第九話 かつて夢見た地の姿
リースに引き摺られ、下へ下へと移動する。
そして、最下層に辿り着く。
大空洞があった。
天井には魔道ランプが付けられているが、それでも薄暗い。
広すぎて、反対側の壁が見えない。
空洞の中心に、ずるずると移動する。
中心に連れて来られて、ようやく大空洞の全容を見渡すことができた。
広い。あまりに広い。
エインの広さはあるだろう。これが、エインの下に広がっていたというのか。
ふと、ミコトは自身の足元を見る。
底が青くなった、浅い溝。それがに掘ってある。
魔力を感じる。
溝の青は魔鉱石。溶かした魔鉱石が、溝に流し込まれているのだ。
「わかるかい、僕の最初で最後の弟子くん。これが何かが」
「……魔法陣?」
「正解」
大空洞の床に掘られた溝は、至るところに張り巡らされていた。それらは弧を描き、ルーンを作っている。
全容が見えないので把握し難いが、魔法陣で間違いない。しかし、このように巨大かつ複雑な術式は、見たことがなかった。
「約束の続きだ。千年前、何が起こったか。それを教えよう――」
フリージスは、ゆったりとした口調で語り始めた。
――シリオス様から聞いた話さ。
千年前、この世界に魔王が生まれた。
《神喰い》エデン。
その正体は双子の兄妹、もしくは姉弟。
一つの体に二つの頭を持つ、双頭の魔王。
《悪魔》アダム。
《操魔》イヴ。
この二人が合わさると、常人が幾ら集まろうが、手が付けられなかった。
《操魔》は魔力を操る。人の生命に干渉し、魔力として引き摺り出す。
《悪魔》は魔力を侵す。魔力を瘴気とし、人を狂わせる。
アダムとイヴの前では、誰も彼もが正気を保つことができなかった。
それは勇者も例外ではない。
神の思惑では、《白命》が《操魔》を、《虚心》が《悪魔》抑えるつもりだったのだろう。
しかし《白命》は裏切った。《黒死》の魔女となり、魔王の側に付いた。
《白命》の加護がなくなれば、《操魔》を防ぐ術はなく、《悪魔》を抑えきれなくなる。
勇者たちは戦いの中で、少しずつ心を狂わせていった。
《浄火》のイグニスは、愛に狂った。
《聖水》のアクエスは、寂寥に狂った。
《風月》のエアリスは、復讐心に狂った。
《地天》のグロウスは、使命に狂った。
狂って……そして、狂死した。
シリオス様自身、力の大半を失ったそうだ。
その成果は、魔王の半身である《操魔》イヴの、肉体の破壊。
……しかし、イヴは死んだわけではなかった。魔力に溶けて逃げたのさ。
世界中に巡る魔力の中で彷徨い、《操魔》を受け入れられる胎児に憑依する。
イヴには、それを可能にする力があった。放っておけば、いつか魔大陸に戻ってしまう。
《操魔》と《悪魔》が再び《神喰い》の力を取り戻したとき、勇者という守護者を失った世界は、今度こそ侵される。
《千空》のテンパスは最後の力を振り絞り、霊泉大陸に跳んだ。
《虚心》のスピルスは、《白命》と《時眼》を除いた勇者たち精神と共に、世界樹の下で眠りに就いた。
世界樹は霊脈の始まり。世界の中心とも言える場所。それに干渉すれば、全世界を見渡すことも可能だ。
夢の中でスピルスは、神の力を受け入れられる――使徒の資質がある者を探した。
見つけ次第、勇者の力を使徒に継承する。
何度も、何度も繰り返した。より資質の高い者を見つけ、時には使徒の精神に干渉し、イヴが魔大陸へ行くことを阻止した。
それでも、イヴを本当の意味で殺すことはできなかった。
《操魔》の宿主を殺しても、魔力に溶けたイヴは殺せない。
力が宿る左腕は潰せば暴走し、手が付けられなくなる。その時は、何代も前の《浄火》の死を対価に、ようやく止めることができたらしい。
勇者だけの力で魔王を殺すことは不可能――結論付けるのは、そう遅いことではなかった。
だからシリオス様と協力し、エインルードは研究した。王宮務めの魔術研究者より、何より誰より研究した。――魔王を殺す方法を。
「そして、何百年もの研究の末、ついに開発されたものが――これさ」
とんとん、とフリージスが床に掘られた、浅い溝を踏む。
町一つほどの広さはある、超大規模魔法陣。
「この世界には、八つの属性が存在する。一般的な自然属性が四つ。近年になって開発された上位属性が二つ。未だ存在しない神域属性が二つ」
だが、とフリージスは言った。
「神域属性が未だ存在しない……それは、エインルードによって塗り替えられた。エインルードは命属性を――命に干渉する術を手に入れたのさ」
「な、に……?」
命属性魔術。その価値は計り知れない。
そんな歴史的な大発明をしていながら、彼らは外に漏らすことなく、この大空洞を作ったというのか。
