エピローグ To Be Continued
To Be Continued
次回に続く
アスティアはどうやら、独力で魔術を学んでいたらしい。
彼女が積み上げたであろう本の山、そのタイトルを読んで、ミコトはそう判断した。
一冊手に取って、パラパラとめくる。
内容は初級魔術の術式をまとめたものだった。
さすがは王城の図書館の資料、と言ったところか。フリージスから借り受けた魔術書より、ずっと解説が詳しかった。知らない魔術も載っている。
「なんで魔術を憶えようとしてんだ?」
「憶えるというより、復習が近いな。初級の課程なら九歳のときに修得した」
基本的に魔術の修行は、六歳以降から始まるのが一般的だ。
魔術はスロットの術式に、魔力を満たすことで発動する。その魔力は、生命力から精製されるもの。
論理的思考もできない、体が未発達な時期での生命力消費は、寿命を縮める行為なのだ。
王女であるアスティアが、まさか命懸けの修行をさせられるとは思えない。つまりスタートラインは六歳。
たった三年で初級修得というのは、かなりの天才……らしいのだが、二カ月で中級に手を掛けているミコトには、よくわからない感覚だ。
とにかく、すごいらしい、ということは理解していた。
「すげえじゃん」
「何がすごいものか。……初級修得以来、魔術には一切手を付けず、帝王学などを学んでいた。魔術への欲求などさらさらなかった。争うこともないだろうと、タカを括って怠けていたよ」
「そりゃあ、お姫様が戦いに巻き込まれるとか、早々ないって。っつーか、あったら駄目じゃん」
「その早々ない事態……妾が馬鹿やって死に掛けたのは、つい先日のことだぞ?」
「あー、うん」
一昨日のオーデ救出騒動があったためか、随分と昔のことのように感じる。
「……なんか、色々あったなぁ」
「この数日間で何をしておるのだ貴様は? 波乱万丈すぎないかお前の人生」
否定できない。
ミコトはこの話題では黙するしかできず、話を逸らす。
「話がまだ途中だぞ。結局アスティアは、なんで魔術書なんか開いてるんだ?」
「そ、それは、あこが……なんでもない!」
顔を真っ赤にしたアスティアが、睨み付けるように顔を魔道書に寄せ付けた。
たぶんそれは、とても読みにくい。
「まぁ悪事でなけりゃ、なんでもいいか。熱を入れる理由なんて」
「そ、その通りだ! 見ていろよミコト! 明日にでも貴様を超えてやる!」
「おう、その意気その意気。けど悪いな、俺はさらに、その一歩先を往く。……あ、そのページの術式だけど、ここにこのルーンを加えたほうがいいぞ」
「なっ、にぃ! それはほん――、……知ってたし」
「……ぷっ、ククックククっ」
「わ、笑うな!」
拗ねるアスティアが面白くて、ミコトはクスクスと笑った。
普段は教えられてばかりで、誰かに魔術を教えるのは、これが初めてだ。
つい楽しくてアドバイスを続けた。そのたび拗ねるアスティアが面白く、また笑った。
「……なぁ、ミコト」
「どした、アスティア?」
唐突にアスティアは本を閉じて、ミコトに向き直った。
「――妾の騎士にならないか?」
その表情は真剣そのもの。その言葉が、どれほど本気で告げられたのか、それぐらいミコトにもわかる。
わかって……しかし、ミコトは頷くわけにはいかない。逃げではなく、目的があるから。
「ごめん、アスティア。それはできない」
断ると、アスティアは軽く目を伏せた。悲哀の感情を隠す仕草だった。
補足するように、ミコトは続ける。
「俺にはやらなきゃいけないことがある。先が見えなくて、どうすりゃいいのかも、まだまだ判然としねえけど。けど、やめたくないんだ」
「……すまな、」
「――けど」
アスティアが最後まで謝罪を口にする、その直前に。
ミコトは力強く、言い切る。
「けど、それが終わったら。いつか、すべてが解決したら――」
使徒という存在。
魔王教。
まだ見ぬ敵。
それらから、皆を守る。守り通す。
そうして、敵がいなくなったら。
また、ここに戻って来よう。
「――俺はいつか、ここに戻って来る。必ず、約束だ」
そう言って、ミコトはアスティアの手を取る。自身と彼女の小指を絡ませて、ニヤリと笑う。
「指切りげんまん、嘘ついたら針千本飲~ます。指切った」
「……ミコト?」
「俺の故郷に伝わる、絶対約束を守りましょうね、っていう儀式かな。破ったら指を切られて、万回殴られて、千本の針を飲まされるんだ」
「随分と猟奇的だな!」
確か、遊女が客に不変の愛情を誓う証として指を切った、というのが由来だ。
