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イセカイキ - 再生回帰ヒーロー -  作者: はむら タマやん
第死章 異世戒貴 - 中編 インサニティ・アンデッド -
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第一五話 正義の在り処



 救出戦の決行は、作戦立案後、すぐに行われることとなった。

 時間は夜。奇襲には絶好の時間帯だ。


 エインの街並みは松明の明かりが照らされ、見回りが何人もいた。

 街並みを理解し尽くし、路地を完璧に把握したイシェルが先導することで、無事に辿り着く。


 倉庫街に建てられた、一件の倉庫。

 そこは、地下への入り口がある倉庫だ。ラカがミコト、オーデと閉じ込められていたところである。


 イシェルの情報によると、ここの地下は、屋敷の地下と繋がっているらしい。

 屋敷に直接潜り込むより、警備が薄いこちらから攻めるべきという判断だった。


 グランとラカ、テッドが駆ける。三人の隠密行動は、物音一つ立てず、見張りを無力化する。

 そのたびにミコトとオーデの居場所を尋ねるが、見張りは答えない。意思が硬いのか、知らないだけか。どちらにしろ、情報は得られなかった。


 梯子を降りると、さらに下へと続く階段がある。

 サーシャの『操魔』は失われてしまったが、それでも魔力探知能力が高いのには変わりない。見回りに対して先手を打つ、もしくは隠密するのは容易だった。


 通路を進んでいくと、ぽつぽつと左右に分厚い鉄扉がある。

 人の気配を感じるが、ひどく弱々しい。死にかけ、そう表現するのが適切だった。


 相談し、イシェルの興味が惹かれたことで、開けることになる。

 グランがそっと扉を開けると、血生臭い香り鼻孔を刺激した。


 腰の高さに、ちょうど人が寝転がれるような大きさの台座がある。

 元々金属で作られたのだろう台座は、赤黒い色で塗られていた。それが血だと気付くのに、そう時間は掛からなかった。


 部屋の奥には檻があり、そこには裸にされた、一人の人物が入れられていた。

 紫の髪と瞳の女性だった。その顔立ちに、サーシャは既視感を覚えた。


 その顔には生気がない。目も虚ろに、虚空を見つめている。小さな呻き声を、途切れることなく発していた。

 股下には、白濁の液体がこぼれていた。その惨状は、彼女が凌辱された証だった。


 心が壊れている。


 誰もが悟った。

 もうこの女性は、二度と人としての心を取り戻すことはない。


 イシェルがステップを踏みながら、台座の前にあった机に移動する。

 その上に置かれたノートを、イシェルは嬉々と開いた。




 - - No.121の実験記録 - -


 捕獲経緯。

 エインルード領から転居する道中、盗賊を装って拉致。


 薬品№1、投与。

 錯乱。その他の実験体と変わらず。


 薬品№2、投与。

 錯乱するも、精神崩壊に至らず。

 貴重な実験体と認定。


 薬品№3、投与。

 味覚と臭覚の喪失と、記憶の混乱。

 まだまだ余地がありそうだ。


 薬品№4、投与。

 恒常的な幻覚症状が現れる。

 すごい。まだ精神が崩壊しない。


 薬品№5、投与。

 発狂し始めた。叫び声は、私にとっての子守唄だ。


 感覚が残っている内に、子を孕ませるべきと判断。

 上部は、私が行うことを許可してくれた。


 第一回、出産。

 無事出産したが、無属性魔術は発現せず。

 廃棄を決定。


 薬品№6

 子を目の前で殺されたことが効いたらしい。

 121はあっけなく精神を崩壊。

 こうなっては、薬品を投与する意味はない。


 第二回、出産。

 薬の影響か、出産の数時間後に死亡。

 まぁ、無属性魔術は発現しなかったので、よしとする。


 第三回、


 第四回、


  ・


  ・


  ・


 第九回、出産。

 ついに! ついに、誕生した。無属性魔術師が!

 神の眼だ。これを以てすれば、イヴを殺すことも不可能ではない!


