昔日 遠く儚き理想の世界
季節は下夏。その昼間。
閑散とした小さな田舎の町で、少年の大声が響く。
「お、おまっ、グラン! 昨日が誕生日だったのかぁ!?」
大声を出した少年の名は、ミコト・クロミヤ。
白髪混じりの黒髪と、メイクすれば女に見えかねない中性的な顔立ち。そして特に、出身異世界な異世界人ということが特徴的な少年である。
ミコトの対面にいたのは、見た目は彼よりも特徴的な大男、グラン・ガーネット。
二メートルを超える筋肉質な巨体と、褐色の肌。左腕には包帯が巻かれている。
極め付けは、側頭部。本来耳がある位置に存在する、獣耳。
それは獣族である証。この世界シェオルでは、違和感なく受け入れられるものであったが、オタク文化に染まったミコトとしては、色々と物申したいところである。
いやまぁ、獣耳に対するアレやこれやは、ともかく。
グランは困惑顔で、後頭部に手をやった。ミコトの奇行は見慣れたものだが、それが対処に繋がるかというと、そうでもなかった。
ミコトの奇行を聞き付けて、ぞろぞろと仲間たちが視線を寄越す。
微笑ましいものを見る目で笑っているのが、サーシャ・セレナイト。
銀髪赤目で、フードを目深に被った少女である。その美貌は幼いながらに美しく、微笑みはそれはもう可愛らしいものであるのだが、弟に向けるような視線はやめてほしい。
最年少め。年齢ではこちらが上だ。
他人を装うのが、レイラ・セレナイト。
同じ宿、同じ食堂、同じテーブルを囲んでいるのだ。誤魔化せるはずがなかろうに、あっはっは、とミコトは内心で思う。
そんな彼女は、亜麻色の髪をした少女だ。家名からわかる通り、サーシャの家族で、姉に当たる。
感情の読めない微笑が、フリージス・G・エインルード。
長い金髪と青い瞳の美青年だ。筋肉なくひょろりとした長身痩躯な体格、病人のような青い肌、たびたび現れる体調不良、というトリプルコンボは、常々『こいつ寿命短いんじゃね?』と思わされ、心配している。
これで『最強の魔術師』なんて呼ばれてるもんだから、人は見掛けに寄らない。
常と変わらぬ無表情が、リース。
紫紺の髪と瞳を持った女性で、フリージスに仕えるメイドである。
何気に怒らせるとすごく怖い。『フリージスを起こす』という、彼女にとって大切な使命を奪ったときは、……思い出したくない。
ああまたか、と半眼になったのが、ラカ・ルカ・ムレイ。
灰色の髪と黄色い瞳の少女で、《無霊の民》である。
ボーイッシュな顔立ちと、八重歯がチャーミングポイント。荒々しい口調が玉に瑕。
へらへらと笑っているのは、オーデ・アーデ・ムレイ。
灰色の髪と瞳の壮年で、ラカと同じ《無霊の民》だ。ラカにとっては父親のような存在である。
こうやって卑屈な笑みを浮かべてはいるが、戦闘経験で言えば、実はこのメンバーではトップだ。
この騒動は、ミコトの『歳当て』を発端とする。
王都アルフォードを発ち、一カ月が過ぎた。
エインルードへの旅の途中、彼らは小さな田舎の町で泊まった――その翌日、なんとなしにグランを『歳当て』した。
三カ月前。ミコトが異世界に来たばかりの頃は、確か二五歳だったはず。
それが二六歳となっていたもんで、ミコトが尋ねたところ、グランはこう答えたのだ。
『昨日が誕生日だった』
それを切っ掛けに、ミコトは暴走した。
『歳当て』で他人の年齢がわかるミコトは、けっこう誕生日というものを大切にしている。
父の誠と、母の美咲。親友の空閑悠真や、幼馴染の伊月玲貴。
彼らの誕生日を祝わないことは決してなかった。平日・休日・祝日、どんな日だろうと、絶対に欠かしたことはない。
