第一六話 立場・人生、違う人
ミコト・クロミヤ。異世界人、一六歳。
アルフェリア王国、王都アルフォード、滞在五日目の午前。
なんか、王城にお呼ばれしました。
……というわけでミコトは現在、高級そうな馬車の中にいた。
見渡せば凝った意匠が描かれて、色合いも派手。ただしそれは醜い派手さではなく、見た者に感動を覚えさせる。
もっとも、ミコトに美術センスなんてわからないので、贅沢な作りだなぁ、と思っていた。
彼の馬車の基準は、機能美を追求したエインルードのものなのだ。……まあ、高級品なことに変わりはないが。
その広い馬車の内部に、リッターとミコトはいた。リッターの位置に対し、ミコトが座るのは対角だ。
リッターはミコトに感謝して、ミコトもリッターに申し訳なさを感じていたが、それと好悪は別問題。
だが、リッターは招待する側だ。内心に比して、彼はミコトに友好的だった。
ミコトとしては知ったこっちゃないのだが、別にリッターを貶めたいわけではない。それに、これから行くのは王城だ。軽率な態度を取ってはいけないと、何度もレイラに忠告された。
他人から向けられる目にあまり頓着しないミコトだが、それで不利益を被るなら別だ。
自身とリッターの立場のためにも、ミコトも表向き友好的に振る舞っていた。
「ところでさ。お前、なんかお咎めとかあったん?」
窓の外、上層のリッチな街並みを眺めていたミコトは、リッターに尋ねて向き直る。
タメ口は……それぐらいなら、許してほしい。到着したらちゃんとするから。
リッターはうっと呻くと、静々と発言する。
「近衛騎士をクビ。一カ月の謹慎……」
「うへぇ」
「……となるところだったが、姫様が取り成してくださったおかげで、近衛騎士は最下級に落とされたのみ。謹慎については一週間だ」
うわぁと思っていたミコトだが、次のリッターの言葉を聞いて、少し安心した。
「どっちにしろ、お咎めありか」
「仕方ない。王族を危険に晒す失態は、罪に値するからな」
「うっわ、貴族社会って嫌ね。関わりたくねぇ……」
貴族の常識には付いていけそうにない。
ミコトにとって貴族と価値観は、《公平狂》と同じく理解し難い。その方向性が、直接的な危機に繋がるか、遠回しの暗鬱な空気か、という違いでしかない。
「それにしても、驚いたな。来てくれないと思っていたよ。その口じゃあ、レイラさんやサーシャさんと同じく、本当は来たくなかったんだろう?」
「あー……。まぁ、俺だって行きたいわけじゃねえんだけどさ……」
ミコトとしても、王城に行くのは不本意だ。
お礼とか言っても、精々ありがたいお言葉をいただく程度だろ、と考えていた。堅苦しい場に呼ばれる対価としては、あまりに釣り合わない。
だから彼は、サーシャやレイラと同様、断ってもよかった。その場合、恩の行先がエインルードに変わるだけだ。
ミコトが引き受けたのは、リッターの立場への配慮、サーシャの『もう一度会うべき』という言葉。そして、
「俺も、アスティアに会って話がしたかったしな」
「……そうか。ありがとう」
リッターの心からの礼に、ミコトは微笑む演技がし切れなくなって、顔を顰めてしまった。
どうせ外の護衛の騎士には見えないので、心配することはない。
「やめろぃ、気色わりぃ」
「ははっ、そうだな。自分も鳥肌だらけになった」
会話だけなら、悪友同士のそれ。しかしその目は笑っていなかった。
はっはっはっは、という二人の笑い声が、馬車の外まで聞こえてきた。
護衛の騎士――パラシュ・アビールは、後日語る。アレは生易しいモンじゃねぇ、と。
それはともかく、リッターの話には続きがあった。
「だがもしかしたら、会うのは難しいかもしれない」
「まーた貴族のゴタゴタかぁ?」
「いや、今回は違うんだが……。姫様は最近、ご就寝とお着替え、お食事以外……その、だな……」
言いよどむリッター。
普段なら話したくないことは話すな、とでも言うところだが、今回はミコトがそれを知りたくて、相手が気を遣うつもりのないリッターだった。
つまりミコトの態度は、そんなの知ったこっちゃねぇ、だった。
「勿体ぶんじゃねえよ。ほら、さっさと口を開け」
