第七話 食い違う価値観
探索に乗り出したリッターとミコトであったが、案の定と言ったところか。まったく会話がない。
お互いに友好的でないのだから、当然のことではあった。むしろリッターは警戒していた。
ミコト・クロミヤ。
白髪混じりの黒髪をした、ふざけた雰囲気を漂わせる少年。
サーシャとレイラの仲間らしいが……。
リッターは廃屋となった倉庫での戦闘を思い返した。
殺意に染まった瞳。素人臭さを凌駕する直感力と直観力。
屋根が落ちてきたにも関わらず、確実にリッターを殺害しようとした凶行。
あれは、自分の命さえ物事の勘定に入れている者の目だ。
歪んでいる。
「なあ、君」
「……ぁ、ああ?」
リッターから切り出した。
唐突に話しかけられたからか、ミコトは一拍遅れて返事した。
「んだよ?」
「君、平民だろう? サーシャさんやレイラさんもそうだが、魔術を使えるんだな」
「平民だって魔術くらい使えるだろうに」
確かに平民にも、生活級くらいなら使える者もいる。だが初級を身に付けるには、才能と長い修行が必要だ。
魔術の習得には、学校に通わせたり、家庭教師を雇っても届かないこともあるのだ。
「高水準で、だよ。いや、初級で高水準と言うのはおこがましいが、平民の水準ではない。……いったい、どこで魔術を習った?」
さて、彼はどう答えるか。
ミコト・クロミヤは疑わしい。この少年の根本は、表で生きていいモノではない。
真実を語るかは知らない。それが嘘にしろ、サーシャとレイラに確認を取ればいい。口裏合わせの時間も与えない。
「囚人のジレンマ、みたいなもんか……」
「なんだそれは?」
「いや別に」
ミコトは数秒頭を悩ませる仕草を見せた。
答え方を悩んだか、伝える言葉を纏めているだけか、それともブラフか。
「実は仲間に魔術師がいてさ。そいつにいろいろ習ってんだ。サーシャとレイラは知らんけど。あのメンバーじゃ俺、新参者だし」
今の言葉から推測すると、ミコトの仲間にはサーシャとレイラのほかに、魔術師がいるらしい。
その者に教わったというなら……。素人が今の実力に育つまで、いくら天才だとしても五年は必要だから……、
「新参と言っても、もう何年も一緒なんだろ?」
「……は? ぇっと、なんで?」
ミコトは動揺した素振りを見せた。思わぬ言葉を聞いた、といった風だ。
「図星か」
「いや、大外れだけど。なんで年単位なんだ。月単位だよ」
「四〇カ月とか」
一年八カ月のこの世界では、四〇カ月とは五年のことである。
「意味わかんねえし。二カ月だよ」
リッターは眉根を寄せた。
二カ月であの実力だと? ふざけるのも大概にしろ。
「……では、以前から魔術の基礎を教わっていたとか」
「少なくとも、平民の水準は軽く下回ってたなぁ」
「馬鹿な……」
ありえない。
たったの二カ月で初級を使いこなすなど、絶対にありえない。
「――そんな馬鹿なことがあり得るか!」
それができるとすれば、それは才能などではなく、異端だ。
リッターが二一年の人生で培ってきた常識は、その異常を拒んだ。
ミコトから、うんざりしたような目を向けられた。
「才能だよ才能」
次の瞬間、ミコトから魔力の発露を感じ取った。
生命力が魔力へと精製され、世界へと放出されていく。
リッターは魔力が見えないが、感じることはできる。
あまりに高濃度な生命の気配に、人酔いに近い酩酊感を覚えた。
「なる、ほどな……。これは確かに、努力では身につかない」
「納得してもらえたか?」
「ああ、わかった」
二カ月というのが、本当のところどうなのかはわからない。
だが、これだけは言える。
魔術の才。精神性。その一つ一つを切り取っても、ハッキリと。
――ミコト・クロミヤは化け物だ。
リッターから話を切り出されたのを切っ掛けに、もう少し話してみるか、とミコトは考えた。
