第四話 畜生界
街に逃げ込んだレイラは、サーシャを探して回っていた。
サーシャは看病をレイラに交代して、ラカと買い物に出掛けたはず。
広くない街だ。探し回れば、すぐに見つかる。
そう思っていたレイラは、予想に反し、未だ見つけられないでいた。
代わりにレイラは、別に仲間を発見する。
火鼠の外套を着た、浅黒い肌の巨漢。赤い髪と、赤みがかったブラウンの瞳。
グラン・ガーネット。《ヒドラ》という通り名を持つ傭兵であった。
「あれ、アンタこんなとこで何してんのよ?」
「宿探しだ。屋敷に泊まる気はないからな」
「は、ちょ、聞いてな……! いえ、今それはいいわ。大変なことになってるのよ、今!」
それからレイラは、今までの経緯をグランに説明する。
看病交代から、ミコトを残してレイラが逃げ、サーシャを探しているところまでを、要約して伝える。
グランは黙って聞いていた。
「それで、サーシャとラカを見かけなかった?」
「いや、見ていないな」
そう答えたグランは、レイラを見ていない。
ただ、屋敷を黙して睨み付けていた。グランが屋敷に歩き出そうとする。
「待ちなさい、グラン。どこに行く気?」
「フリージスに問い詰める。ミコトを助ける」
「気持ちはわかるけど、お願いだから待って。今はサーシャとラカが先決よ。それにオーデも」
フリージスを問い詰めるのは、今は難しいかもしれない。だがお互い生きてさえいれば、機会はある。
あれから時間が経ち、ミコトがどうなっているかはわからない。だが、死んでいることはあり得ない。
しかし、サーシャとラカとオーデは、殺せば死ぬ人間だ。
後回しにして手遅れなどという事態は、絶対に避けなければならない。
「それに、カーリストって奴は危険よ。種はわからないけど、ミコトの攻撃がまったく通用しなかった。グランでも危ないわ」
「…………わかった」
グランが了承したことに、レイラはサーシャを優先できる安堵と、ミコトに対して罪悪感を覚えた。
だが、これが一番の選択肢のはずだ。決めたのなら、あとは突き進むだけ。
そして捜索を再開する。
しかし人手が増えたというのに、仲間の姿は一向に見つけられない。
それからしばらく経ち、レイラの焦燥が限界近くに達したときだった。
グランの獣耳が、ピクリと動いた。
「街の様子がおかしいな」
え、とレイラが街中を見渡せば……確かに、人々の様子がおかしい。
敵が出た、という噂が流れていき、人々が移動を始める。その目は執着の感情で血走っている。
「なに、これ……?」
「ラカだ」
グランの指差した先に、行き絶え絶えに走り回る少女がいた。その必死の形相に、レイラは目を剥く。
ラカもこちらに気付いたのか、安堵の溜め息を吐いて、その場で躓いた。
「ラカ、大丈夫?」
駆け寄り、その肩を支える。
ラカは息を整える暇も惜しいとばかりに、言葉を紡いだ。
「ここに……いるのは……っ。お前ら……、だけか!?」
「そうよ。それよりラカ、サーシャはどこ?」
「わかんねー! くそ、何が起こってんだいったい!?」
憤るラカに、レイラも深く同意する。
エインルードに辿り着けば、平穏が訪れるのだと信じていた
それが、これはいったいなんだ。わけがわからない。
だが、レイラはそんな想いを堪えて、現状解決に意識を向ける。
ともかく、ラカと情報の共有だ。
「ラカは、誰か見かけた?」
「オレは……」
……ラカの話によると、ミコトが民衆に追われ、オーデが支援に行ったという。
「なるほどね。この騒ぎは、アイツを捕まえるための……」
どう動く。
サーシャの居場所はわからない。ここは、倉庫街にいるというミコトとオーデに合流するか。だが……。
と、そうしていたとき、グランが動く。
次の瞬間には、グランはラカの背後にいた人物の首に、手刀を突き付けていた。
思案していたレイラと、肩で息をしていたラカは、ようやく知覚する。
その人物は灰色の髪と黄色の瞳を持つ、《無霊の民》の少年だった。
首輪の痕が、彼が元奴隷ということを示していた。
まさか敵か。臨戦態勢で構えるレイラだが、その前に気付く。少年はこちらに敵意を向けていなかった。
彼は申し訳ないという風に、グランに謝る。
「すまない、獣族の戦士。知り合いがいたもんで、驚かそうと思ってたんだ」
台無しになったけどな、と少年は苦笑する。
その少年を指差したのは、彼と人種を同じくするラカだった。彼女は驚愕に目を見開き、その名を呼ぶ。
「テッド! なんでここに!?」