「今目の前にいるのが貴族ということを、君、忘れてないか?」
口角がピクピクと震わせた笑みを浮かべたあと、リッターは踏ん切りはついたように告げた。
「――図書館に、引きこもっておられるのだ」
ミコトは王城に到着し、国王が待つ客間に通された。
ノック、入室の許可、扉を開く。客間は広いが、想像していたような、一〇畳以上の広間ではなかった。
客間には二人の人物がいた。
一人は全身に甲冑をまとった老騎士だ。老いを感じさせない、力強い魔力を感じる男だった。
精悍な顔には、歩んできた道のりを表すような、深い傷跡がある。強い意志が込められた視線が、鋭くミコトを見つめた。
もう一人は老騎士の横、ずっしりとソファーに座る、プラチナブロンドの短髪の男。
戦士の雰囲気ではなかった。体付きこそしっかりしているが戦闘慣れはしていない、四〇歳前の男。
執務をしていることを証明するペンダコのある手で、彼は髭が生えた顎を撫でた。「ふむ」と、興味深そうな青い瞳が、まっすぐミコトを見つめる。
この人が……国王、アルドルーア・アルフェリア。
異質ではない。奇妙でもない。
ただただ純粋で強烈な空気。それは威圧などではなかったが、自然とミコトは背筋を伸ばしていた。
グランやフリージスとは違う。
立場、矜持、人生経験、資質。それらによって育まれたカリスマ。
「――――」
背中を嫌な汗が流れた。
これはいけない。駄目だ、これは。平静を取り戻さなければならない。
らしくない緊張だ。
こんなもの、いらない。
「は…………ぁ」
目を閉じ、小さく吐息を吐き出し、肺の中を空っぽにする。
同時に『最適化』の頭痛が、一時的に周囲の雰囲気から遮断する。
仕切り直しだ。
ミコトは『最適化』を切ると、目を開けて呼吸を開始した。
目の前の二人の人物を観察する。
もう大丈夫だ。……死ねば死ぬ、ただの人じゃないか。
「お初にお目に掛かります。わたくしはミコト。ミコト・クロミヤと申します。このたびはお招きいただき、恐悦至極に存じます」
ミコトは薄らと笑みを作る。右膝を床に付き、左膝を立てる。右手を胸の前にやり、頭を下げた。
この客間に来るまでにリッターから教わった、貴族風の最敬礼だ。
「頭を上げよ、礼もいらぬ。そこのソファーにでも座るとよい。ああ、普段通りの口調で構わぬぞ? 敬語慣れしていないのだろう?」
あっさりと演技を見破られたことに、ミコトは乾いた笑みを漏らした。
本気の演技だった。わかるのはサーシャぐらい、と思っていた。
これが、大国の王。
『歳当て』によると三五歳のようだが、とんでもない。これは、一種の怪物だ。
さすがは二〇歳にして悪王を蹴落とし、王に上り詰めた男。
……まあ、だからなんだって話だが。
「あ、そうですか? それじゃ、失礼しまっす。……ぅぉ、このソファー座り心地やべぇ……」
緊張や気負いは失せている。相手が人格者というのも悟った。
その上で、普段通りでいいと言われたのだ。ミコトも堅苦しい敬語を崩して、ソファーに座った。
「初めまして、だな。余がアルドルーア・アルフェリア。この国の王を務めている。そしてこの男は、近衛隊長のゼス・ラーバーだ」
国王アルドルーアが名乗り、横の老騎士を紹介した。
老騎士――ゼスは右手を胸に当てる敬礼をした。
「近衛隊長を務めさせて頂いている、ゼス・ラーバーと申します」
ミコトの態度に、特に怒りを抱いているようには見えないが、変わらず鋭い視線だ。
彼らの名乗りに、ミコトは頭を下げておいた。
入室してきたメイドが、紅茶をカップに注いだ。
ミコトには紅茶の良し悪しなぞわからないが、どことなく高級感が漂っている気がする。
アルドルーアが先に口を付けたのを見届けてから、ミコトも飲んでみた。……ふむ、よくわからん。
「さて。本日、貴公をここに呼び付けたのは、ほかでもない。《公平狂》ドラシヴァの魔の手から、余の娘を救ってくれた礼をしよう」
「俺だけの力じゃないですよ」
ミコトが勝てたのは、戦いの前からドラシヴァが疲労していて、初手が上手く決まったからだ。
そうでなければ。もしも相手が万全の状態であれば、ミコトは間違いなく一、二度死んでいた。