遊女が客に愛を、という時点でミコトは好まないし、猟奇的なのも間違いない。が、それはずっと昔の話。
「まぁ、それは冗談みたいなもんだ。気にするでねぃ」
「ふん。破ったら、本気でするからな。し……信じているからな」
「ああ、信じてくれ。これでも俺、けっこう誠実で通ってるんだ」
疑わしそうな目で見てくるアスティア。
信じてるって言ったじゃないか。そんな誠実そうに見えないんだろうか。
「し、仕方ないな。実は断られると思って、先に用意していたものがある」
そう言って、アスティアが手渡したもの。
それは、離れた者とも会話ができる高級魔道具。
「『ノーフォン』?」
「く、くれてやる! いいか!? 連絡するからな!」
ミコトは照れを誤魔化すように苦笑して、素直に受け取った。
……ふむ。これは大事なものだ。自分が持っていると無茶して壊しかねないので、サーシャに預かっていてもらおう。
「ありがとう」
きっといつか、戻ってくるよ。
約束だ――――。
◇
翌日。王都滞在六日目の午前。
青く澄み渡る空。夏の太陽は熱く肌を焦がすかのようだったが、日本のように湿度が高くないためか、じめじめした暑苦しさはない。
火照った体を冷ますように、爽やかな風が吹き抜けた。
エインルード家の別宅である屋敷。その庭には、二〇人ほどの人々が集まっていた。
その人々のほとんどは、エインルードの使用人で構成されていた。彼らの視線は、馬車の周りにいる者たちに向かっている。
ミコト・クロミヤ。
サーシャ・セレナイト。
レイラ・セレナイト。
グラン・ガーネット。
フリージス・G・エインルード。
リース。
ラカ・ルカ・ムレイ。
オーデ・アーデ・ムレイ。
以上八名が、エインルード領へと旅立つメンバーだ。
荷物の受け取りが終わり、出発の準備は完了した。
大人数となったため、馬車はさらに大型になっていた。
リースと、御者を学びたいというオーデが御者台に。それ以外の五人は、馬車の中に乗り込んでいく。
短い期間だったが、これまでの旅を思うと、ずっと長い。
久しぶりに落ち着けたな、とミコトは深い溜め息を吐いた。
鱗馬の嘶き。重量感を感じさせない、馬車の軽やかな走り出し。
エインルードは王都より東にある。エインルード別宅から一番近い西門から出ると遠回りになるため、馬車は中層を半周。旧城壁東門を出て、商店街の人混みをゆっくりと抜け、建物がある地区から脱した。
ここから新城壁まで、左右は切り開かれた平原だ。
整備された道を走っていると、数台の手押し車と擦れ違った。
押していたのは矮族という種族。背が低く、体付きががっしりしているのが特徴だ。
ミコトはぼうっと矮族を目で追う。自然、背後の王都へ向くことになった。
王都の中心に建てられた、巨大な王城。そこに、自分を待っていてくれる人がいる。
馬車の中を見やる。
ここに、守りたい人たちがいる。
「ああ――」
ズキリ……。
「――約束だ」
……ズキリ。
◇
リッター・シュヴァリエットは、近衛隊長ゼス・ラーバーより、謹慎の命を受けたところだった。
階級も下がり、給料も下がり、もうほんと散々である。
「む、リッターか」
とぼとぼと歩いていたところ、彼の主であるアスティア・アルフェリアが目の前に立っていた。
落ち込みすぎて気付かなかった。リッターは慌てて頭を下げ、謝罪する。
「いらん。頭を上げろ」
「ハッ」
「貴様は堅苦しいな。……そうだな、少し付いてこい」
最近のアスティアからは、疑心が抜けた感じがする。雰囲気も柔らかくなった。
それも、あの少年のおかげだろうか。彼本人は好きではないが、少しばかり感謝した。
「畏まりました、姫様」
リッターの了解を聞き、アスティアは先導して歩き出す。
連れてこられたのは見張り塔の頂上だった。
アスティアは東を見て、憂いに目を伏せた。
それも数秒のこと。彼女は微笑むと、リッターに向き直った。
「先日はすまなかったな」
「い、いえ。すべては自分の不手際と、ドラシヴァが悪いのです」
これは本心だ。
護衛対象がどんな行動をしようとも、それを守る。それが騎士の使命であり、彼の誇りでもあった。
「……どうして妾は、信じられなかったのだろうな。己の騎士を」
「自分の力不足です。信頼されるに値する実力を、持ち合わせておりませんでした」
「勝手に妾の罪を奪うな、これは妾のものだ」
ああ、この方は本当にお変わりになられたのだな、と。
リッター・シュヴァリエットは、小さく微笑んだ。
