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イセカイキ - 再生回帰ヒーロー -  作者: はむら タマやん
第死章 異世戒貴 - 中編 インサニティ・アンデッド -
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第三話 露呈する狂気


     ◆




 ……また、いつもの夢だ。

 知らない景色。憶えのない登場人物たち。

 自分は何もできず、目の前で起こることを眺めるだけ。


「――視えた」


 一人の男がいた。《無霊の民》とは少し色合いが違う、白灰色の髪を持った青年だ。

 目蓋を閉じて佇む姿は、異様な雰囲気を醸し出していた。


「これより数時間後、王都を魔族の集団が襲う」


 その予言を聞いた人物が、忌々しそうに舌打ちした。

 白髪混じりの黒髪を持つ女性だった。顔には黒い幕が降りて、容姿はわからない。


 いつもそうだった。

 この女は全ての夢に登場しているのに、顔が見えたことがない。


「クッソ。俺とお前しか対処できないってことかよ」


 ここ――アルフェリア王国王都には、白灰髪の青年シリオスと、若白髪の女性しかいなかった。

 ほかの主要な登場人物たちは今、アルフェリア王国にいない。


 ミコトの記憶とは違い、夢の中の王都は、二回り小さい。城壁が一つしかなかったからだ。

 夢は、千年前の風景だ。


 この時代に遠話の魔道具は存在しない。それどころか、まともな魔術体系すら確立されていない。

 連絡の手段はなく、戻って来るように伝えるのは不可能。


「二人じゃ幾らなんでも、あんな大群対処できねえぞ」


「アルカディアの『アンヴィーク』が城壁に掛かってるから、ある程度はマシだろうがな」


「空から来られたらどうしようもねえだろ。俺らだって飛べるわけじゃないっつーのに」


 このままでは大勢の人間が死ぬ。種族も何も関係なく、魔族に食い荒らされる。

 勇者の力を以てしても、被害は防げない。


 殺される。誰も守れない。

 殺される前に殺す。その力がない。


「――いや、ある……!」


 そう告げた女の目には、死色の覚悟が宿っていた。




     ◇




「――――ァ、…………!? ――――ッ!!」


 声にならない絶叫を上げ、ミコト・クロミヤは目を覚ました。息が詰まった感覚に、ミコトは大きく咳き込む。

 いつもこうだ。何か夢を見たあとは、いつもこうなる。

 咽喉が乾き切って、息をするだけで痛覚を刺激される。なんとか搾り出した唾を飲み込み、ようやく辺りを見渡す余裕が生まれた。


 石レンガの壁。ジメジメとした空間だった。ミコトから見て正面には、鉄格子が嵌められていた。

 体を動かそうとするが、両手首が鎖で繋がれている。


「よーやく目覚めたかよ」


 すぐ近く、横から声。

 見てみると、ラカがミコトと同じく、鎖に繋がれて閉じ込められていた。さらにその横には、困ったような笑みを浮かべるオーデがいた。


 三人纏めて、同じ牢屋に閉じ込められているようだった。


「お前らも、捕まったのか……」


 呆然としたミコトの呟きに、ラカが舌打ちする。


「ああ。リースの奴に不意を突かれた」


「あっしはフリージスの旦那でやした」


 フリージスとリースの名が出たことで、ミコトは顔を強張らせた。沸き上がった感情――殺意――を、頭を振って否定する。

 フリージスとリースは仲間だ。何か理由があるに違いない。


「クロミヤの旦那は、なんでここに? 血だらけの格好でしたんで、目を剥きやしたよ」


「大したことじゃねえ。ちょっと殺された程度だ。まっ、生き返ったから問題ねえけど」


 ミコトの言葉を聞き、ラカとオーデは表情に困惑の色を浮かべた。

 そういえば、この二人にはまだ、『再生』のことを喋っていなかった。どうせ言っても信じられないだろうし、実践するわけにもいかなかったから、今の今まで後回しにしてきたのだ。


 まあ、今はそんなこと、どうでもいい。


「俺をヤったのは、カーリストって奴だ」


 そうだ。悪いのはカーリストだ。次期当主のせいで、エインルード領がおかしくなっているのだ。

 フリージスはエインルードの意向に逆らえず、仕方なく行動したに違いない。


(絶対にそうだ。どうでなければ駄目でいけなくて否定しなければ全てが消えて心が割かれ――)


