第九話 それは宛らヒーローのごとく
彼が見つけられたのは、二つの要因がある。
まず一つ。一番最初に感付いたのは、流動する魔力。『操魔』による魔力操作の影響だ。
二つ目が、空に撃ち上がる火弾。それが決め手だった。
身体強化と『最適化』を使い、屋根の上を駆ける。
戦っているということは、何かしら敵がいるということだ。ならば、やることは単純。――死なす。
そして、彼は――ミコト・クロミヤは、戦地に到着した。
屋根から見下ろせば、地に倒れ伏すサーシャと、サーシャに寄るレイラ。そして視界に入る、二人の人物。
――次の瞬間、ミコトは二階建ての家を跳び下りた。
魔術による落下軽減は行わない。必要ない。落下のエネルギーは、攻撃に転化できる。
必要なのは、衝撃に耐え得る装甲。落下中、水器魔術『アクアーム』を右足に巻き付け、補強する。
そして。
鱗族の頭へ向けて、踵が振り下ろされる。
「な……っ!?」
気付かれた。だが遅い。もう避けようがない。
身をよじられた。後頭部への攻撃が肩にずれる。それでも十分だ。
「――ァアッ!!」
直後。
鱗族の肩に、踵落としが炸裂する。
打撲音と同時に鳴るのは、バキン! と骨が折れる音。それはミコトと鱗族の二人から同時に鳴った。
鱗族は肩を砕かれて。ミコトは膝を折った。
「なああ、ああああああああああ……!!」
激痛に呻く鱗族の絶叫が響く。
だが、まだだ。それで終わると思うなよ。
「『アルタ・イグニスト』ォ!」
男声の詠唱。数瞬後、地面にしゃがみ込んだミコトの頭上を巨大な火弾が通過し、鱗族へ迫る。
リッターの魔術だ。
鱗族は激痛に呻きながら、なんとか後ろに避けようとするものの成功叶わず、爆発によって路地裏の壁に叩き付けられた。
「っとぅ……ぬぉぉぉぉぉぉぉお!」
『最適化』によって身体操作技術を上げ、衝撃を殺して着地したミコトだが、さすがに高すぎた。
足が骨折したため、思わず呻いてしまいそうになる。その呻きを、奇声を上げることで我慢する。
そしてミコトは、目尻に涙を浮かべながらも、ニヤリと笑った。
「――よう、アルなんちゃらちゃん」
ようやく会えた探し人、アスティア・アルフェリアは呆然と、ミコトを見上げていた。
高慢だったアルフェリア王国王女の面持ちはなく、そこには今にも泣き出しそうな、独りの少女がいた。
「なん、で……」
彼女が今、何を言おうとしているのか。何を訊きたがっているのか。
そんなこと、ミコトにはわからない。所詮自分は、表情を読むのが多少得意なだけで、他人の気持ちに疎いのだ。
そして何より、このまま喋らせても鬱々とした言葉しか出てこないんだろうな、と経験から予測できたから。
だからミコトはアスティアの言葉を遮って、鼻を鳴らした。
「……湿気たツラしてんなぁ、お前。んだよ、さっきの『死んでもいい』って顔は? ざっけんな、勝手に諦めてんじゃねえぞ。――人の命ってのは、たった一つしかねえんだ」
そうだ。
誰も彼も自分のように、無限の命を持つわけじゃない。だが死の苦しみは、誰よりも理解しているつもりでいる。
だからこそ、たった一つの命しかないのに生きるのを諦めたアスティアに、怒りを覚えていた。
「……ああ、そうだ。お前の泣き言を聞く前に、言わなきゃいけないことがあったわ」
ミコトの怒気を浴びて怯えるアスティアに、しかし彼は容赦しない。
「お前は王女なんだからさ、一人になっちゃ駄目だって。ちゃんと護衛連れてろよ。だからさ……」
そう言うと、アスティアは俯いてしまった。小さく「妾のことを、知ったのか……」とこぼすのが聞こえた。だが今は、自分の言葉を優先させてもらう。
ミコトは怒りを抑えると、羞恥が湧き上がる。気まずさから、彼はアスティアに背を向け、小さくこぼした。
「だから……悪かった。独りで放り出して、怖かったよな。――でも、もう大丈夫だ」
背後でアスティアが、息を飲む音が聞こえた。その隣に、彼女の本当の護衛が付いた。
