第八話 青い光
「で、だいぶ本題からずれちまったわけなんだが」
ちょっと恥ずかしい思考を表に出さぬよう、ミコトは頬を掻きつつ切り出した。
だが、サーシャは不思議そうに、
「本題って、なんだったかなぁ? カガクの話?」
「ちげえよ。いや、話してて楽しかったから、んな申し訳なさそうな顔すんな」
本当に、いろいろ話せて楽しかった。たびたび出る単語の意味を理解してくれたかどうかは怪しいが、異世界人に科学を紹介する、というのはけっこうおもしろいのだ。
きっと科学技術に精通している内政チート転生者も、こういう気持ちなんだろう、と勝手に想像。
それはともかく。
「魔術だよ魔術。結局、俺それ使えんの?」
教えてもらったことと言えば、魔術は切っ掛けも大事だということぐらいだ。
魔術を使える切っ掛けを得たとして、使い方がわからなければ使いようがない。
「魔術っていうのは、簡単に言えば世界を変える力、だね」
「そりゃまた大層な」
タンスに指をぶつけるぐらいで使えるようになるくせに。
「簡単な魔術発動の流れは、術式演算、魔力精製、スロットへの魔力注入だよ」
「さっぱりわからん」
まず精製とはどうするのか。演算とはどういうふうにすればいい。スロットとはなんなのか。
眉根を寄せるミコトに、サーシャは苦笑して、
「魔力は生命力から精製されるの」
「生命力……って、危ないんじゃねえか? これ以上白髪増えたりしない?」
生命力を使ったら寿命が縮んだり、体が脆くなったり、若白髪が増えたり、若白髪が増加したり、若白髪が生えたりしないだろうか。
などと危惧するが、サーシャは安心させるように微笑んで、
「大丈夫だよ。確かに使いすぎれば危ないけど、脳が勝手に制限をかけてるから、そういうことはないよ」
「そ、そっか。それは安心、か?」
自分の知らない技術なので、信用していいのか自信が持てない。
まあ、サーシャが大丈夫だと言うのなら、大丈夫だとは思うが。
「んで、術式とかなんちゃらってのは?」
「術式は、ルーンを演算したりしてできるの。そのルーンを演算するところが、精神内のどこかにあるスロット、っていうのだよ」
「これもうわかんねえな」
お手あげのポーズで、ミコトは仰向けに転がった。
精神内のどこかって、どこだ。今、思考している頭にでもスロットがあるのだろうか。
呻くも、答えは見つからない。
「たぶん、使えるようにならないとわからない感覚だね」
「……切っ掛けって奴か。環境の変化なら、この数時間で無茶苦茶やってんだけどな」
なんせ異世界に来たのだ。環境の変化はものすごいはずなのだが。
「やっぱ才能じゃねえの?」
「それもあるんだけどね。最初からできる人もいるし」
やはり才能が出てくるのか。ミコトは自分が才能のない人間だとは思わないが、そこまであるとも思っていない。平均よりちょっと上を自称している。
ミコトはため息をこらえながら上体を起こして、
「んで、続き教えてよ」
「うん、そうだね。どっちにしても、魔術を使うには知識が必要だしね」
サーシャはコホン、と可愛らしく一息置いてから、弟に勉強を教える姉目線となって、
「じゃあ世界への作用の仕方を教えるね」
「おー。頼んますです先生」
「はい、頼まれましたー。……世界への作用の仕方は、大雑把に言うと二種類。創造と干渉だよ」
「っつーと?」
「創造は、無から有を作り出す魔術。たとえば……『アクエ』」
サーシャが左手の掌を上に向けて、ミコトに見えるように差し出した。
その掌に、少量の青い光が集まって、直後に二、三の水滴が生み出された。
水滴は重力に従い、サーシャの掌に落ちる。
「これが創造。物を作り出す力だね」
「これで水不足は解消だぜやったー」
「残念。創造で作り出した水は、飲んでも意味がないのです」
「なんでなん?」
「この水は、世界に無理やり作り出した異物。定めた術式とは違う形になったり、スロットへの魔力注入をやめると消えちゃいます」
「ほらこの通り」とサーシャが言うと、ミコトの目の前で水滴は消えてしまった。
なるほど。だから創造で作り出した水は、飲んでも意味がないのか。
そういえばラウスは、水の塊を受けたにも関わらず体をまったく濡らしていなかった。
あのときは驚いたが、ラウスが何かしたわけではなかったようだ。無駄に怖がってしまった。
「その、違う形になるってのは、どういうことなんだ?」
「普通の水は、放っておくと水蒸気か氷になるよね? でも、創造した水は違う。術式をしっかりして、スロットに魔力を注ぎ続ければ、外部からどれだけ干渉しても状態が変わらないの」
「へえ、すげえな」
「魔力注入が少ないか、外部からの干渉が強すぎると、簡単に消えちゃうんだけどね」