 名は、『アヴリース』で決定された。


 しかし、これでは出力が足りないらしい。

 この最高傑作でも、まだ足りぬと言うのか……。


  ・


  ・


  ・


『アヴリース』を魔道具とする案が立てられた。


 それを使うのは、エインルードの直系であるフリージス様らしい。

 リースと名付けたそうだが、私には関係ないな。


 上はもし『アヴリース』が上手くいかなかった場合に備え、研究を続行する方針らしい。

 私としても助かる話だ。叫び声がないと、碌に眠れないからな。


  ・


  ・


  ・


 もうすぐだ。

 もうすぐ私の最高傑作が、エインルードの悲願を果たす。


 私の使命は、成し遂げられたのだ!


  - -          - -




「へえ。その人、リースの母親らしいよ」


 言って、イシェルは資料を放り投げた。

 受け取ったレイラは、横から覗き込むサーシャと共に読み進め……すぐに顔を顰めると、床に叩き付けた。


 ――無属性魔術師を生み出すための、倫理を犯した実験。


 背後の女性を見やる。

 口も半開きに涎を垂らす様子を見て、目を伏せ。そして見開いたとき、その目から迷いは消えていた。


「……早く行くわよ」


 その号令に、彼らは研究室を後にする。

 あの女性は、きっともう助からない。薬漬け、子を失う絶望、感覚の喪失。寿命も長くないだろう。

 ここで助け出したところで、意味はない。むしろ、手間が増えるだけだ。


 レイラが抱いたのは無力感であり、エインルードへの嫌悪感だ。

 許せない。

 絶対に、許すわけにはいかない。




     ◇




 地下の警備は意外と薄い。そして、その数少ない見回りも弱い。

 進むのは簡単だった。


 変わり映えしない景色。どれだけ歩いたかわからないが、もうすぐ屋敷の地下だろうと思われた。

 そのとき、サーシャの魔力感知が、一人の見回りを検知した。


 見回りは真っ直ぐこちらに歩いてきている。

 やり過ごすことはできない。


 今までと同じ手筈だ。

 グランとラカ、テッドの近接戦闘組が、見張りを無力化するというもの。


 しかし、角の向こうから現れたのは、今までの見張りとは異なっていた。


 痩せ細った、性別のわからない体付き。

 ぼさぼさの髪。窪んだ頬。焦点の合っていない眼は、薬物中毒者特有の禁断症状だ。


 異様な様相だが、関係なかった。

 中毒者はグランたちの奇襲を受け、ほかの見張りと同じく、床に薙ぎ倒される。


 しかし、気絶しない。口の隙間から笑い声を上げ、むくりと体を起こす。

 懐から布袋を取り出す。中毒者は、布袋に顔面を突っ込んだ。


 隙間から床へ零れ落ちる白い粉。

 その正体を察するのは、そう難しいことではなかった。


 ラカが首の骨を折ろうと、回し蹴りを放つ。

 しかし、放たれた蹴りは、中毒者に命中することはなかった。


 いや、命中するにはした。しかし、当たらなかった。

 ――ずるりと、透過した。


「じゃっ、まっ、をぉ……じねーでよぉぉぉお!」


 中毒者は取り落とし、地面に散らばった粉を指差し、憤怒を以て怒鳴る。


「ぼぐがっ、いいぎもぢでぇ、いるんだがらざぁ! わがるだろぉ、ぞれぐらぃ!」


 中毒者が放った拳は、体術の『た』の字もない、下手くそなものだった。

 先ほどの不可思議な現象は不明だが、相手から来てくれるのなら当たると、テッドは判断した。防御しようとして――透過する。

 テッドの顔面に拳が当たる。


 テッドは怯んだが、ダメージにはなり得ない。しかし、こちらの攻撃は当たらない。

 舌打ちし、距離を取る。


「ぼぐを舐めるなぁ! ぼぐづよいんだ、無属性魔術師だぞぉ! 透過魔術! 通り抜げるのざぁ!」


 それに対し、イシェルが酷薄な笑みを浮かべる。


「なるほど。君は『アヴリース』の成り損ないなんだね」


「あ――――ッ!?」


 絶叫した無属性魔術師は、どたどたと足音を立ててイシェルへと走る。

 勢いの乗った拳は、体付きがしっかりした者ならともかく、女子供が受けるには威力がある。

 それが何度も叩き付けられれば、非戦闘員のイシェルでは耐えられないだろう。