罪悪感が晴れたわけではないが、もう気にはならなくなった。――だから、最大で集中できる。
「遅いのよ、ったく」
レイラが安堵の溜息をこぼした。
彼女が火弾を打ち上げてくれなかったら、おそらく間に合わなかっただろう。ミコトは手を上げて感謝を示した。
さて、戦いだ。
「『不――』……だ」
視線の先に、ゆらりと幽鬼のように立ち上がる鱗族。
縦に割れた眼が、狂気と憤怒と殺意を以てミコトを睨んだ。
「『不公平』ォ! 『不公正』ェ! 『不平等』ォ――――ォォオ!! ェェェエァァァァァアアアアアアアアア!!」
「叫ぶなよ、みっともねえ」
狂言を叫び散らす鱗族に対して、ミコトは鬱陶しさを覚えるのみだ。
「均さなければならない! 平らに、等しく、正しく、当然にィ! ああ、しかし、神は無慈悲だ! どれほど『弱者』に救いを与えようと、『強者』になれない! 苦痛からの脱却は、許されない!」
「ンなことねえさ。弱くたって、強くなれる。俺は微妙だけど、なってやるさ」
ミコトが反論したが、もはや目の前の狂人に、言葉は通用しなかった。
意思疎通はなく、狂人はただただ叫ぶ。
「この俺は考えた。考え考えまくって考えに考え抜いて――そして、わかったんだ。すべての『弱者』が『強者』になれるわけじゃない。公平にはならない。だから――」
鱗族が宣言する。
自身の動機を、夢を、目的を。自身の存在がなんたるかを、宣言する。
「――すべての『強者』を蹴落とし、『弱者』とすれば! それは即ち、『公平』ということである! 天・啓・だァアッッッ――――!!」
「考えが浅いんだよ、アホたれ。癇癪起こしたガキかよ、見苦しいぜ」
彼我の距離は僅か。身体強化を施した今ならば、一歩で縮まる。
集中する。意識のすべてを、目の前の存在に向ける。
サーシャやレイラに暴力を振るい、アスティアを泣かせた存在。
疑いようもなく、疾くと打ち倒すべき、死なすべき敵。
研ぎ澄まされていく殺意。さらに鋭く、鋭利に、尖らせる。
『最適化』――心地よい頭痛が増していく。
「この俺こそが、救世主! 名・をォ! 《公平卿》ドラシヴァ!!」
「……あっそ」
次の瞬間、《公平狂》とミコトの距離が、ゼロとなる。
左肩を痛めたドラシヴァは、右腕しか使えない。
ミコトは右足を痛めため、左足しか使えない。
機動力という点において、圧倒的にミコトが不利だ。
だが、折れた足を無理やり動かせば、敵の懐に跳び込むのに十分。
「っぁああああ!」
膝がひどく痛い。もはや痺れて、熱を感じるほどに。
だが、足は止めない。痛覚は遠く、幻想と認識し、戦闘に特化された思考が現実を見つめる。
「ォォォオオオオオオ!」
伸ばされた右腕。片腕、それも負傷者の攻撃になど、当たってやるものか。
瞬時にしゃがみ込んだミコト。急激な行動変更にミコトの体が軋みを上げるが、成果はあった。
ドラシヴァの攻撃が空振って、大きな隙ができる。
ミコトはその隙間に跳び込んだ。
深く懐に入る。
ドラシヴァの膝蹴り。避けず、腹部に衝撃、狼狽えない。左腕で、ドラシヴァが膝蹴りした足を捕まえた。
身動きは封じた。ドラシヴァが右腕でエルボーを振り下ろす。背中に衝撃、耐える。
接近成功。
術式はスロットに用意済み。
準備は完了した。
そして。
ミコトはドラシヴァの腹部に、右の掌を向け、
「――『アルタ・イグース』」
強化術式が組み込まれた発炎魔術が発動する。
創造された灼熱の爆発が、ドラシヴァの姿を飲み込んだ。
すぐ目の前で、死闘が繰り広げられている――――。
「ご無事ですか、姫様」
自身を護衛を務める近衛騎士、リッター・シュヴァリエットの言葉に、アスティアは頷くことすらできなかった。
この戦いは、遊戯の観戦とはわけが違った。宮殿に住んでいては決して見られない、泥臭い戦いだった。
見る者にとっては、見苦しく映るかもしれない。
アスティアの価値観でも、綺麗とは思わなかった。
なのに、どうしてだろうか。
どうしてこんなにも、心が温かくなるのか。