リッター・シュヴァリエット。
亜麻色の髪をした好青年で、規律正しそうな衣服を着込んでいる。
先ほどのやり取りで、彼は動揺していた。
それがどんな理由から来るものかは知らない。
それでも先の会話後、彼の手が剣の柄を握っていることを見れば、警戒されているのは一目瞭然であった。
先の会話から続く態度から、この青年は常識外への対応力が低いことはわかった。
ならば、突くなら今だ。相手の言葉の矛盾から情報を引き出す。
……そう、ミコトもまた、リッターを警戒していた。
あのときアスティアからは、彼が護衛であると聞かなかった。彼がアスティアの護衛であるという保証は、まったくないのだ。
この男は、本当は犯罪者かもしれない。
そう考えれば、アスティアが怯えたことも説明がつく。
服装が規律正しいから貴族の騎士? 服など、用意すればいいだけの話だ。
身分詐称の方法なんて、異世界の裏社会事情に疎いミコトが想像できるよりも多く、たくさん転がっているに違いない。
「なあ」
「……なんだ?」
リッターが目を鋭くさせた。警戒と牽制だ。
だが、これをミコトは無視する。
「お前も貴族なんだろ? 俺は平民だしさ、上の人らのことってあんまり知らねえんだ。貴族ってどんなもんか、教えてくれよ」
「……一概に貴族といっても、爵位によって裕福の差はある。シュヴァリエットは伯爵家だから、その水準かつ話しても問題ないことしか教えられないが」
答える内容を限定したのは予防線か、ただ真面目に対応しただけか。
「さあ、質問するといい」
さて、では何から訊くか。
こうやって質問するところまで持ち込めたものの、正体の見抜き方などわからない。
もう少し貴族について詳しければ、そこから矛盾を探せるのだが。
とにかく、当たり障りないことから訊いていくことにする。
「使用人とか、どんだけいるんだ?」
「屋敷の管理や、家事に必要な分だけだな」
なるほど。その点は、エインルードの屋敷でも変わらないように思える。
「料理のレベルってどれくらい?」
「口で説明するのは難しい。平民の料理を口する機会がないから、どう差があるとは答えられない。一般的な意見から言わせてもらうと、栄養があって美味しいのだろうな」
当たり障りのない返し方だが、事実だ。
宿屋の食堂での食事は、確かに物足りないところがある。それに比べて、エインルードの屋敷で出された料理の、なんと美味しいことか。
サーシャという料理神さえいなければ、瞬時に頷いているところであった。
「家族の料理が食べたいとか、思わないのか? 母親の手料理とかさ」
その質問をした瞬間、リッターの瞳に静かな怒りが宿ったのがわかった。その対象はミコトではなく、ここにいない誰かに向けられていた。
彼は眉根を寄せ、不機嫌そうに断言する。
「――ありえない」
直後、リッターは我を取り戻した。
「……いや、家族の料理なら、いつでも食べている。自分にとっては、使用人も立派な家族なのだからな」
取り繕うように苦笑しているリッターからは、もう怒りは窺えない。先ほどまであった動揺すらない。
感情の乱れを自覚したとき、瞬時に平静に戻れるタチか、外面を取り繕えるタチか。
どちらかは知らないが、相手の心理状態の把握を視覚に頼っているミコトにとっては、非常に厄介な相手であった。
ミコトが内心で舌打ちした。
そのとき、リッターが口を開き、
「一度、妻たちの料理を食べてみたいとは思うが、難しいだろうな」
妻……たち。
――それはミコトにとって、聞き逃せない言葉だった。
「おい、ちょっと待て」
「ん? ……ああ。爵位が高い貴族は、基本的に家事を使用人に任せるから、料理を習うことはない。彼女たちも例に漏れず――」
「――そういうことじゃ、ねえよ」
