第一三話 ラカ・ルカ・ムレイという少女
「確証はねえけど、治癒術師の居場所がどこらかってのがわかった」
「ほ、本当か!?」
「ああ。旧城壁近辺だとよ」
吉報を聞いたラカは、今まで見たことがないほど、嬉しそうな笑顔を浮かべた。
だから、これから落とすのがつらい。
「……ソースは、テュアーテさんが会ったっていうラウスの奴だ」
その名を出すと、ラカが顔を顰めた。
ミコトは溜め息を吐いて、ついに言った。
「そいつ、右腕があるんだってさ」
静寂が広がった。
信じられないという風に、ラカが後退った。
「ま、待てよ。そいつ……隻腕だったじゃねーか」
「治ったんだとよ」
「じゃ、じゃあ、オーデは……」
「…………」
――オーデは最悪、殺された可能性がある。
ラカの表情から、感情が消えた。
力が抜けたように、地に座り込む。
「そ……んな、の。ねーよ……。オーデは強くて……。オレを守ってくれた、すげー奴なんだ……。――誇り高い、《無霊の民》なんだ!」
「…………」
「大切な人なんだ。仲間で、家族だったんだ……。運が、悪かった、だけなんだぁ……」
悲痛な顔。震えた声。悲哀の涙。
そこにいたのは、たった独りで泣いている少女だった。
「かえ、せ……」
その少女は感情の捌け口を探して、目の前に立つ者に狙いを定めた。
「――返せよ、クソ人間ッ!! オレたちの誇りを! 家族を! 命を! 幸せを!! ――オーデ・アーデ・ムレイをッ!!」
ミコトは異世界人で、この世界の歴史には完全な無関係だ。だが。
そのようなことをラカは知らないし、まったくの筋違いだとしても、恨まずにはいられない。
逆恨み、妬み、嫉妬、憎悪。理屈ではないのだ、感情は。
「………………。かえし、てよぉ……」
目の前で、独りの少女が泣いている。
種族なんて関係ない。知り合った時間もどうでもいい。
彼女は今、弱っていて、助けが必要なのだ。
「――――」
ならば、今からする行動だって、決まっている。
「――ククっ」
思わず漏れたような、嘲るような笑い声。
この状況で笑ったミコトに、ラカはさらに憎悪を加速させた。
「なに、笑ってやがる……」
憎悪だけではない。身を焦がすような殺意が、下層北区の住宅街に充満する。
殺気を直接叩き付けられたミコトは、「悪い悪い」と苦笑した。
「確かに、もう遅いかもしれねえけど。ちょいと無責任なことを言うけどさ、まだ希望が潰えたわけじゃねえだろ? 感情吐き散らすのが早えっての」
「なに、いって……」
困惑するラカに、ミコトはあっけらかんと、
「だからさ。――まだ死んでない可能性だってあるだろ?」
「どういう……」
オーデは奴隷で、腕を治すために連れて行かれただけだ。ならばその役目を終えたとき、彼の利用価値は消失するのだ。
一目見てわかった。ラウスという男は残虐だ。女、子供、無力な者、そんなのに関係なく、容赦なく殺せる人間だ。
そんなラウスが、オーデを生かしておくとは思えない。
しかしミコトは、
「まあ、右腕がないのはほぼ確実で、それで利用価値がなくなったのも事実だろうさ。だけど、考えてみろよ。――利用価値がなくなったら死あるのみ、がすべてじゃないだろ? 奴隷として扱ってもいいし、放置したっていい。絶対に殺さなきゃいけない理由なんかない」
「そんなの、勝手な推測だ!」
「死んだってのも推測だ。……でも、死体の後始末って面倒って聞くぜ? たぶん。だからラウスもその辺、アバウトにやってんだろ」
確かにその通りだ。ミコトの言うことには一理ある。だが、本当に殺された可能性だってある。
ラカにはもう、気力が消えていた。これより頑張ろうという気持ちが湧かなかった。
また希望を抱いて、そして奪われたら。
