エピローグ Insanity Undead
青い月が浮かぶ夜空の下で、二人の人物が睨み合っていた。
片方は、左腕を魔道具と一体化した、金髪の男。
《地天》の末裔。最強の魔術師――フリージス・グロウス・エインルード。
もう片方は、血色の瞳を爛々と輝かせる少年。
《黒死》の使徒。不死の怪物――クロミヤミコト。
肉色の翼は崩れ、地へ落ちた。
二人の存在は、互いを牽制するように向き合っていた。
そして二人ともが、互いの状態の悪さを悟っていた。
クロミヤミコトは魔力のみで、無理やり『再生』されたばかりである。
その肉体は非常に不安定であり、死した直後に『再生』できる余地はない。再び『アヴリース』の極光に飲み込まれれば、今度こそ生き返ることはできない。
さらに彼は、魔力を吸われて消耗した、背後の仲間たちを守らねばならない。
対し、フリージス。
『アヴリース』は《操魔》の力によって、力を削がれたばかりである。
聖晶石に込められた魔力は、三分の一が削られていた。それに、一三日間にも及ぶ儀式は、フリージス自身の体力も消耗させていた。
クロミヤミコトを殺すのは、十中八九不可能。
それでも、怪物の背中にいる者たちを殺すくらい、簡単だ。
睨み合いの中、先に切り出したのは、フリージスのほうだった。
「失敗だったよ。暴走しなかったからと言って、《操魔》を放置したのは。この通り、《操魔》は暴走し、《黒死》の使徒は『再生』した」
「…………」
「けれど、さ。挽回できないわけじゃない。君の背後で気を失っている《操魔》を殺せば、ね」
殺気が膨れ上がった。
魔力に乗せた『死』への想いは、凄まじい。魔力資質が低い者が相手なら、視線を叩き付けるだけで殺せるほどに。
当然、フリージスには効かない。
「いいのかい? 今の君なら、僕を殺せるかもしれない。でもその代わり、後ろの者たちは死ぬ」
「……死ねよ」
ぽつりと、呟く。
込められた想いは強く、ツヨク、殺すと。
「死ね。死にやがれ。死ね。死ねよ死ね。死なす死なして死んで、死ねよ。死ね死ね死なす死ね。――殺す。殺す殺して殺してやる殺す殺す」
訥々と。壊れたラジオが、何度も同じ音声を再生するように。
「一三日と四時間二四分二三秒、一分に数回。合計、四三〇一三回。俺が死んだ数、お前も死ね」
「それは無理というものさ」
殺せるものなら殺したいが、それで仲間を死に追いやるわけにはいかない。
怪物は見送るのみ。
フリージスは冷笑を浮かべると、背を向けて歩き出した。
夜闇に紛れ、魔力の残滓が消えるまで。怪物はずっと、闇の先を見つめていた。
敵はいなくなった。
エインの町に住んでいた民衆は、すべて死んだ。
《地天》の使徒、カーリストも死んだ。
ようやく、終わった。
怪物の瞳から血色の輝きが消え、黒が戻る。
表情に生気は戻らない。
振り向き、足元の少女を抱え、血の池から引き上げる。
サーシャ・セレナイト。
彼女は目蓋を開け、ミコトの姿を確認すると、安堵の笑みを浮かべて抱き着いた。
赤い瞳には狂気が滲み出ていた。
「えへへー、みことー。あふ、あはっ」
ミコトは感情のない笑みを浮かべ、抱擁を受け入れる。抱き返すことはない。
サーシャに抱き着かれたまま、ミコトは仲間たちを見やる。
グランは苦痛の表情を浮かべ、片膝を付いている。
ラカは呆然と、こちらを眺めている。
レイラは必死に、血まみれの女性を呼び掛けている。
見知らぬ《無霊の民》の少年は、警戒を以て様子を窺っている。
見知らぬ少女は、恍惚の表情を浮かべている。
――取捨選択。天秤の傾きを見て、機械は動く。
先に、グランのほうへと歩み寄る。
「どうした? 痛いのか?」
「……なんでもない」