「大丈夫ですかい、クロミヤの旦那? 旦那!」


「…………ぇ? ぁあ、なんだ?」


「いや、急に様子がおかしくなりやしたので」


「なんでもねえよ。これからの方針を固めてただけだ」


 しばらく考えてから、ミコトは口を開く。


「とにかく、ここを脱出したい。んでその後、フリージスに会う」


「ここで待っていたら、やって来やせんかねぇ。下手に抜け出したら、余計立場が悪化する可能性がありやすが」


「ンなことやってられっか。今、オレらは奴隷じゃねーんだぜ」


 否定的なオーデに、返したのはラカだった。

 脱出か待機か。心情的には脱出に傾いているが、現状の把握ができない以上、どちらが正しいと言い切ることはできない。


「……違えだろ」


 後回しにして手遅れなんて、こりごりだ。

 行動だ。戸惑うな。怠けを殺して勤勉であれ。


 ――怠惰は躊躇を生む。躊躇は自死と同義だ。


 ミコトは自身の、拘束具で満足に動かせない腕を、眼前に持ち上げる。

 突然のことだったから、火鼠の皮手袋が付けていない。火傷は避けられないだろうが、関係ない。どうせ生き返れば意味はなくなるのだ。


 右手を開閉し、しっかり感覚が戻っていることを確認して、ミコトはスロットを起動した。

 展開するのは火弾『イグニスト』の術式。邪魔な拘束具を壊せる力。


 そしてミコトは、魔力を精製する。


「……?」


 違和感。どれだけ魔力を精製しても、精製した先から体から抜け出ていく。スロットにまで魔力が回せない。

 魔力精製のギアを上げ、魔力制御を全力にするが、魔力流出は抑えられない。


 おかしい。何が起こっている。

 魔術が発動できない。スロットに注ぎ込むより早く、魔力が外へ流れていく。


(俺がおかしくなったのか? ……いや違う、これは――)


 確認だ。

 ミコトは『イグニスト』の術式を破棄し、生活級の火種『イグニ』を演算。

 級が低い術式なら、莫大な魔力にも耐えられるはずだ。命を削って魔力を搾り取り、スロットへ流し込む。

 そこまでして、ようやく人差し指の先に、弱々しい火種が灯った。


(完全に魔術が使えないって訳じゃない。だけどこれじゃ、戦いには使えねえな)


 魔術を消去し、ミコトは深い溜め息を吐き出した。

 この現象の効果が人に掛けられたものなのか、この空間限定のものかは不明だが、どちらも対処可能だ。前者なら『再生』すればいいし、後者なら――。


 魔術で無理やり脱出するのは無理だ。待機はない。となると、選択肢は二つ。

 大声を出して見張りを呼び、口八丁で脱走するか、それか――、


「ケキッ」


 引き攣ったような笑い声が、ミコトの口から漏れ出した。

 討論していたラカとオーデが、訝しげこちらを見たところで――ミコトは、自身の左手に噛み付いた。


 親指の根本まで口に入れ、何度も何度も何度も何度も何度も何度も、千切れろ念じて顎に力を入れる。

 歯が肌に食い込み、口の中に鉄の味が広がった。


「何やってんだ、お前!」


(何って、見てわからないのかよ……?)


 いちいち説明するのは億劫だ。一刻も早く、この親指を噛み切らないといけない。

 ぐちゅぐちゅぐちゅぐぴきびきびきがきがぎがぐぎぎ。肉を裂き神経を千切り骨を砕き、切断完了。


 ころりと口内に落ちた親指を、ミコトは吐き出した。石レンガの床に落ち、小さな赤い水溜まりを作る。


「あー、まっず」


 ラカとオーデが絶句するのも視界に入れず、ミコトは拘束具から左手を引き抜いた。

 親指があったせいで外せなかった拘束具は、あっさりと外れた。


「さァ、てェ。コツは掴んだぜ?」


 左手は自由になったが、右手はまだ囚われたままだ。

 これを外さない限り、自由にはなれない。


(動けなきゃ力もなく行動できないから守れなくて死んでそんなの駄目だから行かなきゃ早く急いですぐに今すぐにも――――)