そう考えたら、一歩も足が進まなくなった。
「オーデの奴さ。お前のこと、娘のように思ってるんだってさ」
唐突に告げられた言葉の意味を理解したとき、ラカは目を見開いた。
「なあ、お前さ。オーデのこと、どう思ってんだ?」
……。
…………。
……、…………。
自分にとっての、オーデ……。
◇
五年前。ラカ・ルカ・ムレイがまだ、一〇歳の頃。
そのときの彼女は、故郷である無霊大陸にいた。
霊脈が届かないためにできた砂漠が、地平線まで広がる地。
その一角に、《無霊の民》が住まうオアシスがあった。
いつもは緑豊かで、自然に溢れた場所は、
――しかしこのとき、蹂躙を受けていた。
「ヒャハハ! 『イグニモート』!」
「逃がさねえぞぉ? 『エアリモート』!」
オアシスを襲う彼らは、身体強化を使う傭兵だ。
彼らの仕事は《無霊の民》を捕え、奴隷市に売り捌くこと。そのための襲撃だった。
ラカは草陰で、家族と隠れていた。無謀にも立ち向かおうとするラカを、母が必死に抑えている。
父親はいなかった。ラカが物心付く前に、襲撃に遭って死んだそうだ。
父親がいないラカは、《無霊の民》の大人たちから、特別優しく育てられた。そんな彼女だからこそ、今の状況が許せなかった。
「兄貴……」
「テッドぉ……! くそっ! くそくそ、クッソどもがァ! 殺す、殺してやる、殺すゥゥゥ!!」
隠れるラカのすぐそばで、青年と少年の二人が地に押し倒された。
ラカの見知った人たちだ。
彼らは兄弟で、二人とも灰色の髪と黄色い瞳をしていた。
ラカと同年齢の少年は、名をテッド・エイド・ムレイ。兄の青年の名は、ジェイド・エイド・ムレイという。
「二人を! 放せえええええええええええええええええええええええええええ!!」
二人とも、ラカとはよく一緒に遊んだ仲だ。だからもう、この怒りを抑えられなかった。
母親の拘束を振り切って、草陰から飛び出した。エイド兄弟を拘束する傭兵の一人に目掛け、槍のように足を突き出す。
しかしラカの突撃は、視界の外にいた傭兵によって阻害される。赤いオーラをまとった足が、突進するラカの横がら突き出されたのだ。
ドゴン! と、実際の蹴りの勢いを遥かに超えた衝撃が、ラカの脇腹を突く。そのまま地に叩き付けられた。
傭兵はラカを組み伏せようとする。そのとき、横合いから傭兵が突き飛ばされた。
ラカの母による、娘を助ける突進だった。
「お袋!」
助かったと、安心を覚えた――直後、母の首を刃が抜けた。
傭兵は二、三人ではなかった。それこそ、傭兵団と呼べる数だった。数多にいる傭兵の攻撃は、隙を見せれば瞬時に繰り出される。
ラカを助けた一瞬の隙が、母の命を奪ったのだ。
ごろごろと地面を転がっていく、母の生首。
それを呆然と、信じられないという風に眺めるラカに、母の血潮が降り掛かった。
「……あーぁ、殺しちまったぁ。わりと別嬪だったのにぃ。まあ、まだまだいるからいいけどよ」
母の首を斬った傭兵が、ラカを拘束して縛ろうとする。
数秒後、母の死を理解したラカが絶叫した。
「あああっああああぁぁぁぁあぁぁああぁああああっぁあぁぁあぁっぁぁっぁぁぁああああああああああああぁぁぁぁぁっぁっぁぁぁぁっぁあ…………!!」
「うっせえぞ、テメエも殺されてぇの、」
「――お前がオレに、殺されろ」
剣を突き付けようとした傭兵が、続きを話すことはなかった。
心臓を一突き。石でできた槍の一撃で、傭兵が呆気なく死んだ。
ラカを救った男。それが、オーデ・アーデ・ムレイだった。
その後のことは、あまり憶えていない。
記憶に焼け付いたのは、ラカを救おうと必死になって戦った、無霊の戦士……。
気付けばオアシスからは、傭兵団は姿を消していた。捕えられるだけ捕えて、すぐに中央大陸に帰って行ったのだ。
