第五話 不運な巡り合わせ
「あ、アレがいいんじゃない?」
「ん、どれのこと? ……って、ビワ?」
「いい味出るんじゃない? でしょ!」
「ビワ、わたしも好きだけど。…………ホワイトケーキには合わないんじゃないかなぁ」
王都アルフォード、下層西区。
商人の出入りが多く、屋台が立ち並ぶ大通りは、前後左右を見回しても人、人、人。とかく人で溢れ返っていた。
そんな大通りを、民衆の隙間を縫うように歩む、二人の人物がいた。
一人は、フードを目深に被った小柄な少女だ。フードの隙間から銀髪が見えるが、目だけは徹底的に晒さない。
彼女の名は、サーシャ・セレナイトといった。
もう一人は、亜麻色の髪と緑の瞳を持つ少女。
名前はレイラ・セレナイト。先に挙げた少女の姉である。
彼女らは屋台を見て回り、ケーキの材料を探していた。
「ビワ、美味しいじゃない……」
「やっぱりここは定番、ベリーの一択だよ」
そこまで言われると言い返したくなるのが、人間というもの。
勝算ならある。
レイラの構想(妄想)においてビワケーキは、それはもうとんでもなく美味だからだ!
「わかってないわねサーシャ。料理っていうのは、いかに特徴的なものを作れるかにかかってくるのよ」
「そういうこと言うなら、せめて我慢して食べなくてもいいようなものを作ってね」
「ぐ、ぬぬぬ……」
完全論破された。最近少し、毒舌になってきた気がする。
サーシャの料理スキルを一般的とするならば、レイラのは毒物作成と同義だ。
実際のところ、サーシャは城に仕えても問題ないほど料理が上手い。身内贔屓の分を引いても間違いなく。
サーシャが作成拒否したビワケーキだって、彼女が作れば絶品になっていただろう。
(……そう、そうだったのね)
レイラはそのとき、気付いた。どうして自分が、料理ができないのかを。
サーシャだ。
どんな食材でも美味にしてしまうサーシャがいたから、レイラの料理スキルは低いのだ。
昔、食うに困っていたところ、レイラは何か知らない幼虫を取ってきたことがある。
するとサーシャは、レイラの理解が及ばない高等技術を行使して、見た目も味も魔改造してしまったのだ。
いつの間にか自分は、どんな食材を選んでもサーシャならば美味しくできる、という常識を作り出していたのだ。
あ、いや、封魔の里にいた頃から同じだった気が……、
(……忘れよう)
はて、今まで何を考えていたのだったか。はて?
たぶん、思い出してはならないことだ。
だから思い出さない。うん、それがいい。
「とにかく、ビワケーキはなしだから」
「はい」
レイラは妹に窘められて、とぼとぼと歩き始めた。
その瞬間、
「あ、レイ――っ」
サーシャの制止は間に合わなかった。
レイラは通行人と正面からぶつかってしまう。
相手は男で、レイラよりも大きく鍛えているのか、しなやかな筋肉を持っていた。
吹き飛ばされるのは自分――とレイラは覚悟したが、しかし。逆に男が尻餅をついていた。
当たり屋かと危惧したが、違う。
男は尻餅をついたまま、起き上がる気配がない。かと言って、痛みで呻いているわけでもない。
亜麻色の髪をした、年若い青年だった。
彼が着ているのは、白い生地に赤いラインが入った服だ。
腰には剣が差してある。
庶民が着るには高級感が漂いすぎる服装だ。
上下揃った規律正しい格好からして、騎士団の制服だろうか。それにしても上品そうな制服だが。
「…………」
男が何かを呟いていることに気付いて、耳を寄せる。
そのときようやく気付いた。彼の目は、まるで信じたくない現実から逃げているような、虚ろだ。
「……ぁぁ、どうしよう。そんな、ひめさまがにげただなんて……いやいや、そんなばかな、はは。いやぁ、ちょっとといれにいっただけですって、すぐかえってきますって、しんぱいないって、ひゃひゃ。そうだよ、でっかいほうだよ。だからながいんだ、しかたない。……いや、ねえよぉぉぉ。あっははもう、なんできょうのおめつけやく、じぶんだったんだろ。ほんとなんでだろ、くそう、いやになってくる。これ、うえにしられたらまずいよなぁ、なんていわれるか。みつからなかったら、くびかな。さいあく、しけいかな。あはは、やだやだ、もういやだぁぁぁぁあああああんぁああぁぁぁああぁぁぁあ……!」
……こいつがヤバい奴というのは、もはや確定的に明らかだ。
レイラはサーシャに視線を向け、『早く立ち去ろう』とアイコンタクトを送る。
サーシャは大きく頷いて、
「あの、どうしたんですか?」
……なにやってんのあんた。
レイラの唖然とした眼差しに、サーシャが訝しそうにしていたのは一瞬のこと。
サーシャはニヤリと笑うと、サムズアップをした。期待の眼差しに、レイラも苦笑いでサムズアップを返す。
レイラは心の中で叫んだ。
(そういう意味じゃないからぁぁぁあっ!!)
