第一五話 ■い
誓い? 想い? 願い?
この屋敷には、もはや魔力の薄い人物、ただ一人しかいない。
サーシャたち五人は、屋敷の捜索に乗り出していた。
魔力の薄い人物は、サーシャの魔力感知によると移動していない。
トラップもないようだし、別行動しても問題なさそうだ。
ミコトとラカの二人は、謎の人物の捜索に向かった。
サーシャはそれより、屋敷に充満している謎の魔力が気になった。
魔力源はもうすでにない。そのはずなのに、あまりに濃密、しかし人酔いしない魔力。それはまるで、周囲の生命力に適応しているかのようだった。
周囲の生命に合わせ、形を変えていく魔力。しかしその本質――他者の魔力を取り込む性質だけは、いつまでも変わらない。
ミコトの魔力察知は高い。一時的なものに限定すれば、フリージスよりも優れている。
その彼が気付かなかった。サーシャですら『操魔』の支配下に置かなければ、変わっていると思うだけで無視していただろう。
あまりに異質すぎる。気にならないはずがなかった。
サーシャは謎の人物よりも、魔力源があった場所の捜索を優先した。
その魔力源の探索には、レイラとグランが付いてきてくれた。
レイラはともかく、グランがサーシャに付いてきたのは、ミコトが彼に認められているからだろう。
そう思うと誇らしい気持ちになり、でもやっぱり自分よりミコトの助けになってほしいとか思ったり……、……いけない。
今は目の前のことに集中しよう。
サーシャは両手で、自身の頬を挟むようにビンタした。
レイラとグランが訝しげにする横で、彼女は気合いを入れ直す。
そうして探索を始めた。
『操魔』を持つサーシャが本気になれば、辿り着くのに時間は掛からなかった。
地下に降りる隠し扉をグランが見つけ、鍵がないのでレイラが鍵開けで開錠。
そして三人は慎重に地下へ降りて行った。
石造りの一室が、三人を待ち受けていた。
石は灰色だが、一面一色ではない。それは、カーペットが敷いてあるとか、家具が置いてある、といった洒落っ気ある意味ではない。
部屋の中央に、ちょうど人を寝かせられそうな台座が二つ。
隅には大きな甕。
そして上から塗りたくるように、灰色の壁に飛び散った――赤い、黒い、血。
異臭。血の臭い。
今までに得られた情報から考えて、この一室でどのようなことが行なわれたかは、容易に想像できた。
人体の切断。そして、治療。
しかしサーシャは一人の治癒術師として、そのような治療はどうしても認められなかった。
周囲の魔力に宿った残留思念が、サーシャの優れすぎた魔力感知によって、その感情を映し出す。
切り取られた側の人間の苦痛が、ありありと脳裏に思い浮かぶ。聞こえる。見える。
――両手両足がなかった。胴と首だけになった。右目ももうない。今、左目に手を伸ばされた。
――やめろ、やめてくれ! 俺の目が、最後の目が! 嫌だ嫌だいやだイヤだいやいやだだいああ痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛痛痛痛痛痛痛痛痛ぁぁぁぁっぁぁぁぁぁぁぁぁ――――!!
――――死――にたく――ない――――
「……じょ……ぶ? サーシャ、大丈夫! しっかりして!!」
レイラに声を掛けられ、サーシャは夢を見ていたことに気付いた。
「――はぁっ! はぁ……はぁ……はぁ……」
息をしていなかったことに気付き、サーシャは慌てて呼吸を再開した。
凄まじい吐き気が襲う。視界が明滅して、平衡感覚を失った。ふらりと倒れる体を、レイラが支えてくれた。
……だから、死は嫌いだった。
その場に漂う強い思念は、彼女に様々な情景を見せた。
それはたとえば、死に際の苦痛・悲哀・後悔・憤怒。それを見せられ、聞かされるたび、心がひどく痛むのだ。
最近はさらに忌避感を覚える。
それは『生きたい』と思えるようになったから。そして、幾度となく訪れる死に、苦しむ人がいるから。
もっと恐ろしいのは、サーシャを守った少年の、心安らか最期。
「――――」
どれくらい時間が過ぎただろうか。
平衡感覚は取り戻した。レイラに礼を言って、自分の足で立つ。
また幻を見ないよう、できるだけ魔力感知は切り、サーシャはそれの近くに寄る。