つまり、魔術を維持する魔力を上回る力で、水を熱したり冷やしたりすれば、形も残らず消滅する、ということなのだろう。
ミコトは唸ると、サーシャにその先の説明を促した。
「干渉は、この世界に存在するモノを操る魔術。『エアリ』」
サーシャは左手をくるくると回した。その人差し指に集まった青い光は瞬時に消え、代わりに目に見える風が現れた。
そして、サーシャの指がこちらへ向けられると、風が真っ直ぐ飛んできた。
「ぬおっ!」
まったく意識していなかったミコトは避けられず、額に風を受けた。驚き目を閉じて仰け反っていると、サーシャがクスクスと笑った。
「しゃしんのお返しだよ」
「……地味に根に持ってたのかよ」
「アハハハハ! 馬鹿みたいな顔!」
「黙りんさいテメエ」
ここぞとばかりに嘲笑うレイラに、ミコトは冷たい視線を送った。
ふと横を見ると、サーシャの微笑ましげな顔。
ミコトは羞恥を誤魔化すように「あーあー!」と騒いで、
「で、今のが干渉って奴か」
「今のは空気を操ったんだよ。ついでに、飲み水を作れる魔術が、『キューター』」
今度は、岩の窪みに水が生まれた。干渉なら、魔力注入とやらをやめても消えず、蒸発したり凍ったりもできるだろう。
これが、もともと存在する物で作り出したというのなら、
「水蒸気を集めたのか」
「うん、そうだよ。よくわかったね」
「まあな。その場にあるモン弄って水を出すなら、それ以外思い浮かばねえよ。それにしても、いろいろできんだな。属性とかってねえのか?」
創造・干渉は初めて耳にしたが、属性と言えば魔法系ではお馴染みの用語だ。それなら多少わかるはず。
案の定サーシャは頷いた。
「自然属性四つで、上位属性二つ、神域属性二つで、全部で八つの属性があるよ」
「ほうほう」
「上位属性は簡単には使えないし、神域属性は今のところ存在しないから置いておいて、今は自然属性だけを話すね」
なぜ簡単には使えないのか。なぜ存在しない属性があるとされているのか。
訊きたいことはいくつかあったが、脱線するので口出ししない。
「自然属性は、火・水・風・地の四つ」
「ポピュラーだな」
四大元素、と呼ばれる奴だろう。オタクには馴染み深い言葉だ。
「属性に得手不得手ってあんの?」
「あるけど、まったく使えないってことはないよ。でも、スロットがあるのが精神内だから、トラウマがあったら使えないかな。小さい頃に火傷したり、溺れたりしたりね」
「意外と繊細なのな、魔術って。呪文唱えてハイドーン! だと思ってた」
「お伽噺とか、勇者伝説の中だけの話だよ」
勇者という単語に心惹かれたが、脱線はいかんと己を戒める。
『だらしねえ』という戒めの心、これ大事。
「魔術の簡単な説明は、このくらいかな。ほかの属性とか、ルーンの暗記とかもする?」
「それよか、どうやったら魔術が使えるようになるんだよ。切っ掛けとかそんなんじゃなくてさ」
ラウスに襲われる危険がある。悠長にしていられないのだ。
サーシャは難しそうに眉根を寄せた。さすがに難しい話だったかと思ったとき、横からレイラが、
「まずは、魔力を感じなさい」
ミコトは驚いてレイラを見た。彼女は口を出さないと思っていたのだ。
レイラは仕方なさげにため息をこぼすと、右手の人差し指を立てた。
「耳じゃない。口じゃない。鼻じゃない。肌じゃない。眼でもない。ただ、黙って感じればいい」
ミコトが疑問を口にする暇もなく、レイラの体からほんの微量の、青い光が湧き上がった。この世界の月、サーシャが魔術を使うときに見えるものや、『ノーフォン』に取り付けられた青い石と同じ色だ。
ミコトは言われた通りに、五感を意識せずぼんやりと青い光を視た。そして、ミコトは妙な感覚を得た。言葉にしがたい、だが体に馴染むような、不思議な感覚。
瞬間、世界が書き換わるのを感じた。直後、赤い革手袋をはめたレイラの人差し指の先に、小さな火が灯った。
「……地味だな、なんつーか」
「火種ならこの程度で十分でしょ。で、わかったかしら?」
「ああ。なんか……変な感じがした」
「才能あるじゃない。ま、これで第一段階は突破ね。次に魔力精製と術式演算……は、自力で掴むしかないけど」
「おう、ありがとな」
素直に礼を言うと、レイラは居心地悪そうに、
「やめて気色悪い。アタシは戦力は少しでも多いと思っただけよ」
「またまたぁ。ツンデレって奴だな、わかります」
「そういうところがウザいのよ!」
レイラの罵倒に、ミコトはへらへらと笑って返した。それが余計に苛立たせたのか、レイラは目尻を吊り上げた。
それを横目に、ミコトは得た知識を頭の中で反芻させる。しかし考えても、どうやって使えるようになるのかわからない。
