断章 届かぬ地天の使命鬼
――使命を果たす。
それは、カーリスト・グロウス・エインルードにとっての全てだった。
いや、カーリストだけではない。《地天》グロウスの血を継ぐ者にとって、使命とは人生そのものなのだ。
狂気的なまでの使命感は、生まれた瞬間から本能に染み付いていた。
エインルードは勇者の血を継ぐ家系である。
勇者の血は強い。それは、グロウスによる精神誘導も影響しているのだろう。
《地天》のグロウスは使命感が強い人間だった。世界樹に眠る精神も、使命に狂っていた。
その影響を、エインルードは強く受けた。
這うのは使命のためだ。
捕まり立ちはもちろん、二足歩行も使命のためだ。
勉強も、修行も、何もかも。
それは、使命のためだった。
使命の遂行を目指すことに、疑問を抱いたことはなかった。
自分たちの力で、魔王を滅する。
王国の力は借りない。神話と繋がる者だけで、この使命は完結させる。
それこそが、エインルードの使命だった。
エインルードは、使命を何よりも優先する。
それ以外は二の次、三の次。というより、番外だ。
この命も、心も、魂も。全ては使命のためにある。
そう、カーリストは信じていた。
◇
カーリストが、一〇歳の時の出来事である。
フリージスを産み、母体は衰弱していた。
母体――当代の《地天》使徒。つまりは、カーリストとフリージスの母であり、ヴィストークの妻である。
もともと彼女は、使徒の力に耐えられる人間ではなかった。
体が弱かったわけではない。だが、資質が足りない者にとっては、過ぎた力だったということ。
このままでは、彼女は死ぬ。しかし、誰も治癒魔術を掛けようとはしない。
もしかしたら、治す術があったのかもしれない。完治は無理でも、延命はできただろう。しかし、誰も行動に移そうとはしなかった。
当然だ。使徒の力は、より資質ある者に受け継がれるべきなのだから。
治療する案が出ることなく、継承の方向で定まる。
使徒の継承は、エインルードの方針で決める。
使徒の力を、世界樹に返還しようともしない。そのようなことをすれば、エインルード以外で使徒が生まれる可能性があった。
だから、ヴィストークはカーリストに命じた。
――当代《地天》の使徒の心臓を喰え、と。
もちろん、カーリストはすぐに頷いた。
自分が使徒になれる。使命を遂行する力が得られる。そのことが、この上なく嬉しかった。
「安心しなさい。この子には才能がある。百人に一人は下らない。きっと、強い子になるだろう」
産まれたばかりのフリージスを抱き上げ、シリオスは優しい声音で、母に語り掛けた。
勇者のお言葉だ。きっと使命遂行を応援してくれているのだと、カーリストは歓喜した。
「使命に、尽くしなさい。カーリスト、フリージス……」
それが、彼女の最期の言葉であった。
子供への愛は、一切存在しなかった。そんなこと、カーリストは気にも留めなかった。
弟が生まれた、上夏のとある日。
――カーリストは、母の心臓を喰った。
エインルードは魔術の研究を推し進めていた。
勇者が魔術体系を作る前、旧世の時代では、無属性魔術師は今より多かったと、シリオスは言っていた。
その頃の文献は少ししか残っていないが、エインルードの研究者たちは熱心に読み解き、何度も実験を繰り返していた。
領外に出ようとする者は実験台に。
犯罪者も実験台に。
『ライヴ・テイカー』制作時のように、魔術に秀でた協力者がいれば……。などと、愚痴をこぼすこともない。
実験、実験、実験。
それを、四〇〇年も繰り返してきた。
その成果が――今、現れた。
「できあがりましたよぉぉ、ヴィストーク様ぁ、カーリスト様ぁ!! 奇跡ですぅ! これを神のご加護と言わずして、なんと称しましょうかぁ!?」
そう言ってヴィストークの執務室に入ってきたのは、エインルードが抱え込む研究者の一人であった。
彼の腕には、生まれたばかりの赤子が抱かれている。
使命について、父と相談していたカーリストは、訝しげに研究者を見やった。
直後、研究者が言い放った言葉に、目を見開くことになる。
「ずっと求めていた、無属性魔術師の誕生ですッ! それは神の眼! あらゆるモノを異物として排除する極光! ――消滅魔術『アヴリース』!!」
下秋のとある日。
奇跡が、起きたのだ。
だが。
『アヴリース』だけでは、足りなかった。
魔王を殺すには、圧倒的に出力が足りなかったのだ。
さらに言えば、母体に薬物を過剰に投与したために、寿命が短い。二〇代で尽きるのは確実だった。
時間はない。しかし、改造する余地はない。
なんとかして使えるようにしろ。研究者に、そう命令する。
一年の時が過ぎ、提示された答えは――領民を『ライヴ・テイカー』の生贄とし、『アヴリース』を魔道具とすること。
だが。
『アヴリース』を扱うには、最高峰の魔術師が必要だ。
カーリストは修行の末に魔術を使えるようになったが、伸びしろはない。『アヴリース』を扱うには足りない。