 ラカとオーデの制止は、耳に入らなかった。

 一層ひどい頭痛が襲い掛かる。意識が朦朧として、今にも気を失ってしまいそうなのに、口角は吊り上がっていき、『最適化』の出力が上昇してゆく。


「あーん」


 ぐちゅぐちゅぐちゅぐぴきびきびきがきがぎがぐぎぎ…………プチン。

 口の中で右親指を転がしながら、ミコトは拘束具を完全に取り払った。


 そのときミコトの感覚が、近付いてくるモノを知覚した。

 それは魔力感知ではない。魔力の元となるエネルギー、生命力。


「四三歳って頃かなァ? あァ、いいねェ、キョウはアタマが冴えてンなァ。……なンにしろ、サイコーのタイミングだ」


 見張りの者は足音を忍ばせているのか、五感ではまったく感じ取れない。

 凄まじい隠密技術だ。


「無意味だけど、な」


 生命探知を前に、あらゆる生物の隠密は意味をなさない。

 居場所などバレバレだ。


 見張りが牢の前を通り掛かる。その瞬間、ミコトは跳び出した。

 鉄格子の隙間から伸ばされた腕は、ギリギリ見張りに届かな……いや、届く。


 ミコトと鉄格子が激突する。直後、関節が外れる音。

 右腕の肩・肘・手首を繋ぐ関節が外れ、その結果、右腕のリーチはさらに伸びる。


「……!?」


 見張りの驚愕の面が滑稽で、思わずミコトは嗤う。

 伸ばされた右手は、見張りの服を掴んだ。振りほどく時間は与えまいと、すぐさま引っ張る。


 ガンッ。見張りの頭部が、鉄格子に叩き付けられる。

『最適化』の恩恵はあれど、親指はなく、関節が外れた右腕は、力が入りにくい。今度は両手で見張りの頭を掴み取ると、後退する要領で頭を叩き付ける。


 何度も何度でも幾らでもずっと死ぬまで殺せるまで殺し――、


「……チッ、気を失ったか。まぁあんまり騒ぐと気付かれるし、放置してやるよ」


 手を放すと、見張りは鉄格子に上半身を預けたまま、床に崩れていった。

 ミコトは関節を嵌め直して、改めて見張りを観察する。見張りの腰に釣り下がる、鍵の束を発見した。


「牢屋の鍵か。拘束具の鍵は……あった」


 ミコトは見張りの懐に手を入れ、表情を喜色に綻ばせた。

 見つけた鍵を抜き去り、見せ付けるかのようにスキップして、ラカとオーデの元に歩む。


「な、にを。やって……!?」


 怒鳴ろうとしたラカの口を左手で塞ぎ、右手で静かにするようジェスチャーを送る。


「く、クロミヤの旦那……?」


 困惑のオーデに、ミコトは二人が安心するように、満面の笑みを作った。

 ニタリ、と。顔の筋が弛緩して、そのまま崩れてしまうような。次第に歪んでいく笑顔を浮かべ、奪取した鍵で二人の拘束具の錠を外した。


「旦那……どうしちまったんですかい?」


「別に? なんも変わんねえけど?」


 オーデの疑惑の声に、ミコトは首を傾げる。

 その様子を見たラカが、ミコトの胸倉を掴み、壁に押し付けた。ラカの憤怒を、ミコトはへらへらと笑顔で受け流す。


「今のテメー、頭おかしいぜ。手が……」


「ああ、そっか。心配してくれてんのか」


「心配してるに決まってんだろーがッ」


「んぁ、あっはは、そうか。ならいいよ、心配なんていらない。もう今回の命は諦めてるからさ。肉体の欠損なんて、死ねば関係ないし」


 ぱしん、と軽い音が響いた。

 ミコトの眼前。ラカの拳が、ミコトの手によって受け止められていた。


「意味、わかんねーよ。どーしたんだよ、ミコト。何言ってんだ、お前」


 ミコトはただ、申し訳なさそうに、止めどなく言葉を紡ぐ。


「ごめん、ラカ。俺は皆と違うんだ。反則なんだよ、ズルいんだ。死なないんだよ、独りだけ、どうやっても負けないんだ。不死の違反者なんだよ。だけどこの世界のカミサマは運営できてなくて、垢バンされることもない。だったらさ――」


