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第六話 勘違って戦闘

 ここは下層北区。

 立ち並ぶ建物の屋根を、ミコトは少女一人背負って駆け抜ける。


 なぜこんなことをしているのか。

 アスティアをストーカーから守ってやろうと思った。それだけだ。


 それだけなのに、ストーカーは思っていたより、遥かに強かった。

 だから今もこうして逃げ続けている。予定では、とっくに撒いたはずだったのだ。


(ちょっと人助けしようと思ったらこれだよ!)


 もしかしたら自分は、この世界の神様に嫌われているのだろうか。

 異世界人で、本来の住人ではないから、こんな仕打ちをするのだろうか。

 シェオロードの畜生がっ!


「おい、貴様」


「ああ、なんだこんなときに?」


「そのだな。実は、な。あの男は……」


 アスティアが口ごもりながらも、何かを伝えようとしている。

 ミコトは耳を済ませながら、隣の建物へと跳び、


 ――ギッビシィ!

 と、屋根が崩れた。


 ああ、本当に俺は嫌われているんだな。

 ミコトはそう思った。その直後、板材とともに落下する。


 なんとか体勢を立て直し、二階の床に着地する。

 そのつもりで足に力を入れたが……。視線を下に向け、ミコトは目を見開いた。


 床がなかった。階段もなかった。そう、二階がなかった。吹き抜けだった。

 二階の床という中間地点もなく、ミコトは一階まで落下する。

 一人なら受け身を取ればいいが、アスティアがいる。


 一〇メートル近い距離も、落下すればすぐに縮まる。

 状況把握に割かれ、残り七メートル。


 判断は一瞬だ。

『最適化』による頭痛が、ミコトの可能性を引き出す。


「――『アクエスト』!」


 それはミコトが見た、初めての魔術。

 創造系統・水属性・初級。水弾魔術『アクエスト』。


 ただしこれは、射出を目的としたものではない。

 球状になって、クッションとするための、守りの魔術だ。


 残り三メートル。

 ミコトとアスティアは、突如として現れた水球に追突した。


 勢いが殺され、完全に落下が停止したところで、ミコトは魔術を解除した。包んでいた水がすべて消失する。

 ミコトたちは無事、一階に降り立った。辺りを見回すと、ここが使われなくなくなった倉庫だとわかった。


「び、ビビるわクソッタレ! おいアスティア、大丈夫か!?」


「…………」


 返事がない。驚きすぎて言葉が出ないらしい。


「ええい、起きてもらわにゃ困るぞ! 立て、立つんだ、そんでもってあの窓から逃げろ」


「ぁ……ぁ、ぁ……」


 揺すっても正気に戻らない。一人で動く気配もなかった。

 仕方ないので、扉とは反対側の窓から放り出した。


 その瞬間、バン! と扉が開け放たれる……ことはなく、粉砕された。

 ストーカーに追いつかれた。


「(いいか、逃げとけよ! じゃなきゃ私刑とか受けてやんないから! 元々受ける気ないけど!!)」


 小声で聞かせたあと、目の前の男と対峙する。

 改めて観察すると、よりわかる。この男は強い。自分よりもずっと。

 ストーカーのくせに。


「どこへ、やった……」


「ハン! 誰がお前みたいなスト――」


 最後まで言い切ることはできなかった。

 風を纏った男が、すぐ目の前で剣を振り上げていたからだ。


(速い――けど、グランのほうが速い!)