下層西区の路地裏で、サーシャは呆然自失の男に語り掛けていた。男があまりに悲壮な雰囲気を漂わせていて、見過ごせなかったのだ。
それにしても、なんでレイラは頭を抱えているんだろう。
しばらく話していると、男は自我を取り戻し始めたのか、目に光が宿った。
相変わらず青褪めている、先ほどよりずっとマシになった。
「大丈夫?」
「……ん。ぁ、ぁあ。問題ありません」
男は深い溜め息をこぼすと、サーシャとレイラに向けて頭を下げた。
纏う雰囲気は問題だったが、仕草だけは礼儀正しいものだった。
「何も礼ができず、申し訳ない。しかし、時間がない。失礼します」
男は早口言葉のように言い切ると、すぐさまその場を離れようとする。
とそのとき、サーシャの背後で嘆息(実際は安堵)が聞こえた。
(そうだねレイラ! 困ってる人がいるんだもん、助けよう!)
決意を胸に秘め、サーシャは声を発した。
「待って!」
「むっ」「えっ」
立ち止まる男。足を小刻みに動かしていて、今にも走り出しそうだ。
そんな男に向けて、サーシャは言い放った。
「手伝うよ!」
呆気にとられた表情をする男に背を向け、サーシャはニヤリとした笑みをレイラに向ける。
(これでいいんだよね、レイラ!)
レイラはなぜか、引きつった笑みを漏らしていた。
サーシャの言葉を受けた男は、希望の表情になった。
「……ま、サーシャらしいっちゃ、らしいわね」
後ろでそんな声が聞こえた気がした。
◇
頭に紙袋を被った人物が、堂々と路地裏を進んでいく。
紙袋は、目の位置だけは切り取られていて、謎の人物はそこから周囲を見ているらしい。青い瞳が二つの穴から見えた。
ミコトは目の前の変人に半眼を向けて、そっと溜め息をこぼした。
こいつの名を聞かされたのは、ミコトが腹部を押さえて呻いていたときのことだった。
確か最初の、少女の声で放たれた第一声は、
「き、貴様っ、妾の道を塞ぐとは何事だ!? 妾を誰と心得ておる平民! ……知らんか? では寛大な妾は、仕方なく聞かせてやろうではないか。――妾の名はアスティア・アル……ぅおうっと! 妾の正体を見破ろうという魂胆か!? 残念であったな!」
なんだこいつは。
出会い頭の意味不明さは、《カザグモ》やジェイド、《浄火》といった面々にも並んだ。
しばらくの間、唖然としたものである。
その後、「妾の命令に従わねば打ち首だ!」などとのたまってくれやがった。
ミコトは呆れて、怒りより先に乾いた笑みを漏らした。
「なあ、君」
「なんだ、馴れ馴れしい。妾を誰と心得て――」
「そう何度も言われずとも、ちゃあんとわかってるっつの、アスティア・アルなんちゃらちゃん」
「な、なんちゃらちゃん、だと……? いい響きだな」
アスティアの感性がずれたセリフは放っておこう。
ミコトは先導する彼女に、初対面から疑問に思ったことを尋ねた。
「その紙袋、なんぞ?」
「見てわからんか」
「この世界特有のマイナーファッションかな」
「ふん、これだから凡愚は」
「うっせーポンコツ」
おそらく身分を隠しているのだろうが……いや、それも疑わしいところだが……。
わかって、言わねば気が済まないことができた。
「身分を隠したいんならさ。紙袋の前にまず、その服装をどうにかしろよ」
アスティアが着ている衣服は、明らかに高級品だ。
金糸で装飾が施された、まさに貴族の服であった。
それを見れば、彼女がやんごとなき身分の者であることは丸わかりである。
「な、に……?」
アスティアは立ち止まると、自身とミコトの格好を見比べて、
「なるほど! 確かに、服装には気をつけていなかった。庶民の服は貧相だな!」
「動きやすい格好が一番って思ってるから、俺はこれでいいんだよ。無駄に上品だったら気を遣っちまうだろ」
「そんな価値観だから庶民は貧相なのだ! この程度、いくらだって替えが利くわ! ほれ、証明してやろう」
アスティアが何やら宣言すると、純白の袖をなんと、路地裏の壁に擦り付け始めた。
一時は唖然としたミコトは、慌ててアスティアの肩を掴み、壁から引き離した。
「妾に触れるでない! 不敬罪で処すぞ!? 炎天下空気椅子の刑だ!」
「なにその私刑、無駄につらそう! っていうかお前、めんどくせえ奴だな! 俺も大概だけど、さすがにここまでじゃない! はず……」
「尻すぼみではないか」
「と、とりあえず! その紙袋、そんなんじゃ、余計に怪しまれるぞ。さっさと脱いじまえ」