 透過する者を止める術はない。無属性魔術師は、真っ直ぐイシェルへ向かい――魔術が発動する。

 それはレイラの魔術。床に設置した感知術式が発動し、床から生えた岩の棘が、足を貫通する。


「ひぎぃ! いぎぁ……ぁぁ!」


 足音が鳴る。つまり無属性魔術師は、床を透過していない。

 足元からの不意打ちに対処できない、という予想は当たりだった。


 絶叫し、床に倒れ行く。床と接地した瞬間、さらなる感知術式が発動。全身が岩の棘に貫かれることとなる。

 血が飛び散る。岩の棘が消えると、傷口を塞ぐ栓がなくなったことによって、血溜まりは広がっていく。


 無属性魔術師には、まだ息があった。

 ひゅうひゅうという過呼吸。ひどく苦しそうな様相からは、きっと助からないだろうということがわかった。


 トドメを刺そう。そう思ってテッドが脊椎を踏み砕こうとするが、透過した。


「ぐる……じぃ……。やべ、でぇ」


 惨めな懇願。生命が当然のように求める『生きる』ということ。

 人一倍、死に敏感なサーシャは、戸惑ってしまう。


 懇願に対し、応えたのはグランだった。

 苦痛の呻き声と共に、穢れた魔力が緩慢に湧き立つ。


「楽にしてやる」


 穢れた魔力――瘴気を纏った大剣は、透過魔術を突破して、人の首を刎ねた。

 転がっていく生首。絶望の表情。

 びくんと肉体が跳ねたのを最後に、身動き一つしなくなった。


 彼、あるは彼女はおそらく、実験の被害者だったのだろう。

 生まれから死ぬまで、救いの手は差し伸べられなかったに違いない。


 しかし、敵に回った。だから殺した。

 加害者と被害者、正義と悪――相反するモノは時に、簡単に入れ替わる。




     ◇




「ふむ」


 小さく唸って、掌を構えた。

 まるで先を読んだかのような動きに、ラカの拳が受け止められる。


 白灰の頭髪を持った老人だった。

 目蓋が閉じられているというのに、見られているとラカは直感する。


 老樹のような雰囲気からわかっていたが、只者ではない。

 舌打ちしたラカは、受け止められた右拳を支点に、体を捻りながら跳躍。しなる蹴りを、老人の頭部目掛けて放つ。


 気絶では済まさない。

 とある少年のことだが、敵に手心を加え、そのせいで追い詰められたのは、記憶に新しい。


 殺す。

 偽りなき殺意が、攻撃となって老人に迫る。


 しかし、老人は流れを読むという点で、圧倒的にラカを上回っていた。

 剛ではなく柔。ラカの剛の攻撃は、あっさりと受け流された。その上、勢いを利用され、老人の背後へと投げ飛ばされる。

 すると、背後から攻撃を仕掛けようとしていたテッドと、回避の余裕なく衝突してしまう。


 直後、一瞬で詰め寄ったグランが、大剣を振り下ろす。

 ここに来て、ようやく老人が攻勢に出る。大剣の間合いよりも深く、グランの懐に潜り込んだ老人が、掌底を放つ。

 それは絶妙な力加減で鳩尾に命中し、グランの動きを奪った。


 ラカ、テッド、グランの三人による猛攻が、まったく通じなかった。

 後ろから様子を見ていてサーシャたちは、強敵の出現に顔を強張らせる。


 先に跳び出したのはサーシャだ。魔力精製を行おうとして――直後、正体不明の恐怖に、体を震わせた。

 構えた右腕は垂れ下がり、足腰からは力が抜け、床にへたり込んでしまう。


「君が今代の宿主か。……すまかったな」


 意味不明の、老人の言葉。その声に憶えがあると、サーシャの中で、何かが叫ぶ。

 記憶にないのに、見覚えがあった。アレは、自分を殺すために生まれた者だと。


「サーシャ!?」


 慌ててサーシャに駆け寄ったレイラが、警戒心を剥き出しにして、老人を睨み付ける。

 大きな隙に、しかし老人は、隙を突いて攻撃する姿勢を見せない。老樹のように佇んで、様子を窺うだけ。


 レイラが右腕を向けて牽制しながら、背後のイシェルに問い掛けた。


「……どういうことよ? アンタの情報に、こんなのいた?」


「本官だって、全情報を集めてるわけじゃないしー。……でも、本官の耳にまったく入らなかったってことは、エインルードにとって超重要人物であることは間違いないよー。――うん、俄然興味が湧いてきた」