「そもそも、魔力ってなんだよ。青い光が魔力って奴か?」
ミコトは軽い気持ちで訊いたのだが、サーシャとレイラが目を見開いて驚いた。
失言したかな、とミコト首を捻る。
「なんか言っちった?」
「ミコト、魔力が見えるの?」
そう訊くサーシャの顔には、怯えの色が見えた。
理由がわからないので、言葉の選びようがない。ただ正直に言うしかない。
「見えるけど……なんかやっちった?」
「……ううん。ミコトはすごく才能があるよ」
「じゃあ、なんよ?」
そのときサーシャの顔に浮かんだ感情は、さまざまだった。
恐怖。葛藤。諦観。信頼。寂寥。
「そうだね。話さないと、いけないよね」
「サーシャ!」
レイラが止めるように怒鳴った。
サーシャはビクリと肩を震わせたが、覚悟の入った視線でレイラを見返した。
「言うよ。巻き込んじゃったミコトには、言わなきゃいけないと、思うから」
「…………」
「ごめんね、レイラ」
「えっと、なにこの展開、居心地悪い……」
レイラは苦々しげに顔を歪めると、ミコトをひと睨みして、壁にもたれかかって目をつむってしまった。
何も話したくないという雰囲気を漂わせるレイラと、苦しげな顔をするサーシャに、なんと声をかければいいのだろう。ミコトにはわからなかった。気遣いできるようになりたい。
「別に、話さなくても……」
苦心して選んだ言葉は、サーシャが首を横に振ることで意味をなさなくなった。
サーシャは一度、大きく深呼吸すると、真紅の双眸をミコトに向けた。あまり眼を合わせようとしなかったサーシャが、だ。
宝石のような瞳に射抜かれて、ミコトは一瞬だけ怯んだ。
「魔力って、実は二種類あってね。生き物が生命力から精製した魔力を、オド。世界の魔力を、マナって言うの」
ミコトは黙って相槌を打った。
サーシャの言葉を止められないのなら、できるだけ話しやすくしてやろうと、慣れない聞き役に徹する。
「普通の魔術師は、オドを使って魔術を使う。レイラが見せた火種の魔術も、オドで発動させたもの。だけど、わたしは……」
サーシャは言いよどんで、しかし悲壮な覚悟を秘めた目で、告げた。
「わたしはマナを操って、魔術が使える――『操魔』の力を持ってるの」
「……そりゃあ、すげえじゃねえか」
ミコトが絞り出した言葉は、その力への賞賛だった。マナを扱えることにどんな意味があるのかはわからない。そもそも、魔術の素人であるミコトにわかりようがなかった。
「世界の魔力――マナは、世界の生命力も同義。わたしは世界の生命力を、自分の魔力として扱えるの」
「……つまり、その力が世界にとって害だから狙われてる、って言いたいんだな?」
サーシャはコクリと、小さく頷いた。弱々しい雰囲気を漂わせるサーシャに、ミコトは頭をガシガシと掻いた。
言葉を考える必要はない。思ったことを、そのまま告げた。
「俺は魔術に関しちゃ、無知蒙昧の素人野郎だ。だからそれが、どんだけすげえのかも、よくわかんねえよ。けど、俺にとっちゃあ害じゃない。それで俺の命は助かったんだしな」
そうだ。一番最初にミコトを救った人物は、世界や神なんて意思があるかもわからない、不確かな存在ではない。サーシャなのだ。
だから、わざわざ偽る言葉など、持ち合わせていない。
「それだけじゃ、ない……」
ミコトの軽い物言いに、サーシャが声を震わせた。ミコトと目を合わせる。黒と赤の視線が絡む。
「赤い瞳は、魔族の証なの」
「ま、まぞく……?」
「瘴気に汚染されて、己の感情と欲望に狂う、悪魔の瞳……」
赤い瞳は、魔族の瞳。
ミコトは心の中で納得した。彼女が自分の瞳を気にしていた理由が、ようやくわかった。
「サーシャは、魔族って奴なのか?」
「……わたしは、人間だよ。そのつもり」
「んじゃ、それでいいだろ?」
弱々しく首を振るサーシャ。魔族ではないと口では言っても、自信なさげなのはすぐわかる。
まあそれで、ミコトの答えが変わるわけではない。
「言ったろ? 魔族とか、そんなの俺、知らねえし。――いいじゃん、綺麗でさ」
「ぁ――――。……怖くない、の?」
「お前を怖いなんて言う奴がいたら、きっと脳みそ腐ってる」
ミコトはニヤリと笑った。安心させるように、自信満々の笑みを見せつける。
サーシャは俯いた。角度的に、表情を見ることができない。
「……ミコト」
「あん?」
「……巻き込んじゃって、ごめんね」
「俺が巻き込まれたくて、こうしてここにいるんだよ」
「……ありがとう」
「――おう」
サーシャはぎこちない笑みを浮かべて。
ミコトは彼女が安心するように、笑顔を作った。
ただ。
「…………」
――今、どうして頭痛を感じているのかが、ミコトにはわからなかった。