ミコトはアスティアの紙袋に手をかけた。
「あ、こら待っ――」
◇
「シニヨンに結ったプラチナブロンドの髪と、青い瞳。いかにも高慢で自信満々な目付き。の、一四歳の少女……」
男――リッター・シュヴァリエットから伝えられた人物の容姿。
それを聞いて、レイラは唸った。
リッターは貴族だ。
出会いこそ、仕事に失敗して酒場で飲んだくれているおっさん、な雰囲気であったものの、今は礼儀正しい振る舞いだ。
そんなリッターは、先ほど挙げた特徴の少女に仕えているらしい。
貴族の騎士を侍らすなど、庶民ではありえない。小さな貴族でもない。
考えられる可能性。彼の主人は――大貴族。
(ああ、これは間違いなく面倒なことになったわね)
早いところ撤退したいところだが、とリッターを見やる。
リッターの暗く絶望した表情は今、不安と希望と感謝でいっぱいになっている。
レイラは自分のことを、他人に冷たい人間だと評価している。しかし人並みの善意はあるし、裏切りにおいて良心の呵責は感じる。
今のリッターを裏切れるほど、レイラは冷たい人間ではなかった。
仕方なし、本当に仕方なしで、レイラは探し人の情報を頭の中で思い浮かべてみる。
サーシャとリッターを背にし、暗い路地裏に目をやって、気付いた。
特徴的な、白髪混じりの黒髪の少年が、路地裏にいる。
そのような人物をレイラは、一人だけ知っている。
「ねえサーシャ、あれって……」
――レイラはこのとき、背後にいた彼らに声をかけたことを、心底後悔することになる。
声をかけてから気付いた。ミコトの近くに、紙袋を被った奇怪な人物がいる。その紙袋を、少年が脱がしたところだった。
シニヨンに結ったプラチナブロンドの髪。いかにも高慢で自信満々な目付きと、青い瞳。まだ幼さを残した一〇代半ばの少女。
ほぼ間違いなく、リッターが探している人物だ。
さて、現状確認といこう。
路地裏に貴族の少女がいる。その目の前に、少女の頭部辺りで紙袋を構えている少年がいる。
レイラの言葉で気付いた二人は、その一場面しか捉えていない。
「ぇ、あれってミコト……」
サーシャの、ビックリした感じのセリフは、まだよかった。
「姫様ああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
リッターが咆哮する。
レイラの脇を通り抜け、不審人物(リッター主観)向けて剣を引き抜いた。
(ひめさまって。ひめさまて、おい……)
レイラは何度目かわからない溜め息を吐き出し、頭を抱えた。
◇
「へえ」とは、ミコトが漏らした感嘆である。
シニヨンに結ったプラチナブロンドの髪。いかにも高慢で自信満々な目付きと、青い瞳。まだ幼さを残した顔立ちの、見た目通り一四歳の少女。
可愛らしいと同時に美しくもある容姿に、ミコトは、
「なんか、めんどくさそうな香りがプンプンしてきたな」
「おい、妾の美しき顔を見て、その反応はなんだ。万死に値する」
「しねえよ、死なねえよ。いや、綺麗なのは否定しないけどさ? それを上回る我儘オーラがもう、なんていうが臭い」
「そうかそうか、綺麗かつ美麗でなお可憐な、世界一の造形美であるとな? そーかそーか……臭いとは何事かっ!? 妾が使っている香水はブランドもので……!」
「あ、や、ごめん。香水とか知らない。どっちかっつーと、本来の人の香りがいいっていうか。……なんか高級な香水やってるって聞くと、どぎつい匂いがしてきた気がする」
「本来の人の香り……汗がいいとな? この変態めっ! ……妾はどぎつくなどない! というかそろそろ、本気で処すぞ貴様!」
なんかうざったいのに出会っちゃったなー。
と、両者は思う。お互いの思いが同一であることを、アスティアだけは知らなかったりする。
そう、ミコトは気付いていた。
というか、相手に間違いなく不快感を与える言動はわざとである。怒らせて、さっさと別れたいと考えていたのだ。
……考えていたのに。
何度も何度も暴言を吐いた。そのたびにアスティアを怒らせた。
しかし彼女は、ミコトから離れようとしない。
「なんでだろうな、めんどくさい」
「おい貴様、面倒と言ったか?」
「悪い、口から漏れちゃった。ごめんよ、本心なんだ」
「ムキィィィィ、もう許さん! 炎天下空気椅子の刑を裸でやってもらうぞ! 大広場でな!」
「怖い怖い」
いったい、なんなんだろうな。