だから、その答えが出たのは、自然なことだった。
罪悪感は覚えなかった。エインルードに所属する、誰も。
――その日から、過酷な修行がフリージスに課された。
六歳以前に魔力を酷使すれば、寿命が縮む。そんなことは承知の上だ。
『アヴリース』の寿命が尽きる前に、『魔術の天才』を完成させなければならない。
その頃より『アヴリース』は、フリージスに預けられることとなった。
◇
それから、一〇年近くの時が過ぎた。
アルフェリア王国国王、アルドルーア・アルフェリアが、エインルードに干渉しようとしている。
その情報を掴み次第、エインルードはフリージスに命じた。
――恩を売れ、と。
現在は新世歴九八五年。クーデターから五年のことである。
たった五年だ。現国王に反旗を翻そうという貴族は、未だ残っていた。
アルドルーアの思惑がエインルードに伝わると同時期、反乱分子が現れた。
反乱兵力は千足らず。王国兵力は万単位。圧倒的な戦力差であったが、反乱貴族の巧妙な作戦によって、王国兵は甚大な被害を受けていた。
そこに、当時一〇歳のフリージスが投入された。
一夜にして、反乱分子は殲滅された。
国王が褒美を与えると言った。
フリージスは、『アルフェリア王国最強の魔術師』の称号を得てから、ただ一言。
「――エインルードに、今後一切関わろうと思うな」
すべて、エインルードの思惑通りに回った。しかしそれは、数年後から崩れ始める。
魔王教が、本格的に動き始めたのだ。
まず初めに、『名無しの森』が消滅した。
《虚心》の末裔とコンタクトを取ろうという考えは、この時点で瓦解した。
極め付きは、封魔の里の壊滅だ。
当代の《操魔》ナターシャ・セレナイトは死に、イヴはどこかへ移った。
《操魔》が手元にいなければ、消滅することもできない。
エインルードは、総出で《操魔》の捜索に乗り出した。
フリージスも例外ではない。リースを伴い、シリオスの指示に従って探す。
そして、それから二年後。ついに《操魔》を探し当てた。
サーシャ・セレナイトを。
魔王教に見つかると不味い。
そう考えたフリージスの提案により、少数精鋭で《操魔》を連行することに決めた。
途中、《黒死》の使徒と思われる存在を拾い、魔王教と遭遇するという事態が発生した。
いざこざはあったが、《黒死》の使徒はエインルードに連行、生贄にすることに。
魔王教は、撃退することに成功した。特に、《浄火》の使徒を倒せたことは、最高の戦利と言えた。
だが。
思えば。
エインルードは、《黒死》の使徒という存在を、過小評価していたのだろう。
◇
――気に入らない。
初めて《黒死》の使徒を見た時、カーリストは憎悪を覚えた。
シリオス曰く、メシアスとグロウスは犬猿の仲だったのだと言う。
そのグロウスの血か、それとも《地天》の部分か、世界樹で眠るグロウスの精神誘導か。
そんなこと、どうでもよかった。
この男を倒したい。
その欲求は、留まることがなかった。
死なないだけの男が、《地天》に敵うはずがない。
楽勝だった。十分に甚振って、蹴り殴って、殺した。
なのに、この怒りは終わらない。当然だ、いくら殺しても死なないのだから。
仕方なくカーリストは、その役目を弟に譲った。
本当は、自身の手で殺したかった。
どうしうもなくイラつく、あの男を。
感情のままに行動し、想ったままに突っ走る女を、夢見てしまうから。
――消えよ、忌々しい悪夢め。
そして。
終わりの時が、来た。
覚醒した《黒死》の使徒を前に、カーリストはまったく歯が立たなかった。
圧倒的な『死』に、使命は呆気なく打ち破られた。
『黒死』の泥に飲み込まれ、命が殺されていく。
◆
絶対的な『黒死』は、《地天》の力を殺した。
新たな使徒を生み出す余力を失ったグロウスに、世界に干渉する術はない。
《虚心》が作り上げた夢の世界で、彼はただただ、虚構の空を見上げる。
「――あぁ、吾は…………」
メシアスは、まさしく勇者だった。
自分とは正反対のくせに、最も勇者らしかった。
羨ましかったし、妬ましかった。
嫌ってはいたが、それでも、認めてはいたのだ。
どうして自分は、メシアスを敵視していたのだろう。
その疑問を自覚して、両手で顔を覆う。
「――堕ちたアイツに、負けたくなかった……、だけなのか…………」
けれど、もう二度と、競い合える時は来ないのだと。
グロウスは片手で、顔を覆うのであった。
お読みいただき、ありがとうございます。
カーリストの断章は、本当は作るつもりはなかったんですが……さすがにこのままだと空気かと思いまして、書いちゃいました。
おそらく、ミコトを除く使徒全員分の断章を作ると思います。
さて、実は五章は、ほとんど完成しまして、はい。7/3から更新開始しようと思っております。
《操魔》と封魔のあれやこれや、《風月》組のアレコレ、魔王教のクソッタレども、見所いっぱい。
個人的に、狂人を書くのが楽しかったです。ドラシヴァと同等かそれ以上です。
お楽しみに!