――それはおそらく彼が、自分のために戦ってくれているからだ。
アスティアがこの国の王女だと知って。
それでも、会ったときと変わらない、ふざけた態度で接してくれた。
立場も地位も、全然違うのに。
それでも、独りでいたアスティアを、案じてくれたから。
だから、こんなにも嬉しくて、強い彼に憧れる――――。
超至近距離からの攻撃。加えてドラシヴァは疲労と負傷をしていた。
ミコトに足を掴まれていたため、吹き飛ばされることもない。それはつまり、衝撃のすべての受け切ったということ。
それでも、ドラシヴァは意識を失わなかった。
ドラシヴァは苦痛の絶叫を上げて、ミコトに噛み付こうとする。
「ガァァァアアアア!」
「らっアァァアアアアア!」
勢いよく迫る鱗族の顔面に対し、ミコトが武器にしたのは、同じく顔面。
打ち合わせる額。
ミコトの額から血が流れる。ドラシヴァが嗤う。人族と鱗族では身体強度が違った。
脳震盪を起こし、ぐらりと傾くミコトの体。
だが、特殊な体質はそれを覆す。
「ァ――ァァァアァ……!」
意識が覚醒。ドラシヴァの首を絞め、仰け反った体勢を戻す勢いで、もう一度頭を振り下ろす。
二度目の頭突き。今度は、油断していたドラシヴァが脳を揺らした。
体が揺れる。だが敵は気を失っていない。だから――三撃目。
「――――ッッッ!!」
声なき咆哮。再度打ち合う額。トドメの衝撃。
揺れる体。流れる血。力が抜け、抵抗がなくなった首。力なく垂れ下がった頭。
念のため首を強く絞めるが、反応はない。
手を放すと、ドラシヴァは地面に倒れ伏した。
――今度こそ、ドラシヴァは意識を飛ばしたのだ。
完全に勝利を確信した瞬間、ミコトは身体強化と『最適化』を切った。
戦闘特化の思考が晴れて、幻想に追いやっていた感覚が戻ってくる。
そして襲い迫るのは、自覚していなかった激痛だ。
「あだぁ! だっだだだだああああああだだっだだあだだあ……!!」
筋肉痛なんてものじゃない。体が内側にドライアイスを流し込まれたと錯覚するほどの、筋肉が焼かれるような激痛だ。
……あ、これ意識を失ったほうが楽だわ。
というわけで、ミコトは意識を手放した。
◇
「どこやねん」
目覚めたミコトが最初に見たのは、いやに質感がよさそうな、白い天井であった。
宿屋で見られる木材の天井とは違う。
いやしかし、この部屋の構造は、どこかで見た覚えが……
(そっか。ここ、エインルードの屋敷か)
納得したミコトは、体を起こそうとする。
そのとき、体中に激痛が迸った。
「ぐぅ、ぁア……!」
痛みに悶える中、どうしてこうなっているかを思い出す。
確か下層に出かけて、いろいろ会ったり遭ったりして、いつの間にやら戦ったのだった。
激痛は収まったが、未だ続く鈍痛がある。筋肉痛からちょっと逸脱したぐらいだ、問題ない。
窓に視線を向けると、まだ明るかった。いや……
あまり役立たない特殊体質『睡眠測定』によると、どうやら自分は一日中寝ていたらしい。
今は昼を少し過ぎたくらいか。
寝すぎと思わないでもないが、それだけ体がヤバかったということだろう。
『目覚まし』は残留思念が必要を感じない限り、発動しないのだから。
というか今回は逆に、寝ていろと言われた気がする。
暇だし魔術の修行でもしようかな、とミコトが魔力を精製してしばらくすると、部屋のドアが開いた。
そして入ってきたのは、サーシャとレイラだった。
うっかりしていたが、魔力感知に優れたサーシャが、ミコトの魔力に気付かないはずがないのである。
「起きたんだ、ミコト。体は大丈夫?」
「ああ、おはよ。治癒魔術をかけてくれたのって、サーシャで合ってるよな?」
あの激痛……体は内側からボロボロだったはずだ。
一日でここまで回復するとは思えない。となると、治癒魔術をかけてくれたのはサーシャだろう。
治癒術師として、サーシャは破格の才能を持つのだ。
「ふふん、まあね」
「そっかー、ありがとなー」
予測通り、サーシャが治してくれたらしい。