戯言を紡ぎながら、ミコトはぼんやりと思考する。
思考していた、ときだった。
「……め様ああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
それは、若い男の声だった。
安堵と憤怒が入り混じった、奇妙な怒号であった。
ミコトは反射的にそちらを向き。
そして、へらへらとした笑みを引きつらせることになる。
亜麻色の髪をした青年だった。歳は二一と断定。白い生地と赤いラインが入った、規則正しい印象を受ける服装だ。
けっこうイケメンな顔立ちをしている。……しているのだが、表情がまずい。
何がまずいって、あまりに鬼気迫っている。
「見つけた見つけた見つけた見ツケタ見ツケタ見ツケタ……」
男はアスティアに微笑みかけながらも、ミコトに対しては親の仇に向けるような眼差しだ。
ああ、こいつはヤバい奴だ。と、ミコトは瞬時に理解した。
これはあれだ、ヤンデレやストーカーの類だ。
想い人の執拗に追いかけ回し、近付く男が全部敵に見えるとかいう、アレだ。アニメで言ってた。
「し、しまった、見つかった……!」
ミコトの推論に同調するように、アスティアの声が震えた。
小さく細い手が、ミコトの服の袖を握った。傲慢そうにしていても、ストーカーは怖いのだろう。
「しゃあねえなぁ」
――ミコトの左手が、彼女の手を握り返した。
「え……?」
「しっかりと背中にしがみついとけよ。これから両手、塞がるから」
スロット開放、術式演算および魔法陣構築開始……同時完了。
顕現は創造。選ぶは水。声質は粘着、座標は掌。射程、形状は不要。
その魔術名を、詠唱を紡ぐ。
「――『ペッタン』!」
創造系統・水属性・中級。
ミコトのオリジナル魔術――粘着魔術『ペッタン』。
効果は単純、物が引っ付く。それだけだ。
同じ効果を望むなら風の吸引魔術や、土の固定魔術があったが、ミコトはその二つの属性が苦手だった。
将来的には粘着液を撒き散らし、敵の動きを封じられたらいいなと考えているが、今のところはこれが精一杯。効率化しなければ、上級クラスの実力が必要になる。
さて、それでどうするのか、だが、
「行くぜ、パルクーぅぅぅル!」
ミコトは走り、路地裏の壁を蹴った。
路地裏の道幅は、両腕を目いっぱい広げて届かないくらい。壁に手を付いて登るのは不可能だ。
なら、跳べばいい。足りない距離は跳躍力で補え。
しかし背には人。いくら少女とはいえ、人間一人の重さは誤魔化せない。
なら、落ちないように引っ付かねばならない。体の動きが間に合わないなら、魔術で補え。
とは言うものの、この建物は二階建てらしく、一〇メートル近い高さがあった。そんな高い壁、水の身体強化では乗り越えられない。
さすが身体強化において水属性の『アクエモート』。人体の限界に迫ったとしてそこまで跳べないし、仮に跳べたとしても筋肉断裂は必至だ。
身体運動のみでは解決できない。
なら、何がある。
――引っ付くしかあるまい。
「ペッタンっ、ペッタンっ、ペッタンっ、ペッタンんんんんッ!」
「ぺびゃああああああああああああああああああああああああ!」
ミコトとアスティア、二人そろって奇声を上げる。ミコトはペタペタと壁に手を付けて、ぴょんぴょんと壁の間を跳ぶ。
そんな奇妙な動きで、彼らは建物の屋根に辿り着いた。
「よっしゃ着いたぁ!」
「…………」
「なんだよその目は。アニメ期待してたら野球延長しちゃった、みたいな落胆の眼差しは」
「たとえ方が意味不明だ」
理解してもらおうと思ったわけではない。ただの独り言だ。
「ともあれ、ここまでくればもう安心し……」
「待てェェェェェエアアアアァァァァァァァァァァアアアアアア!」
ミコト、アスティアに続く、第三の奇声。
眼下に目をやったのと、青年が跳び上がったのは同時だった。
「うそやん」
風を纏ったストーカーの、華麗なジャンプ。体がふわりと浮き上がる。
窓縁に足先をかけ、第二のジャンプ。屋根に手をかけ、――ミコトはその手を蹴り飛ばした。
男は憤怒に表情を染めて落下していく。
「チッ、もうちょっと背負われてろよ!」
「えっ、ちょっ、きゃぁ!?」
ミコトは再びアスティアを背負うと、屋根の上を移動し始めた。
眼下で追ってくる男を、まだまだ離せない。むしろ迫られている。
(まずいな、これは……)
ミコトの直感が囁いた。
――こいつ俺より強いぞ、と。
うへぇ。