傭兵が消えたと一緒に、このオアシスに住んでいた《無霊の民》は拉致と虐殺によって、その数は五分の一を減らしていた。
減った者の中には、オーデ・アーデ・ムレイも含まれていた。
オーデに憧れたラカは、男衆に混じって無霊の戦士になった。
自分もまた、誰かを支え、救える人間でありたい。傭兵どもを返り討ちにしたい。
その想いで戦い続け――数年後、彼女もまた、捕えられた。
船に入れられ、馬車に詰められ、飛行船に乗せられた。
そうしてラカは、アルフェリア王国王都アルフォードで、オーデと再会した。
生きていた。やっと会えた。
嬉しくて、泣きそうになって……だが彼は家名と、誇りあるムレイの名を捨てていた。
かつては力強かった目は、死人のように活力がなかった。
落胆して、どうしてそうなったのだと、罵倒したこともある。
オーデは困ったような笑みで、いっつも謝るのだ。
――それでもオーデは、ラカに優しかった。
◇
「――そんなの、反則だろ。ああ、くそ、チクショウ、せこいなテメー……。……そーだよ、大切な家族だよ! オーデはオレの大切な、大好きな、家族なんだ!」
足に力が入る。
体に中身が戻ってくる。
心に活力が湧いていく。
気力が魂に満ちてゆく!
「だったら、あとは簡単だろ? 悲観するのはまだまだ早い。完全に希望が消えるまでは、もうちょい楽観的に行くぞ! そんで、全力を尽くそうぜ!」
「ああぁーくそ! このハゲ! くそ野郎! テメーに励まされたのは癪だが、やってやる!」
「その意気だ! けどハゲはいらないかなぁ!?」
「オラァ! さっそく行くぞコラァ! 家が邪魔なんじゃァ!」
ヤケクソに怒号し、けれど目的は確かにして、ラカは走り出した。
向かうは下層北区、旧城壁近辺。
建物が邪魔だ。曲がりくねった路地裏がウザい。
ラカは路地裏の壁を交互に蹴ることで建物の屋根に登ると、目的地目掛けて走り始める。
「ちょっ、おい待てよ! 早いなチクショウ、『ペッタン』!」
背後でミコトがついて来る気配。しかし、距離は開くばかり。
「オラ、テメーももっと走れ! 魔術だかなんだか、できんだろ!」
「病み上がりなの! 筋肉痛必至なの! サーシャにどやされるの!」
「オレ先に行くからな!」
「連絡取れなくなるだろうが! ああもうクッソ、元気になりすぎだぞ、ったく。『最適化』だってしんどいんだぞ!」
ミコトが怒鳴ってしばらくすると、ラカはピリッとする存在感を覚えた。屋根を飛び移りながら振り向くと、ミコトの目付きが鋭くなっていた。
ラカの直感は、それが言い知れぬ、何かまずいものだと悟った。仕方なく速度を落とすと、謎の存在感は消えた。
「まさか、テメーに気を遣うことになるなんてな」
「はぁ……はぁ……。もうちょっと……合わせて、くれよ……。俺ら、仲間になったん、だし……」
その発言に、ラカは目を丸くした。
「仲間?」
「ぁあ? おいおい、自覚なかったのかよ。これから一緒に旅すんだから、仲間に決まってんだろ」
「……あぁ、そーだな」
気付けばいつの間にか、ラカの身の内で燻っていた憎悪や憤怒は、どこかへ消えていた。
人族を恨む気持ちはまだあるが……少なくとも、ミコトたち仲間への憎しみは、もうなくなった。
(そっか……仲間か……)
「悪かったな」
「あぁん?」
「今までのこと。さっき、怒鳴ったこと。クズだった、オレ」
「…………」
ミコトは遠慮することも、茶化すことも、責めることもなかった。
ただ彼は、自嘲のような笑みを浮かべた。それは先ほど、ラカの八つ当たりを受けたときと、同一のものだと気付いた。
「実は俺も、サーシャにな。お前みたいに、八つ当たりしたことがあるんだ」
その告白に、ラカは心底驚いた。