 二か月前なら対処できなかっただろう。

 だが。

 グランと格闘の鍛錬をしているミコトの動体視力は、この世界に来たときよりも、ずっと強化されている。


 ただし、グランは剣を使わなかった。武器への対処方法を、ミコトはまだわかっていない。

 だから、ここは身体能力と直感任せだ。


「すぅ――」


 感情、視線の向き、足の位置、腰の回し、腕の動き、手の形から、剣の軌道が首を刎ねると読み取り。

 剣の初動を確認した瞬間、ミコトは回避の体勢に入る。直撃の直前、倒れるように沈み込んだ。


 ここから先はいつもの、まともじゃない不意打ち技。

 ハンドスプリングと震脚の要領で、男の顎に蹴りを放った。


「ら、ァア!」


「くっ……」


 男は苦しげな顔をしたものの、ギリギリで避けた。

 ミコトはハンドスプリングを終え着地すると、距離を離して魔法陣を展開する。


「『イグニスト』っ!」


 詠唱直後、火鼠の皮手袋を嵌めた右手から、火弾が射出された。

 轟と唸り、男目掛けて飛んでいく。だが、


「『アクエスト』」


 男の掌から射出された水弾が、火弾と衝突する。火弾は呆気なく打ち砕かれ、水弾がミコトへと迫る。

 水弾を避けると同時に鳴り響いた警邏に従い、ミコトは横っ飛びに転がった。水弾が方向を変えてミコトの頭上を通り過ぎたのは、その直後のことであった。


 水弾が廃屋の壁にぶつかる。老朽化が進んでいた倉庫は、屋根に穴が開いたのに加え、支えていた壁が崩れたことで、屋根が完全に崩壊する。

 次々と落下してくる大小さまざまな板材。ミコトと男に逃げ場はない。


 ――――。


 ――――。


 ――――。


「問題ない」


 そう、問題ない。なんの問題もない。

 怪我を負うかもしれない。最悪、死の可能性だってある。


 ――だからどうした?


 死んでも問題ない。この身は生き返るのだから、幾ら死のうが目的を達成すれば勝ちだ。

 戦闘続行。今、男は呆然としている。不意を突くのに絶好だ。

 敵は す。


(    )


 無心に研ぎ澄ませる。『頭痛』がするのに、痛みは消えていく。


(――『アクアーム』)


 水器魔術『アクアーム』。行使中に形状指定を変えることで、変幻自在に姿を変える武器。

 無言による詠唱。無詠唱魔術による世界改変の結果が、右手に顕現されようとし、


 ――二つの詠唱が聞こえたのは、そんなときだった。


「『ヴィル・アクエスト』――!」


「『ヴィル・エアリスト』……!」


 落下中だった板材が、数多の水弾と風弾によって弾き飛ばされた。

 ミコトと男は、無事なまま終わった。


 聞き覚えのある声だった。

 魔術の軌道から術者の居場所を察知して見てみると、そこには二人の少女がいた。サーシャとレイラだ。


 そこでようやくミコトは、ひどい『頭痛』を自覚した。いつの間にか、『最適化』を強化していた。

 だが、もう必要ない。二人が仲間に加えれば、勝ち戦は間違いない。


 ミコトは救援を呼んだ。


「そこのストーカーをぶっ飛ばしてくれ!」「そこの誘拐犯をぶちのめしてください!」


 …………。


 …………。


 …………。


「「…………は?」」


 視界の端で、レイラが頭を抱えて溜め息をこぼしていた。






「……つまり、こういうことか?」


 サーシャとレイラから聞かされた話を纏め、目からハイライトを消したミコトはぼやくように、


「アスティアは貴族で、そこのリッターとかいう奴はその護衛。アイツがかぶっていた紙袋を取った俺は、リッターからは被せようとしているように見えて、誘拐犯と判断される。こいつをストーカーと勘違いした俺は、間抜けにも大逃走劇を始めてしまった」