それは異世界に来てからも同じこと。直に会って祝うことはできなくとも、世界が変わって日付けの感覚が曖昧になっても、忘れたことは一度としてない。
だからこそ、苦境を乗り越え絆を深めたと確信していたミコトは、仲間の誕生日を祝えなかったことを悔いていた。
ううう、と呻くミコトの、テーブルの向かい側で、フリージスがトドメの一撃を刺す。
「実は僕の誕生日、上夏なんだ」
「へぎゃあ!?」
珍妙な悲鳴を上げ、ミコトはテーブルに突っ伏す。
つまりミコトは、二人の仲間の誕生日を祝えなかった、ということである。
うがーと呻くミコトを無視して、レイラが遠い目をする。
「誕生日なんて、完全に頭からすっぽ抜けてたわね。誕生日会とか、ここ数年で皆無よ」
レイラと同じく、右隣に座るラカが遠い目をする。
「誕生日ってーと、アレか。一年で溜まった汚れを落とすとかなんだかで、湖に叩き落される奴か」
「それは……お祝いというより、儀式だな」
グランの感想に、ラカは深々と頷く。
「オレは下春生まれだからマシなもんだぜ? 冬生まれは見てるだけで凍えたからな。湖から這い出ても、服が濡れてるもんだからなぁ」
《無霊の民》の身体でなければ、急激な体の冷えで心臓発作を起こしかねない誕生日会。
ラカの体面に座っていたオーデも、思わず青白い顔で苦笑い。まさか彼がその被害者か。
そんなやり取りをしている横で、サーシャが項垂れるミコトの頭を撫でる。
「大丈夫だよ、少し遅れたって、ねっ」
一四歳という若さにして、凄まじい母性である。
それに甘え、うだうだと否定意見を出しかけたミコトだったが、ふと思い至って言葉を止める。
レイラは言った。誕生日会は、ここ数年やっていないと。そしてサーシャは、記憶喪失である。
ということは、まさか、
(こいつ、誕生日会、未経験?)
そう思った瞬間、ミコトはどたんと立ち上がる。
椅子が倒れた。
「サーシャ! お前、誕生日はいつだ!?」
「え、ええと……レイラ、いつだっけ?」
「アタシが拾われたのと同じ日だから、上春の一日ね」
「すげぇミラクルだなそれ! まあそれはともかくだ! 誕生日会を開こうじゃないか!」
そのついでに、サーシャに誕生日会というものを体験させることができれば、一石二鳥である。
まさに名案、と胸を張るミコトに、ラカが顔を顰めた。
「ここら湖ねーぞ」
「そんな鬼畜行事じゃねーよ誕生日会っ!」
怒鳴ったところで、感情の高ぶりを一旦抑える。
続けてするのは、確認作業だ。
「飾り付けは宿じゃ無理。ケーキだって、この町じゃ材料不足で作れない。プレゼントって言ったて、買えるものなんて高が知れてる」
そこまで考えて、いや待て、と手を前に出す。正面にいたグランは、またもや困惑顔だ。
しばらく唸っていたミコトは、ハッと目を見開くと、こう言った。
「プレゼントの定番は、そう――手作りマフラーだ!」
◇
ということで、ミコトはサーシャを伴って買い物し。
毛糸玉を購入し、彼らは今、平原に向かっていた。
買い物がミコトの用事なら、平原に寄るのはサーシャの用事である。
なんでも、飛行魔術の練習をしたいとのこと。それに危険が伴うということで、付き合ってほしいらしい。
そんなことならお安い御用である。
即刻で了承し、ミコトたちは平原にやってきた。
この地域の夏は、湿度の高い日本とは違い、ジメジメしていない。
ぽかぽかな気候、暖かな太陽の光を浴びて、サーシャはうーんと背伸びをした。
ここは人目もなく、サーシャがフードを被る必要はない。
風と日の光を受け、輝き舞う銀の髪は、非常に美しい。
(夜の月をバックに、っていうのも幻想的で似合うけど……。やっぱ、お日様の下で笑ってる光景は、格別だな)
眩しくて、触れ難いと感じてしまうほど。同時に、いつまでもそばで見守っていたいと願うくらいに。