「話は後だ。さっきから噂になってるアクマというのは、君らの仲間のことだろう? ここにいるのは不味い。僕らのアジトに案内する」
レイラとグランは顔を見合わせ、それからラカを見た。
ラカは戸惑いつつも頷く。
「オレのダチだ。信用できる」
罠という線も捨て切れないが、少なくとも、ここにいるのは不味いのは確かだ。
アジトというなら、ほかにもメンバーがいるはず。大人数は亀裂ができやすいが、現状どう動いていいかわからない今、誰かを頼るのもアリか。
満場一致。レイラたちはテッドという少年に連れられて、アジトへと移動を始めた。
◇
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……!」
息が荒く、肺が苦しくなってきた。
意識が朦朧とし、頭痛がひどくなる。熱がぶり返してきた。
後ろを振り向けば、憎悪の形相を浮かべる民衆たち。
彼らに捕まえられても、本当の意味で死ぬことはないだろう。
……だが、駄目だ。今、捕まるわけにはいかない。囮の役割を果たせなくなる。
真っ直ぐには走らない。ブロック型の街並みを利用し、右へ左へと、追手を撒こうとする。
しかし予想を超えて、噂の広がりと人々の執念は凄まじかった。どこへ行こうとも追手がいて、ミコトの格好を見るなり、悪魔と判断して追ってくる。
時間を掛ければ掛けるほど、追手は増えて行った。
「ぐ……ぁ……!」
ついにミコトは、倉庫と倉庫の隙間の路地で倒れてしまった。こんなところで足を止めれば、すぐに見つかってしまう。
辺りを見渡したミコトは、ゴミ捨て場を発見した。酸素不足で痺れる体を無理して動かし、ゴミの山に隠れる。それは幸運にも、追手に見つかる前に行われた。
「悪魔め、どこへ行った!?」
「絶対に見つけ出せ!」
「殺せ!!」
すぐ近くを、鬼気迫る空気を纏う領民たちが通り過ぎていく。
ミコトは息を静め、体力回復に努めると共に、領民が通り過ぎるのを待つ。
ふと、ある考えが脳裏を過った。
わざわざ逃げる必要はあるのか? と。
ミコトには集団のゴロツキ相手に、一方的に下したことがある。王都の下層北区を彷徨っていたときのことだ。
それから、もう二カ月経った。あの時の二倍とは言わないが、大分成長は自覚している。
今なら、素人相手に後れを取ることなどありえない。数の意味で言えば、こちらは無限なのだ。
死ななきゃ安い。そして自分は、本当の意味で死ぬことはない――無敵だ。
口角が吊り上がっていく。思わず嗤いを上げそうなった。
と、ミコトは自身の内面に思考を落としていた、そのときだ。
差し込む光。どけられたゴミ。
見つかった。見つかった、見つかった見ツカッタ、ミツカッタ……!
「ケキ……ッ」
ゴミ山から跳び出す。殺意に染まった瞳を、自身を探し当てた者に向け……、ミコトの殺意が揺らいだ。
二人の子供だった。一〇歳にも満たない少年と少女だ。同じ髪色と瞳、似た生命力から、おそらく兄妹だと思われる。
その兄妹はミコトを、嫌悪を以て見つめていた。子供らしくない表情で、白い花冠が雰囲気から浮いていた。
思考が遅延し、ミコトの行動は何歩も遅れた。
その間に、子供が声を張り上げる。
「みつけたぁ!」
「あくまはここだよ!」
「……!?」
その内容に、ミコトは表情を強張らせる……ような余裕はなかった。
後頭部への衝撃。完全に意識外からの攻撃に、なんの防御も取れなかった。
頭から地面に薙ぎ倒される。額が割れ、石畳の地面に血溜まりが広がっていく。
バタバタと、こちらに走り寄る足音が聞こえた。幾ばくもなく、全身に武器が叩き付けられる。
武器、と大層に呼べるものでなかった。木棒、鍬、鉈、鎌。
戦闘に使うには不便な、しかし人を傷付けるには十分な道具が、ミコトをズタボロにしていく。
魔術は使えなかった。最初の後頭部への一撃で脳震盪でも起こしたのか、上手く頭が回らない。
一回でも死ねれば万全となって蘇り、こんな烏合の衆なぞ一蹴できるのに……。
ミコトは歯を食いしばったが、それは苦痛を耐えるためか、悔しいだけなのか、本人ですらわからなくなっていた。
「よく見つけたわ! 偉いわよぉラオ、リエ!」
「とうぜんだよ、ふふんっ」
「えへへ、フリージスさまも、よろこんでくれるかなっ」
ミコトを見つけ出した子供たちの会話が、ひどく遠く感じた。
引き摺られる。狭い路地から放り出され、倉庫街の通りに捨てられる。