部屋の隅の置かれた、大きな甕。
中身はない。指でなぞってみても、何かの痕跡は発見できない。
だがグランが横から、顔を顰めて言った。
「血の臭いだ。この中が、異常に濃い」
サーシャとレイラの鼻がすでに麻痺した中で、グランの嗅覚は未だ冴えていた。
ここ何かがあった。
それは切り放した人体かもしれないし、血液かもしれない。
解せないのは、それがどうやって姿を消したのか、だ。
とにかく、この部屋は出よう。嫌な気分になる。
サーシャが二人に、ほかの部屋を探そうと伝えようとした。
――そのとき、屋敷を揺らす衝撃、爆音が響き渡った。
サーシャたち三人と違い、ミコトとラカの二人は、謎の人物の捜索だ。
謎とは言うが、ミコトはすでに予想が付いていた。
魔力は常に精製され続けている。それはすべての生物がそうだ。それが異常に弱いということは、命の危機に瀕しているか、それか――。
希望的観測であることは否定できないが、希望を捨てはしない。
しばらくの捜索後。
彼らはついに、それらしき居場所を掴んだ。
屋敷の一階。彼らの目の前にあるのは、重厚な鉄の扉だ。この中に、誰かがいる。
扉の鍵は、外側から掛ける仕様になっている。
とはいえ、その鍵がなければ、内側外側に意味はない。取っ手を掴んで押し引きスライドしようとしてみるが、動く気配はない。
「どうする?」
「――蹴破る」
ミコトが尋ねたときには、ラカは扉から少し離れた位置から助走を付けていた。
発言の直後、鉄の扉に鞭のようにしなる足が激突する。
ゴウン……、という金属が響く音。
しかし扉には、少しの傷も付かなかった。
「さすがに、鉄は無理だろ……」
「チッ。万全ならヘコませるぐらいはできたのによー」
「マジかよ……」
ラカとのコミュニケーションを考え直す必要があると、ミコトは改めて思った。
ともかく。
ミコトが魔術で壊すという手もあるが、威力が高すぎて部屋の中の誰かごと、になる可能性もある。
どうしたもんかなー、とぼやいていると、扉越しに声が聞こえてきた。
どうして最初に声を掛けるというのを思い付かなかったのか。ミコトは羞恥に耐えながら、声をなんとか聞こうとする。
「……だ……るの、……」
弱々しい声だった。分厚い扉越しというのも手伝って、ほとんどミコトは聞こえない。
しかしラカだけは、それを聞き逃すことはなかった。
「オーデ!」
歓喜の声、喜色の浮かんだ安堵の笑み。
それを見ると、ラカにも少女らしい一面があるんだな、と実感する。
ラカの声は大きくなる。それは扉越しに声を届けるため、以外の理由もあるのだろう。喜びが声にまで表れていた。
「ラ……な……か」
「ああ、そーだ! オレだ、ラカ・ルカ・ムレイだ! お前は大丈夫か!?」
「……ぎ……が、なく……って。す……い」
「謝るなよ! なんだよ、腕一本! 生きてりゃ上々じゃねーか!」
ラカの発言によると、やはり右腕が失われたのは確実。しかしそれ以外には無事のようだ。
死んだかもしれない、と考えていたラカにとっては、この上なく安心する要素だった。
「――再会に、冷たい鉄の扉は無粋だよな」
そうと決まれば、後の行動も自ずと見えてくる。やるべきことが明確になる。
再会を喜ぶなら、面を合わせたほうが、ずっといい。
「オーデ! その部屋に窓はあるか!?」
「……、……」
「ないってよ、ミコト」
「そんじゃ、ちょっと部屋の隅に寄っててくれ。――爆破する!」
せっかく意思疎通ができたのだ。オーデには部屋の端で待機していてもらう。
しばらく待っていると、部屋の中から微かな声。ラカが大丈夫だと、ミコトに伝えた。
「ミコト」
「どした?」
「……頼む」
「――――」
ラカの真摯な頼みに、ミコトは目を丸くして、
しかしすぐに、ニヤリと不敵な笑みを浮かべ、
「ふっ、当たり前だろ? 仲間なんだ。だから――」
火鼠の皮手袋、確認。『最適化』起動。
スロット展開、演算開始――完了、魔力精製、スロットへ注げ。
満たせ、満たせ、満たせ、満たせ。
「――いつか俺が困ってたら、助けてくれよ?」
「――ああ!」
充満完了。
創造系統・火属性。初級のそれを合成術式によって中級に繰り上げた、高威力魔術。
紡げ、詩を。
壊せ、邪魔な扉を!