「ほか二名は辞退したのだろう? 本来なら国王の招待を断るなど、余はともかく、貴族連中は許さぬが……エインルードなら話は別。そしてここに来たのは、貴公のみ。なれば、貴公に礼をするのは当然のこと」
「はぁ」
「貴公は何を望む?」
さて、困った。本当に困った。本当に褒美をもらえるとは。それも、褒美を本人に尋ねるとは。
ミコトには貴族の基準なんてわからない。王女を救った、この功績がすごいのはわかるが、それでどこまで言っていいのか、というのはサッパリだ。
だいたい、特にほしいものもない。
資金なら、あまりやりたい手ではないが、フリージスに頼めばいい。
力がほしいなんて言っても、誰かから簡単に受け取れるものでもない。武具? たぶんすぐ壊れる。
身の安全の保障? それはエインルードで手に入れる。下手にエインルードの意思を反するのはよくない。
「……保留、はどうですかね? まったく思い浮かばないもんで」
「ふむ。名誉貴族にする、ぐらいのことは簡単だが? 上層の市民権を与えることも可能だぞ?」
「ガチでいらないっす。王都に住む気も、今んとこないっす。エインルード領に行くんで」
「エインルード、か。また酔狂な……」
ミコトは眉根を寄せた。
先ほどから、エインルードを特別視する発言をする国王。その意図は何か。
「さっきから、なんでエインルードを気にするんです?」
尋ねると、アルドルーアは難しそうな顔をした。
「アルフェリア王家は先祖代々から、エインルードの邪魔をするな、と伝えられてきた。そして彼らは、他家に干渉されぬだけの実績を積み重ねてきた。近年で有名なのは、フリージス・G・エインルードか」
「フリージスが?」
ミコトが聞き返すと、アルドルーアが重々しく頷いた。
「新世歴九八五年。今より一〇年前の話だ。当時、あの者は一〇歳だったか。余が引き起こしたクーデターが成功し、悪政を敷いていた貴族たちを蹴落としていた時期だ」
当時のことを思い出すように、アルドルーアが目蓋を閉じて話し始めた。
「余は、恨みを買っていたのだろうな。大きな反乱が、悪しき貴族により再び引き起こされた。それをたった一人、一夜にして鎮圧したのが、フリージス・G・エインルードだ。そしてあ奴はアルフェリア王国最強の魔術師、その座に就いた」
「一〇歳で……」
「しかし彼は、通り名以外の報酬を受け取らなかった。ただ一つ、エインルードから言い渡されたのは、『関わるな』……その一言だけだ。おそらく、余がエインルードの扱いに悩んでいたことを知り、期を見て恩を売ったのだろうな」
それはまさしく、奇妙な話だ。
エインルードの秘密主義は、こんなにひどいものだったのか。
フリージスも、何も語ってくれなかった。
だからと言って、信頼がなくなるわけじゃない。
ミコトはフリージスを信じているし、仲間だと思っている。
「……いらぬことを話したな」
思考に沈んでいたミコトの意識は、アルドルーアの謝辞に引き戻された。
「い、いえ。貴重な話を聞けたので、よかったです。参考になりました」
「そうか、それは何よりだ。……ふむ。その気負いのない姿勢、なるほど。アスティアが気に入るというのも納得だ」
「は、はぁ……?」
ククク、と笑みを噛み殺すアルドルーアを、ミコトは訝しんだ。
と、そのとき、客間の扉をノックする音が聞こえた。
「入れ」
老いているというのに、覇気に満ち溢れたゼスの発言。失礼します、と女声が聞こえ、メイドが入室してきた。
国王と近衛隊長の雰囲気に飲まれたためか、メイドの声は緊張で震えていた。額には薄らと汗が滲んでいる。
メイドが客間に入り、扉から一歩分横にずれて、軽く頭を下げる。そして口を開いた。
「ミコト・クロミヤ様の来訪を王女殿下にお伝えしたところ、図書館に連れて来るよう、仰せられまして……」
「ふむ、そうか。それで、貴公はどうしたい?」
「渡りに船……ってことで、行きましょうかね」
アルドルーアの質問に、ミコトは即答した。
◇
「むぅ……」
王都アルフォードの王城の一画に、巨大な扉がある。
その目の前、長い通路に立つ、若白髪の少年――ミコトがいた。