誇らしげなサーシャに、ミコトは和んだ。
「ごほん」
レイラのわざとらしい咳により、ミコトはレイラに意識を向けた。
「あの事件の顛末、聞く?」
「ぜひ頼む」
ミコトが頼むと、サーシャがミコトのベッドに座るのを横目に、レイラが説明を始めた――――。
まず、ミコトが気絶した直後のことだ。
リッターが遠話の魔道具『ノーフォン』を使用。パラシュを筆頭とする騎士たちが駆け付け、《公平狂》ドラシヴァを連行した。
リッターは「見通しが甘かった」と、サーシャたちやアスティアに謝罪した。
捜索メンバー全員が下層北区を甘く見ていて、そもそもアスティアが逃げ出さなければ発生しなかった話なので、仕方ないと思うが。
まあ、そんな同情で罷り通ることはないだろう。
責任問題がどうたらー、とリッターが去り際に言っていたそうだが……レイラの主観によると、本音はアスティアの無事を喜んでいたらしい。
去り際のこと。アスティアが礼を言った、その直後のやり取りだが……、
『あの姫様が頭を下げた!?!?!?』
『おいなんだその顔は。信じられんものを見たという眼差しは。裸で新城壁一周の刑に処すぞ』
……こんな感じで、思わずレイラは笑ってしまったらしい。
説明している今も笑いを抑えている。
「独りなんかじゃ、ないじゃない」
それはアスティアの慟哭を聞いていないミコトにとって、意味不明の発言だった。
「んで、そのあとは?」
「ええっと――」
リッターはレイラたちに、住所を尋ねたらしい。
今はごたごたしているが、すぐに謝礼する。もしかしたらシュヴァリエットだけに収まらず、王城に招待されるかも、とのこと。
それでレイラは、あまり隠すと逆に疑われると判断し、エインルードの屋敷に泊まらせてもらっていることを教えた。
リッターはかなり怪訝な表情をしたそうだが、こちらの事情に踏み込んでくることはなかった。
謝礼に関しても、サーシャとレイラは断っている。
おそらく行き場のない謝礼は、気絶していたミコトに集まると思われる。
「マジか。ヤだよ俺、アイツ嫌いだし」
「出会いが出会いだもんねぇ」
サーシャが同調するが、ミコトは首を横に振る。
「それはもういいんだよ、別に。無駄に警戒したことに関しちゃ、悪いと思ってるぐらいだ。けど、人として、絶対に合わない」
断言するミコトに、サーシャとレイラは溜め息をこぼした。
リッターはともかく、とミコトは別の話題を振る。
「で、アスティアはどうしてた?」
「それが、よくわかんないのよね。サーシャいわく……」
「ミコトはあの子に、もう一度会うべき」
「……らしいわよ」
ミコトは溜め息をこぼして、頭を掻こうとして激痛に悶えながら、
「……まあ、そのつもりだし」
説明のあと、レイラは椅子を出して魔術書を読み始めた。
サーシャは魔法陣を展開し、ミコトに治癒魔術をかけている。
もう夕方なのか暗くなってきたので、天井に取り付けられた魔道ランプを起動している。
青い光が舞い、温かな光が放出される。
断続的に続いていた疼痛の代わりに、力が抜けるような心地よさに包まれる。
ここで『温泉みたい』と思ってしまう自分は、ちょっと爺臭くなっているのかもしれない。
サーシャが魔力を使って疲労することはありえない。あったとしても、それは精神的なものであって、魔力的なものではない。
『操魔』――魔力を操る異能があれば、オドを使う必要などないのだ。だからこうも長時間、魔術を使い続けられる。
そう。この力があれば、オドを使う必要がない。だから、ミコトは彼女自身の魔力を見たことがない。
『だけれどしかし、魔力によって一カ所だけ、変化する部位がある』
――眼。
同時に、眼による判断は目安にすぎない、とも言われていたが……。
確かめる必要はありそうだ。
「なあサーシャ」
「ん、なに?」
「いや……」
訊こうとして、寸でのところで戸惑った。
もしこれで、サーシャの魔力が赤かったら。それはつまり、魔族であることの証左に他ならない。