「アンタねぇ……」


 そのようなやり取りをしていると、老人が苦笑した。


「くく。そう大した者ではないよ、私は。時代遅れの、ただの化石に過ぎない」


 気を引き締めたレイラは、老人の言葉を無視して睨み付ける。


「グランたちから離れなさい」


「そうは言ってもね。これは、君たちから仕掛けてきたのだろう」


「――離れなさい」


 命令に、老人は肩を竦め、通路の脇にどいた。

 まるで、サーシャたちを先に通すように。


「どういうつもり?」


 老人にとって、レイラたちは侵入者のはずだ。

 訝るレイラに、老人は語る。


「私は長い時を生き過ぎた。かつての大志や使命、想いは……もうない。私はただの傍観者。気になるのは、この世界の行く末だけだ」


「アンタ、エインルードの仲間じゃないの?」


「縁があるだけだ。昔話を語り、少し先の未来を予言する。それだけの者だ」


 老人は語り終え、続く通路を指差す。

 起き上がったグランたちが、老人に向き直る。その表情の険しさを見て、もし戦った場合の結果は予測できた。


 この老人は強い。魔術を使う暇さえ与えず、レイラたちを制圧するだろう。

 不意打ちの必要性すらなく、速攻で、圧倒的に。


「言う通りにしましょう」


「……ちょっと待ってくれ」


 先に進もうとしたレイラを引き止めたのは、未だ老人を睨み続けているラカだった。

 ラカは鋭い視線に、しかし隠せない不安を乗せている。


「答えろ。オーデとミコトはどこだ?」


 今までの見張りに尋ねても、答えてはくれなかった。

 だが、この老人ならば、もしかすれば。


「……ふむ」


 老人は思案し……少しして、頷いた。

 ラカの期待は叶った。――同時に、期待は外れる。


「オーデ・アーデ・ムレイは死んだ」


 あっさりと告げられた言葉を、ラカは理解できなかった。

 時間が止まったような錯覚。しかし、それも長くは続かない。少しずつラカの心内に、理解した言葉が飲み込まれる。


「信じられないのも仕方ない。……そうだな。ここから先に進むと、地下に続く階段がある。その手前、左側に、死んだ実験体を捨てる部屋がある。彼はそこにいるよ」


「信じるな、ラカ。こいつは敵だ」


 テッドの視線に、一層の憎悪が込められる。しかし、ラカを安心させるために告げたはずの声音は、不安で震えていた。

 大きく動揺する二人を無視し、イシェルが問う。


「ミコト・クロミヤはー?」


 イシェルはオーデのことなどどうでもよく、ミコトにしか興味を向けていなかった。


「彼は最下層にいる。もう遅いが……行ってあげるといい」


 寂寥の雰囲気を漂わす老人は、それ以上ミコトの情報を、口に出すことはなかった。

 今度こそ彼らは、先へ進む。擦れ違う最中、サーシャは老人の目なき視線に、びくりと体を震わせた。


「あな、たは……、なに……?」


 振り絞った問い掛けに、老人は微笑みを浮かべるだけだった。

 老人は名乗らず、サーシャたちを見送る。


 誰もが消えて、たった一人となった通路で、老人――《時眼》の勇者シリオスは、溜め息をこぼす。


「――私は、ほんの少し先を見通す予言者」


 ゆえに彼は、目を必要としない。


「――私は、過去を現代に伝える時の語り部」


 本来の歴史を、現代の若者に教える。

 それが唯一、彼が行う世界への干渉。


「――私は、世界の行く末を見守る傍観者」


 原則として、彼は世界に干渉しない。

 魔王が復活し、この世界が滅びようと。エインルードの思惑が叶い、魔王が殺されようと。

 どちらでも構わない。何が起きようと、それは結末には違いないのだから。


「さて。最凶の使徒は廃人となり、最強の魔術師は完成した。最恐の半身は、どうなるか」




     ◇



 誰の気配もしない。ただ、澱んだ魔力が漂っていた。

 階段の手前。左側の部屋。その扉を開く。


 腐臭が漂う室内を、ラカとテッドは進む。

 イシェルが魔道具のランプを掲げると、部屋の全貌が明らかとなる。


「――――ッ!?」


