、そのような理屈は罷り通らない。
ぐちゅぐちゅと、泥をこねるような音とともに、首筋の抉られた箇所が修復する。
生命活動を停止したはずの亡骸が、蘇る。
『再生』。
血色の瞳が、己を殺した者を見据えた。
透き通った強烈な殺意。硫酸が、一見しただけでは水にしか見えないような、しかしその性質はまるで違う。
その殺意は、まともではなかった。
人を殺せる視線というのは、まさにこれを言うのだろう。
殺害者は、汚らしい衣服で身を包んだ、酔っ払いの男だ。
酔っぱらって、つい殺してしまった、などという犯行理由ではない。彼は明確に、殺意を持って殺害した。
少年のそばにいた、美しい少女を奪いたかったから。そんな、最低な理由で。
もっとも、死んだはずの少年にとって、犯行理由なんてものはどうでもよかった。
錆び付いた鍬で、首を抉られた。男に、殺された。それは変えることのできない事実。どのような理由があったって、構いなどしない。
もし少年を殺さなければ、男が死んでいた。もしそうだとしても。
あの少女を犯さなければならない、そんな理由が男にはあった。もしそうだとしても。
どうでもいい。
殺された。奪われた。――ならば殺し、奪い返すしかない。
「たすっ、たずげ……っ!」
懇願になんの意味がある。
許しを請うても、誰も助けてはくれない。ここは、そんな世界だ。
「――『メシアス』」
最凶の魔術が発動する。
神域の神級魔術。命を司る奇跡。
賜死魔術『メシアス』。
黒い『死』の泥を生み出す、死の力。
「ばけも――っ!?」
それ以上、男は言葉を話すことはできなかった。
男の首から上が、完全に殺されていたからだ。永久の時を経たかのように、頭部だけがミイラになった。
死体の凌辱は続く。
死から蘇った怪物が、その口を開く。
びちびちと、頬が裂ける。
怪物の口が裂け、大きなモノを喰うに適した形へと『変異』する。
そして。
怪物は躊躇いなく、死体に噛り付いた。
咬合力は人間を超えていた。光景はさながら、ワニの捕食現場だ。
人肉を食す。
分断した肉を、咽喉の奥に通していく。
怪物の肉体に変化が生じる。
次第に顔面の形状が変化する。より食しやすいように骨格が変形し、狼のような肉食動物のようになる。
食べ終わり、怪物は最後の『変異』を行う。
背中の肉が弾け飛ぶ。そうして飛び出たのは、三対六羽の肉色の翼だ。
怪物は自身の翼を確認すると、全身を巡る魔力を発散する。
血色の瞳が、元の黒に戻る。
全身の変容が、肉が崩れるように元に戻る。
その場に残ったのは、ただの人間が一人。
若白髪が生えた黒髪。空虚な黒い瞳と、無表情。
《黒死》の使徒――クロミヤミコト。
「ミコトー、終わった?」
まともではない殺害現場で、犯行者であるミコトに声を掛ける者がいた。
風に靡く、美しい銀の髪。宝石のような血色の瞳。
《操魔》イヴをその身に宿す少女。サーシャ・セレナイト。
サーシャは木に背中を預けて座り、今の光景を笑顔で眺めていた。ミコトに向ける視線には、狂気的な信頼、または依存心が孕んでいる。
サーシャは立ち上がると、ミコトに抱き着く。ミコトは黙って受け入れた。
「…………」
ミコトは何も話さない。
抱き着く少女を黙して見つめながら、彼は先ほど殺人について考えていた。
死者に祈りを捧げる、そんな高尚な行為ではない。
彼が行っていたのは、自身の力の確認だ。
現在は下秋の中旬。
おおよそ一カ月前に起きた、あの一件。エインルードでの地獄を経て、クロミヤミコトには変化が生じていた。
手に入ったものは、いくつかある。
生物の居場所を探る、生命探知。
睡眠の必要がない体。
『最適化』による強化も、より上がった。
新たな異能『変異』。怪物となる力。
覚醒した神級魔術『メシアス』。必殺の賜死の力。
だが、これまでの実験によって、条件や欠点も見つかった。
まずは『変異』。
肉体の不安定だった一カ月前は、なんの条件もなく発動できた。
しかし肉体が安定した今、大きく『変異』するためには、多量の『食事』が必要になった。
『食事』――生命を喰う行為。それには、人喰いが効率的だった。
また、賜死魔術『メシアス』。これの発動には、ある条件があった。
対象となる敵が、一度はミコトを殺していなければならない、というものだ。
死の密度によって、効力も増減するらしい。
そして『再生』。