 と言ったところで、少しの疑問。


「俺が勘違いしたのって、アスティアが怯えていたからなんだけど。護衛ってんなら、怯える要素なんかねえだろ」


「自分が怒鳴ったせいだろう。あの方は臆病で甘えん坊なところがあるから、つい近くにいた君に頼ったのだ。……自分が信頼されていない、というのもあるのだろうな」


 少し思い返してみる。知り合いとは言え、あのような狂乱した姿を見れば、誰だって怯えるだろう。

 リッターは後悔の表情を浮かべ、深い溜め息をこぼして、サーシャとレイラに頭を下げた。


「二人とも、本当に申し訳ありません」


「い、いいよいいよ。気にしないで」


 ミコトへの態度とは違い、サーシャとレイラに対しては敬語だった。

 リッターの仕草からは、ミコトへの敵意を感じられないが、隠しているのかもしれない。それとも、女性に対しては優しいだけか。

 どちらでもいい。こっちも仲良くするつもりはない。


「まあ、なるほど。だいたいわかった」


 サーシャとレイラが追ってきたのは、ミコトとリッターの両者を心配してのことだろう。

 間抜けな勘違いをしたまま殺し合いなど、あまりに不毛すぎる。


「それで、ひ……アスティア様はどこに?」


「ああ、そこの窓から逃がした」


 一応確認してみたが、どこかに行ってしまったらしい。狭い路地裏には、人ひとり見当たらない。

 肩を竦めるしかない。


「また……また、振り出しか。ふりだしかぁ……!!」


 再び発狂し始めたリッターは、一発殴って正気に戻しておく。どんだけ正気度少ねえんだ。


「まっ、乗りかかった船だ。手伝ってやるよ」


 別にリッターのためではない。罪悪感以外の理由だってある。


「櫂で漕いだのはアンタでしょうが」


 レイラのツッコミに、ミコトは言い返せない。無視することに努める。


「そいじゃ皆さん、探しましょうぜ。んじゃ、二人一組な」


 リッターは護衛対象を守るため。

 サーシャは生来の人格から。

 レイラは問題を起こさないため。

 そしてミコトは、なぜか気になるアスティアの様子の理由を突き止めるために。……そういえば名前を教えていないから、それも加える。


 そんなこんなで、四人は捜索を始めることとなる。

 ちなみに組み方は、サーシャとレイラ。ミコトとリッターといった感じだ。


 ミコトはレイラから遠話の魔道具『ノーフォン』を借り受けながら、面倒なことになったもんだ、と頭を悩ませていた。

 半分近く自分のせいだと理解していても、そう思わずにはいられなかった。


「……もう隠せないだろうから、伝えておきます」


 別れる直前、リッターが全員を呼び止めた。


「大切なことです。心して聞いてほしい」


 何かに気付いたレイラが耳を閉ざそうとするが、もう遅い。

 彼はひどく躊躇していたが、やがて決心を決めて、告げた。


「アスティア様……。姫様の名は、アスティア・アルフェリア」


 彼は、決定的な真実を告白する。


「――アルフェリア王国の……王女だ」


 長い、長い沈黙。


 レイラは白目を剥き。

 サーシャは目を瞬かせ。

 ミコトは溜め息を吐いた。


 誰も、何も喋らなかった。




 探し人が王女と発覚したことで、彼らは今回の件を重く見ているつもりだったが、それでもまだ足りなかった。

 世間知らずのサーシャやレイラ、貴族で下層の事情に明るくないリッターや、異世界人であるミコト。


 下層北区の事情を知らないがゆえに彼らは、楽観視していたのだ。



     ◇



 暗い路地裏を歩む人物がいた。

 シニヨンに結ったプラチナブロンドの髪と青い瞳の、まだ顔立ちに幼さを残した少女だった。

 服装は見るからに高級品で、一目で貴族とわかる。


「ここは、どこだ……?」


 その少女とはアスティアのことであった。

 自信満々で高慢そうな目は、今は不安で揺れている。


 悪寒がして、アスティアは自分の肩を抱いた。

 路地裏は日が当たらないが、夏というだけあって、決して寒いわけではない。

 ……寒くないはずなのに、こんなにも寒い。


「だ、誰か、いないのか……?」


 そばには誰もいない。外出の際に付けられた護衛は、処理し切れない命令を出して隙を作り、撒いてしまった。

 周囲の貴族がおべっかばかりの連中に見えて、一緒にいたくなかったのだ。そばに誰かがいたら、気分転換のための外出も気が滅入る。


 先ほどまで一緒にいた平民もいない。我武者羅に逃げ出した先で出会った彼とは、アスティアを逃がしてはぐれた。

 ふざけた言葉の数々は苛立ったが、同時に楽しいとも感じていた。家族以外との会話で楽しみを覚えたのは、いつ以来だろうか。

 思えば、あんなにも気安くを悪態を交し合えたのは初めてのことだ。


 冷静な今だからこそ思えることだが、自分も残って弁明すべきだった。この男は誘拐犯などではない、と。

 しかし、戻ろうにも帰り道がわからない。無事だといいのだが。


「ふ、ふん! もし無事だったら、護衛にでもしてやろうではないか! 魔術もできたし、何より緊急時の機転が早い!」


 ……まだ名前を聞いていない。


(寒いな……)