 自分が何を喋っているのか、段々と曖昧になっていく。

 言葉の途中で主旨が変わっていく。そのたびに愉しくて苦しくて痛くて恐ろしくなって、引き攣るように口角が吊り上がっていく。


「――俺が、誰よりも真っ先に、死んで往くしかねェだろォ?」


 ……ああ。俺はいったい、何を喋っているんだろう。






 不信なものを見る視線を無視して牢屋から抜け出すと、体に掛かっていた負担が消えた。

 もしやと魔力を精製してみれば、通常通りに制御できた。魔力が抜け出るあの現象は、牢屋の中でのみ効果を発揮するらしい。


 牢屋を出て、横手には鋼鉄の扉があった。

 生命探知して、この先に誰もいないのを確認。扉を静かに開けると通路があった。


 通路には天井に、等間隔で魔道ランプが設置してあり、薄暗いながらも視界は確保できる。

 通路の先には、上へと続く階段があった。


「上……、ここは地下なのか……?」


 生命を探りながら、ミコトたち三人は左の通路を進む。階下から、上の様子を窺う


「行こう」


「テメーこそ、遅れんなよ。あとで治療と説教だ」


「ラカの言う通りでやすぜ、旦那。みんな心配してるんでやす」


「……」


 二人の言葉を聞いて、ミコトは空虚な感覚に襲われた。

 何か温かいものがあったはずなのに、それはするりと抜け落ちていく。胸に穴が開いたみたいだ。


 飢える。何か食さなければ。満たさなければ。でも抜け落ちるばかりで。

 だから守らなきゃ。今、この手の中にあるものを。抜け落ちないように、しっかりと握りしめて、大切なモノが死なないように……、


「ク……ケキッ。心配、いらない、よ」


 ミコトは先に階段を登っていく。だから、その嗤い顔が見られることはなかった。

 足音を立てないように登っていく。上階に到着すると、すぐ目の前に上へと続く梯子があった。

 見上げると天井があったが、切れ間があり、そこから微かな光が漏れている。


「隠し扉って奴か」


 その隠し扉の先に、誰かがいる。

 感じる魔力から、特に迫力は感じない。


「この先に一人いる。あんまり物音は立てたくないけど、俺じゃ無理だ」


「それじゃ、オレの出番ってわけだな。オーデは後詰めを頼む」


 ラカは言うと、ハシゴを登っていき、隠し扉のすぐ近くに寄る。

 深呼吸。そしてラカは扉を開けて小さな隙間を作ると、物音も立てずに滑り込んだ。

 鈍い音が何度か聞こえてきた。それからしばらくして、ラカの手によって隠し扉が開けられる。


「らくしょーだぜ」


「サンキュ、ラカ」


 ハシゴを登り上がったミコトは、辺りを見渡して確認する。

 どうやらここは、倉庫らしき場所らしい。ラカが隣で、ぽつりと呟く。


「オレとサーシャが連れて来られたところだ……」


 それを聞いて、ミコトは一瞬、思考を停止した。


「サー……シャ、が? 捕まったのか?」


「わかんねー。オレが先に気絶したからな」


「牢屋に捕まってなかったから、逃げ切れたか、違うところで捕まってるか……。クソッ」


 虚脱感が全身を襲った。次いで沸き上がるのは、脳神経が焼き切れそうに感じるほどの頭痛だった。

 ミコトが意図的に起動した『最適化』が、思考を熱する。気力を取り戻す。


「とにかく、ここを出やしょう? いつ見張りが来るかもわかりやせん」


 オーデの提案はもっともだ。三人は倉庫から出た。暗所に慣れた目が真昼の光景を捉え、目の奥が痛くなり眩暈がした。

 三人は倉庫から離れるため、早歩きで倉庫街を進む。


「ミコト、止まれ」


 倉庫街の端でラカが引き止めると、倉庫の影に連れ込む。

 衣服を破き、ミコトの手を止血していく。


「今はこれくらいしかできねーが。っていうか、こんな無茶すんじゃねーよ、ほんと何考えてんだ!?」


 ラカの説教に耳を貸さず、ミコトはこれからの行動について、頭を悩ませていた。


(どうする……。どうする、どうする……? どうする……!)