あまりに徹底した秘匿性に、ミコトは絶句する。
「君もこの魔術に、憶えがあるはずさ。牢屋と応接間に、これの劣化版を設置している」
ミコトは思い出す。
ラカたちと閉じ込められた牢屋と、シリオスと出会った応接間。
あの場で魔力制御が困難だったのは、この魔術を劣化させたものだったのだ。
つまり、この魔術の力は、
「魔力の吸引、ってところか?」
「正解だ、自慢の弟子くん。名を生命搾奪――『ライヴ・テイカー』」
弟子、そう呼ばれたことに、ミコトは顔を顰めた。
顰めながらも、ミコトは訊く。
「『ライヴ・テイカー』……。それで、イヴをどうにかできるってのか?」
「不正解だ、不肖の弟子くん。まぁ、つもりだった、と言えば正解かな」
フリージスは溜め息を吐く。
「もしイヴを魔力ごと閉じ込めても、器とした聖晶石が侵され、逃げられてしまうのさ。結局、《操魔》の浸食に耐えられる者に封印するのが限界だった。……その封魔の一族も、三年前の滅んでしまったがね」
三年前に滅んだという一族。セレナイト姉妹が住まう里が襲撃を受け、サーシャを失った時期は三年前。
シリオスは『封魔の里を目指せ』と告げた。そこがサーシャが生まれ故郷だと。
「まさか……。サーシャが、その子孫?」
フリージスは頷くことで肯定を示した。
つまりサーシャは、なるべくして《操魔》の宿主になった、ということか。
偶然でもなんでもない。サーシャが宿主になったのは、エインルードのせい、ということか。
「――全部、エインルードが悪いんじゃねえか!? サーシャを世界の敵に仕立て上げたのは、お前らだろうが!!」
「そうだね」
フリージスは否定しない。
無表情のまま、なんの感情も映さない瞳で、ミコトを見下ろす。
「どうでもいい」
「……ッ!!」
立ち上がろうとするが、体が壊れては無理があった。
『最適化』は精神面を補強する力だ。『バート・アクエモート』のような無理はできない。
「話が途中だったね。続けようか――」
――『ライヴ・テイカー』が使えないとわかったエインルードは、新たな研究に乗り出した。
様々なものに手を出したが、エインルードが一番力を入れていたのは、人工の無属性魔術を作ることだった。
無属性魔術は特殊だ。時にそれは、八つ属性とは外れた希少な現象を起こす。もしかしたら、《操魔》を殺す力が手に入るかもしれない。
……魔術は知能を持つ者にしか使えないからね。人間相手に、色んなことをしたそうだよ。
僕も実験資料を読んだけど、なかなか非人道的だったね。
まずこの領に奴隷を集めて、繁殖させる。都会に出る者がいれば、旅路の間に捕え、地下で実験体となってもらう。
母体には様々な処置を施した。優秀な種を生もうと強姦したり、胎児がいる子宮に刺激を与えたり。
術式を構築するのは心だからね。心を壊すようなことも、何度もやった。
――そして二〇年前、ついに作り出した。
千年に一度しか起こらないと断言できる、奇跡を起こしたのさ。
……魔術は術式に魔力を注ぎ続けなければ、すぐにも消失する。
それは異物を嫌う神が、それを排除しようという修正行為だ。存在が不安定な魔術は、神の世界から弾かれる。
エインルードが生み出した奇跡は、修正力を利用する力だ。
世界の異物を排除する、神の眼。
その視界を、魔術によって生み出す、無属性魔術。
その名は、消滅魔術『アヴリース』。
「名は魔術から取って……」
フリージスが指し示した先にいたのは。四カ月間を共に過ごしていた女性。
無属性の、消滅魔術を使うメイド。
「――リース。そう、彼女のことさ」
紫紺の髪と瞳。無表情のリースが、じっと佇んでいた。
実験の内容を知って。生まれる経緯と、その理由を聞いて。しかし彼女は、眉一つ動かすことはない。
フリージスにも、自分を慕う者の誕生の経緯を話すことに、躊躇いがなかった。
「ちなみに『リース』というのは、ルーンの一つでね。大きな破壊や、災害を意味する。君も憶えがあるだろう?」
「イグニス……リース」
上級魔術の中でも災害系に分類されるほど強力な、火災魔術『イグニスリース』。
『最適化』の出力が一定を超えて、ようやく発動できる、ミコトの切り札。
「火災魔術『イグニスリース』。水災魔術『アクエスリース』。風災魔術『エアリスリース』。地災魔術『グロウスリース』。……災害系魔術の全てに、『リース』は含まれる」
「名付けすら、碌にできねえのかよ」
「……弱ったな。名付けたの、僕なんだ。僕の預かりになって、魔術名の『アヴリース』で呼ぶのもなんだから、とね」