なんと言った、こいつは。
妻、たち。
彼女、たち。
それはつまり、
「重婚、ってことかよ」
吐き捨てるようなミコトの言葉に、リッターの目が微かに細くなった。
雰囲気こそ変わらなかったが、それは苛立った仕草だ。
「印象の悪い言葉を使うな。爵位の高い貴族なら、一夫多妻は当然のこと」
「当然とか、それが当たり前みたいな顔しやがって。テメェは躊躇なく愛情を割いちまうのかよ」
「躊躇がないわけがないだろう。だが、それが貴族だ。自由婚は認められない」
食い違う主張。
お互いに歩み寄る姿勢を見せない中、ミコトだけがヒートアップする。
「愛してもいない奴と結ばれるのか。たいそー誠実な騎士サマだこって」
「好いた人と結ばれるのではない。結ばれた人を愛すのだ」
精一杯に込めた皮肉は、もっともらしい言葉で反論される。
愛する人と結ばれる。それが正しいはずなのに、リッターの言葉には別種の正しさがあった。
「……っ! それでも、結局別の奴とも結ばれて……。――愛が割れたら、壊れるんだよ!」
思い出してしまう。
平和で幸せな日々を裏返したような、孤独感にまみれた暗鬱な日常を。
あんな間違いはもう嫌だと、心が軋みを鳴らして叫ぶのだ。
それでも、ミコトが語るそれは、ミコトだけの価値観で。
異なる価値観を持つリッターに、それは通用しない。
「愛は割るのではない。同じく愛情を注ぐのだ。それが、器量が広いということだ」
ここでようやくミコトは、熱くなっていた自分自身を自覚した。
まだ言い足りない。リッターの主張を捻じ曲げるまで言葉は尽きないだろう。武力行使に出る可能性すらあった。
「……もう、いい」
熱された感情は、リッターの平静の目を見て冷めた。
だから、もう何も言わない。価値観が違うのだ、何を言い合おうがわかり合えるはずがない。
そもそも、会話する必要もなかった。
この男は嫌いだ。初対面から今の今まで、いい印象など抱いたこともない。
信頼できないし、信用もできない。
ミコトが黙し、路地裏に静寂が舞い降りた。
静寂の中、二人の足音だけが響く。
「君の考えは……」
リッターが静かに、戸惑いがちに何かを言おうとする。その声は小さくて、独り言のようだった。
だが、ミコトは無視だ。視線を向けることさえしない。
「……いや、なんでもない」
ミコトの態度に気後れしたわけではないだろう。自分の中で、何かしらの決心が付かなかっただけかもしれない。
なんにしろ、ミコトが関わる義理など存在しない。
相反し合う二人は、ともに無言で歩みを進める。
◇
「リッターさん!」
その声が聞こえたのは、ミコトとリッターの会話が完全に切れて、ほんの数分後のことだった。
路地裏の向こうから、二人の人物が現れた。
先に視線が行ったのは、黒い修道服で身を包み、涙を象った水色のネックレスを首にかけた、紺色の髪の女性だ。
珍しい服装だったので、思わずまじまじと見てしまった。
もう一人はオッドアイが特徴的な青年だ。
服装はリッターのものと似ていたが、刺繍が少ない。等級が低いのだと、見ただけでわかった。
「パラシュか。こんなところで……いや、その目はどうした?」
リッターが、青年――パラシュの目を見て、訝しげに訊いた。
その口振りからすると、彼は元々オッドアイでなかったように聞こえるが……。
「ええ。それを含めて、ここに来た目的は二つありましてね。その一つを果たせたんですよ」
機嫌がよさそうに、パラシュは「紹介します」と、女性に意識を集める。
「こちら、バッサさんです。彼女に腕のいい治癒術師を紹介してもらって、ついさっき診てもらったんです。そしたらですね、治っちゃいまして」
紹介された女性――バッサは、軽く頭を下げた。
どうしてだろう。全然似ていないはずなのに、リースと似た何かを感じた。