「『アルタ・イグース』――――ァアッ!!」
次の瞬間、ミコトの右掌の先から生まれた炎が、爆発的な威力を以て放たれた。
強化を施された発炎魔術『アルタ・イグース』が、扉に激突した。
拮抗はほとんどなかった。
あまりの衝撃に、鉄の扉が轟音を奏でて吹き飛ばされる。
「《公平狂》戦のときとは違ってなぁ、今回はしっかり術式練れてんだ」
扉を破った瞬間、ミコトはスロットの術式を破棄。爆熱の炎は呆気なく姿を消した。
同時に『最適化』を破棄して、部屋の中へと踏み込む。
「単純な威力なら、上級魔術にも劣らねえぜ」
そしてミコトは、部屋の隅で顔を青くしたオーデを発見した。
彼の真横の壁には、鉄の扉が減り込んでいる。さらに、オーデのすぐそばまで炎が迫っていたのを証明するように、床が黒く焦げていた。
「…………ど、どうもでやす」
「…………なんか、ごめんなさい」
◇
ちょっとトラブルはあったが、ラカとオーデは再会を果たした。
残念なのは、無事と言い難いことか。オーデの右腕は、肩口から綺麗さっぱりなくなっていた。
オーデによると、フィンスタリー・トゥンカリーは、次もオーデの体を使うつもりだったらしい。そのため、ちゃんと治癒魔術は掛けられていた。
化膿することはない、というのはサーシャの見解である。
診察中のサーシャは、かなり不機嫌なご様子だった。
「藪医者め……」とか、普段の彼女なら絶対言わないセリフもぽつぽつ。
かなりレアな姿だったが、なぜかこっちにもとばっちりが飛んできて、ミコトとしては散々だった。
(フィン爺、何したし。サーシャがぶちギレるとか、相当だぞ……)
そのフィン爺ことフィンスタリー・トゥンカリーの遺体だが、非常に処理に困った。
確か日本の火葬炉の温度は、最近では千度を超えていたはずだ。ミコトやレイラでは、そんな高熱を生み出すことは不可能。
敢えて挙げるなら、サーシャの特級魔術『ムスペルヘイム』があれば可能。もちろん却下である。
土葬も考えたが、手間を考えると面倒。
ということで、地下の一室に放置だ。
あのサーシャがまったく反対しなかったので、満場一致である。
屋敷を出ると、外はもう真っ暗だった。
午後のお食事会から始まった騒動は、約六時間で終えた。
そのようなことがあってミコト、サーシャ、レイラ、グラン、ラカ。そしてオーデを加えた六人は、エインルードの屋敷に戻ってきた。
グランがフリージスに叱られるという珍しい光景が見られたり、なぜかミコトが当主ヴィストークに睨まれたりした……が、ラカとオーデが仲良くしている姿を見ると、概ね大成功と言える結果で落ち着いたんだと思う。
ただ、四つだけ。
ラウスの行方と、フィンスタリーの謎の死、消えた三人の同一人物。そしてサーシャが見つけたという異様な魔力の痕跡だけが、ミコトの中でシコリを残していた。
とはいえ、いつまでも気にしていられない。
ミコトは答えに辿り着きようがない思考を、一旦脳の隅に保管しておいた。
そして、遅れに遅れた夕食の席。そこには新たに、オーデの姿が加わっていた。
とにかく卑屈なほどに相手を立て、荒波を立たせないように、同時に感謝を以て接するオーデだ。ラカのように荒々しい言葉遣いをすることはなく、簡単に食事の輪に入ってきていた。
チャングの作った料理を口に入れた瞬間、オーデは目を剥いていた。
戸惑いながら、改めて感謝を告げる彼を、皆は微笑みを以て迎え入れた。
そうしてオーデはラカとともに、エインルード領への旅に参入することになったのである。
◇
翌日。
王都アルフォード滞在、四日目の朝食後のこと。
食事後、ミコトは自室のベットに寝転がって、フリージスに借りた魔術書を参考に、スロットで術式を演算していた。
魔術の鍛え方によって、一極や二極といった型ができる。ミコトは火と水の二極で鍛えるつもりだが、それ以外にまったく手を付けないのもどうか、と思ったのだ。
そういうわけで現在、風属性魔術の術式を演算しているのだが……これが本当に、スロットに嵌りにくい。
二カ月前、弾丸系に分類される風弾魔術『エアリスト』を使用した際は、もう少しマシだったはず。
地属性に至っては、まったくと言っていいほど嵌らない。
「たった二カ月で、もうスロットに型ができちゃったわけか。早ぇ……」
早く型ができやすかったからこそ、たった二カ月で今の実力に至った、と考えられたが。
良し悪しは知らないが、自分の可能性が潰れたのかと思うと、少し後悔の念が湧くのは抑えられなかった。
むむむむむ、とミコトが唸っていると、扉が開く音が聞こえた。
視線を向けてみると、廊下にラカが戸惑った様子で立っていた。
「ノックなしの来客なんだから、ずかずか入ってくるもんだと思ってた」
あのラカも、遠慮というものを覚えたか。その前に礼儀が先決だが。