グランの体からは、瘴気が滲み出ていた。だが、怪物の抑揚のない問い掛けに、グランはそれだけを返した。
満足し、クロミヤミコトは次へと移動する。
「レイラ。何をしている?」
「あ、アンタ……」
レイラの疑惑の視線を無視し、見知らぬ女性を視界に入れた。
その生命力を確認し、事実を呟く。
「この人、死ぬ」
「……っ!?」
「生命力が残り少ない。治癒魔術も手遅れだ」
「そんな……」
「この人、強い?」
レイラは首を横に振った。
それでミコトは、この女性に対する興味が失せた。
機械の優先順位に、この女性は助からない。役立つ存在ならば、奇跡に賭けることも考えたが。
ミコトは次なる人の元に向かう。
「おは……か、を……」
どんな事情があるかも知らない。知ったところで意味がない。
いらないモノを切り捨てる。大切なモノを守り抜き、敵は全員殺し尽くす。それが平穏を守り抜く、最善の方法なのだと、確信したから。
「ミコト・クロミヤだよねっ! あっ、じゃあ不死身さんって呼びます! いいですかいいですよねキャッハー!」
横から声。ミコトは視線だけを向ける。
そこにいたのは、頬を赤く染めた、見知らぬ少女だ。
珍しい黒目黒髪。しかし機械の心には何も響かず、当然郷愁もない。
「どけよ」
進行方向。ラカまでの最短距離を遮られたことで、ミコトはようやく反応した。
つまらなそうな表情を浮かべ、少女は言う通りにどいた。
「待てよ、お前」
続けて歩もうとしたところ、再び阻まれる。
そこに立っていたのは、見知らぬ《無霊の民》の少年。
どけと、そう言う前に、少年は言う。
「お前をラカには近付けさせない」
それに対し、機械は即刻結論を出す。
「なら殺す」
ダン! という踏み込み。
それは人体の限界を超えた疾走。《無霊の民》を遥かに上回る身体能力を以て、少年へと迫り、
「ま、待ってくれミコト!」
激突の寸前に発された、ラカの制止により、ミコトは動作を停止する。
迎撃しようとした少年の拳が、何歩も遅れて怪物の頬に突き刺さった。ビクともしない。
首を振る動作。たったそれだけで、少年を振り払う。
その視線は、近付いてくる少女だけを捉えていた。
抱っこをねだるサーシャを、一言断ってから降ろし、少女と向き合う。
ラカ・ルカ・ムレイ。オーデを大切に想い、想われていた人。
機械の歯車に損傷が生じる。
罅割れの隙間から溢れ出すのは、苦悩と悔恨の悲痛。
「ごめん……なさい」
どろりとした血涙を流し、壊れた少年は膝を付く。
自身に価値を見出さない彼は、自傷を厭わない。罪悪感のまま髪を、頬を、首を、抉るように掻き毟る。
「ごめんなさい、ごめんなさいゴメンなさいゴメンナサイごめんナサイごめんなさいごめんなさい」
「な、何やってるだよテメー!?」
自傷を行う手は、ラカの手に囚われる。
体を揺すられ、少年の顔が上がる。視線が合う。
ラカの黄色い瞳に対するは、黒の瞳。
絶望、悲痛、苦痛、自己嫌悪、死。闇より深い、しかし空虚な色。
「俺のせいでオーデが死んだ!」
それを聞いて、ラカが絶句する。
「俺のせい、で……。俺なんか、庇ったから……。もっと早く、こうしていれば、強くなれば、死んでいれば! ――奴らを殺していれば!!」
後悔。
裏切り者を殺さなかったこと。
世界を舐め腐っていたこと。
正義と悪などない。奪うか、奪われるか。殺すか、殺されるか。
それがこの世界のルールだったのに。
「ころ……す、から。どんな敵だろうと、何が敵に回っても、世界に受け入れられなくても、神が相手になろうとも!」
怪物は宣言する。
「――例え死んでも、殺すから!!」
誓いを経て、《黒死》の使徒は完成する。
その日より、ミコトの表情から、微笑みは消えた。
Insanity(精神異常・精神病・狂気)
Undead(生ける屍・不死者)