出会ってたった数日の関係だが、それでも彼が明るい性格ということと、サーシャたち仲間を大事に想っていることはわかる。
それが、八つ当たりをした? それも、あの少女に? 俄かには信じられなかった。
「……ま、自業自得な面とか、ほとんどだったけどさ。や、この話はやめよう。思い出したら鬱る。要は、さっきのお前が、二カ月の俺とかぶった、ってだけの話」
「ンだよ、自己満足か?」
「そうだけど? ウザったくて目障りで、見てられなかったんだ」
「……勝手だな」
「ああ、勝手させてもらう」
ラカは深い溜め息をこぼした。彼の気持ちは、ラカにとって理不尽なものであったが……悪くない。
「ああ、勝手してくれ、ミコト」
ミコトは数瞬だけ目を丸くしたあと、ニヤリとよく似合う不敵な笑みを浮かべた。
「やっと名前、呼んでくれたな」
「……そーいや、そーだな」
そういえば、と思い返してみると、確かに。一度も彼の名を呼んだことはなかった。
そうして思い巡らせていたラカには、心構えができていなかった。
「あとさ。笑った顔、いいじゃん」
「……へんぁ!?」
なんとなしに、自然と告げられた言葉に、ラカは謎の奇声を上げた。
や、だっていきなり、えっ?
「クック、くはは! 眉寄せてるより、笑ったほうがいいって。うん、いいじゃん。そういう反応のほうが絡みやすい」
「やっぱ殺す!」
「なぜゆえに!?」
◇
ラカとのやり取りからしばらく。
ミコト、ラカ、サーシャ、レイラ、グランの五人は、下層北区の旧城壁近辺に集まっていた。
建物と旧城壁の間には、幅五メートルほどの空白地帯があった。あまり壁に近すぎても不都合がある、ということだと思う。
五人はその、五メートルの空白にいた。
グランは一人だけ、少し離れたところで、『ノーフォン』を起動している。
「ん、フリージスか。……ああ、手伝っている。もうすぐ突き止められるところだ。……そうではない? 違うのか? え、減給…………」
グランが冷や汗を流しながら、遠話が切れた『ノーフォン』を懐に仕舞った。
いったい、何を話していたのやら。
「フリージス様。グラン様はなんと?」
「勘違いしていたようだね。……もう、続けてもらうさ、はぁ。帰ったら説教かなぁ。護衛報酬、減らそう」
「さ、さあ。捜索を続けよう」
意気消沈した様子のグランからは、哀愁が漂っていた。ミコトはとりあえず、背中を叩いて励ましておく。
とにもかくにも、もたもたしている暇はない。さっそく捜索に出よう……として、サーシャが手を挙げた。
「実はわたしたち、さっきそれっぽい屋敷、見つけたよ」
「オラァ! 来たコラァ!」
ラカの態度の変化とハイテンションに、レイラが少し引き気味に、
「え、ええ。何人かに確認取ったから、間違いないでしょ」
「マジかァ! 行くぞォッシャア!」
さすがに気になったのか、レイラがミコトに疑惑の視線を向けてきた。
「……アンタ、何やったのよ? クロミヤ菌でも移したわけ?」
「失敬な。ちょっち座り込んだ奴のケツ、蹴り上げただけだって。あれ、泣きっ面に蜂じゃね、この絵面? っていうかクロミヤ菌って何?」
「鬼畜の所業ね」
「ノーコメント? ねえ、クロミヤ菌って何さ? もしかして俺、苛められてる?」
ミコトとレイラがそのようなやり取りをしている横では、
「今すぐ行くぞ! すぐ行くぞ! さっさと行くぞ! オラァコラァ!」
「減給……。剣を買って、もう金がないぞ……。必要経費で落とせるか……。いや、自己負担か? どうだ?」
「なんかもう、まとまりがないね」
全員がおかしくなった中で、サーシャは頭を悩ませていた。
「なんにしても、ラカが元気になってくれて、よかったよ」
サーシャは小さく、安堵の溜め息を吐いたのだった。