死から蘇生まで、急いでも一〇秒近くのタイムラグが発生するようになった。
その代わりと言ってはなんだが、『再生』後の酩酊するタイムラグを埋めるように、黒衣を生み出せるようになった。
全身を包む死の衣は、ある程度の衝撃を軽減することができるようだった。
総合的に見て、クロミヤミコトの戦闘力は向上した。
だが、足りない。
まだまだ足りない。
全然、足りない。
この程度では駄目だ。
全てを跳ね除けるには、これでは足りない。
もっと。
もっと、もっと、もっと、もっと逝けるはずだ。
まだまだ強くなれるはずだ。
あらゆる敵を殺すには、あまりに心許ない。
自分の体に抱き着くサーシャを見て、ミコトは再度考える。
守らなければならない。
奪われないように。殺されないように。
「あっははー、不死身さん、こんなところにいたんですかーっ?」
少女の声が聞こえたほうへ、ミコトは視線を向けない。
そこに誰かがいたのは、初めから気付いていた。当然、その人物が誰かも。
少女がミコトの前に回り込んだ。
黒髪黒目の、ミコトとそう変わらない年齢の少女だ。普段は無気力そうな表情は、今は明るい。
イシェル。
趣味で諜報員などという裏仕事をしている。関心を持った対象のことを、貪欲に知ろうとする変人だ。
「そろそろ答えてもらいますよー! 年齢はー? ご趣味はー? ご出身って、確か異世界でしたっけ? どんなところー? 死ぬってどんな感じー?」
しつこいイシェルを睨み付けたのは、ミコトではなくサーシャだった。
「……どっか行ってよ」
「妹さん、お変わりになったねー。《操魔》ってモンの影響ですー? あはぁ、知りたいなぁ」
頬を紅潮をさせるイシェルを放って、ミコトは足元の死体を見やる。
薄汚れた衣服。痩せこけた体。手の痛み具合から察するに、重労働を続けていたのだろう。鍬を持っていた辺り、農民か。
そこまで考えたところで、隣でイシェルの不思議そうな声。
「あれー? ここら、農村とかありましたっけー?」
「……なかった」
ミコトの脳内で地図を広げるが、そういった村はない。
つまりこの男は、農民崩れの野盗といったところか。それでも、違和感は残るが……。
「まぁ、どうでもいいですねっ。あぁ忘れてました、お姉さんから伝言です。さっさと帰ってこい、だそうですよー」
ミコトは頷いて、抱き着いたままのサーシャに声を掛ける。
「行こう」
「んぅー」
抱っこを強請るサーシャに、ミコトはすぐ頷いた。
サーシャが背中で、腕を回してミコトに抱き着いた。
軽いはずの体重も、温かいはずの体温も、何も感じない。感じようとも考えない。温もりなんて、どうでもいい。
ミコトは無心で、先を歩くイシェルに続き、歩こうとして――――、
途端、足を止めた。
「不死身さん?」
イシェルが振り向くと、ミコトは別の方向を向いていた。
目を細め、その先を見つめている。
イシェルの呼びかけを無視して、ミコトはそちらに歩き始めた。
木々の隙間を抜け、数十歩。一本の木の裏を覗く。
――そこに、少女が眠っていた。
歳は一二歳。
純白の髪。
生命力の衰えが見られる。随分と体力を消耗しているようだ。
ボロキレの隙間からは、擦り剥いたような傷があり、何度も転んだのか泥まみれになっている。
「…………」
機械となったクロミヤミコトなら、もしかしたら、この少女を見捨てたかもしれない。
面倒な足手纏いは背負いたくないと、放置したかもしれない。
だが。
ミコトはこの少女に、妙な既視感を覚えた。
それは《黒死》の使徒として目覚めた、今だからこそ感じるもの。
この少女は、勇者の血を継いでいる。
なぜここに、勇者の末裔がいるのか。
微かに漂う、死の運命な香り。
『変異』する。
ミコトの脇の下から、ずぐずぐと肉を捏ねるような湿った音とともに、不自然に盛り上がる。
先端で五本に分岐。赤い肉色の突起が、肌色の皮に覆われる。
それは新たな腕だった。
第三、第四の腕で、少女を抱え上げる。
背中のサーシャを本来の二本で支え、謎の少女を横抱きに。
そのグロテスクな過程を見て、イシェルの一言。
「わっひゃー」
もし本作がノクターンだったら、死体の横でセッ久してた。たぶん、サーシャ主導。
ミコトの現状は性欲と掛け離れたところにあるけど、『変異』があれば問題ないです。
某服を着た性器も真っ青な巨根に早変わり!