 最優先事項は仲間たちの安全確保。

 今この場にいないのは、サーシャとレイラ、グランの三名。フリージスとリースは一先ず除外。


「そうだ、レイラだ! あいつは町に逃げたはず。あれからそう時間も経っていない、まだ捕まっちゃいないッ。サーシャを確保してくれれば万々歳だ!」


「話聞いてんのか!?」


「後回しだ! 街に行って、皆を探すぞ」


「ちょ、旦那!? それは目立ちすぎやすって!」


 ミコトの服装は血だらけで、往来で歩ける格好ではない。

 目立つなんてものじゃない。


「俺たちの脱走なんてすぐバレるに決まってる。だから、俺が囮を引き受ける。二人はその間に、皆を見つけてほしい」


「馬鹿なこと言ってんじゃねーぞ! 危なすぎる!」


「ごちゃごちゃ言ってる暇は……!」


 ミコトとラカの口論は、中止を余儀なくされる。

 それは決して、この場に仲間が現れたとか、そういった幸運な理由からではない。


 その男は、ミコトたちがやってきた方向から、ふらつきながら走ってきた。

 その男は、頭部から血をだらだらと流していた。

 その男は、牢屋の見張りを務めていた者だった。



「脱走者だぁぁあああああああああ!!」



 その声が響く。倉庫街の端から、街の人々へと呼び掛ける。

 人々が足を止め、剣呑な雰囲気を漂わせる。


 そして、怨嗟が響く――――、



    「脱走者?」


           「敵?」


                「私たちを捕えに来の?」


「怖いよぉ、お母さぁん……!」


                     「もう檻の中は嫌だ!」


     「エインルード領に侵略?」


                   「ここは俺たちの楽園だ!」


            「守り抜け!」


     「奪わせるな!」


                   「みんなを守らなきゃ」


       「復讐してやる」


                 「散々甚振りやがって……!」

     

    「殺す!」

     

                    「殺す!」


         「殺す!」


                          「殺す!」


     「殺す!」


                「殺す!」



 それは怨嗟だった。ただ、悪意を当たり散らしていた。

 それは救済だった。ただ、正義を心に秘めていた。


 元奴隷たちの暗い記憶。奴隷を親に持つ者たちの孝行。奴隷に優しい領民であるという誇り。

 そんな正義が、善が、悪が、憤怒が、傲慢が、この領の敵へと向けられる。


「――あの男だ!」


 脱走者の血走った眼が、ミコトへと向けられた。咄嗟にラカとオーデを倉庫の影に隠せたのは、不幸中の幸いだった。

 一致団結した者たちの情報伝播速度は早い。さらに噂というものは、得てして誇張されるものだ。初めは脱走者だったのに、いつの間にかエインルードの崩壊を企てる悪魔となった。


「ミコト!」


「旦那!」


 ラカとの口論は終わり、結果として、ミコトの意見が通ったのだ。

 ほくそ笑みたいのに、なのに、思わず泣きそうになってしまう。


「……お前らは、これに乗じて逃げろ」


 呼び掛けられても、ミコトは決して振り向かなかった。

 倉庫街を、ミコトは独りで逃げていく。その背を、正義の悪鬼たちが追う。






 ラカはすぐさまミコトを追おうとする。

 しかしオーデは、その肩を掴んだ。


「なんで止める!?」


「あっしが……オレが追う!」


 かつての口調に戻ったオーデに、ラカは目を剥いた。

 オーデの目は真剣そのものだった。


「なら、オレも!」


「駄目だ! ラカは皆を探してくれ。――全員で、生きるぞ」


 引き止めることはできなかった。

 オーデはラカが止めるより早く、倉庫から跳び出した。


 首輪の痕がある者は、この街では特に受け入れられやすい。

 オーデは脱走者だったが、血だらけのミコトとは違い、疑われることなくミコトを追う民衆に紛れ込む。


 思わず後を追おうとしたラカは、その直前に思い直す。

 あのオーデが、ミコトを追っていった。心配だが、きっと大丈夫だ。

 今、自分にすべきことは――、


「街へ……!」


 ラカは走る。奔る。

 全員で生き残るために。平穏を取り戻すために。




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