瞳の色などよりも、決定的に。
そこまで危惧して、ミコトは自嘲した。
自分はいったい何を考えている。サーシャが魔族だなんて、ありえない。
ミコトは魔族を一度、見たことがある。
二カ月前。特級魔術を使おうとしていたサーシャを襲おうとした、とある《無霊の民》。その姿は異形だった。
それに対し、サーシャはどうだ。人間らしい美少女ではないか。ジェイドのような化け物であるはずがない。
それに、だ。
もしも仮に、サーシャが魔族だったとしても、だ。彼女は邪悪などではない。
変わらない。そう、何も変わらない。
だから、ミコトは戸惑いを振り払った。
そうだ。戸惑っていい結果を残したことなど、人生に一つもなかったのだ。
「ミコト?」
「ん……。ああ、いや。そういやサーシャのオドって、見たことなかったなー、ってさ」
「あ、そういえばそうかも。見たい?」
「興味はある」
サーシャは「ちょっと待っててねー」と治癒魔術を取り消す。
「そういえば、『操魔』を使ってばっかりだったなぁ」
そう言って、サーシャは目を閉じた。使い慣れていないらしく、戦闘では使えないような時間を必要とした。
しばらくして、サーシャは精製の糸口を掴んだ……が。
「あれ?」
「どした?」
「……ううん、なんでもないよ。気のせいみたい」
次の瞬間、サーシャの左手から魔力が溢れた。
その色は――青。
サーシャは紛うことなき人間である。
ミコトはサーシャにすらばれないよう、そっと安堵した。
「精製が長くて、戦闘には使えそうもないなぁ」
「あはは、だね」
会話を終えたそのとき、ドアがノックされた。
レイラが魔術書を読むのをやめ、ドアを開ける。そこにはエインルードの使用人がいた。
「お食事のご用意ができました」
「ありがとうございます。すぐ向かいますね」
レイラの敬語に違和感を覚えるのは、普段から罵倒されてばかりだからだろうか。
というミコトの内心に気付くはずもなく、レイラは食堂に行こうと言う。
「ちょい待ち。俺ももうちょいで起き上が……ぉおおおおおおおおお!」
体中が軋むように痛い。筋が引き攣るような感覚。
長時間治癒魔術を浴びてこれなのだから、本当の本気で死にかけていたのかもしれない。
さすがに一〇メートル落下からの踵落とし、さらにその後の無理した戦闘は、無理があったか。
「だ、大丈夫、ミコト? あとで夕食運んでくるよ?」
「いんや、行く! 思い出したけど俺、昨日からなんも食ってないんやぁぁぁぁぁ――トイレ行きたい!」
キリキリと膀胱が軋む。待って、駄目や、思い出したらアカン奴やった。
苦悶に表情を歪ませるミコトに、サーシャがお姉さんぶった顔付きで、
「しょうがないなぁ、ミコトは。ほら、背負ってあげるから」
「いやいや一人で行け……あっ、ちょいなんで足を持って……ぁぁぁぁぁああ引きずってる引きずってる!」
結局、一人で立って歩いた。無駄に疲れた……。
男の排泄行為はささっと終えて、ミコトたちは食堂に着く。
そこに待っていたのは、壁のそばに控える使用人たちや、料理を運んでいるチャングを始めとする料理人たちと、エインルード家の当主ヴィストーク。
そして、フリージスとリース、グランの姿と……。……?
テーブルに座る、見慣れない人物がいた。
灰色の髪と黄色の瞳を持った《無霊の民》。中性的な顔立ちの少女だ。
目の前の料理に困惑と遠慮を覚えながらも、食べたくて仕方がないと言わんばかりに、口から涎を垂らしている。拭うときに八重歯が見えた。
見慣れない、しかしどこかで見たことがある、この既視感。
決定的なのは、彼女の首に残った首輪の痕。元奴隷の証だった。
と、ミコトが彼女の正体に気付いたそのとき、少女と目が合った。
驚き目を見開く少女の口から飛び出すのは、聞き覚えのある刺々しい言葉。
「――あんときのムカつく奴!」
「思い出したぜ、ルカ・ラカ・ムレイ!」
「逆ぅ! ラカ・ルカ・ムレイ!」
このような感じで、二人は奇妙な再開を果たしたのだった。