 そう感じてしまうのは、路地裏を駆け抜けた風のせいではなく。

 きっと、独りぼっちだから。


 と、そのとき、視線の先に光が見えた。

 目を細めれば、人が行き交う様子が映る。


 人がいる。まともな道に出られる。

 アスティアは駆け出した。久しぶりの長距離移動で足は棒のようになっていたが、彼女は走った。


 ――そして、ようやく狭い路地裏から抜け出した。


 荒い息を繰り返し、アスティアは息を整える。体中から汗が出てきて、服が体に張り付いて気持ち悪い。額の汗を拭うとシニヨンが崩れてしまった。

 アスティアが苛立って髪を整えようとした。そんなときに、声がかけられた。


「おい、貴族のお嬢ちゃんがなんでこんなところにいる?」


 アスティアの目の前に立っていたのは、二人組の男たちだった。

 男の一人はアスティアの服装に目をやると、「ケッ」と地面に唾を吐き捨てた。


「貴族のぼんぼんってのは、どいつもこいつも高そうなモン身に着けやがって」


「なんだ貴様ら……」


「テメェこそなんだよ。ここは貴族が来るような場所じゃぁねえぞ」


 アスティアが辺りを見渡す。

 辺りには目の前の男たちと同じような、明らかに堅気ではない者たちで溢れ返っていた。


 道端には葉巻を吸う女が転がって、気色悪い笑みを浮かべていた。

 いや、あれは本当に葉巻だろうか。ただの葉巻にしては、彼女はあまりに恍惚に浸りすぎている。よく見れば、目の下には深い隈があった。


 明らかに異常で、危ないところだ。

 ここにいてはいけない。彼女の中の直感が警邏を鳴らす。


「あ、そうだ。いいことかんがーえたっ」


 突如目の前にいた男が、厳つい顔に似合わない子供のような笑みを浮かべる。

 彼の目の下には、葉巻を吸う女と同じような、深い隈があった。


「このお嬢ちゃんを攫っちまってよォ、身代金ふんだくればぁ! あれの金も払えるんじゃねえかぁ!?」


「いや、そんなことをしたら、騎士団に潰される」


「じゃあどうすんだよ! このままじゃ金が……!」


「まぁ待て。俺にいい考えがある」


 何を言っているのか、わからない。

 けれど、何か恐ろしいことが起きようとしていることはわかった。

 男が、口を開く。


「こいつに一度、クスリを使う」


「お、おい! そんなことすりゃ、俺たちの分がなくなっちまうじゃねえか!」


「待て待て、喋らせろ。……んで、クスリの味を占めたお嬢ちゃんは、ここに足繁く通うようになる。俺たちは元値を遥かに上回る額を、こいつから頂く――っていう寸法よ」


「サイコーだぜぇそれでイこぉ!」


 駄目だ。ここから逃げなければ、大変なことになる。

 アスティアは恐怖に駆られ、男の腹部にドロップキックをかましたあと、再び路地裏へと飛び込んだ。


「俺たちの金づるだ、逃がさねえぞ!」


「待ァてやオラこらクソ貴族ぅ!」


 背後から追っ手が迫る。振り向くと、汚れた手がすぐそばに近付いていた。

 絶望が脳裏を支配する。恐怖で泣き出しそうになり、


 けれど、絶望の手が届くことはなかった。

 追っ手はいつの間にか消えていた。しかアスティアが気付くことはなく、彼女は暗闇の中、走り続けた。






 絶望の手が少女を捕らえる――その直前、赤い男が遮った。


「通りすがりで事情は知らんが、見過ごせんな」


 それは、赤い外套を纏った獣族であった。

 二メートルを超える体躯、赤い髪、赤みを帯びたブラウンの瞳。赤に包まれた男が、二人組の前に立ち塞がる。


「鍛冶屋の帰りに、このような場面に出くわすとは……、――運がいい」


 男――グラン・ガーネットは拳を構え、敵を睨む。


「――ここで、悲劇を食い止められた」




 二人組を倒して振り向いて、ようやくグランは少女がいないことに気付き、しばし困惑するのであった。

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