そんなミコトの言葉に、ラカはムッとした顔をして、ずかずかと部屋に踏み込んできた。
「……オレたち《無霊の民》に、ノックの習慣なんざねーからな」
「さよか」
ド田舎では鍵を掛けないと聞いたことがあるが、似たようなものだろうか。
「これが異文化交流か……。いや、異文化じゃ収まらないよな。ってかこれ、異世界交流なんだよな……」
「何ぶつぶつ言ってんだよ」
「や、なんでもない。そんな大したカルチャーショックもなかった」
とりあえずミコトは、スロット内の術式を破棄。魔術書を脇に置いて起き上がり、ベッドに腰掛けた。
改めて、ラカに向き直る。
「んで、何さ?」
「あー……。なんつーか……、あー……」
「ハッキリしねえ奴だな。いつもみたいにハキハキしなさい。オラァコラァって猛りなさい」
「てめーん中で、オレはどんな扱いなんだよ?」
「不良少女?」
はぁぁぁぁ、というラカの深い溜め息。
女の子らしくない仕草で、後頭部をガシガシと掻いた。灰色の短髪が乱雑に舞う。
「いろいろ考えてきたが、なんか吹っ飛んじまったから、一言だけ言うぞオラ」
「そうそう、そんな感じ。オラァ、って」
「…………ああもう! 今回はありがとーございましたァ!!」
ラカは怒鳴ると同時、感謝しながら荒々しく部屋を出て行った。
ミコトは困ったように頭を掻いて、小さく溜め息をこぼした。弄るのに夢中で、ラカの気持ちを慮らなかったのを、ほんの少し反省。
ミコトは立ち上がって背伸びし、ストレッチをする。パキポキ、という軽快な音が体中から響いてくる。
その後、再びベッドに座り直す。そして魔術の修行を始める……ことはなかった。
三回のノック。
ミコトは腰掛けた態勢のまま、入室を許可する。
入ってきたのは、灰色の髪と瞳の壮年。オーデだ。
「ノックしてんじゃねえか……」
「何か言いやしたか? クロミヤの旦那」
「いや、別になんでも。それより、今度はオーデか。どうしたんだ? あ、そこに椅子あるから、座る?」
「お気遣い、感謝しやす。けどすぐに出て行くんで、お構いなく」
オーデが浮かべていた弱気な笑顔が、彼が深呼吸した次の瞬間、一変した。
卑屈が凄味に。
くたびれたサラリーマンが、活力に満ちた戦士の顔付きに。
『歳当て』の結果に変動はなく、依然として四〇前のままなので、ただの錯覚だろうが……心なしか、少し若く見えた。
「――改めまして。オレは《無霊の民》の戦士、オーデ・アーデ・ムレイ。このたびは、ラカとこの身を救っていただき、ありがとうございました」
「……お、おう」
「オレは、皆様に救われました。もしも危機が訪れたなら、この拳を以て敵を討ち滅ぼし、この身を以てお守りすることを――誓います」
「……お、お構いなく」
急激な雰囲気の変化に付いていけないミコトは、曖昧に頷いた。
そんなミコトの様子を気にすることなく、オーデは頭を下げている。
「……そして、申し訳ありません。不躾な願いを、聞いていただけないでしょうか?」
「え、ええんやで」
ミコトのテキトーな相槌に、オーデはしばらく迷ってから、遠慮しながら告げた。
「オレが、もしもいなくなったら……。ラカを、支えてはくれませんか? あの子はけっこう、年相応なところがありますから」
「そ、そりゃもちろん。でもや、せやかてオーデはん、縁起の悪いことを言いはりますな」
「オレは腕を一本失いました。こんなナリで戦えば、きっと生き残れないでしょう」
オーデの覚悟を決めた顔付きを見て、反論しても意味がないことを悟った。
「……なんで、俺にこの話を? ほかの人にも言ったのか?」
「いえ。クロミヤの旦那にしか話しておりません」
ミコトは益々不思議に思った。
優しい接し方を求めるなら、サーシャがいる。
レイラだって、アレで面倒見がいいし、常識的なことも比較的ちゃんとわかっている。
頼もしさならグランだし、世話ならリースが、権力ならフリージスがいる。
パーティの中で一番強いわけでも、賢いわけでも、優しいわけでもない。
そんな自分が頼られる理由が、ミコトには理解できなかった。
理由を訊こうとする直前、オーデに唐突に戦士の顔を崩した。
へらへらとした、卑屈な微笑みに戻ってしまった。
「そんなわけで、クロミヤの旦那。ラカを頼みやすね」
戦士でも、卑屈でも。ラカへの想いは変わらないのだ。
ラカを心配するオーデは、本当に父親に見えた。
「――ああ、任せろよ」
全部守ってみせる。
ラカも、サーシャもレイラもリース、グランもフリージスも、もちろんオーデだって。
絶対に、守ってみせる。
ああ、そうだ。
――そのためなら、死んだって構わない。
◇
その翌日。
リッター・シュヴァリエットが使者として、エインルードの屋敷に訪れた。
呪い