注視したが、どういうわけか『歳当て』ができない。見た目だけなら二〇代前に見えるのだが。
「ほう、それはよかったじゃないか」
「ええ、本当ですよ。本当、左目が治ってよかった。それもこれも、バッサさんのおかげです」
パラシュが頭を下げると、バッサは遠慮する。
「いえいえ、騎士様。バッサはただ、治癒術師を紹介しただけですから。もう一人の騎士様も、何かあればいらっしゃってください。そこの少年も」
「……眼球を引き抜かれるような事態に陥ったときは、紹介してください」
眼球を引き抜かれる。リッターの発言は、パラシュを差して言っているのだろう。パラシュは頬を引き攣らせていた。
リッターの生々しいセリフにミコトも言葉が出なかったが、すぐに我を取り戻して、バッサに返す。
「気遣いどうもです。でも、大丈夫ですよ。仲間に治癒術師がいますし、それに……いや、なんでもないです」
――たとえ腕が欠損しようとも、死ねば治るし。
そのセリフは、寸でのところで飲み込んだ。
「……それで、リッターさんはどうしてここに?」
「あ、いやそれは……、――っ! そ、そう、案内だ案内!」
名案を閃いたというように、リッターがミコトの肩を掴んで前へ押し出した。
言いたいことはわかったから、素直に従っておく。とりあえず手は払い落とした。
「この少年が迷子になっていてな。大通りに案内していたところだ」
「どーも、迷子です」
ミコトは力なく挨拶した。
すると、パラシュは安堵の表情になる。
「そうですか、気を付けてくださいね。ついこの間、《公平狂》ドラシヴァが下層北区に現れたそうですから」
「――な、なにぃ!?」
《公平狂》とやらの名を聞くと、リッターが悲痛な悲鳴を上げた。
「それは本当か?」
「はい。それが自分がここに来た、もう一つの目的で……」
パラシュのセリフを最後まで聞き届ける前に、リッターがミコトの手を掴み、路地裏の奥へと駆け出した。
突然のことに、この場にいた者たちは驚くのみ。三者の動揺を無視して、リッターは足を速めた。
パラシュとバッサの二人は追ってこない。
「突然どうしたんだよ、テメェ!」
我を取り戻したミコトが問い詰める。リッターは手を放し、走りながらミコトへ尋ね返す。
「《公平狂》の名に聞き覚えがないのか?」
「なんだよそれ、知んねえよ」
「物知らずめっ!」
「突然口が荒くなったなぁ騎士サマ!?」
ミコトの罵倒に返す余裕もないほど焦燥しているリッターが、軽い説明を始めた。
「《公平狂》ドラシヴァ。人類すべてを平等にしようっていう狂人だ」
「平等……。慈善家か? なんでそんな慌てるんだよ?」
「本当に慈善だったらな!」
リッターは苛立った口調で吐き捨てた。
憎々しい。そんな感情が、ハッキリと窺えた。
「パラシュはドラシヴァを追っていた。ついに発見したとき、奴は近くに隻眼の者がいるという理由で、パラシュの左目を捥いだ!」
「な……!?」
「そんな奴が、姫様に目を付けないはずがない!」
ようやくリッターが慌てていた理由がわかった。
事態は予想より深刻だ。ミコトとリッターは、魔術を用いて建物の屋根に登る。
「アスティア――――!!」
ミコトの呼び声が、下層北区に広がった。
「これは、あいつの声か……?」
下層北区で、アスティア・アルフェリアが路地裏から空を見上げる。
独りだった。いつも通りだった。近くには誰もいなかった。誰も自分を見てくれなかった。
「ここだ……。妾は、ここに……」
彼女は声がしたほうへと向かう。
誰かを求めて。王族とか貴族とか、そんな括りを超えて、アスティア・アルフェリアを見てくれる何者かを探して。
――その背後に、狂人が舞い降りた。
「ハッ――ケェンぅ!」
「ぇ……」
次の瞬間、アスティアは強打を背に食らい、壁に叩き付けられた。