思わずミコトは目を細める。これが父性か。
どっこいしょ、とミコトが腰を下ろす。
隣にサーシャが座り、フリージスから借りてきた魔術書を広げた。
ちらりと覗いてみると、そこは飛行魔術のページだった。
流しで読んだが、使うのは難しそうだ。風魔術は初級すら碌に使えないザマなのだ。
空を自由に飛びたいという夢は、早くも頓挫した。
翼をください。
「俺もやるか」
内心でぼやきながらも、ミコトは手にした毛糸を弄ぶ。
これでも手先は器用だ。家庭科の授業で実践したこともある。記憶を辿りながら編んでいく。
初めはたどたどしかった手付きは、少しずつ早くなっていく。
こういうのは慣れだ。集中力の高さゆえ、長時間の単純作業も、さほど苦とは思わない。
しばらくそうして、ふと視線を感じて見上げると、サーシャの感嘆の表情が視界に入った。
「ミコトって、意外と器用だよね」
意外と、と言う辺り、どう思われてるかよくわかる。
これは自業自得みたいなものだろう。
「まぁ、こういう作業は嫌いじゃねえし。誕生日プレゼントってんなら、俄然やる気が出るってもんよ」
話しながらも、ミコトは手を止めない。
その作業を、サーシャがずっと見つめてくる。
「……もしかして、やってみたい?」
尋ねると、力強い頷きで返された。
しかし、サーシャは練習に来たばかりで、実践すらしていない。ここで許してもいいのか。
悩んでいたミコトは、ふと妙案を思い付き、ニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「よし、いいだろう」
「やったー!」
「ただし」
諸手を挙げて喜ぶサーシャを、ミコトは制止し、
「一度、ちゃんと飛べたらな?」
しばらく唖然としていたサーシャは、ミコトの挑戦的なセリフを飲み込むと、強い意気込みを以て頷いた。
そして、実践が始める。
平原にサーシャが佇む。左腕を頭上に翳すと、周囲から青い輝きが集い始めた。
魔力の光。密度を上げたことで、常人にも視認できるようになる。
サーシャの異能、『操魔』によって操られたマナが、左腕に収束する。
やがて魔力は形を変え、線や円を形作る。
ゆっくりと、慎重に構成されていく魔法陣。
完成した瞬間、魔法陣は頭上から降り、サーシャの全身を包む。
鈴の音のような詩が紡がれる。
「――『ウォラート』」
そして、飛行魔術が発動する。
体を風が包み、サーシャが空に浮く。
安定性はなく、サーシャの体はふら付いている。
常に術式の変動が求められる飛行魔術は、発動難易度こそ中級クラスであったが、維持の難しさは上級並みだ。
固唾を飲んで見守る中、サーシャがさらに浮き上がる。
地上から五メートル。そのとき、突風が吹いた。
精神の乱れが、術式を乱す。
この結果起こるのは、魔術の暴走だ。
サーシャは暴走する前に、魔術を停止することに成功する。
しかし、魔術がなくなった今、落下の運命は避けられない。
だが、サーシャに心配はなかった。
だって、
「ちょっ、待ち待ち待ちんさい待ってよもう!」
頼りないところはあるけれど。きっと彼は否定するだろうけど。
サーシャは心配しながらも、信じている。
彼こそが、ヒーローなのだと。
「ええいくそぅ、『アクエモート』!」
サーシャの体が、空中で抱き留められる。
必死な少年の顔が、見上げるとすぐそばにある。サーシャは微笑んで、腕をミコトの首に回した。
着地。最近のミコトの身体能力は凄まじく、一人分の体重が上乗せされていても、衝撃をほぼない。
「だ、大丈夫か、サーシャ? ええっと、なんか、煽ってゴメン……」
「ううん、大丈夫だよ。ありがと、ミコト」