 その光景に、誰もが絶句した。

 腐った肉。剥き出しになった骨。投げ出された四肢。


 無残な屍の山が、積み上げられている。

 その一画に、その死体はあった。


 上半身のない、まだ死んで新しい亡骸。

 血に汚れた灰色の髪。生気が失せ、濁った灰色の瞳。

 血の気が失せた、老い始めの顔には、見覚えがあった。


 見間違えるはずがない。

 その男のことを、間違いなく、憶えている。




 オーデ・アーデ・ムレイ。


 彼の、死体。




「ぁ……ぁ……、ぁぁ……」


 テッドが膝を付いた。

 表情から生気は消えて、死相すら浮かんでいる。彼にとってオーデの死は、それくらいショックだった。


 半開きになったオーデの口から、励ましの言葉は紡がれない。

 死んだ人間は生き返らない。死した人間は語ることはない。それが、この世界の理。


 絶望した暗い雰囲気の中、ただ一人だけ、空気を読まない者がいる。


「じゃあ確認したことだし、さっさと先に進もうよ」


 イシェルだ。

 エインルードに紛れ込んだ趣味の諜報員は、先に進みたくてうずうずしていた。


「イシェル……!」


 激昂したのはレイラだった。

 レイラは自身のことを、冷めた人間だと自覚している。実際、オーデの死を覚悟していた彼女は、そこまでショックを受けていない。


 だからと言って、仲間がどうでもいいという態度を取られ、怒りを覚えないわけではない。

 悲しみから抜け出し、怒りへと転じたレイラは、イシェルの胸倉を掴み上げた。


「痛いんだけどー、お姉さん」


 対するイシェルの眼は、完全に冷め切っていた。

 人の死を、悲しみを。なんとも思っていないのだ、この女は。


 怒りのままに拳を振るう。

 その拳はイシェルの顔面に届く直前、褐色の大きな手に受け止められた。


「グラン……!」


 レイラの怒号に、グランは首を横に振る。

 仲間同士で争っても、不毛なだけだ。それくらい、レイラにだってわかっていた。


 レイラが怒りを抑え、拳を引こうとする。――それと、彼女が動くのは同時だった。


 鈍い音が響いた。

 イシェルの体が一瞬だけ浮き、床に投げ出される。


 殴ったのはラカだ。

 誰よりもオーデを大切に想っていた彼女が、激昂しないはずがなかったのだ。


 しかし、ラカの目は冷めていた。極寒と言ってもいい。

 絶対零度の視線が、イシェルに向けられている。


「オレを冷静にしてくれて、感謝するぜ、イシェル」


「……どーも」


「だがな。テメーを仲間だとは、もう二度と思わねー。けど、その諜報能力は必要だ。――だからテメーは、狗に格下げだ」


「まっ、それでいいよー。餌さえ与えてくれればね、わんわん」


 イシェルはそう言って、真っ赤になった頬を撫でた。

 ペッと吐き出すと、折れた歯が死体の山へ転がって行った。


 次にラカが向かったのは、力なく項垂れたテッドのところだった。

 テッドの前で立ち止まると、頭の上から、思いっきり殴り付けた。


「テメーは何をやってんだ」


「……僕、は」


「仲間がいれば助け出す! 仲間が死んでりゃ仇討ち! いつまでも泣いてんじゃねーぞ、テメーは無霊の戦士だろーが!!」


 テッドが顔を上げた。その視線の先で、ラカは目尻に涙を浮かべ、ニヤリと笑っていた。

 声は震え、笑みはぎこちない。

 誰よりも悲しみながら、誰よりも強く前を見据える。その姿に、テッドは何を見たのか。


 立ち上がったテッドが、服の袖で顔を拭う。

 次に顔を上げたとき、そこには戦士の顔付きがあった。


「ああ、やっぱお前は、すげぇなぁ」


 そう言ってテッドも、ぎこちない笑みを浮かべた。




 オーデの死体は、部屋ごと焼くことにした。

 死体を担いで進むだけの余裕はなかった。オーデの遺品は、何も残らない。


 だが、得るものはあった。


 彼らは、燃える部屋を後にする。


 ――そして、ついに辿り着く。






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