彼はちらりと、両脇に立つ人物に視線を向けた。
左は使用人。ミコトに敬意を向けてくる。気まずくなって、今度は右を見る。
右はリッター。彼は黙して、ミコトを扉へと促した。あんまりこいつを視界に入れたくないので、ミコトは前を向いた。
ここが図書館。この中に、アスティア・アルフェリアが引きこもっている
「あー……。この部屋は完全に包囲されているー。無駄な抵抗はやめなさーい。なんたって俺には、鋼鉄の扉をぶち抜いた実績があるのだー」
いきなりわけわからない発言に、メイドが慌ててミコトに注意しようとするが、その直前、扉の向こうから声が聞こえてきた。
「そこの失礼な若白髪だけ通れ」
カチャリ、と鍵が開けられた。
ミコトは笑みを作り、図書館に入室する。
最初に視覚。膨大な数の棚と蔵書。十数脚の椅子。長テーブルの上には、何冊もの本が積み上げられていた。
次に嗅覚。仄かに黴臭い本特有の香りが、鼻孔を刺激した。
そんな、まさしく図書館な一室、ミコトの目の前に、一人の少女がいた。
シニヨンに結ったプラチナブロンドの髪。勝気かつ傲慢そうな目付き、青い瞳。
可愛らしくも幼いながらに美を兼ね備えた、一四歳のお姫様。
「よう、アルなんちゃらちゃん。まあ、元気そうで何より」
「……う、うむ。また会ったな」
立場も性別も年齢も性格も、生きてきた人生も、生まれた場所も、何もかも違う。本来出会うはずのない二人は、こうして再会した。
その片割れであるミコト・クロミヤは、笑みを絶やさぬまま、
「んでさ……。若白髪、言うんじゃねえぇ!」
溜め込んでいた怒りを、遥かに立場が上の人間に向け、爆発させた。
「みんなみんな、なんで髪で弄るのさ!? また髪の話してるAAでもコピペすりゃいいの!?」
「貴様は何を言っているのか、たまにわからんな」
ミコトの怒りをアスティアはさらっと受け流し、長テーブルの中心付近にある椅子に座った。
アスティアのすぐ前のテーブルの上には、積み上げられた本の山と、数冊の広げられた本があった。
彼女は真横の椅子を引くと、無言で座席をぽむぽむ、と叩いた。
その奇行をミコトが理解できたのは、アスティアの顔が羞恥で真っ赤になった頃だった。
ミコトは苦笑し、アスティアが引いた椅子に腰を下ろした。
ミコトにとっては微笑ましいことであったが、アスティアにとっては大事な行ないであった。
アスティア・アルフェリアは他人を信頼できなかった。そんな彼女が初めて、他人を隣に招いたのだ。その歓喜は、涙を流すほどだった。
「お、おい、どしたのアスティアちゃん! 恥ずかしくて泣いたの!? え、違う? もしかして俺なんかしたん!? くっ、またも一〇八の妙技を晒すことになろうとは――――ッ!」
アスティアの真意なぞ知らないミコトは、慌てて彼女を慰めようとする。
立場も性別も年齢も性格も、生きてきた人生も、生まれた場所も、何もかも違いながら。
アスティアの孤独も知らず、同情も憤怒も抱くことなく、彼は少女を慰めようとする。
ミコト・クロミヤが救ってくれたのは、命ではなく――心。
彼は知らず知らずの内に地位の壁を跳び越えて、知らず知らずの内にアスティアの救い上げたのだ。
「名前を、教えろ……」
「んぁ? いや、リッターから聞いてない?」
「いいから、教えろ!」
アスティアの気迫に、ミコトは何か感じ入るものでもあったのか、表情を真剣なものにした。
そしてゆっくりと、思い出すように、懐かしそうに、優しく告げる。
「そうだな……。改めまして、自己紹介するよ。俺の名前は、黒宮尊。尊が名前で、黒宮が名字。一六歳。高校を中退してバイトしてた、半人生脱落組。ついでに異世界人。ま、ここじゃミコト・クロミヤでいいよ」
彼が言っていることを、アスティアはほとんど理解できなかった。
それでもそれが、心の底から告げられたものだとわかった。
ミコトはアスティアの心に応えてくれた。だからアスティアも、本心で応える。
「改めまして、だな。妾の名は、アスティア・アルフェリアだ。よ、よろしく……」
「――ああ、よろしくな」
彼はそう言って、いやに似合うニヤリとした、不敵な笑みを浮かべた。