アヴのほうがよかったかな? とフリージスが訊くと、リースは首を横に振った。
「嫌ではありません。むしろこの名でよかったと、わたくしは今、狂喜乱舞しております。――フリージス様が下さった名ですから」
無表情のままに言うリース。
フリージスはうんうんと頷くと、再びミコトを見下ろした。
「続けよう……。エインルードは『アヴリース』を生み出した。しかし、彼女では足りなかった。彼女の扱う消滅魔術は、範囲が狭すぎる。イヴを殺すには足りない」
さらに、と欠点を上げていく。
「様々な薬品が投与された母体から生まれてきた彼女は、短命だ。その上、脳に掛かる制限が弱く、常に体への負担を強いていた」
思わずミコトはリースを見た。生命を探る。
そして驚きのまま、ぽつりと呟いた。
「ごじゅう……はち、さい?」
リースは二〇歳だったはずだ。少なくとも、四カ月前は……。
……違う。四カ月前にリースを見たときも、実年齢より少し上だった。
と、そこまで考えて、ミコトは思い至る。
実年齢と中身が食い違う人物が、もう一人いたことを。
「ろくじゅう……さん?」
フリージス。彼の生命力は若々しい肉体に反し、ひどく衰えていた。
それでも、この加速はいったい……。
(……まさか)
そして、ミコトはわかってしまった。
彼らが焦っていた理由。それは、
「お前ら……。……寿命、なのか」
二人は静かに肯定した。
そこに焦燥はあっても、恐怖はなかった。
フリージスは、続きを語る――。
――彼女は短命で、出力も足りない。
そこで、エインルードは思い至ったのさ。
本来の寿命を超えて、生き続ける存在。聖晶石に包まれ、今も生き続ける者。
――《虚心》の勇者、スピルスの存在を。
リースを聖晶石に封じれば、出力と寿命、両方が解決する。
ただ、だね。聖晶石に封じると、彼女の意思で魔術が使えなくなるのさ。まぁそれは、『アヴリース』を魔道具として扱うことで解決する。
問題は、誰がそれを装着するか、だった。
『アヴリース』を扱えるぐらい、強力な魔術師が必要になった。
そこでエインルードは、ある者に目を付けた。
「僕のことさ」
あっさりと、フリージスは言った。
「僕には魔術の才があったのさ。シリオス様のお墨付きでね。百年に一人の人材だ、と。だからエインルードは、利用することに決めた」
まるで自身が道具であるかのように語る。そこに、不条理への怒りはなかった。
フリージスは納得していた。むしろ自身の境遇を、進んで受け入れているように見えた。
「魔術の教育は倫理的な面から見て、六歳以降が好ましい。そうでなければ後遺症が出る。それを承知でエインルードは、幼少の僕に修行を課した。その成果もあって今、アルフェリア王国最強の魔術師、なんて呼ばれてる」
「なっ……」
エインルードは使命のためなら、家族すら利用していた。
血の繋がった者を道具のように、たった一つの『兵器』を扱うためだけに育て上げたのだ。
それが、生命力が異常に衰えた理由。
フリージスの体力が、あまりに少なかった訳。
思い当たる節はあった。
フリージスが昼間、死んだように熟睡している姿は、旅の間に何度も見た。
寝起きでは、リースの介護がなければ碌に動けないほどに、彼の体はボロボロだったのだ。
「さて、本題を語ろう」
それまでの会話が前座であるかのように、フリージスが告げる。
「ほん……だい?」
「そう、本題。エインルードは三つの存在を作った。巨大魔法陣、神の奇跡、魔術の天才。札は揃った。そして今、『ライヴ・テイカー』を利用して、『アヴリース』を完成させる。それを僕の体の一部とし、――《操魔》イヴを討つ」
そしてフリージスは、冷笑を浮かべる。それを見て、ミコトの脳内で警邏が鳴り響く。
ガンガンと脳を締め付け、刺すような刺激が、ミコトの体を支配する。
夢。幻覚。錯覚。
暗闇の中、足元が崩れていくような。
「ァ……ァァァアアアアアアアッ!!」
『行動の最適化』。ミコトの制御から離れた肉体が、敵を殺そうと行動し、
「――『ブレイク』」
そして、打ち砕かれる。
今度こそ。完膚なきまでに、意思を砕かれた。
「必要なのは魔力だ。エインに集めた者たちで確保するつもりだったが、本命の《操魔》が逃げたとなれば、地上を範囲に含むわけにはいかない。つまり、領民で魔力は賄えない。しかし、彼女を捕まえている時間はない。僕たちには時間がない。巡り合わせが悪ければ、明日にでも死ぬ命だ。だから――」
聞きたくない。知りたくない。
嫌だ嫌だ。それは、絶対に、嫌だ。
息苦しくなるような絶望と、頭を掻き乱す苦痛。
「――不死身の君に、生贄になってもらおう」