歓喜の悪意。善意の悪意。暴虐の悪意。愉悦の悪意。
様々な想いがミコトを悪だと断じ、正義の鉄槌を下さんと、一方的な暴力を振るう。
ミコトに抗う術はない。
「あがふっ、げぅぁ、が……ァア!!」
農具で叩かれ、足で踏み付けられ、石を殴られる。
無理やり起こされれば、腹部を思いっきり殴られて、胃液を吐いた。
足を掴まれて轢き回されては、肌が削れていくのを感じた。
民衆には拷問の才能はなかったし、そういう知識も足りていなかった。
爪を剥がされることもなく、骨を折られるわけでもなく、拘束するわけでもなく、五感を潰すわけでもない。
領民は自分たちの悪意のまま、ミコトを甚振っているだけだ。
「死ね!」
「死ね!」
「死ね!」
「死ね!」
「死ね!」
「死ね!」
「死ね!」
「死ね!」
「死ね!」
「死ね!」
「死ね!」
「死ね!」
「死ね!」
民衆の抱く感情は順当なものだと、ミコトはわかっている。
奴隷として過ごし、虐げられてきた人々。奴隷の親から、自分たちがどんな生活を送ってきたのか、この領がいかに恵まれているかを熱弁される子供たち。
エインルード領は楽園だ。
ずっと奪われてきた人々が、ようやく掴んだ平穏だ。それを奪う者が現れたなら、何がなんでも守ろうとするだろう。
ふと、少し考えてみる。
自分の手から、もしも大切なモノが奪われようとしていたら、ミコト・クロミヤはどうするか……。
(なぁんだ。お前らと俺は、一緒じゃねえか)
皆、大切なモノがある。それを守る行為は善だし、そのための殺戮は悪だ。
仲間を守ることは、正しいことだと確信している。それは自身にとっての善だが、敵にとっては悪なのだ。
どこかの誰かがこう言った。正義の反対は、別の正義なのだと。
ならば基準点となる正義は、どこにあるというのか。最初から、そんなものは存在しないのか。
あらゆるものは、すべてが悪となり得るのか。
(どォでもいィ)
ああ、そうだ、その通りだ。
所詮この世は弱肉強食。強者は搾取し、弱者は搾取される。
そんなケダモノみたいな自然の理に、善悪や正義は介在しない。
勝てば官軍、負ければ賊軍。生者は勝利、死者は敗北する運命にある。
だから。
今は精々、愉悦に酔い痴れろ、セイギども。
あと数回殴られれば、自分は死し、生き返るだろう。
そして奪ってみせる。子供も女も老人も関係ない。
(お前らは俺から命を奪った。だから――俺も奪うぞ)
――殺し尽くしてやる。
結果から言うと、ミコトが殺すことはなかった。
殺されることもなかった。ミコトがトドメの一撃を入れられる直前、制止を掛ける者がいたからだ。
人垣が割れて、一人の男が歩いてくる。
民衆はその男に、深い敬意を払っていた。
エインルードの民から敬われる存在。
エインルードの血を引く者。
病人のような白い肌と、長身痩躯の体型。
腰まで届く長い金髪と、高い魔力資質を示す青い瞳。
いつだろうと変えたことのない、感情を読ませない微笑。
フリージス・G・エインルード。
リースを従者とし、サーシャとレイラを保護し、グランを護衛として雇い、ラカを購入し、ミコトとオーデを招き入れてくれた男。
この人物がいなければ、今の関係はなかったというくらいの、中枢を成す存在。
「――――」
死の一歩前で止められたというのに、ミコトは安堵していた。
来てくれた。この暴力を止めて、助けてくれた。
オーデを捕えたのなんて、きっと作戦の内なのだ。
だからミコトは、目蓋を閉じて。
あとは任せようと、気を失おうとして。
「――皆、ありがとう。よく脱走者を捕えてくれた。エインルードの誇りだ」
その声に、ミコトは目を見開いた。
信じられないとばかりに見つめれば、フリージスと目が合った。
無。
なんの感情も窺えない。そこに、感慨はない。罪悪感はなく、目を逸らしもしない。
沈黙していた民衆が、数瞬遅れて歓声を上げた。
そんな中、フリージスがミコトの元に歩み寄り、口を開いた。
「まさか、あの牢屋から出てくるとはね。……ふむ。親指を噛み切るとは」
「な……、ん……っ?」
「仕方がない。……来てくれないかな」
フリージスが後方に頼むと、そちらから数人の兵士がやってきた。
その兵士たちに、フリージスが命令を出す。
「この少年を運んでくれないかい?」
従う兵士たち。抱えられ、ミコトは運ばれる。
前を歩くフリージスは、振り向く仕草すら見せなかった。
いつの間にかミコトは、気を失っていた。
残留思念は怠惰で染まり、目覚めを拒む。