そう言って、微笑みを浮かべるサーシャであった。
◇
その日の夕食時。
昼食後から今まで、買い物や魔術の練習を除き、五時間。その間に織り終えたマフラーを、ミコトとサーシャは取り出した。
ミコトが織ったのはグランのもの。赤いマフラーだ。
サーシャが持つ黄色いマフラーは、フリージス用である。
サーシャの家事スキルはそれはもう凄まじく、手先の器用さが自慢だったミコトも、唖然とするほどだった。
ミコトが先に織り始めていたにも関わらず、完成がほとんど同時だったのだ。それでいて、サーシャが織ったマフラーのほうが、出来がいいという結果。
姉とは大違いだ、なんて言うとレイラに怒られるので、心の中で留めておく。
「そいじゃ、遅ればせながら。ハッピーバースデー、グラン」
「お誕生日おめでとう、フリージス」
二人揃って差し出す。
「……ありがとう」
誕生日プレゼントというものが、グランには珍しいらしい。
繁々と観察したあと、軽く笑みを浮かべて、受け取ってくれた。
「すまないね」
対し、フリージスの態度はいつもと変わらない。
感情の読めない微笑を浮かべ、マフラーを受け取った。
「今は暑いけど、冬にでも付けてくれや」
「ああ、そうさせてもらうよ」
ニシシ、と笑うミコトに、フリージスはそう返した。
そんなやり取りのあと、レイラとラカ、オーデが立ち上がる。
レイラ、ラカを前に、オーデが後ろから見守る形だ。
二人が差し出したのは、花のようだった。
茎に何やら手を加えているらしく、模様を作っていた。
「これ。無霊に伝わってた、お守りだ」
ぶっきらぼうなラカの口調。よく見ると、ラカの頬が赤くなっている。
ん、とレイラが突き出したのも、ラカと同じものだ。だが、少し雑だ。
「何すればわかんなかったから、オーデに教えてもらったのよ」
ということらしい。
なんだかんだで皆、誕生日にプレゼントを持ってきたりして、微笑ましいものだ。
さて、ここに、最後に残った人物がいる。
まさか彼女が、グランのはともかく、フリージスのを忘れるはずがない。
と視線をやって……いつの間にか席からいなくなっていることに気付き、ミコトは目を瞬いた。
フリージスが珍しく、心配そうな声音で呟く。
「何か用意してたみたいだけど……リースにまともな誕生日プレゼントなんて概念、ないだろうなぁ」
その言葉の直後だった。
どん! とテーブルが揺れる。テーブルの真ん中に、何かが置かれていた。
プレゼントにしては、巨大。
等身大の、木材でできた何か。
その姿を認めて、フリージスが何を言いたかったのか、ようやく気付いた。
つまり、リースは、限度を知らない。
――木彫りのフリージス。
一同、ドン引きである。それが精巧だから、尚更だ。
「……あ、ありがとう、リース」
さすがのフリージスも、これには慄いていた。
とにかく、インパクトが凄まじい。
お守りやマフラーの印象は、完全に吹っ飛んでいた。
◇
そんな、理想のような日々。
ミコト、サーシャ、レイラ、グラン、フリージス、リース、ラカ、オーデ。
八人全員で食卓を囲む――そんな平穏な日常には、もう二度と帰れない。
誕生日一覧
サーシャ:上春1日
イヴの浸食を受け入れ、狂気に目覚める。
レイラ :上春1日(拾われた日が誕生日に)
特に失うものがなかったから、グリアと仲良くさせた。
ラカ :下春
父親のような存在を失う。
フリ(ry :上夏
裏切る。
グラン :下夏
瘴気に目覚める。
リース :下秋
魔道具化。
オーデ :下冬(湖、跳び込み組)
死亡。
ミコト :12月13日
(異世界基準)上春13日
クリスマスに死亡し、上春25日に転移。
《黒死》の使徒として目覚める。