(少しばかり、じゃないな。これはいつか、本気で恩を返さねば)
◇
王都北区の、寂れた宿屋の一室に、彼はいた。
ラウス・エストック。
茶色の短髪と三白眼、悪人面の男は、目の前のベッドを見る。正確には、ベッドの上の女性を。
ヘレン。
《風月》の使徒。
そして、自分が恋い焦がれた女。
ベッドの上にいるが、寝ているわけではない。寝ないのではなく、寝られない。
彼女は頭痛に悶え苦しみ、呻き声を上げていた。
今なら、犯せるだろうか。
そんな邪心が思考をよぎって、ラウスは頭を振った。
自身は生まれながらの悪人である。その自覚が、ラウスにはあった。
そんな彼もただ一人の女にだけは、誠実でありたいと思ったのだ。
今ならヘレンの体を自由にできる。汗を掻いて呻く姿は扇情的でもある。興奮した。
だが、駄目だ。娼婦の女どもならともかく、ヘレンだけは。特別なのだ。
ヘレンの頭痛は命に関わるものではない。だが、危険なことに変わりはない。
これはヘレンが本来の人格に戻ったときに発生する、《風月》の精神汚染だ。
今、ヘレンの頭痛はピークを迎えている。
これが終わったとき、彼女は《風月》の使徒として、再び覚醒するのだ。
そしてヘレンは、身に覚えのない復讐心に駆られ、《操魔》を殺しに向かうだろう。
「ラぅ……す……」
掠れた声。
弱々しい、大切な人の嘆き。
「私、は……嫌だ、よ。消えたく……ない、よ」
「…………」
「殺したく、なんて……ない、よぉ……」
「…………っ」
なんて言えばいいのかわからない。いや、自身には何かを言う資格などない。
人殺しなんて、いっぱいやった。倫理なんて、たくさん犯した。
そのことをラウスは、ほとんどヘレンに伝えていない。だから彼女にとってのラウスとは、ちょっと外道気味なだけの仲間だ。
けど、違う。そんなことはない。
ラウス・エストックは悪人だ。畜生外道の悪党だ。碌な死を迎えるとは思っていないし、死後の行先は地獄で確定だ。
だからラウスは悪を貫く。ヘレンが嫌う《風月》の使徒に協力し、一刻も早く《操魔》を殺す。
ラウスが決意を新たにした直後、憤怒と殺意が辺りに充満する。
ラウスのものではない。それは先ほどまでベッドの上で寝込んでいた、ヘレンから放たれたもの。
ヘレン……否、《風月》の使徒。
圧倒的な存在感が、ヘレンの人格を押し流して、顕現する。
「ラウス。右腕が治ったのね。よかったわ」
「おぉ。快く提供してくれる、アリガタイ奴がいてな」
「そう。それじゃあ、行きましょうか」
もう油断はしない。
全力の本気だ。最速で――殺す。
◇
◇
◇
ミコトたちの旅立ちから、数日後。
この王都のどこよりも、何よりも高い時計台の上に、一つの人影があった。
癖のある茶髪と、青い瞳を持った少年の姿だった。
彼は苛立たしげに舌打ちすると、荒い溜め息を吐き出した。
『くっそ。《聖水》の気配が濃くて、碌に気配も探れやしない!』
その口から発せられた言語は、この世界のものではなかった。
こことは別の世界の、とある島国の言葉――日本語と呼ばれるもの。
『けど、わかる。少しだけ、まだ漂っている。ここに、あいつはいた。――尊の馬鹿が、いたんだ』
今度は少しだけ、苛立ちは薄まっていた。
少しずつ近付いている。この無駄に広い世界で、ようやく名残りを見つけた。
少年の親友――黒宮尊。
ああ、と吐息をこぼす。ほどんど確信していた推測は、本当に残念ながら、間違っていなかった。
『一先ずここを離れよう。この感じ……《聖水》だけじゃなくて、《虚心》もいるな』
この世界にはできる限り関わりたくない。命のやり取りなんてゴメンだ。
こんな危ないところに、親友を置いておけるはずがない。
『早く連れ戻してやるからな』
彼――空閑悠真は、決意を新たにする。
その次の瞬間には、彼はその場から消失していた。
はい、三章『異世皆記』でした。
ミコトが死なない……? しかも内定取りやがった! さらに高収入だ!
ZAP! ZAP! ZAP! 次章は死亡ラッシュだ!
ごほん。
読者の皆様方。ここまでお読み頂き、誠にありがとうございます。
今章はほかの章では見られない、登場人物たちのほ、ほのぼ……、ほのぼのとした姿を書かせて頂きました。
色々執筆に苦労した場所もありましたが、けっこう伏線も仕込めたし、筆者的にはよかったです。
さて、次回幕間を入れたら、中編に入ります。
今まで情けないところが多かったミコトですが、ようやく強くなります。ちゃんとチートらしい無双展開があるので、今から書くのが楽しみです。
殺ったね!